番外編・バレンタインデー -1-
――二月十四日、バンタイン・デー。
今日は一年の中で女の子が一番ドキドキする日。
男子の方もある意味ドキドキするのか、唯のクラスの中も浮ついている。
『朝来たら下駄箱にチョコがあった』とか『机の中にあった』とか『昇降口で待ち伏せされた』など……いろいろ話をしている。
(かず君は、全部有り得そうね……)
現に今朝も和磨の教室を覗いてみると、いつも以上に女の子に囲まれていた。
あの様子だときっと下駄箱にも有ったり、机にも有ったり、昇降口でも渡されたりしててもおかしくない。
昼休憩もきっと囲まれるだろう。
放課後だって囲まれたり、帰る時も待ち伏せされるだろう。
(今日は一緒に帰れないかもな……)
唯は溜め息を吐いた。
◆ ◆ ◆
昼休憩、唯は和磨の教室をちらりと覗いてみた。
案の定、女子生徒達に囲まれている。
(うー……やっぱり近づけないよ……)
唯は仕方なく、すごすごと自分の教室に戻って行った――。
放課後も唯は和磨の教室に行ってみたが、やはりたくさんの女子生徒達に囲まれている。
きっとしばらく解放されないだろう……。
そう思った唯は、一人で帰りながら和磨にメールを送った。
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先に帰るね。
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(後でかず君のお家に届けに行こうかな)
別に朝早く来て下駄箱に入れておくなり、机に入れておいてもよかったのだが、どうしても直接渡したかった。
かと言って、明日渡すのでは意味がない……。
唯はトボトボと歩きながら、一人であの展望台へ行った。
今日はなんだか真っ直ぐ帰る気になれない。
それに今なら夕焼けが見られそうだ。
ベンチに座り、隣に和磨がいない事を実感して気がついた。
(そういえば、ここ……一人で来た事なかったな……)
今日の夕焼けは一段と綺麗だ。
なんでなんだろう……?
なんでこんな時に一人なんだろう。
こんな綺麗な夕焼けは滅多に見られない。
それなのに、隣には和磨がいない。
(かず君、まだ女の子達と一緒なんだろうな……)
唯は空を見上げながら、大きな溜息を吐いた。
(一緒に見たかったな……)
そう思っていると、視界の先にある夕焼け空を誰かの顔が塞いだ。
唯は突然の事でびっくりして一瞬、誰なのかわからなかった。
「唯、発見」
和磨が後ろに立ち、上から唯の顔を覗き込んでいた。
「か、かず君っ!?」
驚いたあまり唯は後ろに倒れそうになった。
「おっと」
慌てて和磨が抱き止める。
「あ、ありがと……。てか、なんでいるの?」
唯は和磨が目の前にいる事が信じられなかった。
てっきりまだ女の子達と一緒だと思っていたからだ。
「先に帰るってメールが入ってたから、急いで追いかけたんだけど、
この時間なら夕焼けが見られそうだから、もしかしてここに来てるかと思って」
そう言いながら和磨は唯の隣に腰掛けた。
「え……じゃなくて、ファンの子は?」
唯は和磨がここにいる事も不思議だったが、なによりファンの子達をどうしたのかが気になった。
「もうみんな帰ったよ」
和磨は心配するなという風に唯の頭をポンポンと軽く撫でた。
「今日は一段と綺麗な夕陽だな……」
和磨は唯の頭を自分の肩に凭れかけさせた。
「……うん」
しばらく夕焼けを一緒に見た後、
「よかった……、かず君と一緒に見れて」
唯が徐に口を開いた。
「ん?」
和磨が唯の顔を覗き込む。
「すっごく綺麗な夕焼けだったから、ホントはかず君と一緒に見たいなって思ってたの」
そう言って唯は和磨に微笑んだ。
「そっか」
和磨も唯に優しく笑みを返した。
「あ、そだ!」
「……?」
「かず君、これ」
唯はずっと渡したかったものを和磨に渡した。
「これって、もしかして手作り?」
唯から受け取った小さな紙袋の中身は、赤いリボンがしてある透明な小袋に入った
チョコチップクッキーともう一つリボンのかかった小箱だった。
