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つくもがみ

作者: negachov

 江戸も江戸前、品川広町。元禄から続く老舗の寿司屋「夕竹」に奇妙な客が現れ、店内は緊迫した空気に包まれた。


 割烹着に帽子姿の寿司職人金次が、腕組みしたままカウンター越しに客を睨み見下ろしている。白髪に皺だらけの顔だが、堅気・客商売とは思えない見事な迫力。

 一方この状況を生んだ張本人、自称食通の刈部は、ベージュのトレンチコートも脱がず、中折れ帽も鹿皮の手袋も取らぬままカウンター席ど真ん中に陣取り、金次の視線をすり抜け微笑んでいる。こちらもまともな神経をしているとは言い難い。店内は静まり返り、店員はテニスのラリーのように二人を見守る。



「……悪ぃな兄ちゃん。もういっぺん言ってくれねぇか」

「もう一度? はい。名人と名高き金次さんの寿司を、私の舌で評価します。鮪一つ」

「ひょうかをしますぅ~? で、いきなり赤身か。カッ! 帽子脱ぐくらいの躾も受けてねぇ奴がよ!」

「私はね金次さん。雑誌やテレビで『最初は淡泊な白身』と聞いて、貧乏舌の癖に何にも考えず白身を頼むような輩とは違うんですよ。なるべく短時間で済ませたい。帽子は評価し終わったら脱ぐ予定です。さ、赤身を」

「短時間って……こんのクッソ餓鬼ぁ!」


 歯を食いしばったまま良くそこまではっきり喋られるもんだ、と店員たちは驚いた。同時に金次の握った柳刃包丁が魚以外のものを下ろすのではないかとハラハラする。お客様は神様とはあくまでも店側の心構えの話で、「万有引力」の様な不変の物理法則では無い。この店内の法律は金次だ。彼の脳内にある優先順位の秤がふっと偏った瞬間、トレンチコート男はりんごの様に皮をむかれ、生きたまま身を削ぎ落されかねない。風の前の塵に同じ、金次の前の鯵に同じだ。

 しかししかし。江戸っ子らしい短気っぷりで激昂したものの、そこは老舗の店を預かる男。自分の技能に絶対の自信と矜持を持っている金次は、自分を制する術も備えている。乱暴な番外戦術で相手を御す必要はないのだ。相手の提示した勝負にのっとり、単にいつも通りの仕事をするだけで、相手は額を地面に擦り付け、「金次様最高!」とむせび泣く事になるだろう。ぐっと怒りを抑え、金次はそれを仕事への動力に変える。

 刈部が不意に

「つくもがみ、か……」

と妙な事をつぶやいたが、その言葉は最早金次には届かなかった。



 バシャバシャバシャッ! と勢いよく手を洗い、手拭いできゅっと水気を拭き取る。動と静の禊が終わり、金次は鮪の柵に剣聖の如く、流れる水の如く包丁を入れる。左手のきっ付け美しいネタにちょんと山葵が塗られ、右手に吸い込まれた選ばれし四百九十二粒の米粒が軽く纏められそこへ載せられる。書道家の止め跳ね払いの様に優雅で正しい強弱をもって握られ、ほんの数秒で鮪の握りが出来上がった。幾度となく繰り返された光景だが、その流れの美しさに店員の口から思わず、おぉ、と声が漏れる。


「はいよ、鮪」

 下駄に載った鮪が差し出されるなり、刈部の表情が変わった。薄笑いは消え失せ、眼はきらきら光り、驚愕と好奇の色が浮かんでいる。カウンターに手を付き、そのままゆっくりとお辞儀をする様に、目で食べるかのように顔を寿司に近付ける。

「これは……噂には聞いていたがここまでの物とは。さすが名人と名付けられた事はある」

 そこだけ生きた鮪から取り出してきたような瑞々しさと、神々しいまでに鮮やかな赤色に刈部は息をのんだ。怒りがモチベーションだったはずなのに、きっ付け面には微塵も乱れはない。線維、細胞が切られたことに気付いていないかの様だ。

「不味くなるまで放って置いて文句言うつもりか」

「いえ! いただきます」

 手を伸ばそうとして刈部は手袋に気付き、慌ててはずした。握りから眼を放さぬままおしぼりで手を拭い、改めて手を伸ばす。ごくり、と喉がなる。将棋倒しかジェンガか。そうっと寿司を掴み、そうっと醤油を付けそして――刈部は握りを口へ放りこんだ。


 店の前を蕎麦屋の原付が通り過ぎ、その後は店内に刈部の咀嚼の音だけが、もしゃ、もしゃ、もしゃ、と微かに響く。寿司とは平均して何回程噛むものなのか。店の者は考えた事も無かったが、刈部の咀嚼は少し長いように思えた。

