親友に殺された私、死ぬ半月前に戻ったので今度は彼女を逃がさない
親友に殺された私、死ぬ半月前に戻ったので今度は彼女を逃がさない
1.私の部屋に届いた見知らぬ荷物
親友の青柳莉奈は、ショップの規約違反を見つけて通報することに夢中になっていた。とはいっても、普通のクレームではない。数百円の安い雑貨をわざと買い、届いた箱の中に「星5レビューのスクリーンショットで電子ギフト券をプレゼント」という小さなカードが入っていないか探すのだ。見つけた瞬間、彼女は出品者に連絡し、規約違反を理由に、いわゆる迷惑料を要求した。
最初は五千円。次は一万円。味を占めた莉奈は、手作りの小物で細々と生計を立てているような小さな店まで狙うようになり、スクリーンショット、運営への通報、SNSでの拡散をちらつかせて、何度も相手を脅した。
私は何度も止めた。
「莉奈、気に入らないなら正直にレビューを書けばいいし、規約違反だと思うなら運営に報告すればいいじゃない。個人的にお金を要求するのはやめなよ。ネットの向こうにどんな人がいるか分からないんだから、追い詰めすぎたら危ないよ」
莉奈は私の部屋のソファに寝転がったままスマホをいじり、まぶたさえ上げなかった。まるでつまらない冗談を聞いたように、鼻で笑っただけだった。
「平気だよ。あの人たち、私のことなんて見つけられないから」
そのときの私は、どうして彼女がそこまで言い切れるのか分からなかった。けれど、黒いパーカーを着た男が包丁を握って私の玄関に立ち、何度も何度も私の体に刃を突き立てた瞬間、その理由を知った。莉奈は商品を買うたび、配送先をすべて私の住所にしていたのだ。
男は血走った目で私を見下ろし、かすれた声で叫んだ。
「どうしてそこまで俺たちを追い詰めるんだ」
「俺は頼んだだろ。返金もする、謝罪もする、あのカードも全部撤去すると言った。それなのに、お前は金を払わなければ店を潰すと言ったんだ」
「娘はまだ九歳なんだ。病院のベッドにいる。店の売上金が止まったら、俺たちは終わる。どうして許してくれなかったんだ」
私は玄関に倒れ、手のひらを真っ赤に染めた。死んでからようやく知ったのは、青柳莉奈が買った荷物の受取人名は彼女の通販用ニックネームなのに、住所だけは私の三〇一号室になっていたということだった。彼女は私の住まいを盾にし、怒りと絶望の矛先を、すべて私に向けさせた。
もっと滑稽なのは、私が死んだあとも、莉奈には少しの罪悪感もなかったことだ。彼女はSNSで泣きながらライブ配信を始め、私を「金目当てで小さな店を脅した悪人」だと言い、報復されたのは自業自得だと語った。ネットでは私への罵声が溢れ、学校も勤務先も住所も晒され、両親のもとにまで悪意あるメッセージが届いた。
私は、何もしていなかったのに。
次に目を開けたとき、インターホンの音が聞こえた。ドアの向こうから、聞き覚えのある配達員の声がした。
「小熊様宛てのお荷物です。ご在宅でしょうか。確認だけお願いいたします」
私は勢いよく目を開けた。そこは東京・北区の古いマンションの一室で、私は自分のソファに横たわっていた。窓の外には冬の白っぽい空が広がり、暖房の低い音が部屋の隅で鳴っていた。テーブルの上のスマホには、私が殺される半月前の日付が表示されていた。
見知らぬ荷物が、初めて私の部屋に届いた日だ。
私はゆっくりと起き上がり、冷え切った指先を握りしめた。前世で死ぬ直前の痛み、玄関の床に広がった血、男の壊れた叫び、そして莉奈の偽りの泣き声が、ついさっきの出来事のように蘇る。
私は戻ってきた。
青柳莉奈が、私の住所を盾にし始めた日に。
インターホンがもう一度鳴った。
「三〇一号室、小熊様。いらっしゃいますか」
私は立ち上がって玄関へ向かったが、すぐには扉を開けなかった。まずドアベルカメラの録画機能を起動し、赤いランプが点いたことを確認してから、ゆっくりとドアノブを回した。
扉の向こうでは、配達員が大小十数個の箱を抱えていた。送り状の受取人欄には、はっきりと「小熊様」と書かれている。住所は、私の住む三〇一号室だった。
私はそれを一目見て、静かに笑った。
青柳莉奈。
今度こそ、自分で受け取りなさい。
2.向かいの部屋の小熊様
私は配達員が抱えた荷物を見つめ、落ち着いた声で言った。
「これは私の荷物ではありません。購入した覚えもありませんので、持ち戻ってください」
配達員は一瞬戸惑い、送り状と部屋番号を見比べた。住所も階数も部屋番号も正しい以上、彼が困るのは当然だった。
「ですが、住所は合っています。東京都北区赤羽のマンション、三〇一号室。受取人は小熊様となっています」
私は首を横に振った。
「私は小熊ではありません。この荷物も私のものではありません」
小熊というニックネームは、莉奈が昔ふざけてつけたものだった。大学時代、彼女は私を「小熊みたいに鈍くて騙されやすい」と笑っていた。当時の私は、それを親しみのこもった呼び方だと思っていた。今になって思えば、彼女は最初から私を対等な友人として見ていなかったのだ。
配達員は困ったように荷物を抱え直した。
「それでは、いったん営業所に持ち戻ります」
彼が踵を返そうとした瞬間、向かいの三〇二号室のドアが細く開いた。青柳莉奈が寝間着姿で顔を出した。髪は乱れていたが、積み上がった荷物を見た瞬間、その目だけがはっきりと光った。
「あ、ちょっと待ってください!」
莉奈はすぐに出てきて、配達員の腕から箱を一つ受け取った。それから私に向き直り、まるで誰かを気遣っているような口調で言った。
「明里、配達員さんだってこんなに抱えて大変なんだから、困らせないであげなよ。私、あとで下に行くから、ついでに返品手続きしてあげる」
