第一章 -epilogue-
「俺が好きなのは……」
そう言って彼女に手を伸ばす。
「神崎さんだから……」
彼女の肩をゆっくりと引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。
ふわりと髪が靡いて、彼女の体が俺の腕の中にすっぽりと納まる。
きつく抱けば壊れそうなほど細い肩……その肩口に俺は顔を埋め、彼女の言葉を待った。
けれど、きっとまた固まっている。
案の定、しばらく経っても反応がない。
俺は彼女の顔を覗き込んだ。
「神崎さん?」
俺が名前を呼ぶとやっと我に返ったのか、
「あ、あのっ! わ、私……!?」
突然慌て始めた。
俺が見つめると、頬を赤くして見つめ返してきた。
「俺、神崎さんが好きだ」
もう一度、俺は彼女の黒い瞳を見つめながら言った。
「私……」
彼女はどうしたらいいのかわからないみたいで戸惑っている。
けど俺は次の瞬間、もっと大事な確認事項がある事に気がついた。
「あ……、もしかして……誰か付き合ってるヤツがいたりする?」
(これだよ、これこれ! いくら俺が彼女を好きでも付き合ってるヤツがいたりしたら……)
そう考えていると、
「ううん、いないよ」
彼女は首を横に振りながらそう答えた。
俺はホッとした。
「でも……篠原くんの方こそ、誰か付き合ってる子がいるんじゃないの?」
すると今度は彼女の方が俺に訊いてきた。
「いや、そんな事ないよ」
俺はすぐに返した。
実際、そんな女はいないし。
「……神崎さん、俺と付き合って貰えないかな?」
「え……」
「俺じゃ、やっぱり嫌? 俺の事嫌い?」
「そ、そんな事ない!」
「やっぱり信じられない……?」
「……」
彼女はまた黙り込んでしまった。
(やっぱ、そこが引っ掛かってんのか……)
「……どっちが本当の篠原くんなのか……わからないの」
そして彼女がゆっくりと口を開いた。
「どっちの……て?」
「その……エリさんて人と話してる時の篠原くんと……私と話してる時の篠原くん」
「それは……」
どっちも本当の俺だ。
「どっちだと思う……?」
「……」
彼女はわからないから訊いたのに……と言わんばかりの顔をした。
「どっちも……?」
少し考えた後、彼女はそう言って俺の答えを待った。
「……正解」
「……」
「どっちも本当の俺」
「……」
「けど、エリの前での俺は、神崎さんの前には出て来ないよ」
「どうして?」
「エリの事は好きじゃなかったから」
「……」
彼女はまたしばらく考え込んだ後、
「信じてもいいんだよね……?」
まだ少し不安そうな顔でそう言った。
「篠原くんの事……信じたい……」
俯きながら消えそうなほど小さな声で、呟くように言った彼女を俺は黙ったまま抱き寄せた。
そのままもう一度抱きしめて、耳元に囁く。
「俺の事、信じろよ……」
彼女は黙ったままゆっくりと俺の背中に手を回してきた。
言葉のかわりに。
俺は彼女の顎に手をかけて顔を上へ向かせ、そっと唇を重ねた……。
……言葉のかわりに――。