「えへへ……実は」
唯は少し頬を赤くして答えた。
「ありがと、唯」
和磨は唯からまさか手作りクッキーがもらえるとは思ってもみなかった。
バレンタインデーと言っても、唯は去年の十二月に出たコンクールの上位入賞者による演奏会とやらが四月にあるらしく、
その練習で忙しいだろうと思っていたからだ。
きっと頭の中も演奏会の事でいっぱいなんだろうと思っていた。
正直、和磨は期待はしていなかった。
それがまた手作りとなると余計に嬉しい。
「でも、かず君今日いっぱいもらってそう」
唯は苦笑しながら、和磨の顔を覗き込んだ。
「まぁ、でも実際これ食べるのは両親だから」
「えっ!?」
唯は和磨から意外な答えが返って来た事に驚いた。
「俺、実はチョコって苦手でさ……。唯が作ってくれたみたいなチョコチップクッキーなら好きなんだけど、
板チョコとかチョコレートケーキとかは駄目」
「そうなんだ……」
唯は手作りチョコにしなくてよかったと心底思った。
チョコレートはファンの子達からたくさんもらうだろうからとチョコチップクッキーにしたのが功を奏したようだ。
「だから、毎年バレンタインのチョコは両親が食べてる」
そう言って和磨は苦笑した。
「あ、そういえば……」
「うん?」
「こっちの開けてみていい?」
和磨はもう一つのリボンがかかった小箱を出した。
「うん」
唯はにっこり笑った。
「これ……すごい」
白い小箱に入っていたのは、シルバーのバングルだった。
手彫りで月の華をモチーフにした模様のシンプルなデザインは着る服を選ばなくて良さそうだ。
アクセントにはゴールドが使われている。
(唯ってこういうの選ぶのうまいな……)
ピアスの時といい、このバングルといいシンプルなのにさりげないアクセントもある。
さっそくバングルを右手首にはめてみた。
「どぉ?」
和磨は右手首を唯に見せて言った。
「うん! 思ったとおり、似合ってる!」
唯は和磨のイメージにぴったりだったのか、にっこり笑って言った。
(てか、一体いつの間に……?)
誕生日の時もそうだったが、唯は忙しくて時間がないはずなのにしっかりと和磨の為にプレゼントを用意している。
しかも、決して適当に選んだ訳でもなく、ちゃんと和磨に似合いそうな物を――。
「ありがとう、唯」
和磨はそう言って唯にキスをしようと顔を近付けた。
「あっ! ま、待って、かず君!」
すると、いきなり唯にストップをかけられてしまった。
「え……?」
和磨はキョトンとしている。
「かず君……あの……目、瞑って……?」
「……?」
和磨は不思議そうな顔をしている。
「……」
唯は早く目を瞑ってくれと言わんばかりの顔をした。
「ん」
仕方なく和磨は目を瞑った。
すると、躊躇したように唯の方から和磨にキスをした。
唇に触れるだけの軽いキスだったが、和磨は驚いて思わず目を開けた。
(今の……)
「ゆ、唯……?」
唯は真っ赤な顔をして俯いていた。
「だ、だって……今日は女の子から告白する日だもん」
そう言ってまだ赤い顔で和磨をちらりと上目遣いで見上げてきた。
(あー、そんな目で見つめてくるのは……反則だろっ!)
「……唯」
和磨は唯をぎゅっと抱きしめた。
あれは言葉のかわりのキス……だったのかな――?
◆ ◆ ◆
「ただいま」
和磨は、久しぶりに灯りがついている家の中の人物に向けて声を掛けた。
「おかえりー」
キッチンの奥から、ニコニコしながら和磨の母・美奈子が出てきた。
「ん、これ」
和磨はチョコレートが入った紙袋を美奈子に渡した。
「今年も大漁ねー。……て、それは?」
美奈子は和磨が持っている小さな紙袋を見て言った。
「あ……こ、これは、違うから」
「ふーん……“彼女”からなんだぁ~?」
美奈子は悪戯っぽい笑みを浮かべながら和磨に言った。
「……」
和磨は黙ったまま否定もしないでそそくさと自分の部屋へと向かった。
「ホント、あんたってわかりやすい子ねー」
美奈子はクスクスと笑いながら、和磨の背中に向けて言った。
「今までは、“彼女”がくれた分も渡してたのにねー」
そう、今までは――。