自然で、優しく、いかにも親切そうな言い方だった。死ぬ前の私なら、きっと彼女はみんなのことを考えているのだと思っただろう。けれど今の私には分かる。莉奈は返品したいのではない。荷物を持ち戻られるのが怖いだけだ。
私は返事をしなかった。そのとき、廊下の奥から風が吹き込み、半開きだった三〇二号室のドアがさらに開いた。玄関から部屋の中まで、開封済みの段ボールが山のように積まれている。その送り状に書かれている受取人名は、どれも同じだった。
小熊様。
私は床に落ちていた空き箱を拾い上げ、少し声を大きくした。
「莉奈、こんなに買い物をしていたの?」
莉奈の顔色が変わった。私はわざと送り状を覗き込み、初めて気づいたように眉をひそめた。
「おかしいな。受取人は小熊様って書いてある。莉奈、これはあなたの名前じゃないよね。どうしてこの荷物があなたの部屋にあって、しかも開けられているの?」
配達員の表情も変わった。彼は反射的に残りの箱を抱き直し、莉奈を見る目に警戒をにじませた。
私はため息をつき、彼女を庇うようでいて、あえて追い詰める口調で続けた。
「莉奈、最近お金に困っているのは知ってる。仕事が安定していないのも分かってる。でも、他人の荷物を勝手に開けたらだめだよ。ちゃんと返したほうがいい」
莉奈の顔から血の気が引いた。
「違う、違うの。明里、あなたの勘違いよ。これは私の荷物なの」
私はさらに首をかしげた。
「あなたの荷物? でも受取人はあなたじゃないよね」
「小熊は私なの!」
莉奈は焦りで声を荒げた。
「全部、私が買ったものよ。誤配じゃない」
配達員は端末で情報を確認し、もう一度莉奈を見た。顔には、明らかな戸惑いが浮かんでいた。
「つまり、小熊様はお客様ということですか」
莉奈は歯を食いしばった。
「そうです」
私は配達員にも聞こえるように、静かに尋ねた。
「それなら、どうしてあなたの荷物が私の住所になっているの? あなたは向かいの三〇二号室に住んでいるでしょう」
莉奈の目が一瞬泳いだ。すぐに彼女は以前のように私の腕を取ろうとし、無邪気な笑顔を作った。
「やだなあ、私たちすぐ向かいじゃない。三〇一でも三〇二でも、そんなに変わらないでしょ。明里、そんなことで怒るの?」
私はその手を振り払った。
莉奈は固まった。これまでの佐倉明里なら、彼女が甘えれば許した。彼女が泣きそうな顔をすれば、こちらが悪いと思い込んだ。けれど、もう同じことはしない。
「全然違うよ」
「あなたは自分の住所を知られたくないから、私の住所を書いたんでしょう。もし何かあったら、私に責任をかぶせるつもりだったの?」
莉奈の笑顔が崩れた。
「大げさに言いすぎ。ちょっと住所を借りただけじゃない。犯罪でもないでしょ」
それを聞いた配達員が、さすがに眉をひそめた。
「お客様、無断で他人の住所を配送先にするのは、少なくとも適切ではありません」
莉奈はすぐに彼を睨んだ。
「配達員のくせに、余計なことを言わないで」
配達員の表情が冷えた。彼はそれ以上言い争わず、荷物を抱えたまま一歩下がった。
「住所と受取人の確認が取れませんので、本日は営業所に持ち戻ります。あとはご自身で販売サイトにお問い合わせください」
莉奈が慌てて声を上げた。
「待って。それは私の荷物なの!」
私は彼女の前に立ち、笑った。
「三〇一でも三〇二でも変わらないんでしょう。なら、持ち戻られても変わらないよね」
莉奈は私を睨みつけた。その目の奥には、はっきりと憎しみがあった。前世の彼女は、その無害そうな顔で、私を死へと押し出した。
今度は、絶対に許さない。
3.彼女は私のアカウントを狙っていた
配達員が去ると、廊下は急に静まり返った。三〇二号室の前に立つ青柳莉奈の顔からは、先ほどまでの柔らかさが消えていた。残ったのは、正体を暴かれた怒りだけだった。
「佐倉明里、今日のあなた、何なの?」
彼女は隣人に聞かれないよう、声を低くして詰め寄った。私はただ、彼女を見返した。
「私は自分のものではない荷物を拒否しただけ」
「私の荷物だって言ってるでしょ」
「なら、自分の住所を書けばいい」
莉奈の顔が赤くなった。
「私がああいう店に住所を知られたくないって、分かってるくせに」
「だから私の住所を知られてもいいと思ったの?」
莉奈は言葉を詰まらせた。けれどすぐに、傷ついたような表情を作る。目の縁を赤くして、まるで私がひどいことをしたかのように見せる、彼女の得意な顔だった。
大学時代の私は、この顔に何度も騙された。莉奈は家の事情が大変だと言い、友達がいないと言い、この世界で私だけが自分を分かってくれると言った。私は食事を奢り、お金を貸し、卒業後には両親名義の空き部屋を格安で貸した。家賃を三か月滞納されても、強く催促したことはなかった。
私の善意は、最後には彼女が私を盾にするための材料になった。
私は部屋に戻ろうとしたが、莉奈が手首をつかんだ。
「明里、さっきの配達員にクレームを入れてよ。あの人、私を馬鹿にした」
私はその手を振り払った。
「どうして私がクレームを入れるの? あの人は本当のことを言っただけでしょう」
莉奈は呆然とした。私は彼女を見据えたまま、続けた。
「それより、今月の家賃をまだ払っていないよね。もう三か月分、滞納している」
彼女の顔色が変わった。怒りはすぐに、被害者ぶった表情へとすり替わった。
「私たち友達でしょ。友達同士でお金のことまで細かく言うの?」
私は笑った。
「友達なら、無断で相手の住所を使わない。家賃を三か月も滞納して、当然みたいな顔もしない」
「あなた……!」
「明日の夜までに滞納分を振り込んで。できないなら出ていって」
