第24話:利用すべきときに利用しないのは愚者である
「ぐっ!」
「大丈夫ですか?」
「てめえが言うんじゃあねえ!」
「申し訳有りません」
俺は身体を屈めながら年寄りみてえにおぼつかねえ足取りで歩いていた。
理由は腰が痛くてたまんねえからだ。
その原因はスカした面で平然と歩いてやがる超どSメイドことマリアもといガレサ・ルシフェルトだ。
六歳児の俺に獅子は兎相手でも全力を尽くすと言わんばかりに壮絶な鬼腰を炸裂させやがって…。
育ち盛りなのに腰痛になっちまって身体の成長に悪影響が出たらどうするってんだ!
そう文句言ったら「その時は私が付きっきりでお世話します」って返されてしまってからどうしようもなかったぜ。
全くこいつは容赦っていう文字が辞書にねえときてる。
まあ、俺も転生前のノリでやったのがいけなかったんだがな。
「お辛いのでしたら支えましょうか?」
「いらん!うぐっ…ちっ!それよりも“弱者”は用意できてんだろうな?」
俺はサインの弱者と見なされてることから矛先を変えようと代わりの“弱者”を用意する計画を立てていた。
その“弱者”をサインのアキレス腱に仕立て上げて攻め崩すって戦法だ。
「はい、ガルム様の要望通りに“弱者”を用意致しましております。顔合わせは何処でなさりますか?」
「まずは俺の執務室に呼んでこい。それと…杖を用意しろ」
「何故でしょうか?」
このアマ、分かってて知らんふりして言ってやがるのか?
「支えがねえと歩きにくいんだよ!分かってて言ってるだろが!てめえは!」
「先ほども言いましたが、私が支えれば問題有りません。だから、杖は必要ありません」
俺に羞恥プレイを強要させるつもりか、この超どSメイドは…。
六歳児である以前に俺はヤクザの構成員だった男だぜ!
痩せても枯れてもこの程度で女の世話になるなんて屈辱プレイの極みだってんだ!
「いいから杖を用意しやがれや!」
「なりません。貴方は子供なのですから大人の世話を素直に受けるべきです」
「俺に逆らうのか…マリア…」
「何を成すのしても身体が資本となります。利用すべき時に利用しないのは愚者というものです」
利用すべき時に利用しないのは愚者とは言ってくれるぜ。
俺はまだ六歳児の非力な糞ガキっていうことを頭では分かっても実は分かってなかったってことか…。
どんなに泥にまみれようともその先にある栄光のために甘んじて屈辱を受け容れるのも男の度量ってもんだ。
そんなことは転生前のヤクザ時代に嫌って程に思い知らされていた。
貴族生活に慣れすぎたこともあるが、そんなことも忘れていたとは子供ながら耄碌したもんだぜ。
早めにこのぬるま湯をぶち壊さねえと腐っちまいかねねえな。
「俺をおぶれ…」
「畏まりました」
俺は素直にマリアの諫言を受け容れて背中におぶってもらう。
だったら利用できるものは絞り滓になるまで利用し尽くして始末するのがベストってやつだぜ。
もう少し俺の身体が成長したらこのサザーランド家にレボリューションを起こしてやるか。
俺が腐らねえように鮮度を保つためにな…。
………。
……。
…。
俺はマリアに支えられて椅子に座らせてもらった。
「では、私は“弱者”を呼んで参ります」
マリアは一礼して部屋から出ていく。
この執務室はハンカチおやぢが用意してくれた俺のプライベートルームだ。
それと下手の横好きという形でグランドピアノも配置してもらってる。
マリアの所属する部隊が寝泊まりする所はこの屋敷から徒歩十分以上の離れた場所にあるって確か聞いたっけな。
となるとここに“弱者”が到着するのは約三十分ぐらいかかるって考えるべきか。
だったらそれまでちょっと長目の曲でも弾いて気分転換させてもらうかね。
腰を押さえながら俺はピアノの椅子に座って深呼吸する。
さてと、今回はバッハ作曲『ゴルドベルク変奏曲』でも弾くとするか…。
クラシックに詳しくねえ輩も一曲目と最後の曲のアリアは聴いたことがあるだろうよ。
この曲を知ったのはレクター博士が出る映画を見て知ったわけだが、鍵盤音楽でもかなりの難曲として有名らしい。
まあ、CDに収録して耳の肥えたリスナーに聴かせるわけでもねえからただ弾くだけなら自由ってもんだろ。
俺は下手なりにクラシック史上で難曲と知られたバッハの曲を奏で始める。
この曲はバッハが音楽を教えてたゴルドベルクが不眠症で悩む貴族に聴かせたことで付いた俗称が『ゴルドベルク変奏曲』
そんでもってバッハが付けた正確な曲名は『2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏』
最初と最後のアリアは有名だが、いかんせん静かすぎるから眠たくなっちまうのが短所であり長所だな。
弾きながらも眠たくなっちまうから居眠り運転ならぬ居眠り演奏ってやつだ。
まあ、不眠症の貴族のために選曲したわけだから当然か。
それにしてもこれを弾くとレクター博士が野郎の頭蓋を切断して脳を喰わせる光景が目に浮かんでくるな。
不眠症を悩む貴族に聴かせたこの曲をグロテスクな映画のテーマ曲に起用するなんて監督のセンスの良さを感じさせてくれるぜ。
ブラームスほどじゃねえが、弾いてるともう一人の俺が姿を現してくる。
………。
『お母さん、今日、先生に褒められたよ!』
『まあ、さすがは※※さんね。お母さんの自慢の息子よ…』
………。
消し去ってやりたいが、あの頃の俺がいたからこそ今の俺がいるわけだ。
だからこれは過去を忘れないための俺に対する戒め。
俺の中で黒く滾ってる炎を絶やさないための儀式だ。
さてと、そろそろターボをかけるか…。
伝統をぶち壊す眠気を吹き飛ばすようなハイテンポで弾きまくる!
寝ぼけている獅子に喝を入れてやるぐれえに激しく叩き割るように!
アリアで始まってアリアで終わるこの曲はまさに人生そのものを現してるって言っても過言じゃねえぜ!
俺はかつて※※であり、転生して今はガルム・サザーランドだ!
だが、魂は一片も変わりなく無様にしぶとく世界が変われど有り続けている!
例え、何百何千何万何億以下無限大に生まれ変わろうとも俺の魂はこのままで居続けてやるさ!
俺の魂が滅びるその時まで永遠にな!
そして、高ぶり煮えたぎった魂をクールダウンさせるように最後のアリアを奏でてフィニッシュ!
「ふぅ…」
溜まってた排泄物を漏れなく絞り出したかのようにスッキリしたぜ…。
「素晴らしい演奏です」
拍手と共に無機質な声が聞こえ、舌打ちして顔を向ける。
つい夢中になって全曲弾いちまったのが不覚だったぜ。
まさか妹に続いて姉にまで聴かれてしまうとはな…。
マリアの隣には“弱者”だと思わしき女性が立ってた。
短く切り揃えた灰色の髪にナイフのように鋭い目つきで如何にも女軍人ってやつだな。
如何にも面倒くさそうで扱いづれえな、こりゃ。
女は暑苦しくも一歩踏み出して敬礼を取ってきやがった。
「今日からガルム様の暗殺部隊に配属することになりま…」
「不採用!」
「な、何でですか!」
俺がお呼びだったのは“弱者”であって“愚者”なんかじゃねえんだよ!
………。
主人公が一流の悪役かどうかはともかく、古来より大物の悪役は残虐性を見せつけるだけでなく芸術を嗜むことで箔が付くものだと思う。