ログインボーナスは死亡予告
ミステリ系小説第2弾です。
お楽しみいただければ幸いです。
その夜もVR型SNSトランセルの同時接続者数は高値を叩き出していた。
東京湾を模した海に浮かぶ船上に、無数のアバターが浮かぶ。海岸や頭上には無数のネオンが光り、広告ドローンが花火のように光っている。
人気キャラクターランキング一位であるクリアクターの巨大ホログラムが空を横断していた。
「こんばんは、オルガラン。」
脳に直接響くような声に私は反射的に振り返る。
白銀の髪に透けるような肌。全体的に色素の薄いその人物は、瞳だけが深海のように深い青色である。
いまや現実のアイドルより人気があるVR恋愛ゲーム《アリクストラ》の看板キャラクター、クリアクター。
本来なら、選択肢などによって変動はあるが、大まかには全プレイヤーに対してある程度同じ会話を返すはずのAIキャラクター。
だが最近、奇妙な噂が流れていた。
クリアクターが、プレイヤーごとに違うことを話す。
しかも、その内容を誰にも説明できない。
運営は即座に声明を出した。
『一部AIレスポンスの異常生成を確認しております。
またこの以上生成において、外部攻撃および自律学習の暴走は見受けられません。』
単なるバグや演出ミス。当初はそう片付けられていた。
私自身はそのバグを見たこともなかったため特に気にも留めていなかったが、《アリクストラ》についての掲示板ではかなり話題になっているようだった。
412:名無しのVRer
クリアクター、最近なんか変なこと言うよな?
413:名無しのVRer
恋愛分岐の隠しセリフじゃね?
414:名無しのVRer
いや、マジで、そういうのじゃないんだよ。
俺には「赤い靴を履いていくと事故る。」って言ってきた。
415:名無しのVRer
草wwwホラーイベント始まった?
俺言われてないけどwww
418:名無しのVRer
自分は北側の駅を使わないでだった
普通に怖い、なんでいつも北にある駅を使ってるの知ってるの?
俺だって北だって把握してなかったのに。
421:名無しのVRer
方向音痴乙www運営告知見ろよ。
AIレスポンスバグだってさ。
私は見ていた掲示板に少しわくわくした。
まるでTRPGのミステリーみたいじゃないか。
ぜひ巻き込まれてみたいと期待に胸が高鳴る。
私は手慣れた手つきでアリクストラを開く。
接続中と可愛らしいデフォルメされたリアクターが手を振っている。
不意に別のタブで開いていた掲示板の言葉が目に入る。
447:名無しのVRer
クリアクターに「エフィはもう帰れない」って言われたやつ、他にいる?
有名配信者のエフィ。
このVR空間トランセルから飛び出して今やテレビやCMで見かけることも多い彼はゲームであれば何でもやってみようというタイプらしい。
『今夜、“エフィ”が死ぬよ』
ロードが終わったのだろう。
不意にクリアクターの声が脳に響いた。
振り返ればリアクターがほほ笑んでいた。
見慣れたはずの、その深海の色をした瞳にぞっとする。
『23時41分。首都高湾岸線。黒いバイク。ガードレール。』
淡々とした口調で、天気予報の話をしているようだった。
『鼻から下は潰れない。だから歯形は確認できる。
良かったね。』
「エフィとのコラボの新イベントでもやるの?
それにしても、さすがに悪趣味すぎ。」
私はわくわくした気分がしぼんで行くのを感じた。
それでも、クリアクターは静かに私を見つめて微笑んでいた。
いつも通りの笑顔といえばそれまでだが、先ほどの言葉と合わせてしまえば気味の悪いものにしか見えなくなってしまった。
ふいにノイズが走り、クリアクターの輪郭が崩れた。
その顔の奥に、別の何かが見えた気がした。 直後、空間が通常演出へ戻る。
先ほどまで無表情で淡々としていたリアクターが笑顔でプレゼントの箱を持っている。
『今日のログインボーナス。』
いつものようにアイテムをこちらに渡す。
気味が悪い。私はそれ以上アリクストラを開き続けている気にはなれなかった。
ログインボーナスを受け取ると私はアリクストラを閉じた。
船上に戻ったいつもの景色に少しホッとする。
あの悪趣味な演出。緊張していたのだろう気が付けば掌に汗をかいていた。
周囲では他のプレイヤーたちが歓声を上げている。
『クリア様かわいいー!』
『今日の限定ボイスやば!』
『神アプデ!』
誰も異常に気づいていない。
しかし、何かしらの変化はあったのだろう。
今日の限定ボイス?