莉奈は信じられないものを見るように私を見た。
「私を追い出すつもり?」
「追い出すんじゃない。賃貸関係を終わらせるだけ」
「佐倉明里、あなた、いつからそんな人間になったの?」
私は静かに答えた。
「やっと目が覚めただけ」
そのままドアを閉めた。数秒後、外から莉奈が扉を蹴る音がした。彼女はしばらく私を罵り続けたが、私は返事をしなかった。どうせ、彼女はまた来る。
その夜、予想通り莉奈は再び私の部屋を訪ねてきた。今度の彼女は怒っていなかった。むしろ、戦利品を見せびらかしたくてたまらないような顔をしていた。
「明里、見て。今日、一万円も取れたの」
彼女が差し出したスマホには、入金通知が表示されていた。備考欄には、迷惑料、精神的苦痛への補償といった言葉が並んでいる。私はわざと分からないふりをした。
「何のお金?」
莉奈はソファに腰を下ろし、得意げに話し始めた。
「三百八十円のヘアピンを買ったら、中に『星5レビューで電子ギフト券』ってカードが入っていたの。だから出品者に言ったのよ。これって規約違反ですよね、運営に証拠を出したら店の評価は終わりですよって」
「最初は可哀想ぶって、ただレビューが欲しかっただけだって言い訳してた。でも私が、払わないならネットに晒すって言ったら、すぐ一万円を振り込んできた」
莉奈の目は興奮で光っていた。
「働くよりずっと簡単だよ」
私は彼女を見ながら、胸の奥が冷えていくのを感じた。前世の彼女も、こうして一万円、三万円、五万円と要求額を増やし、最後にあの男を壊した。けれど今の私は、まだ彼女を止めない。彼女自身の手で、証拠を残させる必要があった。
私は驚いたふりをした。
「そんなことができるんだ」
莉奈は私が乗ってきたと思ったのか、ますます得意になった。
「できるよ。小さな出品者は運営に店を止められるのを一番怖がるの。規約違反の証拠を押さえれば、向こうからお金を出してくる」
彼女は私に近づき、親しげな声を出した。
「明里も最近、いろいろ買ってるでしょ。通販アカウントを少し見せてよ。中にこういうカードがあれば、私が代わりに交渉してあげる。稼げたら家賃も払えるし」
私は目を伏せた。彼女は自慢しに来たのではない。私のアカウントを狙いに来たのだ。
「ないよ」
莉奈は信じなかった。玄関脇に置いてあった段ボールを勝手に覗き込み、評価カードが一枚もないと分かると、顔を曇らせた。
「カードは?」
「捨てた」
「どこに?」
「マンションのゴミ置き場」
莉奈は甲高い声を上げた。
「佐倉明里、それ全部お金になるんだよ。どうして勝手に捨てるの」
私は呆れて笑った。
「私が買ったものに入っていたカードを、私が捨てたらあなたに怒られるの?」
莉奈が何か言い返そうとしたので、私は先に立ち上がってドアを開けた。
「帰って」
彼女は私を睨んだ。
「覚えてなさい。いつか絶対、あなたのほうから私に頭を下げることになるから」
私は彼女の背中を見送り、静かに扉を閉めた。
それはもう、ない。
今度頭を下げるのは、あなたのほうだ。
4.私はわざとアカウントを盗ませた
私と青柳莉奈が出会ったのは、大学の入学式の日だった。彼女は私に薄いグレーのマフラーを差し出し、自分で編んだのだと言った。自分から誰かに友達になりたいと思ったことはないけれど、あなたを見た瞬間、気が合うと思ったのだとも言った。地方から東京に出てきたばかりの私は、人付き合いに不慣れで、その優しさにすぐ心を許してしまった。
彼女は講義で席を取ってくれ、私が体調を崩すと温かい飲み物を買ってくれた。周囲から距離を置かれていた私のそばにも、彼女だけは残ってくれた。私は莉奈を一番の友人だと思い、東京で彼女に出会えたことを幸運だとさえ感じていた。けれど後になって知った。そのマフラーは手編みではなく、セール品を六百円で買ったものだった。
彼女が私に近づいたのは、気が合ったからではない。
私の家に、少し余裕があると聞いたからだ。
大学の四年間、莉奈はあらゆる理由をつけて私に支払わせた。食事のときはスマホの充電が切れたと言い、映画のときは銀行カードを忘れたと言い、旅行のときは家で急な出費があったと言った。私は毎回立て替え、彼女は毎回、あとで返すと言った。返ってきたことは一度もない。
卒業後、莉奈は仕事が見つからず、東京の家賃は高すぎる、外で借りるのは怖いと泣いた。私はまた同情し、両親名義で空いていた三〇二号室を相場より安く貸した。引っ越してきた彼女は、今月だけ待ってほしいと言い、それが三か月続いた。
前世の私は、彼女の生活が大変なのだと思っていた。今なら分かる。大変なのではない。他人に寄りかかることが、彼女の習慣になっていただけだ。
私はもう、莉奈に規約違反カードの件をやめろとは言わなかった。むしろ彼女が自慢しに来るたび、すごいね、よくそんな方法に気づいたねと褒めた。彼女はそのたびに満足げな顔をした。まるで自分だけが、社会の抜け道を見つけた賢い人間だと信じているようだった。
「前から言ってるでしょ。毎日満員電車で通勤してる人たちより、私のほうがずっと頭がいいんだって」
私はわざと心配そうに言った。
「でも、少し気をつけたほうがいいんじゃない? 逆に出品者から恐喝だって通報されたらどうするの」
莉奈は鼻で笑った。
「できるわけないじゃない。向こうが先に規約違反をしてるんだから。あの人たちは私を怖がるしかないの」
彼女が自信満々であればあるほど、私の心は冷えていった。人は一度、働かずに得る甘さを知ると、簡単には戻れない。青柳莉奈のような人間は、自分が悪いとは考えない。ただ世界中が自分に利用されるために存在していると思い込む。
