幼馴染に貶され続けた絵が、隣国の公爵令息の心を奪ったらしい
エリーゼは絵を描くのが大好きだ。
幼少期から、心揺さぶられるものを見たら描かずにはいられなかった。
描かないと手がうずうずして仕方なくて、とにかく何でもたくさん描いた。
スケッチも、油絵も、どれも楽しかった。
両親はエリーゼの絵を大層褒めてくれた。
だがエリーゼにはわかっていた。
親だから褒めてくれるだけなのだと。
親だから画材を惜しみなく与えてくれるし、親だから描くたびに褒めてくれる。
真の評価は違うのだと、エリーゼは理解していた。
エリーゼには幼馴染、レナートがいた。
領地が近く、親同士仲が良かった。
将来は結婚するかも、なんて親が噂するくらいには、エリーゼとレナートの仲も悪くなかった。
しかしある時、エリーゼが描きあげたばかりの風景画を見て彼は言ったのだ。
「面白くない。こんなの誰でも描ける」
エリーゼは内心傷ついた。だがどこかで理解していた。
両親は褒めてくれる。でもそれは親だから。
彼の言葉は残酷だったけれど、少なくとも正直だと思った。
レナートの言葉は止まらなかった。
「つまらない絵だな」
「こんなの飾るより薪にした方がいい」
「画材の無駄だ」
それでも、エリーゼは描くのをやめようとは一瞬も思わなかった。
描かずにはいられなかったのだ。
誰かのためではなく、ただ自分が描きたいから描く。
それがエリーゼという人間だった。
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ある日、遠方に住む祖父母から手紙が届いた。
屋敷の応接室を模様替えしたのだ。そこに飾る絵を描いてくれないか。
エリーゼは喜んだ。
両親から贈られた画材はまだたくさん残っている。
何を描こうかと考えるだけで、もう手がうずいた。
数週間かけて仕上げた一枚は、祖父母の屋敷の窓から見える丘の風景だった。
遠い記憶を頼りに描いたものだったが、エリーゼ自身、悪くない出来だと思った。
祖父母は届いた絵を見るなり、大袈裟なほど褒め称えた。
「なんて美しい。まるで本物みたいだわ」
「エリーゼ、お前は天才だ」
エリーゼは微笑んだ。
お世辞だとわかっていても、やはり嬉しかった。
愛されているのだと感じた。
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絵は応接室の、一番目立つ壁に飾られた。
数ヶ月後、隣国の公爵家が祖父母の屋敷を訪れた。
領地の境界に関する話し合いのためだったが、エリーゼにはあずかり知らぬことだ。
公爵家の令息、クロードは応接室に通された瞬間、足を止めた。
壁の絵に目を奪われたのだ。
丘の稜線が、夕暮れの光の中に柔らかく溶けていく。
遠く小さく描かれた羊の群れ。
風を含んだような草原の揺らぎ。
「この絵は」クロードは呟いた。「誰が描いたのですか」
祖父母は顔を見合わせて、誇らしそうに笑った。
「孫の絵ですよ。まだ若い娘なのですが、昔から絵が好きで」
クロードは絵から目を離せなかった。
「若い令嬢が、これを?」
それから彼は、絵の作者に会いたいと申し出た。
真剣な目で、真剣な声で。
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エリーゼの家にやってきたクロードは開口一番に言った。
「あなたの絵を見て、立ち尽くしてしまいました。描いた方にどうしてもお会いしたくなったので」
エリーゼは面食らった。
「わざわざそのためにいらしたのですか」
「ええ」
クロードは迷いなく答えた。
お世辞にしては、あまりにも真っ直ぐだった。
「……両親も祖父母も、いつも褒めてくれるのですが」エリーゼは少し困ったように微笑んだ。
「身内ですから、差し引いて聞いていて」
するとクロードは、わずかに眉を上げた。
「それは違うと思いますよ」
「え?」
「あの絵を依頼したのはご祖父母様でしょう。飾る場所まで決めて」
クロードははっきりと言った。
「わざわざ孫に頼むのは、あなたの絵でなければならないと思っているからです」
エリーゼは言葉に詰まった。
「ご両親が画材を惜しまないのも同じことでしょう。これほどの才能を、周りが放っておくわけがない」
才能。
その言葉が、するりと胸に落ちた。
お世辞でも愛情でもない響きで。
エリーゼはしばらく黙って、それからゆっくりと息を吐いた。
「……初めて、そう言われました」
「そうですか」クロードは少し意外そうに、それから穏やかに笑った。
「では、これからは私が言い続けましょう」
それが始まりだった。
クロードは熱心だった。手紙を送り、機会があれば顔を見せ、エリーゼの描いた絵について真剣に語った。
絵のどこが好きか。何を感じたか。次はどんな絵を見たいか。
エリーゼは戸惑いながらも、気がつけば笑っていた。
自分の絵についてこんなに話したのは、初めてだった。
やがて二人は婚約した。
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知らせはレナートの耳にも届いた。
エリーゼが、隣国の公爵家令息と婚約した。
きっかけは、彼女の絵だという。
レナートは一人、自室で拳を握った。
馬鹿にしていた。
「つまらない」「誰でも描ける」そんな言葉を何度も言った。
でも本当は違う。
あの絵の前に立つたびに、うまく言葉にできない何かを感じていた。
悔しくて、認めたくなくて、だから貶した。
照れ隠しだったのだ。
ずっと、そうだったのだ。
だがもう遅かった。
エリーゼは絵を褒めてくれた人を選んだ。
正直に、真剣に、絵と向き合ってくれた人を。
レナートがずっとできなかったことを、その男は初対面でやってのけたのだ。
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エリーゼは今日も絵を描く。
描かずにはいられないから描く。
それは昔から変わらない。
ただ一つ変わったのは、傍らで「次はどんな絵を描くの」と聞いてくれる人がいることだ。
エリーゼはパレットを手に取りながら、少し考えた。
「丘の絵、もう一枚描こうかと思って。今度はもっと朝の光で」
「それは楽しみだ」
その言葉に、エリーゼは微笑む。
お世辞じゃないとわかるから、余計に嬉しかった。