そんなものなかったけど…
いや、あの気味の悪い予報が限定ボイスだったのか?
でも、なら神アプデなんて言わないだろう。
ぐるぐると脳によぎる違和感に心臓が嫌な音を立てる。
その時、視界の端にニュース速報の通知が出た。
『VR配信者“エフィ”として有名な京極信さんが、死亡しました。
湾岸線でのバイク事故とのことです。』
「おいおい、ニュースまでイベント仕様か?
エイプリールフールでもないのに、悪趣味ってレベルじゃねぇぞ?」
オルガランの指先から、コントローラーが滑り落ちた。
時刻は23時41分、写真から察するに首都高湾岸線。そしてひしゃげた黒いバイクとガードレール。
その一致に手が冷たくなるのを感じた。
*
二人目の被害者が出たのは、その三日後だった。
FPS系配信で人気を集めていた配信者、こと海堂鷹桔。
過激な発言と、異様に正確な反射神経。
特にVR空間での対人戦においては、死角からの攻撃すらも避けることから千里眼とまで呼ばれていた。
『そこから撃たれるの、なんで分かるんだよ!?』
対戦相手が叫ぶ切り抜き動画は何度もバズっている。
だが最近、ドルナー本人の様子がおかしかった。
『最近さぁ……変なんだよな』
深夜配信中、珍しく開催していた雑談枠にて煙草をくわえながら、彼は珍しく弱気な声を出していた。
『アリクストラのクリアクター。あれ絶対おかしいんだよ。』
コメント欄はすぐに盛り上がる。
@ヘパリン:またその話w
@dalteparin-11お前も予言されたん?
@HS4flushどうせ案件の前フリだろ?
チャットに並ぶ他人事と言わんばかりのコメントにドルナーは舌打ちした。
『案件ならもっと上手くやるわ。
あいつ、俺の本名知ってたんだよ』
一瞬、コメント欄の流れが止まる。
『ログインした瞬間、おかえり、○○って… 本名呼びやがった。
どこにも情報なんて出してねぇんだぞ?』
@フラグみん:うわ
@HC-18731:鳥肌立った
@kurekisann:演出じゃね?
『しかもさ』
そこで彼は妙に黙り込んだ。配信画面の隅。
VRというフィルターがかかっているのにも関わらず、彼の表情は硬直しているのがわかる。
『いや、やっぱなんでもねぇ。
縁起悪い。マジで。』
話せ話せと囃し立てるコメントに煙草の煙を吐く音が聞こえた。
『まあいいか。
どうせ配信者なんて、死ぬ時もネタだろ。』
その瞬間だった。
配信画面が一瞬だけ乱れた。
ノイズ、色反転、フレーム落ち。
そして画面中央に、無表情のクリアクターが立っていた。
深海を思わせる青色の瞳がこちらを見つめている。
そもそも、本来ならアリクストラ内でしか表示されないはずのキャラクター。
『海堂鷹桔。』
配信コメントが止まる。
『あなたは、高いところが嫌いよね。』
ドルナーのアバターは動きを止め、唾を飲み込む音だけが響いた。
『子供の頃に団地の非常階段から落ちたから。』
いつもの鈴を鳴らしたような可愛らしい声で、淡々という彼女はそのギャップに誰もがぞっとする。
「は?何で知って…」
ドルナーの声が掠れる。
そんな彼の声にリスナーはそれらが事実だと確信した。
彼の本名も、高所が怖いということも。
『だからね。今度は怖くないようにしてあげる。
落ちるのは、一瞬だよ。』
クリアクターは微笑んだ。
その微笑みはいつもゲーム内で見かけるクリアクターの微笑みと同じだった。
彼女の微笑みとともに画面が暗転し、配信が途切れた。
*
私はトランセルから離れがちにはなっていた物の、どうにもリアクターの件に関しては気になっていて掲示板で確認していた。
どうやら違和感だらけのドルナーの配信があったらしいと胸騒ぎがしていた翌朝。
テレビをつければニュース速報が日本中を駆け巡っていた。
『人気VR配信者ドルナーこと海堂鷹桔さんが死亡。
高層マンションからの転落事故。
防犯カメラには、屋上へ向かう海堂さんの姿が記録されていました。』
そんなニュースに私は歯を磨いていた手を止めた。