数日後、彼女はまた私の通販アカウントを見せてほしいと言ってきた。私は断ったが、その日だけ、スマホのロックをかけなかった。テーブルに置いたまま洗面所へ行くふりをし、扉を細く開けて、リビングが見えるようにした。
隙間から見えたのは、私のスマホを手に取る莉奈の姿だった。彼女は慣れた手つきで通販アプリを開き、QRコードを読み込ませてウェブ版にログインした。動きに迷いはなかった。ずっと前から、こうするつもりだったのだ。
彼女は知らない。私のリビングにはカメラがある。私は、彼女が盗む瞬間を待っていた。
莉奈がスマホを元の位置に戻すのを確認してから、私は洗面所を出た。彼女は何事もなかったように笑い、急に用事を思い出したふりをした。
「明里、ちょっと用事を思い出したから帰るね」
私は頷いた。
「うん」
扉が閉まると、私はすぐにスマホを手に取り、通販アカウントからログアウトした。ログイン履歴のスクリーンショットを保存し、リビングのカメラ映像もクラウドにバックアップした。前世では、死んでからようやく彼女が私のアカウントを使っていたことを知った。今度は違う。彼女自身の手で、証拠を差し出してもらう。
それから数日、知らない番号やアカウントから連絡が届くようになった。謝罪する者、怒鳴る者、脅す者。自分はただ評価キャンペーンのカードを入れただけだ、強制していない、店を通報しないでほしい、いくら払えば黙ってくれるのか。そうした言葉が、次々に私のもとへ送られてきた。
そのすべては、本当の青柳莉奈に向けられたものではない。
彼女にアカウントを盗まれた私に向けられていた。
ある番号から着信があった瞬間、私の指が強張った。電話の向こうから聞こえた声は、前世で死ぬまで忘れられなかった声だった。低く、疲れ切り、今にも壊れそうな感情を押し殺している。
「お前は、いったい何がしたいんだ」
私はスマホを握りしめた。
あの男だ。
前世で私を殺した男だった。
「返金もする、謝罪もする。あのカードは妻が間違えて入れたもので、もう全部撤去した。なのに、どうしてまだ脅すんだ。娘は病院にいる。店の売上金も止まっている。二十万円なんて、本当に出せない」
私はその声を聞きながら、胸の奥が重くなるのを感じた。前世で彼の刃が私を刺したとき、私は彼を憎んだ。けれど今、私がより憎んでいるのは、そのすべての悪意を私の玄関へ導いた人間だった。
私はわざと軽い声を出した。
「だから、何?」
電話の向こうが静まり返った。
「私はメゾン川口の三〇二号室に住んでる。来られるものなら来てみなさいよ」
三〇二号室。
青柳莉奈の部屋だ。
電話を切ったあと、私は玄関の鍵を確認し、ドアベルカメラを起動し、スマホの緊急通報画面を開いておいた。午後十時。前世で、あの男が私の家に来た時間だった。
今度こそ、彼は三〇二号室を叩くはずだった。
けれど午後十時ちょうど、廊下に重い足音が響いた。階段を上がり、三階まで来て、最後に私の部屋の前で止まる。次の瞬間、三〇一号室の扉が激しく叩かれた。
「開けろ!この詐欺師、開けろ!」
血の気が引いた。
どうして。
どうして、また私の部屋に来たの。
5.扉の向こうの包丁男
ドアは激しく揺れていた。私は玄関の内側に立ち、手のひらに汗が滲むのを感じた。前世の痛みが体に戻ってくる。腹部に刃が食い込む感覚、床に広がる血、男の絶望と怒りに満ちた声が、今この瞬間と重なった。
私は無理やり息を整えた。
「どなたですか」
扉の向こうで、男が低く唸った。
「しらばっくれるな。さっきまで来られるものなら来てみろと言っていたくせに、今さら怖くなったのか」
私はスマホを握りしめた。
「あなたが探している人は、私ではありません。私のアカウントを勝手に使って脅していた人がいるんです」
男は笑った。
「そんな言い訳を信じると思うか」
私はすぐにログイン履歴のスクリーンショットを開き、ドアの下の隙間から画面の光を見せた。そこには、一週間前に知らない端末からログインされた記録が残っていた。その時間、私のスマホには操作履歴がない。
「見てください。私のアカウントは一週間前に別の端末からログインされています。私のスマホではありません。記録は残してあります」
扉の外が一瞬静かになった。けれどすぐに、男の声はまた荒くなった。
「偽造かもしれないだろ」
スクリーンショットだけでは足りない。理性を失った人間は、そう簡単に説明を信じない。まして彼は、娘を失い、店を失う恐怖の中で、すべての怒りを脅迫してきた相手に向けている。
私は青柳莉奈に電話をかけ、スピーカーにした。呼び出し音が長く続いたあと、ようやく彼女の気だるい声が聞こえた。
「何?」
私はわざと声を大きくした。
「莉奈、私、前にも言ったよね。勝手に私の住所を配送先にしないでって。今日も出品者から脅すような電話が来た。あなた、私のアカウントで何をしたの?」
莉奈は冷たく笑った。
「佐倉明里、被害者ぶるのやめてよ。住所を少し借りただけでしょ。あなたにお金を払わせたわけじゃない」
私は扉を見つめた。外の男は、もうドアを叩いていなかった。
「評価カードのこと、私のアカウントを使って出品者を脅したの?」
「だったら何?」
莉奈の声は、あまりにも平然としていた。
「あの出品者たちが先に規約違反をしたのよ。弱みを握られて当然じゃない。今日も何人か振り込んできたし、あなた家賃を払えって言ってたでしょ。稼げたら払ってあげるわ」
私は目を閉じた。
「子ども用のヘアアクセサリーを売っている店の人にも、同じことをしたの?」
「ああ、あの店ね」
莉奈は鼻で笑った。
