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2話

テルヘルムの街の受付嬢にはこれまで幾多もの迷える子羊を導いたという自負がある。

最初こそロクに受け答えも出来ない生娘だったが、怒鳴り込まれ、ゴネられ、泣きつかれ、愚痴を聞かされ、脅され、口説かれ……を繰り返すうち、いつの間にか海千山千の案内係となっていた。

この街のことなら、通常の職務である街案内や冒険者登録は勿論、他愛ない世間話からドロドロした噂話までなんでもござれだ。

だが、貴族の案内をした事は一度もない。

貴族がこんな辺境を訪れること自体青天の霹靂と言っても過言ではないし、稀に訪れたときでも、その案内は領主様が担当なされるからだ。

だからこそ、彼女は戸惑っていた。

目の前の青年――まだ少年といっても十分に通用するだろう顔つきだ――はどう見ても貴族だ。

純白の靴、純白の靴下、純白の服。

きっと一流の染物職人が仕立てたのであろう、ムラの無い黒のズボン。

一目見ただけで分かる。対応を間違えようものなら、明日から男達の慰み者にさせられても全くおかしくない相手だ。

受付嬢は努めて笑顔で対応しようとしたが、緊張して声が震えるのを自分でも抑えきれていないのが分かった。


「ようこそテルへレムの街へ。よろしければ私がご案内させていただきます」


「ああ、実はこの街には冒険者になりたくて来たんだ」


「冒険者ですか?あの、失礼ですが、高貴な身分の方とお見受けいたします」


「何か問題でも?冒険者というものがどういうものか、興味があってね」


確かに、貴族が冒険者を始めるというのは往々にしてあるものだ。

酒場でも、貴族でありながら偉大な冒険を成し遂げた貴族の歌が口ずさまれることはある。

それに、この国では王様が名誉職であるSランク冒険者も兼ねるというのが通例になっているし。

恐らくは教育の一環として登録することになったのだろう。受付嬢はそう判断する。


「いえ、ですがそうしますと、登録料として10クローナいただくことになりますが」


「生憎手持ちはないんだ。つけといてくれないか?」


「貴族の方といえど、これに関しましては規則ですので……」


「払うと言ってるだろ?早くしてくれよ。何、それともたかが10クローナ如き僕が払えないと思ってるわけ?」


しまった、ゴキゲンを損ねてしまっただろうか。

背筋に嫌な汗が流れる。


「そ、そういうわけではっ。……分かりました。今回は特例として無料で冒険者登録をさせていただきます」


「名前はキョースケだ。書いておいてくれ。処理も面倒だから任せた」


「はい。それでは、注意事項をご説明いたします」


キョースケと名乗る貴族の逆鱗に触れなければなんとでもなる。

冒険者登録にかかる10クローナだって、ギルドの運転資金にすら引っかからないはした金だ。

元々最低限の信用を金銭で担保する儀式のようなもの。

受付嬢はただ、一刻も早くこの囹圄で鞭打たれるかのような地獄が終わってくれることを願うばかりであった。


「キョースケ様は本日付でランクFの冒険者になられます。冒険者のランクはS~Fまで御座いまして、冒険者なら誰でも当案内所に発注されているクエストを受注することが出来ます。

しかしながら、最初からあらゆるクエストが受注可能というわけではありません。

例えばFランクでしたら、初歩的な採集クエストや町の雑務、ゴブリンなど低級モンスターの狩猟ということになります。

これは十分な実力を有していない方が高難度のクエストへ無謀な挑戦をしないようにという措置です……勿論、キョースケ様の凄腕を疑うわけではありませんが」


のべつ幕無しにまくし立てた後、ちらりとキョースケの方を見やる。

彼は既に聞き飽きたというよう素振りを見せながらも、こくりと頷いて続きを促した。


「一定の条件を満たした場合、ギルド立会の下昇格試験を受けることが可能となります。

条件につきましては秘匿されておりますので、申し訳ありませんがこの場でお教えすることは出来ません。

Dランク以上でギルドから一定の補助が給付され、Aランク以上の冒険者には、ギルドからの指名クエストを受注する義務が発生いたします」


「冒険者ギルドの名誉や信用を毀損する行為を行った場合、資格をはく奪することが御座います。

最悪のケースですとギルドの私兵から厳罰を受けることもあると聞きますのでご注意下さい。

ここまで、何か質問等御座いますか?」


「いや、特にない。今受注できるクエストはどこで確認すればいいんだ?」


「あちらの掲示板の方に貼りだされておりますので、依頼書の半分を破ってこちらにお持ちください。

印鑑を押したうえで、その時点からクエストを受注したものとみなされます」


「なるほどね……。ちょっと待ってて」


掲示板に向かった貴族が、しばらく逡巡してから取ってきたのはゴブリンの討伐依頼書であった。

テルヘレムの背に広がる膨大な≪深緑の森≫には様々なモンスターが生息している。

この街には大陸でも有数の巨大な石壁が築かれているため、基本的に街にモンスターが侵入するようなことはない。

しかし、モンスターと人間の居住区が密接というのはそれだけで多くの潜在的な問題を抱えることになる。

もしもゴブリンが大量発生したら?ワイバーンが飛んで来たら?あるいは万に一つの可能性として――森に眠っているとされる古のドラゴンが目を醒ましたら?