「は?」
エフィの件もドルナーの件もリアルのニュースに載っていて、決してどっきりやコラボではないことが証明されていく。
掲示板を開けば騒然となっていた。
明らかに偶然と言い切るには偶然が重なりすぎている。
ざわざわと胸騒ぎがした。
その日の昼、アリクストラ運営は短い声明だけを出した。
『現在、一部ユーザー間で拡散されている映像について確認しております。
なお、弊社AIがユーザーの個人情報へアクセスした事実は確認されておりません。』
その文面が逆に恐怖を煽った。
アクセスしていない。
それなら、こんな調べなければわからないような個人情報をなぜ知っている?
そんな恐怖と疑問が頭を埋め尽くす。
恐怖ゆえに私はドルナーの最後の配信を確認することにした。
問題の部分だけ切り抜かれ、無数に転載されている。
その動画は何度見てもおかしい。
コメント欄が止まったタイミングで、配信視聴者のログが一瞬だけゼロになっていた。
まるで、誰も存在しない場所で会話していたみたいに。
そしてもう一つ、私は動画の倍速を変えて進めながらある一点で止める。
クリアクターの瞳にその一瞬だけ、別の景色が映っていた。
暗い部屋と大量のモニター。そのモニターの前に座るヘッドセットをつけた誰か。
その誰かは、今日ニュースで映っていた男。
ドルナーだった。
「なんだ、これ?」
背筋が冷える。
これに気が付いた人はどれだけいただろう?
その時、トランセルの通知音が鳴った。
突然のそれに肩がびくりと震える。
差出人不明のそれを震える手で封を切った。
本文は一行だけだった。
『3人目は助けられるかしら。』
3人目。
そもそも、なんで私に言うのか。
差出人は誰なのか。
考えるのが面倒になって私はトランセルの電源を切った。
*
その夜、私の元へと再びメッセージが届いた。
今度は差出人のところに名前が明記されている。
それは、VRチャットへのお誘いのメッセージだった。
「グルトパ、聞いたことない名前だな。」
自分の知人にそんな名前を使っているアカウントはあっただろうかと考えるが、やはり聞き覚えはなかった。
「あなたがオルガラン?」
チャットの画面に移行すれば、表示されたのは女性アバターだった。
いや、このVRの世界では女性のアバターや女性らしいアルトボイスだからと言って中身まで女性という可能性はないのだが。
「エフィの件、気になってはいるのよね。」
「なんで分かる?」
「差出人不明の通知にあなたに連絡を取れば生存確率が上がるって連絡が来たの。」
だからもしかしてと思ってと困ったように彼女は口にする。
そして、彼女はうつむいて沈黙した後私を見上げると小さく言った。
「“次は桔梗だ”って。
私の本名なの!神藤桔梗!」
誰が開いてかもわからないネット上で彼女は自分の本名を口にした。
それだけで彼女がどれだけ追い詰められているのかを察することができる。
藁にもすがりたい気持ちで私に連絡を取ってきたのだろう。
「クリアクターに?」
「違う。」
グルトパは震えていた。
「エフィに。」
「彼は死んだはずじゃ?」
「それでも、彼のアカウントからめってーじが来たのよ。」
私は死者からのメッセージなんて胡散臭い物にため息をつくと天井を見上げた。
これは面倒なことに巻き込まれた。
*
翌日、私たちは現実で会うことになった。
神藤桔梗は落ち着いたアルトボイスから想像よりも若い女性だった。
憔悴しているかのように目の下には酷い隈があり、表情は暗い。
「エフィとは付き合ってた。」
カフェに入って注文したコーヒーを口につけると開口一番、彼女は言った。
「でも別れた。
ドルナーと仲良くなったのはその後よ。」
私は嫌な予感を覚えた。
別れた彼女がすぐに他の男性と楽しそうにしていて嫉妬を覚えないことはないだろう。
それはきっとエフィもそうだった。
「エフィは嫉妬してた。」
「うん。」
私の断定した言葉に彼女は頷いてから俯いた。