「一番面倒だった。娘が入院しているとか、お金がないとか、許してくれとか、ずっと泣き言ばかり。笑えるよね。お金がないなら店なんてやらなければいいのに。娘が病気なのも、私には関係ないし」
扉の向こうで、男の呼吸が重くなった。莉奈は危険に気づかず、なおも自分の得意さに酔っていた。
「私は言ってやったの。二十万円を払わないなら、あの違反カードをネットに出して、星5レビューを誘導した店だって拡散してやるって。なのに、まだ可哀想ぶるんだもの」
「貧乏人って、本当に面倒」
私は電話を切った。扉の向こうは、不気味なほど静かになった。数秒後、男の足音が三〇一号室の前から離れ、向かいの三〇二号室へ向かう。
その直後、ドアをこじ開ける音がした。
私はすぐに警察へ通報した。
「東京都北区赤羽のメゾン川口、三階です。包丁を持った男が三〇二号室に押し入ろうとしています。すぐに来てください」
電話口の警察官は、部屋から出ずに安全を確保するよう言った。私は扉を開けなかった。ただ、ドアベルカメラの映像越しに、男が三〇二号室へ入っていくのを見ていた。すぐに莉奈の悲鳴が響いた。
「誰よ、あなた。どうやって入ったの。出ていって。警察を呼ぶわよ」
男の声は、ほとんど壊れていた。
「お前か」
「お前が、俺を脅したのか」
莉奈はまだ危険を理解していなかった。彼女は甲高い声で怒鳴った。
「あんたがあの違反出品者? 自分が悪いことをしたんでしょ。私が通報して何が悪いの。私の部屋まで来るなんて、刑務所に入りたいの?」
男は言った。
「頼んだんだ。本当に頼んだんだ」
「娘は、昨日死んだ」
一瞬、部屋の中が静まり返った。次に聞こえたのは、莉奈の冷たい笑い声だった。
「それが何? 死んだのは、父親のあんたが無能だったからでしょ」
次の瞬間、男の怒号が爆発した。続いて、莉奈の引き裂かれるような悲鳴が響いた。
私は扉の内側に立ったまま、開けなかった。私は聖人ではない。彼女の代わりに飛び出して刃を受けるつもりはなかった。けれど、前世の彼女のように、誰かが死ぬのを黙って待っていたわけでもない。
私は通報した。
それが、私にできるすべてだった。
数分後、下からサイレンの音が近づいてきた。
今度、血は私の玄関に流れなかった。
6.彼女は私が殺人をそそのかしたと言った
警察と救急車は、ほとんど同時に到着した。男は廊下で取り押さえられたときも、包丁を握ったまま抵抗しなかった。ただ、同じ言葉を何度も繰り返していた。
「娘を殺したのはあいつだ」
「娘を殺したのは、あいつなんだ」
青柳莉奈が運び出されたとき、彼女の体は血にまみれていた。けれど命は助かった。傷は派手に見えたものの、急所は外れていたらしい。救急車に乗せられる直前、担架の上の彼女は私を見つけ、殺意すら感じる目で睨みつけた。
私は警察署で事情聴取を受けた。これで少しは終わると思っていたが、二日後、病院で目を覚ました莉奈は、最初に私を訴えた。私が男をけしかけ、自分を殺させようとしたのだと言い出したのだ。
私は再び警察署へ呼ばれた。莉奈は車椅子に座り、包帯を巻かれた体で、ひどく傷ついた被害者のように泣いていた。
「お巡りさん、全部あの子のせいです」
「あの男は最初、あの子の部屋の前にいたんです。あの子が何かを言ったから、私の部屋に来たんです」
「佐倉明里はずっと私を妬んでいました。男を利用して、私を殺そうとしたんです」
彼女の声はかすれていた。何人かの警察官の視線が、私に向けられる。私はすぐには反論しなかった。莉奈が最も得意なのは、事実を逆さまにして、自分を被害者に見せることだからだ。
私はバッグからUSBメモリを取り出した。
「これは、私の部屋のドアベルカメラの映像です。最初から最後まで入っています」
映像がパソコンで再生された。男が私の部屋の前で扉を叩くところから、私がアカウントの不正ログインを説明するところ、そして青柳莉奈に電話をかけるところまで、すべてが記録されていた。莉奈は電話の中で、私の住所とアカウントを勝手に使ったこと、出品者に金銭を要求したことを、はっきり認めている。
警察官の表情が少しずつ変わった。莉奈の顔色も同時に変わっていく。
「嘘です。編集してあります!」
私はスマホを差し出した。
「クラウドに保存した元データがあります。タイムスタンプも残っています。それから、私の通販アカウントのログイン履歴もあります」
私は警察官を見た。
「彼女は私の同意なく、私のスマホで通販アカウントにログインしました。そのときの室内映像もあります」
次の映像には、私が洗面所へ行ったあと、莉奈が私のスマホを手に取り、通販アプリを開いてウェブ版にログインする様子が映っていた。顔も手元もはっきり映っている。スマホを元の場所に戻すときの、何食わぬ顔まで残っていた。
警察官たちの眉がさらに寄った。私は配送履歴、出品者からのメッセージ、着信記録も順番に提示した。
「彼女は何度も私の住所を配送先にしました。彼女に脅された出品者たちは、私のアカウントと住所に連絡してきました。彼女はすべての危険を私に押しつけ、その結果、包丁を持った男が私の部屋まで来ました」
莉奈は焦り始めた。
「違うの。ただ少し借りただけです。私たちは友達で、明里だって前は許してくれていました」
私は彼女を見た。
「私がいつ許したの?」
莉奈は口を開いたが、何も言えなかった。警察が彼女のスマホを確認すると、出品者とのやり取りが大量に残っていた。私のアカウントの画面を利用し、同じような文面で小さな店を脅していた。
「運営に報告されたくなければ振り込んでください」
「払わないなら、この違反カードをSNSに出します」
「星5レビューを誘導する店なんて、潰れて当然です」
