第二章 -13-
「唯っ!」
唯は香奈の声に振り向くと、手を振りながら歩み寄って来た。
初めて間近で見るドレス姿。
可愛い……と言うより綺麗。
キャミソールドレスで露出が高いと言う事もあるが、足元まで隠すロングドレスはいつもよりも唯を大人っぽく見せている。
その姿に思わず和磨は釘付けになった。
「お疲れ様」
和磨が唯に笑顔を向ける。
すると、唯は可愛らしい笑みを浮かべた。
その笑顔はさっきまでステージにいた人物とは思えないくらいだ。
「かず君……ピアス……」
「ん、ここはこのピアスの指定席にした」
和磨は唯から貰ったピアスを指した。
唯は少しだけ顔を赤くして嬉しそうに笑った。
「唯、また、なんか……言われた?」
香奈は心配で堪らなかった様子で唯の顔を覗き込んだ。
「あー、なんかいろいろ言われた気がするけど、憶えてないかもー」
そんな香奈を余所に唯はあっけらかんとして言った。
「……大丈夫だった?」
香奈はさらに心配そうに訊く。
「うん」
そんな香奈に唯は大丈夫という風にニッコリと笑って見せた。
「だから言ったろ?」
そして雅紀がニッと笑いながら香奈の頭をポンポンと軽く撫でると、香奈はやっと安心したように笑顔を見せた。
「まぁ……去年、散々お兄ちゃんに怒られたしー」
唯はそう言うと少し口を尖らせた。
「ははは、けどまぁ、いつかは越えなきゃいけない壁だったしな?」
雅紀さんは唯の頬を指でツンツンとつついた。
(やっぱり去年……何かあったのか?)
「ところで唯、まだ着替えなくていいんでしょ?」
香奈は唯にそう訊いた後、拓未をちらりと見た。
「うん、一応結果発表までこの格好」
「お♪ じゃあ、レアなドレス姿を撮っておこう♪」
拓未はにやりとしながらデジカメを取り出した。
「望月くん、デジカメいつも持ち歩いてるの?」
唯は少し驚いたように拓未のデジカメに視線をやった。
「うん、そだよ」
拓未はニッと笑った。
「んじゃ、まずは唯ちゃんと和磨のツーショット」
「「えっ!?」」
「ほらほらっ、早くっ」
拓未は二人をくっつけると
「香奈」
何やら合図を出した。
香奈はにやりと笑うと、唯に近づき脇腹を擽った。
「きゃーんっ」
声をあげて笑い始めた唯。
和磨も釣られて笑う。
「はいはい、こっち向いてー」
……パシャッ。
「ん、いい感じ♪」
拓未はデジカメのモニターを見ながら満足そうな顔をした――。
◆ ◆ ◆
しばらくして全ファイナリストの演奏が終わり、審査に入るアナウンスがあった。
「あ、それじゃそろそろ控室にもどるね」
唯はそう言うと手を振りながら控室へと戻っていった。
「去年……なんかあったの?」
拓未は唯が楽屋に入って行くと香奈と雅紀に訊ねた。
やはり拓未も気になっていたらしい。
「んー、去年というか、去年まで……かな」
雅紀は少しだけ苦笑しながら話し始めた。
「唯がさ、コンクールで入賞し始めた頃から段々と一緒に出てた奏者からいろいろ言われ始めたんだよ」
「いろいろ?」
「まぁ、例えば……『他のコンクールで入賞したからっていい気になるな』とか」
「うゎ……」
「『入賞したのは裏金使ったんじゃないのか?』とか」
「ひでぇ……」
「まぁ……他にもいろいろ」
雅紀はそこまで話すと、
「それでさ、言われた事を一々気にして結局、去年までいい成績を残せなかったんだ」
ハァーッと溜め息を吐いた。
「だからこのコンクールも去年はセミファイナルまで残れなかった」
「もしかして……唯ちゃんの前に出てた女の子がその……いろいろ言ってた子ですか?」
「うん、そう」
拓未の問いにコクコクと頷いて答える雅紀。
(それで上木さんが血相を変えたのか……)
「けど雅兄、唯に何言ったの? 散々怒られたって言ってたけど?」
「まぁ、たいした事は言ってないけどな。早い話が考え方を変えろって言ったんだよ」
「考え方?」
「そう、言われた事を一々気にしたってキリがないんだし、相手は唯の事が邪魔だから言ってくる訳だろ?」
「うん」
「という事は、逆に言えばたいした事ない奴には言わないんだし、それだけ実力があるって事だ」
「あー、なるほどー」
「それに……弱い犬ほどよく吠える……」
雅紀はニッと笑った。
「あはは」
香奈も納得したように笑い出した。
「現にあの子は本番に弱いのか、トチったろ?」
「うん」
「まぁ、あんだけトチれば“負け犬”確定」
「じゃ、今回、唯ちゃんは見事壁を乗り越えた訳ですね?」
「そそ」
雅紀は拓未の言葉に頷くと、
「……まぁ、元々唯は精神的には弱い子じゃないから」
そう言って小さく笑った。
(確かにそうかもしれない……いや、そうだ。唯は精神的にはきっと俺より強い――)
◆ ◆ ◆
審査が終了したアナウンスがロビーに響き、和磨達が客席に戻るとステージの上にはファイナリスト達が顔を揃えていた。
その中でも唯は一番小さくて、一番綺麗で、一番目を引く存在だった――。
審査の結果発表はすぐに始まった。
「第十位、五十九番……」
「第九位、五番……」
「第八位、二十二番……」
・
・
・
「第四位、十二番……」
なかなか唯の名前が呼ばれない。
それに唯の前に演奏した一橋美由紀も呼ばれていない。
そして――、
「第三位、二十三番、神崎唯」
(呼ばれた……! 三位だ!)