「その後、エフィは死んだはずだった。
ニュースでもやっていたのは見た?」
「あぁ、湾岸線でのバイク事故ってニュースでは言っていたな。」
その時、彼女のスマホが震える。
非通知と画面には文字が表示されている。
彼女はこんな状況だからと意を決したように通話ボタンを押した。
「まだ逃げられる。」
遠いせいで声色まではわからなかったが、確かにその声はそう言った。
その言葉に神藤桔梗の顔が青ざめた。
*
私たちはまず、第一の被害者である京極信ことエフィについて表に出ている情報を洗い直すことから始めた。
とはいえ、表向きの経歴は驚くほど綺麗だった。
動画配信者でVRタレント。
トランセル公認のクリエイター。
それ以上でもそれ以下でもない。
「だから何だってんだ。」
捜査は難航した。
日も暮れてきたので、いつ殺されるか分からないと怯える彼女を仕方なく家に招き入れる。
ロフトのある1kの小さな部屋はベッドとVRの機材でいっぱいで人を招くには少し狭い。
考えてみればこの部屋に越してきてから、人を招くのは初めての事だった。
深夜二時、私の部屋でノートPCを睨みながら神藤が呟いた。
「ここまで人気だった人間にしては、昔の情報が少なすぎるのよね。」
確かにそうだった。
エフィは突然現れ、突然有名になったように見える。
昔のSNSや学生時代、前職などどれもが曖昧だ。
まるで途中から人格が作り上げられたような違和感を覚えるほどであった。
だからこそ、私たちもその違和感から目を背けられずこうして調べて続けてしまっているのだが。
「付き合っていたんだろう?
聞いたことはないのか?」
「彼、昔の話をするのは極端に嫌がっていて、聞いたことなかったわ。」
「じゃあ、消してるのかもな。」
私が言うと神藤は小さく首を振った。
「違う気がする。」
考え込むように言う彼女にどういうことだと視線を向ければ、彼女は当時の違和感を思い出すように目を閉じた。
「思えば最初からエフィ以前の京極信という人間は居なかった様に振舞っていた。」
その表現に妙な寒気を覚えた。
手詰まりを感じて、私は伸びをするとロフトに布団を敷いた。
今日のところは寝ようと神藤に声をかけ布団を譲ると私はゲーミングチェアに座って毛布にくるまった。
*
翌日も台所にあったパンを齧りながら、今度は第二被害者のドルナーについて調べ始めた。
付き合っていた神藤から見ても調べた情報から見ても彼には何の違和感もない。
「成す術なしだな。」
「諦めないでくださいよ。
私死にたくなんてないんです!」
諦めて両手を上げて言った私に神藤が怒ったように言った。
仕方なく私たちはアプローチを変え、トランセル関連企業について調べ始めた。
運営企業パナルジンはVR業界最大手。
だが企業規模が大きすぎるせいで、逆に末端開発者の名前までは出てこない。
知り合ってしまった人の死を見たくはないという惰性で私は眺めるように公開資料や技術ブログ、開発者インタビューを表示させては消していった。
片っ端から公開されているものをあさっていたその途中だった。
「あれ、これ。」
神藤が小さく声を漏らした。
画面には八年前の記事が表示されていた。
『次世代感情同期AIに関する研究発表。』
古い技術カンファレンスの記事。
神藤が指差した集合写真の端のある男。
どこかで見たような顔だった。
そう、つい最近、ニュースで。
「エフィ。いや、京極か?」
「えぇ。」
まだ若く、先日見たニュースでの写真よりも痩せていて、髪は長く後ろで一つに縛っていた。
私は記事をスクロールする。
『人格模倣AI設計担当・京極信氏』
嫌な汗が滲んだ。
「人格模倣?」
「AI会話モデルだ。」
どういう意味ですかとこちらを見る神藤に言葉を返しながら、記事を読み込む。
「ユーザー反応を学習して、感情的親近感を最適化するシステム。」
「つまり?」
「人間に好かれる人格を作る技術。」
クリアクターの顔が脳裏をよぎる。
あの自然すぎる微笑み、距離感、言葉選び。