証拠が一つずつ並べられると、莉奈はもう泣けなくなった。女性警察官が、厳しい声で彼女に告げた。
「青柳さん、今説明すべきなのは佐倉さんが通報した理由ではありません。あなたがなぜ佐倉さんのアカウントと住所を無断で使い、規約違反カードを理由に出品者から金銭を求めたのかです」
莉奈の顔は真っ白になった。彼女は私のスマホを奪おうとしたが、警察官に止められた。私は立ち上がり、彼女をまっすぐ見た。
「アカウントの不正使用、名誉毀損、個人情報の無断利用によって危険にさらされたことについて、正式に責任を問います」
莉奈は目を見開いた。
「佐倉明里、私を潰すつもりなの?」
私は初めて笑った。
「私の住所を包丁男に差し出したとき、私が潰されるとは思わなかったの?」
莉奈は硬直した。私はそれ以上彼女を見ず、警察署を出た。外の東京の空は曇っていたが、私は初めて、空気が少しだけ澄んでいると思った。
7.彼女はまだ私の食卓に戻れると思っていた
半月後、青柳莉奈は退院した。まだすぐに逮捕されるわけではなく、警察は調べを続け、彼女自身も治療が必要だった。少なくとも、しばらくは大人しくするだろうと思った。私はまた、彼女の恥知らずさを甘く見ていた。
その日の昼、私は味噌汁と焼き鮭を用意していた。インターホンが鳴り、扉を開けると、莉奈が立っていた。顔にはまだガーゼが貼られ、腕は吊られている。それなのに、彼女は何事もなかったように私の部屋へ入り込んだ。
「いい匂い。ちょうどお腹が空いてたの」
彼女は食卓に座り、当然のように箸を取って鮭をつまんだ。その姿は、ここが今でも自分が自由に出入りできる場所だと信じているようだった。彼女が私のアカウントを盗み、住所を勝手に使い、包丁男を私の部屋まで呼び寄せたことなど、なかったかのように。
私は腕を組んで彼女を見た。
「誰が入っていいと言ったの?」
莉奈は眉をひそめた。
「明里、まだ怒ってるの? もう終わったことじゃない」
私は笑いそうになった。
「終わったこと?」
彼女は食べながら、さらに不満そうに言った。
「この鮭、少ししょっぱい。水を持ってきて」
私は彼女を見つめ、声を低くした。
「青柳莉奈、頭まで刺されたの?」
莉奈の箸が止まった。私は彼女に言い訳をさせず、続けた。
「ここは私の部屋。あなたは家賃を滞納し、私のアカウントを盗み、私の住所を使って、包丁を持った男を私の玄関まで来させた。それで今度は、私に食事の世話をさせるつもり?」
莉奈の顔が険しくなった。
「忘れたの? 大学のとき、私がいなかったらあなたには友達なんていなかった」
その言葉に、胸の奥が沈んだ。大学時代、私は確かに友人が少なかった。最初は、自分が人付き合いに慣れていないせいだと思っていた。けれど、私生活が派手だとか、男を二股しているとか、家が少し裕福だから周囲を見下しているとか、根も葉もない噂が流れていたことを後から知った。
前世の私は、誰が広めたのか分からなかった。今なら分かる。青柳莉奈以外に、誰がいるというのだ。彼女は私の周りから人を遠ざけ、唯一の友人としてそばに残った。そうすれば、私は彼女に依存し、彼女に吸い取られ続ける。
私は玄関へ向かい、スマホを手に取った。
「管理会社には連絡済み。三〇二号室の契約解除に関する通知も、あなたに送ってある。今日中に荷物をまとめて」
莉奈は勢いよく立ち上がった。
「本気で私を追い出すの?」
「本気だよ」
「何の権利があって」
「三か月分の家賃滞納。部屋の名義は私の家族。そして、あなたが私の安全を著しく脅かしたこと。十分でしょう」
莉奈は怒りで震えた。私を恩知らずだと罵り、家が裕福だから人を見下しているのだと言い、いつか必ず報いを受けると叫んだ。私は聞き流し、洗面所からトイレブラシを一本持ってきて、彼女の前に掲げた。
莉奈はすぐに後ずさった。
「何をするのよ」
「出ていかないなら、これでお帰りいただこうかなと思って」
彼女の顔は青くなったり赤くなったりした。結局、彼女はみじめな顔で部屋を出ていった。私はこれで荷物をまとめると思ったが、莉奈は三〇二号室に鍵をかけ、中に閉じこもった。管理会社が訪ねても出ない。電話をかけても切る。部屋の中からは、カップ麺の袋を開ける音とテレビ番組の音だけが聞こえていた。
彼女は、居座れば私が折れると思っているのだ。
私はそれ以上ドアを叩かなかった。すぐに弁護士と管理会社に連絡し、正式な手続きを進めた。三日後、管理会社の担当者と弁護士立ち会いのもと、状況確認のために部屋へ入ることになった。扉が開いた瞬間、ひどい悪臭が廊下に流れ出した。
玄関にはゴミ袋、コンビニ弁当の容器、カップ麺の空き容器、汚れた服、空きペットボトルが散乱していた。小さな部屋は、彼女の生活で完全に荒れ果てていた。莉奈は床に座り、カップ麺を食べていた。
私たちを見るなり、彼女は叫んだ。
「不法侵入よ。警察を呼ぶから!」
管理会社の担当者が書類を出した。
「青柳様、通知は何度もお送りしています。長期の家賃滞納があり、連絡にも応じていただけませんでした。本日は状況確認と今後の手続きについて説明するために来ています」
莉奈は担当者を突き飛ばそうとした。私は横へ避けた。すぐに揉み合いになり、彼女は泣き叫び、怒鳴り、最後には管理会社と警察官の立ち会いで部屋を出ることになった。
マンションの前に立つ莉奈は、髪を振り乱しながら私を睨んだ。
「佐倉明里、絶対に後悔するから」
私は三階の廊下から彼女を見下ろした。
「その言葉、何度も聞いたよ」
「でも後悔しているのは、いつも私じゃないみたい」
8.彼女はネットで被害者の顔をした
