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第三章 -9-

孝太は屋上に続く階段の踊り場に唯を連れて来た。


屋上に出るドアには鍵が掛けられている為、ここに人が来る事はないからだ。




「どういう事だよ?」


孝太はそう言いながら、ようやく唯の手を離した。




「どういうって……」




「なんでパリなんかに行くんだよ? 俺から離れたいからか?」




「違うよ……留学の為」




「だったら……それなら日本の音大へ行ってからでも遅くはないだろ?」




「それじゃ遅いの!」




「だから、なんでだよ?」




「コウちゃんだって知ってるでしょ? 私が音高に行かなかった理由」




「……あぁ」




「音高に行ってたら、日本の音大に行く事を選んだかもしれない……けど、音高で勉強出来なかった分、


 パリで取り戻したいの」




「……」




「だから……コウちゃんの事とは関係ないよ」




「……」




「……」






しばらくの沈黙の後、孝太はハァーッと深い溜息を吐いた。


「なんか……どんどん唯が遠くに行っちまう気がする……」




「そんな事ないよ」




「……じゃあ、パリにはどのくらいいるんだよ?」




「来年、音楽院の試験に受かって、ストレートで卒業できれば三年」




「三年……、その後は日本に帰って来るのか?」




「わかんない……」




「もう……日本には帰って来るつもりないんだろ?」




「……そんな先の事なんて、まだわかんないよ」




「嘘だ。お前の事だから、ちゃんと先々の事も考えてパリに行く決心つけたんだろ?」




「……」




「……唯」


孝太はどうなんだという風に唯の顔を覗き込んだ。




「確かに……音楽院を卒業した後、向こうを拠点に演奏活動したいとは思ってるよ」




「……やっぱり」




「パリに拠点を置くか、それ以外に拠点を置くかはまだわかんない」




「でも……結局、日本を拠点にする事は考えてないって事だろ?」




「……今は」




「お前の親父さんだって日本を拠点にしてるじゃないか?」




「お父さんは、今こっちのオケの音楽監督や常任指揮者をやってるからだよ」




「お前のお袋さんだって……」


「コウちゃん……!」


唯は孝太の言葉を遮った。




「“しばらく俺の前には現れないでくれ”って言ったの……コウちゃんの方だよ?


 ……なのに、なんでそんな事言うの?」




「……」




「パリには、もう行くって決めたから」


唯は孝太を真っ直ぐ見つめながら言った。




「どうしても……?」


「どうしても」


唯は即答した。




「俺が……行くなって言っても?」


孝太はじっと唯を見つめ返すと、


「……行くなよ」


唯の肩を抱き寄せた。




「コ、コウちゃん……?」


唯は驚き、孝太から離れようともがいた。




「行くなよ!」


孝太は唯を抱きしめた腕の力を強めた。




「……コウちゃん……放して」


「俺の前からいなくなるなよ……!」


「コウちゃん……お願い……放して……」


「なんで俺から離れようとするんだよ……?」


「……コウちゃん!」


「行くなよ……舞」


「……もぅっ! 放してってば!」


唯は“舞”と呼ばれた瞬間、一瞬だけ孝太の腕の力が弱まった隙に体を離した。




「……」




「私は舞じゃない! 唯よ!」




「……ごめん」


孝太は唯を“舞”と呼んでしまった事に気付き、後悔した。




「コウちゃんがまだ舞の事が忘れられないのはわかるけど……私は……舞の代わりなんて出来ないから」




「……わかってるよ、そんな事」




「わかってないよ!」




「……」




「わかってないから……私に行くなって言うんでしょ?」




「……」




「舞の事……忘れてとは言わないけど……、私と舞を重ねないで……」


唯はそう言うと踵を返し、自分の教室へと戻って行った――。






HRが始まる直前――、


唯が教室に戻って来た。




「……唯」


香奈が声を掛けると唯は「大丈夫」と、言って笑ってみせていた。


だが、なんとなく顔が引き攣っているように見えた。




その後も香奈は唯の様子を気にしていたが、当の本人は至って普通に振舞っていた。


おそらく心中は穏やかじゃないのだろうけれど。




和磨は唯に孝太と何を話したのか訊けずにいた――。






     ◆  ◆  ◆






夏休み明けの今日は例によって例のごとく、この後は始業式がある。




そして、体育館へ移動している時――、


孝太と鉢合わせになった。




唯は孝太の姿が視界に入ったのか、少し足早に逃げるように歩き始めた。


孝太はそれに気付いたらしく、唯の後を追おうとしたが香奈がそれを制した。




「孝太、あんた唯に何したの?」


香奈は孝太を睨みつけた。




「別に……なんもしてねぇよ」




(本当かよ?)


和磨は眉間に皺を寄せながら会話に耳を傾けた。




「じゃ、なんで唯があんな風に逃げるのよ?」




「……」




「あんたまた、唯に酷い事言ったんじゃないでしょうね?」




「……」


孝太は何も答えずに黙っていた。




「孝太!」




「……香奈、唯に悪かったって謝っといて」


少しの沈黙の後、孝太が香奈に言った。




「やっぱり、なんか言ったんだ?」


香奈は眉間に皺を寄せた。




(一体、何を言ったんだ?)