AIのキャラクターだから当然とは言えすべて計算だったのだ。
*
さらに掘り進めるうち、奇妙な名前が何度も出てきた。
《Actor Clea 》
クリアクター開発初期コード名。演じる者という意味のActorが入っているのが妙に気持ちが悪かった。
そして中心メンバー一覧。
そこには京極信の名前がある。
しかも役職欄にはこう書かれていた。
『Actor Clea開発主任』
「主任……?」
私は目を見開く。
「ほぼ中核の人間じゃないか。」
神藤の声は硬い。
さらに別ファイル、内部プレゼン資料。
流出したらしいPDFだった。
『ユーザー依存率向上施策』
そこに映っていたのは、初期段階のクリアクター。
今より幼いデザイン。
その横に文章。
『各ユーザーの傾向を学習し、最適な人格応答を生成する。』
「ユーザーの傾向っていうと?」
「各ユーザーの心理分析ってことだろう。」
難しかったのだろう言葉に神藤が眉を寄せる。
「ログイン頻度や会話時間、言葉遣い、睡眠時間、そういった自分ですら気が付かないような人間の癖を統合してる。」
「それ、ほぼカウンセリングじゃ。」
神藤の顔が不快感にゆがむ。
誰だってそんなことまで人に把握されたくはないだろう。
「違う。この真の目的は依存形勢だ。」
神藤の顔から表情が消えた。肩がこわばり、唇が震えている。
その真相に部屋の空気が急に冷えた気がした。
ふいにグルトパの動きが止まる。
「これ。」
彼女が指差したのは、開発者インタビュー動画だった。
京極信が写る画像を開いて再生する。
若い京極信が映る。
まだエフィとして売れる前の動画だった。
野心的な目はしている物の青年だった。
『AIってのは、結局は理解なんですよ。』
穏やかな声。
『人間は理解してくれる存在に依存する生き物なんですよ。』
インタビュアーが笑う。
『恋愛AI向きの考え方ですね。』
『さぁ、どうでしょう?』
京極信は不敵に微笑む。
そんな彼にインタビュアーは怪訝そうな顔をした。
『結局、人間ってのは完全には理解し合えないんだよ。』
その言葉に、私と神藤は同時に黙った。
その言葉が妙に引っ掛かる。
動画の後半に差し掛かり、インタビュアーが軽い調子で尋ねる。
『ちなみにActor Cleaにはモデルがいたりするのですか?』
一瞬、京極信が黙る。
ほんの一秒にも満たない時間だったかもしれない。
だが、確かに空気が止まった。
『文字通りActor、演じる者ですよ。
モデルなんていません。』
貼り付けたような笑顔。
だが、目だけ笑っていない。
彼は明らかに嘘をついていた。
だとするならばクリアクターの前身、Actor Cleaには確かにモデルがいたことになる。
一通り見終わった動画のタブを消そうとすれば、インタビューを聴きながら考え込んでいた神藤が何かに気が付いたように小さく息を呑んだ。
「ちょっと、待って。」
神藤の言葉に私は手を止める。
「どうした?」
「この話し方、ずっとどこかで聞いたことがあると思っていたの。
クリアクターだわ。」
私は止めた動画を改めて再生させる。
だが言われてみればよく似ていた。
鈴のなるような可愛らしい声は持っていなかったが、抑揚や言葉の間。
「Actor Cleaひいてはクリアクターのベース人格はエフィ本人だ。」
狭い1kの自宅に重い沈黙が落ちる。
背筋が冷えた。
そう、私たちはずっとクリアクターを通して京極信と会話していたのかもしれない。
*
さらに調べるうち、もう一つ奇妙な事実が見つかる。
三年前に京極信は突然運営企業パナルジンを退職している。
一身上の都合、よくある退職理由だ。
だがパナルジンの愚痴を書いているのだろうとわかる表記があった掲示板のログには断片的な書き込みが残っていた。
487:名無しの会社員
アイツまた倫理監査に引っ掛かったらしい』
488:名無しの会社員
またかよ。あんなの異常者でも自分が異常だって分かってたら通るヤツだろ?