莉奈が去ったあと、私の生活は数日だけ静かになった。鍵を交換し、すべての通販サイトの配送先も確認した。玄関にはもう、私のものではない荷物は届かない。リビングにも、彼女が置きっぱなしにしたゴミや上着はない。ようやく、この部屋が本当に私のものに戻った気がした。
彼女はまず住む場所を探すだろうと思っていた。けれど、莉奈はすぐに別の戦場を選んだ。
一週間後、私は動画サイトで彼女の切り抜き動画を見つけた。画面の中で青柳莉奈は、安いビジネスホテルのベッドに座り、涙をこぼしていた。タイトルは、まるで彼女が世界で一番ひどい被害に遭ったかのように大げさだった。
【親友に裏切られ、私は死にかけました】
私は動画を開いた。莉奈はカメラに向かって、震える声で話していた。顔のガーゼと腕の包帯は、同情を集めるための小道具のように見せられている。
「私、本当に何をしたのか分からないんです」
「大学時代、私はあの子にすごくよくしていました。家にお金がないのに、生活費を削ってマフラーまで贈ったんです」
「卒業後も、少し家賃を待ってほしかっただけなのに、あの子は私を追い出しました」
彼女は袖を上げ、傷の残る腕を見せた。
「一番怖かったのは、包丁を持った男が本当はあの子を探していたことです。あの子が出品者を脅してお金を取ろうとしたから、男は家まで来たんです」
「でも、あの子は自分を守るために、私を差し出しました」
「私は何度も刺されたのに、あの子は少しも悪いと思っていません」
コメント欄は凄まじい速さで流れていた。見ている人たちは、彼女の涙と包帯だけを見ていた。真実が何かなど、誰も確かめようとしていなかった。
【かわいそうすぎる】
【こういう友達が一番怖い】
【金持ちのお嬢様って本当に最低】
【もっと晒していいと思う】
私は動画を閉じた。指先が冷たくなっていた。彼女は何も変わっていない。証拠が警察に残っていても、ネットではいくらでも嘘を言えると知っているのだ。先に泣いた者、先に弱者の顔をした者が、最初の同情を奪うことも知っている。
その切り抜きは、すぐに複数のSNSへ広がった。「東京の悪女」「裕福な女が貧しい友人を盾にした」「出品者を脅した女が親友を刺させた」といった言葉が、次々に投稿された。私の名前を調べる人、住所を特定しようとする人、両親の会社のメールに罵倒を送りつける人まで現れた。
ある日、外を歩いていると、見知らぬ男が私の前に立ちはだかった。彼はスマホを掲げ、興奮した声を上げた。
「お前だろ。友達を刺させた女って」
反応する間もなく、彼は手を振り上げた。私は半歩下がり、膝のあたりを蹴った。男は悲鳴を上げて膝をつき、周囲の人々が一斉にこちらを見る。
男は足を押さえながら、なおも叫んだ。
「こんな女が人を殴るのか。警察を呼ぶぞ」
私は彼より先にスマホを取り出した。
「どうぞ。私も通報します。あなたが先に私を殴ろうとしたことは、近くの防犯カメラに映っているはずです」
警察はすぐに来た。事情を確認したあと、男は任意で話を聞かれることになった。私は家に戻り、スマホを開いた。私信には罵倒が溢れていた。死ね、どうしてまだ生きている、友達を傷つけた人間に幸せになる資格はない。そういった言葉ばかりだった。
私は一つずつ読み、ふいに笑った。前世の私は、死んだあともこうして罵られ続けた。あのときは証拠もなく、口を開く機会もなかった。
けれど、今度は違う。
午後八時、私はライブ配信を始めた。
カメラが起動すると、視聴者数はすぐに増えた。多くの人が私を責めるために集まっていた。画面のコメントは、ひどい言葉で埋まっていく。
【悪女が来た】
【よく配信なんてできるね】
【謝れ】
私は気にしなかった。カメラを見つめ、落ち着いた声で言った。
「こんばんは。佐倉明里です」
「青柳莉奈さんが言うところの、彼女を盾にした女です」
コメントはさらに荒れた。私は通知を切り、最初の一言を告げた。
「彼女の話は、すべて嘘です」
9.証拠配信
配信は一瞬で荒れた。恥知らず、証拠を出せ、どうせ言い訳だ。そんなコメントが画面を埋め尽くす。私は反論しなかった。こういうとき、感情には意味がない。必要なのは、証拠だけだ。
私は最初の資料を開いた。
「これは私の通販アカウントのログイン履歴です」
画面には、ある日に見知らぬ端末からログインされた記録が表示されていた。私は時間を示しながら続けた。
「この期間、出品者と連絡を取っていたのは私ではありません」
「青柳莉奈さんです」
次に、リビングのカメラ映像を流した。私が洗面所へ行ったあと、莉奈が私のスマホを手に取り、通販アカウントへログインする様子が映っている。顔も動作もはっきり分かる。コメントの速度が、明らかに落ちた。
私は続けた。
「これは、彼女が私の住所へ荷物を送っていた配送履歴です」
「これは、彼女の部屋に私宛ての荷物が積まれていた映像です」
「これは、包丁を持った男が私の部屋まで来た日の、ドアベルカメラの映像です」
映像の中で、男は私の扉を叩いていた。私は扉越しにアカウントを盗まれたことを説明し、そのあと莉奈に電話をかけた。電話の中で、彼女は私のアカウントを使って出品者を脅したことを認め、規約違反をした出品者が悪いのだと笑っていた。
彼女の声が、画面越しに流れる。
「払わないなら、店を潰してやるって言っただけ」
「娘が死んだのなんて、私には関係ないし」
その言葉が流れた瞬間、コメント欄は静まり返った。数秒後、流れが変わり始めた。
【今の声、青柳莉奈?】
【自分で認めてるじゃん】
【刺されたのは、友達を庇ったからじゃなかったの?】
【これはひどい】