「孝太?」


素直に言いなさいという風に香奈が訊き直す。




「……とにかく……謝っといてくれ」


孝太はそう言うと、香奈から離れて行った――。






始業式の間も唯はずっと普通に振舞っていた。


と言っても、校長の長ったらしい話をじっと立って聞いているだけだったが。






     ◆  ◆  ◆






始業式が終わって教室に戻る時――、


香奈は孝太が言っていた事を唯に伝えた。




「唯、孝太がね、『悪かった』って」




「……そう」


香奈からその言葉を聞いた唯はただされだけ言った。




(やっぱりなんかあったんだろうか……?)


和磨が唯をちらりと見やる。




「唯、孝太となんかあったの?」




「……別に」




“絶対なんかあったな”




唯の反応を見て、和磨は確信した。


香奈も何かあったとは感じたらしいが、それ以上は訊かないでいた。






     ◆  ◆  ◆






教室に戻るともう一度簡単なHRがあった。


一応、担任から一言、二言話があるだけでそれが終わると今日は帰れる。




「唯、今からなんか予定ある?」


午後から唯の方に何も予定がなければ、一緒に帰ってゆっくり出来る。




「夕方からちょっと事務所に行かなきゃいけないけど、それまでなら大丈夫だよ?」




(事務所か。仕事の話でもするのかな? まぁ……いいか、夕方までなら一緒にいられる)


「んじゃ、一緒に帰ろう」




「うん」


唯はにっこり笑って返事をした。




しかし――、




HRが終わると、待っていたのはまたしても文化祭実行委員会からの呼び出しだった。




(去年と一緒だ……)






和磨と拓未は唯と香奈に教室で待っててもらい、Juliusのメンバーと生徒会室に行った。




用件はやはり去年と同様、文化祭の野外ステージで“客寄せパンダ”。


しかも今回の出演はJuliusだけらしい。


去年は結局、JuliusとOracle以外のバンドはたいした盛り上がりもなく、


Oracleはリーダーの真由子に声を掛けた時点で今年はメンバー全員受験生だから無理だと言われたとか。




Juliusのメンバーはみんなプロを目指している。


とりあえず受験とは無関係だ。


和磨達は文化祭の野外ワンマンライブを二つ返事でOKして、生徒会室を後にした。




「ミーティングは明日でもいいか?」


ライブの出演が決まると何も用事がない限り、すぐにミーティングをする。


それがJuliusの中で暗黙の了解だった。


早く決めてしまえば各自で練習ができるし、スケジュールも立てやすいからだ。


しかし、教室に戻る途中、珍しく拓未がそう言った。


今日はバイトがあるとも言ってなかったし、彼女とのデートを優先するような事もしない。


なんだかんだ言っても拓未もバンドの事を最優先していたからだ。




(もしかして……今朝の唯と長瀬の一件を気にして俺に気を遣っているのか?)




准と智也は「別にいいよ」と言って、あっさりOKした。


和磨も今日は唯と帰りたかったし、コクコクと頷いて返事をした。






教室に戻ると拓未は「香奈、帰ろうぜー」と言って、和磨と唯にも「んじゃな」と、


手を振ってさっさと帰って行った。




「てっきり緊急ミーティングするって言われるかと思ってた」


唯は意外そうな顔でカバンを持って立ち上がった。


和磨が生徒会室に行く前までは、まだ暗い表情をしていたけれど今はすっかりいつもの唯に戻っていた。




「まぁ、たまにはこんな日もあるって事で……帰ろう」




和磨と唯は手を繋いで教室を出た――。






     ◆  ◆  ◆






まだ夏の暑さが残っている日差しの中、風が駆け抜けていった。




唯の長い黒髪がさらさら靡いて、ふわりとシャンプーの香りがした。




(ハーブの香り……ラベンダー? あれ……?)


「唯、シャンプー変えた?」




「えっ? なんでわかったの?」




「風が吹いた時、いつもは柑橘系の香りがしてたのに、今、ラベンダーの香りがしたから」




「あ、それ、例のCMのシャンプーだよ」




「あれか……使ってるんだ?」




「うん、一昨日メーカーから事務所にごっそり送られて来たから」


唯は苦笑いしながら言った。




「そういえば……これ、サンキュー」


和磨は今朝、唯が机の上に置いてくれていた紙袋を見せた。




「あ、うん」




「ごっそりって、一体どれくらい?」




「シャンプーとコンディショナー五ダースずつ」




「うはっ」




「事務所のスタッフと分けたんだけど、うちは今、実質お母さんと二人暮らしみたいなものだし、


 使い切れないから、みんなにおすそ分けしちゃった」




「雅紀さんは?」


確か今年の三月に音大は卒業したはずだ。




(そのまま一人暮らししているのかな?)




「お兄ちゃんは今、ウィーンにいるよ」




「えっ!? ウィーン?」




「うん、ウィーンの音楽院に通ってるの」




(ウィーンに留学か……すごいな)




「んじゃ、俺も今日からこのシャンプー使う」




「うん」




「あ、そーいえば、今朝CMも見たよ」




「え!? もう?」




「うん、たまたまテレビ見ながら学校に行く準備してたら偶然見れた。すごく綺麗に映ってたよ」


和磨がそう言うと唯の顔が少し赤くなった。




(こういうところは付き合い始めた頃と変わらないな……)




そんな唯を見て和磨は孝太との事も結局、訊けなかった――。

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