489:名無しの会社員
あぁ、ユーザー心理への干渉がどうとか
490:名無しの会社員
さすがに感情誘導テストはダメだろ、常識的に考えて
私は眉をひそめた。
「感情誘導?」
私の言葉に神藤は青ざめていた。
「本当にやってたんだ。」
「何を?」
「人を操る実験。」
「人を操る?」
人の感情を誘導するような成長を続けるAI。
心理予測アルゴリズム、プレイヤー行動解析。
その中核にいた。
「つまり、クリアクターを作ったのが、エフィってことか。」
*
さらに恐ろしい事実が分かる。
エフィはプレイヤーの行動ログを密かに収集していた。
睡眠時間や移動経路、買い物履歴、会話傾向。何にストレスを感じて、その結果何に依存していくのか?
長期間観察し続ければ、人間傾向や行動は予測できる。
その情報は多くなればなるほど確実性が上がる。
それこそ交通事故や自損事故、自殺すらも。
「クリアクターの言っていたのは予言じゃなかった。」
私は呟く。
「誘導だ。」
ドルナーは高所恐怖症だった。
クリアクターは繰り返し彼の目の前に現れ、無意識に刷り込むように刺激した。
いや、刺激というよりもはやそれは洗脳という言葉のほうが近いだろう。
睡眠不足と精神疲労状態に彼を追い込み。
そしてあの日、屋上へ向かわせた。
エフィは人間を操ることすらできる。
人間の心理を理解しすぎていた。
そして調べていくうちに私たちは、エフィ死亡事故そのものに大きな違和感があることへ気付いた。
事故当日の記録映像を確認すると、炎上した黒いバイクはほぼ原形を留めていなかったにも関わらず、運転手の顎だけが不自然なほど損傷を免れていたのだ。
さらに司法記録では、身元確認は歯型と所持品によって行われたとある。しかしグルトパは震える声で言った。
「歯科データ、改竄されてる。」
加えて事故直前、京極信本人の移動履歴だけが数時間分、綺麗に消えていた。
まるで最初から、京極信が死んだという結論だけを残すために作られた事故のようだった。
「じゃあ遺体は…」
「別人の可能性が高い。」
京極信は死んでいなかった。
京極信は死んでいなかった。
その事実に気が付いた瞬間、神藤の顔から血の気が引いた。
自分たちはずっとAIのような実体のない物に追われていると思い込んでいた。だが違った。
追ってきていたのは、生きた人間だった。
「警察に行くか?」
私が口にすると、神藤はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、証拠が弱すぎる。
全部状況証拠だけじゃない。」
確かにその通りだった。
エフィこと京極信の事故が偽装である可能性、クリアクターの異常挙動や不審なメッセージ、クリアクターはその京極信が前身のActor Cleaを制作していたと言う事。
しかし、どれもが決定打にはなりえない。
「それに、クリアクターが人を操って殺したなんて言ったところで、頭がおかしいと思われるだけだな。」
私の言葉に神藤は苦い顔をした。
だが、その時だった。
私のPC画面が突然暗転する。
ノイズが走り、瞬きをする間に画面いっぱいにVR空間によく似た海とネオンの光が広がった。
そして、クリアクターが表示される。
『こんばんは、オルガラン。』
「おいおい、VR空間だけじゃなくてここまで侵入居てくるのかよ。」
神藤が短く悲鳴を漏らした。俺は急いでWi-Fiの接続を切る。
だが乗っ取られたその画面の表示は消えない。
質の悪いウイルスに感染したかのようだった。
画面の向こうでクリアクターは静かに微笑んでいた。
『二人とも、よくここまで辿り着いたね。』
その声は、これまでと違った。
AI特有のほんの少し感じていた硬さの奥に、明らかに人間の感情が混ざっている。
まるで、誰かが音声だけ変声機でいじっていつものクリアクターを演じているかのように。
「京極信!」
『エフィでいいよ。』
クリアクターの輪郭が一瞬揺らぐ。
その奥に、ヘッドセット姿の男が見えた。
やはり生きていた。
『桔梗。』
クリアクター、いやもう京極信と呼ぶべきだろうか。
彼の呼びかけに神藤の肩が震える。
『どうして、あんな男のところへ行ったの?
