番外編-それでも君に恋してた・1-
……夢を見ていた――。
とても、とても長い夢……でも、それは現実に起こっていたかもしれない夢だった――。
◆ ◆ ◆
それは唯が日本に帰国して数日後の夜の事――。
夕食後、二人でソファーに座ってまったりテレビを見ていると、プロの音楽家の素人時代の映像を流している音楽番組が始まった。
「今日は唯のデビュー前の映像が流れるらしいよ?」
もちろん、これもDVDで録画予約済みだ。
「ひゃー、確かこの番組って結構昔の映像とかも流れるのにー」
そう言って顔を赤くした唯。
「初めて発表会とかに出たのっていくつの時?」
「んー……四歳くらいだったと思う」
「四歳かぁー、その時の映像って残ってるの?」
「お母さんがハンディカムで録ったのと音楽教室の先生が記録用に録ったのがあると思うよ?」
「へぇ~、見てみたいな♪」
「見ても全然面白くないと思うよー?」
――と、唯が苦笑していると高二の冬に出場したコンクールのファイナルの映像が流れた。
三位に入賞し、唯がデビューする切欠になったあのコンクールだ。
「まだ四年くらいしか経ってないのに、なんか懐かしいな」
「うん」
そう言って、小さく笑みを浮かべた唯とテレビ画面の中の唯を見比べてみる。
あの頃より少しだけ雰囲気が大人になってすごく綺麗になって――、でも、相変わらず可愛くて。
そして、しばらくすると別の映像が流れ始めた。
画質からして少し古そうだ。
「あ……これ、初めて発表会に出た時のかも」
テレビを見ていた唯が懐かしそうに口を開くと、舞台の袖から淡いブルーの膝丈のドレスを着た小さな女の子が出て来た。
「これ、唯?」
「うん」
幼い頃の自分の姿がテレビに映り、唯は恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「ちっちぇ~♪」
舞台の中央までちょこちょこ歩いて来て、ぎこちなくおじきをした後、よじ登るように椅子に座る四歳の唯。
当然、ペダルにも足が届いていない。
「てか、唯って青系の服を着てる事が多いよな?」
「うん、生まれた時からずっと私が青系で舞が赤系の服を着せられてたから、今でも自然と青系の服が多くなっちゃうの」
「へぇー、もしかして、たまに服を替えっこして入れ替わって遊んでみたり?」
「そうそう、でもすぐにバレちゃうの」
「なんで? 前に一度、上木さんに写真を見せて貰ったけど瓜二つだったから、すぐにはバレないと思うんだけどなぁー?」
「舞は香奈みたいな性格だったから、喋るとすぐにわかっちゃうのよ」
そう言って苦笑いする唯。
「唯とは正反対の性格だったんだ?」
「うん、そう……あ、これ、舞と一緒に演奏した時のだ」
すると、また違う映像に変わり、今度は中学生くらいの同じ顔をした二人の女の子が舞台袖から出て来た。
一人はペパーミントグリーン、もう一人は淡いピンクのお揃いのドレスを着ている。
きっとペパーミントグリーンのドレスを着ている方が唯だ。
「お? ヴァイオリン?」
唯は何も持っていない。
しかし、舞だと思われる淡いピンクのドレスの子の方はヴァイオリンを手にしていた。
「舞はヴァイオリンをやっていたから」
「俺、てっきり二人共ピアノをやってるもんだと思ってた」
「最初は二人共ピアノとヴァイオリンの両方をやってたんだけど、四歳の時にどっちを本格的にやりたいか訊かれて、
私はピアノで舞はヴァイオリンって言ったの」
「じゃあ、唯もヴァイオリン弾けるの?」
「うん、少しだけね」
「聴いてみたいな~? あ、そうだ、Juliusと共演する時、ピアノバージョンとヴォイオリンバージョンの両方作ってみる?」
「え……なんかそれ、倉本さんが言いそう」