私は引き出しから、あのグレーのマフラーを取り出した。かつて私は、それを本物の友情の証だと思い、大切にしまっていた。今見ると、それは安い小道具でしかなかった。莉奈が私を縛るために使った、最初の紐だ。
「彼女は、大学時代に生活費を削って私へ贈り物をしたと言っていました」
私は購入履歴のスクリーンショットを表示した。
「このマフラーは六百円です。購入したのは、彼女の別アカウントでした」
「彼女はこのマフラーで、私に四年間罪悪感を抱かせました」
さらに、過去のメッセージ履歴を映した。服を買ってほしい、食事を立て替えてほしい、旅行代を出してほしい、必ず返す。そうしたやり取りが何ページも続く。私は自分でも驚くほど静かな声で、最後に言った。
「彼女は、大学時代に私には友達がいなかったから、自分に依存していたと言いました」
「けれど、私に関する噂を流していたのも、彼女だったと私は考えています」
この部分については、まだ十分な証拠が揃っていない。だから私は、断定しなかった。
「この件については、今後も証拠を集めます」
視聴者数はさらに増え、関連する言葉がSNSで拡散され始めた。青柳莉奈の嘘、星5レビューカード脅迫、佐倉明里の証拠配信。そんな見出しが次々に流れていく。ちょうどそのとき、私のスマホが鳴った。
発信者は、青柳莉奈だった。
私は通話を取り、スピーカーにした。彼女の声は、ほとんど悲鳴だった。
「佐倉明里、頭がおかしいの? どうして私を潰そうとするの!」
私は静かに聞いた。
「私があなたを潰しているの?」
「今すぐ訂正して。全部誤解だったって言って。あなたのせいで、ネット中から叩かれてるのよ」
私はカメラを見たまま言った。
「あなたが私を貶める配信をしたとき、私もネット中から叩かれるとは思わなかったの?」
莉奈は叫んだ。
「あなたは無事だったじゃない。私は死にかけたのよ」
「あなたが死にかけたのは、脅す相手を間違えたから」
「あなたが私の住所を出品者たちに渡していなければ、死んでいたのは私だった」
電話の向こうが一瞬静かになった。やがて彼女の声は小さくなり、聞き慣れた泣き声が混じった。
「明里、私たち友達でしょ。お願い、一回だけ助けて。本当にもう無理なの」
その言葉を、前世の私は何度も聞いた。そのたびに心を折り、彼女のために譲った。けれど今は、ただ滑稽だと思うだけだった。
「青柳莉奈。私はもう、あなたの友達じゃない」
私は通話を切った。
配信が終わると、世論は一気に反転した。私を罵っていた人々は、今度は莉奈のアカウントに押し寄せた。彼女の配信は通報され、アカウントは停止され、被害者面で受けていた広告案件も次々に取り消された。
そして私は、整理した証拠を警察と弁護士へ提出した。アカウントの不正使用、出品者への恐喝まがいの要求、虚偽の発信、個人情報の悪用、名誉毀損。どれも、なかったことにはさせない。
一週間後、青柳莉奈は再び警察に呼ばれた。
今度の彼女は、もう無邪気な被害者の顔では泣けなかった。
すべての証拠が、彼女の前に置かれていたからだ。
10.彼女には、もう誰も差し出せない
その後、私が青柳莉奈の名前を再び見たのは、ニュースの中だった。配信で真実が広まってから、しばらく経っていた。彼女のアカウントは止まり、広告案件は消え、警察の捜査によって評判も地に落ちていた。それでも、彼女は変わらなかった。
彼女は別の小さなアカウントを作り、別の短期賃貸の部屋へ移り、また同じことを始めた。
安い商品を買う。
星5レビューと引き換えに電子ギフト券を渡すという違反カードを探す。
そして、出品者を脅す。
ただし今回は、私の住所は使えない。私のアカウントも盾にできない。彼女は自分が仮住まいしている部屋を配送先にし、すべての危険を自分で抱え込むことになった。
ニュースによれば、彼女が脅した相手は、小さな雑貨店をネットで営む男性だった。男性は精神的に追い詰められており、店の売上も調査のために一時保留になっていた。莉奈は二十万円を要求し、払わなければ店を終わらせると告げたという。
彼女はきっと、これまでと同じように相手が怯えると思っていたのだろう。泣いて、騒いで、脅せば、また口座にお金が入ると思っていたのだろう。
けれどその男は、配送情報をたどって彼女の住まいを見つけた。
今度は、彼女の前に立つ扉を代わりに塞ぐ人はいなかった。
電話に出て言い訳をする人もいなかった。
彼女のために通報する人もいなかった。
青柳莉奈の遺体が見つかったのは、事件から十日後だった。ニュースは現場の詳細を報じなかった。ただ、異臭に気づいた近隣住民が管理会社に連絡したとだけ伝えていた。アナウンサーは淡々と、彼女の名前を読み上げた。
青柳莉奈、二十六歳、無職。
複数の恐喝容疑について、警察が調べを進めていた人物だった。
私はテレビの前で、そのニュースを最後まで見た。画面には、以前の彼女の写真が映っていた。甘えるように笑い、弱く、可哀想で、誰かに守られるべき人間の顔をしている。けれど私はもう、その顔には騙されない。
テレビを消した。窓の外には、珍しく晴れた東京の空が広がっていた。陽射しがきれいに片づいた床に落ち、玄関にはもう、私のものではない荷物は一つもなかった。三〇二号室も清掃が終わり、管理会社は近いうちに新しい入居希望者が内見に来ると言っていた。
私は両親に電話をかけた。最近どうしているのかと聞かれ、窓の外の光を見ながら、初めて嘘をつかずに答えた。
「元気だよ」
本当に、元気だった。
私はもう、誰かの欲深さの責任を背負わなくていい。友情という言葉で縛られる必要もない。六百円のマフラーは、とっくに捨てた。青柳莉奈という名前ごと、私の人生のゴミ箱へ捨てた。
これからの人生は、私だけのものだ。