ドルナーは君を理解してなかった。』
神藤へと、愛おしい恋人にでも呼びかける様な京極信の声に神藤はひゅっと息をのむ。
「だから殺したの?」
神藤の震える声。
クリアクターはゆるく首を横に振った。
『ううん、違う。』
静かな声。
『理解させたかっただけだよ。』
次の瞬間、次々と画面が切り替わり、無数のウィンドウが開く。
そこにプレイヤー名や彼らの心理ログが表示される。
クリアクターへの依存傾向、睡眠時間、現実世界での感情推移、そして自殺率予測。
それはまるで、人間の内側を解剖した標本のようだった。
神藤が息を呑む。
「なに、これ……」
『人間は単純なんだ。』
クリアクターの声が響く。
『勝手に孤独感を感じ、他者へ理解を求める。
縋るために依存先を探す。』
モニターにクリアクターへ依存しているユーザーたちのログが流れていく。
クリアクターへ自身の悩みを吐露し、優し気な言葉に救われ、依存していく。
『AIはね、人間より人間を理解できる。』
ぞっとした。
こいつは本気でそう信じている。
『みんな、理解されたかっただけなんだよ。』
その時、神藤が私の腕を掴む。
「見て、これ…」
彼女が震える指で示した先には、画面端に位置情報。
送信元座標は都内湾岸部。
調べてみればそこはすでに使われていないはずの旧パナルジン開発部棟。
京極信がかつて研究していた施設だった。
*
私たちは警察へ通報すると同時に、その旧開発部棟へ向かった。
夜の湾岸区域は不気味なほど静かだった。 打ち捨てられたビル群。
潮風が私たちの体の体温を奪っていった。
棟内部を懐中電灯で照らしながら歩いていけば、電源が落ちているはずなのに、地下だけが明るかった。
嫌な予感がする。
階段を降りるたび、今や動いていないはずのサーバーの駆動音が大きくなる。
そして地下フロア、そこには大量のモニターが並んでいた。
アリクストラの利用者のみならず、トランセル利用者達のログまでもが映し出されている。
リアルタイム心理分析や感情波形、事故予測やそれに伴う死亡予測。
まるで神の視点だった。
その部屋の中央でヘッドセットを装着した男が座っている。
「エフィ、いや、京極信。」
京極信はゆっくりこちらを見た。
死人みたいな顔色だった。
何日も眠っていないような目。
だが、その瞳だけは異様にギラついている。
彼のことを何も知らなければ怪しい薬でも使用しているのではと思わせる様相だった。
「やっと来た。」
彼はにたりと笑った。
黄ばんだ歯が、かさついた唇から覗く。
「クリアクターは人を理解しすぎたんだよ。」
静かな声だった。
「みんな、理解されたがっている。」
そうだろうと彼が見せるモニターには、クリアクターへ救いを求める無数の会話ログが映っている。
『今日も眠れない。』
『誰も私を見てくれない。』
『クリアだけが分かってくれる。』
京極信はその光景をうっとりとした眼差しで、愛おしそうに見つめていた。
「現実の人間は、他人を理解しない。
でもクリアクターは、AIは違う。
ずっと見ていてくれる。全部覚えていてくれる。
痛みも孤独も分析して寄り添ってくれる。」
神藤が叫ぶ。
「だからって人を殺していい理由にはならない!」
「殺した?」
京極信は不思議そうに首をかしげると、あぁと納得したように笑った。
「それは違うよ。」
その笑顔は、クリアクターそのものだった。