唯は一瞬困ったような顔をした後、プッと吹き出した。
「俺……段々、あのおっさんに毒されてきたのかな?」
「じゃあ、倉本さんの姿がかず君の将来の姿?」
「それはない」
一瞬、倉本のおっさんのヘラヘラした顔が脳裏に浮かんだ。
けれど、俺はすぐに否定した。
だって、どう考えたって有り得ない。
「確かに、そんなの想像出来ないね」
唯は俺が倉本さんみたいになった時の事を想像しようとして出来なかったのか、小さく声を上げて笑った。
「てか、このヴァイオリンの色、珍しいな?」
テレビ画面の中にいる舞は赤み掛かった色のヴァイオリンを弾いていた。
「舞は赤が好きだったから普通のオレンジに近いブラウンじゃなくて、赤系の色でヴァイオリンを作って貰ったの」
「へぇー」
そう返事を返しながら再びテレビに視線を戻す。
だけど、同じ顔の人間が二人映っていても俺の目を惹くのはやっぱりピアノを弾いている唯の姿。
相変わらず落ち着いていて、時々舞とアイコンタクトを交わしながらピアノを弾いている。
「舞ちゃんて……これ、初舞台?」
しかし、舞の様子も気になった。
と言うのも、クラシックの曲をよく知らない俺が聴いても音に緊張している様子が滲み出ている。
それに唯は伴奏だからメインは舞のはずなのにヴァイオリンを弾いている彼女は唯の方にばかり視線をやって、
まるで唯に合わせているみたいだ。
「舞は極度のあがり性だったから、いつもこんな感じだったの」
苦笑いする唯。
「意外だな……てか、唯とは“正反対”って、こういう所までっ?」
普段は大人しい唯に明るい性格の舞。
だけど舞台に上がるとそれが逆転する……なんとも不思議な話だ。
「舞が生きてたら……きっと、私とかず君、出会ってなかっただろうね……」
そして、唯がテレビの中の舞を見つめながらポツリと呟くように言った。
「どうして?」
「だって……舞とコウちゃんがあの日、事故に遭ってなかったら、私はきっと音高に行ってたから……」
「そういえば……音高って一校しか受けなかったのか?」
唯程の実力なら都内でも有名な音高に余裕で受かるはずだ。
舞の命日は二月五日だって前に聞いた事がある。
都内にはそれ以降にも入学試験を実施している学校はあるはずだし、すべり止めでもう一校くらい受けていてもおかしくはない。
「舞が亡くなった後……ピアノを続ける気になれなくて……だから香奈と同じ高校に行く事に決めたの」
(それでなのか……)
俺は初めて唯のピアノを聴いた時の事を思い出していた。
五月の風に乗って音楽室から聴こえてきたドビュッシーの『夢』。
舞が亡くなった後も唯がピアノを続けていたのなら……俺はきっと一年生の時にもあのピアノを耳にしていたはずだ。
いつも定期演奏会やコンクールの前に音楽室で練習をしていたから――。
「だから、舞が生きてたら舞とコウちゃんと香奈はかず君と同じ高校に通ってたと思う」
「舞ちゃんはヴァイオリンで唯と同じ音高に行くはずだったんじゃないのか?」
「舞はね、音楽は好きだけど舞台嫌いだったからヴァイオリニストにはならないって言ったの」
「舞台嫌い?」
「発表会もいつも私と一緒じゃないと出なかったし、コンクールも絶対出ないって言って……、
だから音楽教室もこの後辞めちゃったの」
テレビに視線を移す唯。
「この後って……じゃあ、これが最後の舞台だったんだ?」
「うん……元々お父さんもお母さんも、親が音楽家だからって無理に音楽の道に進まなくてもいいって言ってたし、
舞は建築関係に興味があって将来は建築家になりたいって言ってたから」
「建築家か……女の子にしては珍しいな?」
「でしょ? 最初は私もびっくりした」
そう言って笑みを浮かべた唯。
もしも舞が生きていたら……本当に俺と唯が出会う事はなかったのかな――?