モンスターの討伐依頼はそういった問題を抑制するために、ギルドから年中出されているものだ。

勿論、時には緊急を要する依頼が貼りだされることもある。

が、ともあれこういった通常時の討伐クエストは、多くの場合冒険者の育成を狙ったものであることが多い。

Fランク冒険者のほとんどは、街の雑務を手伝ったり採取をするところから始めるのだが……きっとこのお方はそういったものに興味はないのだろう。

だって貴族だし。とても筋力があるようには見えないが、きっと軽量化魔法のかけられた武器や防具を使うに違いない。

受付嬢はそんなことを思いながら慣れた手つきで印を押した。


「これでクエストの受注は完了となります。回り続ける羅針盤に一筋のしるべを」


だが、彼女の挨拶に彼が答えることはなかった。

無表情で依頼書を引っ掴み、彼は案内所を後にする。





恭介の取った方向性は半ば成功したと言える。

人々の目線から、自分を位あるものとして扱っているのは分かっていた。

だったら、そう振る舞えばいいだけの話だ。

案の定、貴族然とした態度を取るだけで冒険者登録をつつがなく終えることができた。

「僕」なんて一人称を使ったのは小学生の時以来だったが。

雑務や採集クエストを選ばなかったのは、きっと訝しまれると思ったからだ。

武器や防具、アイテムもない状況での討伐クエストだが、まあ多分なんとかなるだろう。ゴブリンはファンタジーだと知性低いモンスターってことになってるし。

というより、元から成功を期待してなどいない。

ゴブリンの討伐依頼は何枚も貼りだされていたから、きっと失敗したところで大した責め苦を負うことはないはずだ。


後はその他の必需品も同様にツケで……と言いたいところだったのだが、これは考えが甘かった。

確かにどこの店も丁重に扱ってくれたのだが、後で支払うからと言っても了承してくれた所はなかった。

とある冒険者用の商店など、「アンタ本当に貴族様か?」と疑ってくる始末だ。

その時は顔を真っ赤にして怒鳴りつけ、捨て言葉を残していくことでどうにかやりきったのだが。

いっそ貴族設定を脱ぎ捨てて、どこかで働かせてもらおうかとも思ったのだが、そういう気持ちにはなれなかった。

貴族じゃないと叫んだところで信じてもらえる可能性は低い。

仮に信じてもらえたしても、働かせてくれと懇願して店から叩き出された物乞いを見たら、このままでいた方がマシだと思うだろう。

どちらにせよ、この世界の通貨クローナというらしいを持っていない以上、この街で悠長にしているわけにもいかなかった。

この街に来た時と同様、身一つで街を出ていく。

これからどうするかについて頭を巡らせている恭介には、唇を真一文字に結び威風の限りを誇示する門番の姿は、一切目に入らなかった。




森に身を入れたのは自殺願望があったからではない。

確かに外的な危険は街よりも多いだろうが、飲み水や果実さえ見つけることが出来れば当面の間生きていくことはできるだろうと考えたからだ。

かなり楽観的な博打ではあったが、見込はあった。

最初この世界に来た時から川の流れのような音は聞こえていたし、これだけ広い森ならば食べれる果実の一つや二つあるだろう。

街で武器を手に入れることが出来なかったのは残念だが、最悪の場合またここに逃げ帰ってくればいい。そう考えていた。

現代社会に生きていた恭介は、森の中がどれだけ危険かについてほとんど知識を有していなかったのだ。

街の場所はおろか、自分の現在地ですら分からなくなるまでに、そう時間はかからなかった。


落ちていた小石で木々に傷をつけながら進んでいたのだが、その傷を早々に見失ってしまう。

これは本当にマズい。

幸い、音を辿っていく内に川を見つけることが出来たので、それに関しては不幸中の幸いといったところだろうか。

3歩ほどで渡れそうな、そんな幅の短い小川だ。

食べ物についても、元いた世界のリンゴやバナナに近いものは見つけた。

木に上り、物は試しと口に運んでみたが、これが中々美味い。毒もなさそうだ。

街への帰り方が分からなくなったのは困ったが、最低限生きていくことは出来そうだと思いなおす。

木々の枝が絡み合って天然のハンモックになっており、そこで寝ておけば通りがかった野生生物に襲われることなんてこともないだろう。

ゴブリンに遭遇したのは、ハンモックに寝転がりながらそんなことを考えていた矢先のことだった。


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