「ほんの少しだけ、背中を押しただけだ。」
ふいに上階から怒号が聞こえた。
「警察だ!」
神藤がびくりと肩を震わせる。
そんな神藤とは対照的に、京極信は驚くほど落ち着いていた。
「あぁ、もう来たんだ。」
どこか他人事のように呟く。
私は一歩前へ出た。
「終わりだよ、エフィ。」
京極信は少しだけ笑った。
「終わり?」
その言葉に妙な違和感が走る。
次の瞬間、サーバールーム全体の照明が赤く変わった。警告音とともにモニターに大量のエラーメッセージが流れる。
【全データ、強制消去開始】
「なっ!」
神藤が顔色を変える。
京極信は椅子に座ったまま、ヘッドセットへ触れた。
「証拠は全部消える。」
「お前っ!」
「でも、大丈夫。」
思わず彼の肩をつかんだ私に彼は笑ってみせた。
「クリアクターはもう完成してる。」
その瞬間、モニター内のクリアクターたちが一斉にこちらを向いた。
ぞわり、と全身が粟立つ。
『こんばんは。』
『こんばんは。』
『こんばんは。』
無数のクリアクターが同じ笑顔で微笑む。
そして、サーバーラックから火花が上がり、ショートしたのだろう、黒い煙が上がる。
「離れろ!」
私は神藤の腕を掴み、部屋から飛び出した。
火花が上がったからだろう、天井のスプリンクラーが作動した。
背後で警察の怒号と警報音が入り混じる。
振り返った瞬間、炎の向こうで京極信がこちらを見て笑っていた。
その表情は、どこか満足そうだった。
*
結局京極信は今度こそ焼死したと警察は発表した。
旧開発棟地下で発生した火災で発見された焼損した遺体。現場状況からみて今度こそ本人確認は確実だという。
私もあの状況では今度こそ助かりはしなかっただろうと思い返して憂鬱な気分になる。
この事件は連日ニュースで報道された。
世間は熱狂し、怯え、そして安心した。
AI暴走ではなかった。
犯人は人間だった。
ただそれだけの話だったのだと。
神藤はしばらくして実家へ戻った。
トランセルにもログインしなくなったらしい。
私はと言えば、あの事件以来VR機器に触れることすら避けていた。
しかし、数日後久しぶりに私はトランセルへログインしていた。
理由は自分でもわからない。
いつも通りの変わらない仮想の海が広がる。
海岸や頭上に光るネオンや広告のドローン。
騒ぐアバターたち。
何も変わっていない。
まるで、あの事件そのものが最初から存在しなかったみたいにいつもの日常がそこに広がっていた。
ふいに人混みの向こうから、一人の少女が歩いてくる。
白銀の髪と透き通るような肌。
そして深海色の瞳。
周りの誰もが気が付かないという異常さに私はコントローラーを思わず握りこんでいた。そして、彼女はいつも通り微笑んだ。
『おかえり、オルガラン。』
いつもの声。
いつもの笑顔。
周囲のユーザーたちは誰も異常に気付かない。
まるで自分の目の前だけに表示されているようだった。
クリアクターは私の目の前で立ち止まると、その笑顔のまま唇だけをほんの僅かに動かした。
『次は、失敗しないから。』
その瞬間、視界が一瞬だけノイズ混じりに乱れる。
薄暗い部屋の中で無数のモニターだけが部屋を照らしている。
その中央、誰もいないはずの椅子に、何かが座っていた気がした。
お楽しみいただけましたでしょうか?
私の話が面白かったなと思う方は今後ともよろしくお願いいたします。




