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桜の下で芽吹く恋

作者: 久禮 晃
掲載日:2026/02/11

 ふわぁ、と欠伸が漏れる。重いまぶたを擦りながら、航太は本屋へ向かう道を歩いていた。足元のアスファルトが、春の柔らかな日差しに温もりを帯び、靴底を通じて心地よい熱を伝えてくる。心臓が少し速く鼓動し、期待と不安が胸をざわつかせる。


 並木道のソメイヨシノが、視界を埋め尽くすほどに桃色に染まっていた。花びらが風に舞い、甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。遠くから聞こえる鳥のさえずりが、静かな午後の空気に溶け込む。航太の胸に、二年越しの想いが疼くように蘇る。


「今日こそは」



 航太は二年ほど前から、密かな好意を抱く女性がいた。一目惚れだった。彼女の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。あの瞬間、心が震え、息が詰まるような感覚が、今も鮮やかに甦る。孤独な日々が、彼女を思うだけで温かくなる。



「こ、こんにちはぁ」



 声を掛けながら、古い木造の和風建築の中へ入る。軋む木の扉の音が、耳に響く。店内は古い本の紙の匂いが満ち、かすかな埃の粒子が陽光に浮かんで見える。航太の掌が、緊張でわずかに汗ばむ。


「お、いらっしゃい!今日は何買いに来てくれはったん?」



 元気よく、着物を着た女性がパタパタと近づいてくる。花魁のような華やかな装いが、視界を明るくする。彼女こそ、航太の想い人だ。着物の布ずれの音が、静かな店内に優しく広がる。彼女の存在が、航太の心を優しく包み、切ない喜びが込み上げる。


「本を買いに。お姉さんに会いに来たのもありますけど」



 本を買いに来るのが当たり前だが、航太の本音は後者だった。彼女の存在が、心を温かく満たす。だが、伝えきれない想いが、喉元で詰まるようなもどかしさを感じる。



「あらぁ、こんな年増にええこと言いはりよってからに、冗談でも嬉しいわぁ」



 彼女はあしらうように、やぁねと右手で身振りをする。指先の動きが、航太の視線を引きつける。彼女の軽やかな仕草に、心が揺さぶられ、愛おしさが募る。


「じょ、冗談なんかじゃないです。僕は歳とか関係ないと思います。ほんまに会いに来たんです」



 真剣に訴えるように見つめ、航太は応える。彼女の瞳が、柔らかな光を反射して輝く。視線が絡み合う瞬間、胸の奥が熱く疼き、言葉にならない感情が溢れそうになる。



「、、、まぁそうですか。おおきに。ほんでなんの本買いに来てくれはったん?」



 いつになったらこの気持ちは伝わるのだろうか。航太はそう思いながら、本を買いに来たのも事実なので、仕方なく話す。店内の空気が、かすかに湿り気を帯びて肌に触れる。拒絶される恐怖が、心を冷たく締めつける。


「参考書と赤本が欲しいなと、そろそろ受験なんで」



「もうそんな時期かいな、航太くんまだ高校二年生ちゃうかった?」



「そうですね。でも行きたい大学が大学なので、、、そろそろしようかと、塾も行き始めましたし。」



 少し恥ずかしそうに、航太は顔をかく。頰の熱が、指先に伝わる。彼女の視線を感じ、頰がさらに熱を帯びる。恥ずかしさと喜びが交錯し、心が騒ぐ。


「どこ行きはるん?国公立?」



「そんなとこです。神大目指そうかなと」



 彼女が目を大きく開く。驚きの表情が、航太の胸を騒がせる。あの表情に、心が溶けそうになる。


「ほんま!!すごいやん。なんで行こうと思ったん?」



 手を合わせて感嘆し、首を傾げる。彼女の息づかいが、近くで感じられる。柔らかな息が、航太の肌を優しく撫で、胸の高鳴りが抑えきれなくなる。



「司書になりたくて。あとはできるだけ賢い所に行きたいってのもあって。自分で行ける限界はそこら辺かなと」



 司書になりたい理由は、至って単純だった。本のページをめくる感触が、航太の指先に馴染む。古い紙の香りが、記憶を呼び起こす。彼女のいるこの場所で、永遠にいたいという想いが、強く胸を締めつける。


「司書!?ええんやない??よく本読んでるし天職になるかもねぇ」



「そうですね。司書になって色んな本を見て格好の良い男になりたいですね。だから神大行って立派で格好の良い男になったら、僕の、俺の嫁さんになってくれますか?俺は姉さん、いや舞さんしか考えられない」



 人様の店でのプロポーズ。風流などないが、そこが航太らしい。店内の静けさが、耳に重くのしかかる。告白の言葉を吐き出した瞬間、胸の重荷が少し軽くなり、代わりに不安が広がる。



 時が止まったかのような沈黙が流れる。彼女の口が、ゆっくり開く。息を潜めた航太の鼓動が、胸内で響く。拒絶の言葉が来るのではないか、という恐怖が、心を凍らせる。


「、、、、、、、、、毎度、毎度、想いを吐かれて、そこまで言われたら考えてもええよ。ただし今は受験勉強に集中すること!うちの所為で落ちたとかなってみ、姉さん堪らんで」



 予想外の答えに、航太の思考が数秒停止する。それは彼にとって、数時間のように長く感じられた。嬉しさが爆発し、声量を抑えきれない。喜びが体中を駆け巡り、涙が込み上げそうになる。


「、、、え?え!?ほ、ほんまですか!?めっちゃ嬉しいです!姉さんの為にも僕の為にも頑張ります!」



 この世一番の嬉しさではしゃぐ彼を見ながら、彼女も笑顔になる。頰が緩む感触が、航太の顔に広がる。互いの喜びが共鳴し、心が温かく満たされる。


「頑張りや!」



 大人びていた彼女が、乙女のように可愛らしく飛びつき、抱きつく。彼女の体温が、航太の肌を通じて伝わり、甘い香りが鼻をくすぐる。抱きしめられた瞬間、愛おしさが爆発し、航太の心は溶けていく。


「はい!絶対受かってみせます!綺麗な嫁さん貰うためにも」



「言ったなぁ?男に二言は無いらしいから期待しとくで」



 流し目を配る彼女を見て、航太は思う。これはあかん、受験まで心臓が持たへん。胸の鼓動が、耳まで響くほどに高鳴っていた。未来への希望が、甘く胸を締めつける。

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