 ほどなくして、ごくん、という試験終了の音がした。刈部の背がすうっと伸びる。そしてぱっと目を開いて金次の方へ顔を寄せる。店員も釣られて、気持ち乗り出す。金次だけは調理台に両手をついて微動だにしない……が、意味も無く咳払いをする。彼も内心この瞬間に緊張しているのだ。



 自称食通は、思い出した様な口調で言った。

「うん、旨い」

「当たり前だぼけ。もっと何か言い様はねぇのか」

「旨いものは旨いとしか言いようがない。旨くも無い物を旨いと言うから、旨いものを旨いと言うだけじゃ物足りないとか、おかしなことになるんですよ。決められた手順できちんと評価をする。それが私の仕事なんです。いや、正すというか」

「あぁ? 何わけ判らねぇ事言ってんだ。旨かったんなら俺の勝ちだろ。おら、さっさと帰れ」

「いえ、これからが本題なんですよ。金次さん」

「いい加減にしねぇと……おい、ちょっと待て。まずその帽子脱いで謝れ。約束だろうが」

「謝る約束はありませんでしたが、帽子は脱ぎますよ。感服いたしました、金次さん」

と、店に入って初めて、刈部が人の言う事を聞いた。


 直ぐに金次の顔が曇った。帽子と一緒にかつらもずるんと取れ、男のツルツルの頭皮が露わになったのだ。見た目からして禿げあがる様な歳ではないはずだ。抗がん剤というやつだろうか。悪い事を言ってしまった。これまでの無礼な振る舞いを差し引いても一言謝るべきだろうか。

 すまない、と口から出かかったが、さらに刈部の頭皮がずるんと取れたのを見て、流石の金次もそれどころではなくなった。

 刈部の頭は人間の物では無かった。頭蓋の有るべき所にガラスの半球があり、中には細かな精密機械が詰まっていたのだ。


「いえ、これもね、見世物の一つなんですよ。こんな旧式もう使われていません。昔こういう特撮ものが有ったらしくて」

「何の話をしてやがる」

「統一している、拘っているって事です。ファッションと同じでトータルで拘るんです。街並み、人、食べ物、空気、その他もろもろ全てに拘るから本物になるんです。しかしこれも程度が難しくて。本物そっくりに作るもんだから運用が大変なんですよ。だから時折こういう検査が必要なんです。お客さんに怪我をさせる訳にはいきませんから」

「だから何の話をしてんだっつってんだろ!」

「金次さん。私の様な『物』からすると信じられない事なんです。あなたが今尚腕を上げている、という事象は。私達には精度低下が早いか否かという価値観しかない……」


 会話が成り立たない苛立ちと得体の知れない恐怖。そういう不愉快さが金次の首から上を満たしていたが、刈部の最後の一言に金次はふと妙な憐れみを感じた。

 そこでこう言った。

「……あんたは一体なんなんだい?」

「刈部礼人。……言ったでしょう? カリブレイト。Caribrateですよ」

 言うが早いか、刈部の頭がチカチカと光った。その途端、店内の人間が動きを止め、瞳の縁に

「校正中―caribration―」という赤い小さな文字が表示された。



 刈部の視野に『昭和のくらし―東京都― 本部 2300年 10月5日 15時35分 50秒』と表示された。テーマパークの運営本部からの通信だ。

「刈部、終わったか」

「校正が終わって今更新中です」

「どうだったね」

「話通り喧嘩っ早かったようですが、怪我をさせる様なふうでは無かったです」

「そうか。君はどうだ、金次と会って満足したかね」

「それが……まだ理解出来ないと言いましょうか。彼は百年も前の機械なのに、ソフトウェアを自ら改善していたんです。これが本部長の言う付喪神ってやつなんですか? いつか私も金次さんの様に自らヴァージョンアップ出来る様になるんでしょうか……」

「君は今、『彼』と言ったな……。フフ、その兆候は有るようだぞ?」


 本部からの通信が切れた。本部長の言葉に何か楽しげな雰囲気があった様に思えたが、それが何故なのかは今の刈部にはわからない。


 店員の瞳に『終了』の文字が映った。後数分程すれば、ここ一時間の記憶を失った状態でまた動き出すだろう。その前に撤収しなくてはならない。

 刈部は頭皮を拾って頭に被り、その上にかつらを被り、さらにその上から帽子を被……ろうとして止めた。何故か頭の中で、金次が躾がどうのと言っていた時の音声が再生されたのだ。


 刈部は店の入り口まで行ってもう一度名人金次を振り返り、

「ごちそうさま」

と一礼をした。まだ起動していないから返事はこないと分かっていたが、金次の目が不自然に光った様に見えた。

 まぁ、ぼちぼちやれよ、と言うかのように。


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