和磨達四人は顔を見合わせた。
ステージの上では唯も驚いている。
「第二位、三十三番……」
「第一位、六十八番……」
結局、一橋美由紀は本当に“負け犬”になった。
選外になったようだ。
そして次々と表彰が行われ、唯も盾と賞状を受け取った――。
受賞式が終わると和磨達はすぐに控室に向かった。
だが、唯は既に十数人の取材陣に囲まれていた。
「すごい……インタビューされてる」
拓未はデジカメ片手に驚いている。
受賞後の唯の姿を一番に撮りたかったのだろう。
「三位入賞だからなぁ」
雅紀も自分の事のように嬉しそうに言った。
「てか、唯、ちゃんとしゃべれてるのかな?」
香奈は苦笑しながら唯に視線を向けた。
案の定、唯は恥ずかしそうにしている。
そんな唯の姿を見て、和磨は苦笑いした。
(ステージの上だとあんなに堂々としてるのに……)
◆ ◆ ◆
一時間後――、
インタビューと撮影が終わった唯はようやく取材から開放された。
メイクを落として普段着に着替えた唯が控室から出て来た。
いつもの唯だ。
「唯、おめでとう!」
香奈は唯に駆け寄り抱きついた。
(あー、俺も抱きつきてぇーっ!)
和磨はそんな衝動を抑えながら、唯に近寄る。
「おめでとう」
和磨は自分の事のように嬉しそうに言った。
「「おめでとう」」
雅紀と拓未も嬉しそうに笑みを浮かべて言う。
「ありがとう、みんなが応援してくれたおかげだよ」
唯はとても嬉しそうな笑顔で応えた――。
夕食の時間には少し早かったが、唯達五人はイタリアンの店で祝杯を挙げる事にした。
雅紀の車が駐めてある駐車場へ向かっていると、その途中にあの“負け犬”がいた。
一橋美由紀だ。
美由紀は唯を見つけると、キッと睨みつけ、今にも食って掛かりそうな勢いで近付いて来た。
「私、負けたとは思っていないから!」
そして唯の目の前に来ると、いきなり吐き捨てるように言った。
「今回はたまたまよ! いい気にならないで!」
捲くし立てる美由紀。
「……」
あまりの剣幕に圧倒されているのか黙ったままの唯。
それでもまだ何か言おうと美由紀が口を開きかけた時、
「ちょっとあんた、いい加減に……っ」
香奈が言い返そうとし、唯がそれを手で制した。
その場にいる全員が唯が美由紀に何か言い返すものだと思っていた。
しかし、意外にも唯は美由紀の横を素通りし、そのままスタスタと駐車場へ歩き始めた――。
「唯、なんで何も言い返さなかったの?」
車が走り始めてから、香奈が不満そうな顔で口を開いた。
「……私は別に一橋さんに勝ったとは思ってないから。今までだって一橋さんに負けたとは思ってないよ。
自分に負けてただけ。今回は自分に勝つ事が出来たから結果がついてきた……それだけよ」
唯はだから言い返さなかったのだと続けた。
「それに……、あんな風に自分に負けても文句しか言えないなんて……何ていうか……虚しくない?」
「まぁ……ね」
香奈は確かに……と言った感じで頷いた。
「そう思うと……なんか可哀想に思えてきちゃって、言い返すのもバカバカしくなってきたと言うか……」
そう言って唯が苦笑すると、
「なるほど」
香奈も苦笑いした。
そして唯はふぅーっと息を吐き出すと、
「けど、これでやっと終わった~っ!」
両手をあげて伸びをした。
「よく頑張ったな」
丁度車が信号待ちで止まり、雅紀は優しい笑みで唯の頭をグシャグシャと撫でまわした。
「やめてよー、お兄ちゃーん」
唯はキャハキャハと笑い、頭を左右にブルブルと振って嫌がってはいるものの、されるがままになっていた。
まるで犬みたいだ。
唯にとって一年ぶりのコンクール出場だと聞いていたが、その間、他にもコンクールはあったはずだ。
それらにわざわざ出なかったのは、やはり去年の失敗が響いていたからか……。
今回は精神的にも辛かったのを雅紀は知っているから、余計に唯を褒めてやりたいのだろう。
再び車が走り出し、後部座席では和磨達が学校の話をしていた。
だが、唯はまったく話に入って来ていなかった。
「唯?」
香奈は不審思い声を掛けた。
しかし、返事がない。
「???」
香奈は少し身を乗り出し、助手席にいる唯を覗き込んだ。
「あ……唯、寝てる。疲れてたのかな?」
雅紀は運転しながらチラリと唯に視線をやると、
「コンクールが終わってホッとして気が抜けたんだろ」
笑いながら言った。
和磨と拓未も身を乗り出して唯の寝顔を拝んだ。
(うゎ、子供みてぇな寝顔してる。可愛い♪)
小さく寝息をたてて眠る唯の顔は、本当に子供みたいだった。
和磨はクスッと笑った。
「寝顔いただき!」
その横では拓未がと言ってデジカメのシャッターを切っていた。
すると和磨は無言の訴え……といった顔で拓未を睨みつけた。
(……おぃ……後でその写真、よこせよ……)