第8話 リンネちゃんは入れたくない。
あれから1時間くらい経った。
小梅ばあちゃんも、もう大丈夫だろう。
「えと……、そろそろ俺、帰っていいですか?」
すると、小梅ばあちゃんは、律儀にお辞儀をしてくれた。
「ありがとう。せっかくだから、凛音ちゃんの部屋にも立ち寄ってみてね」
「は? 絶対にいやなんだけど」
リンネちゃんは即答した。
どうやら断固拒否らしい。
小梅ばあちゃんは目を細めた。
「彼氏さんが遊びに来たのに部屋にも入れないと。不自然ねぇ。この子たち、ホントに付き合ってるのかねぇ?」
「言われなくても、入れるし!! おばあちゃん、冷蔵庫のケーキもらうから」
小梅ばあちゃんの方が上手だ。リンネちゃんは、自由自在にコントロールされているらしい。
リンネちゃんに連れられて、縁側を歩いていく。すると、戸建てにしては広めの庭が見えた。小梅ばあちゃんの趣味だろうか。色とりどりの花が咲いている。
角を曲がると、廊下の遠くの方で猫がこっちを見ていた。グレーと白の長い毛並みで、青い目の綺麗な猫だ。
「ねっ、猫飼ってるの?」
「うん。あの子、人見知りでね。知らない人がいると、なかなか出て来ないの」
「そっか。可愛いのに残念」
「あの子、人の性格が分かるみたい。君の性格の悪さが見抜かれてるんじゃない?」
「いや、それなら猫まっしぐらで俺のところに飛んでくるハズだし」
「ふーん。あの子、ミントっていうんだけど、呼んでみてよ」
俺は満面の笑みで呼びかけた。
「ミント。おいでー♡」
すると、ミントはフニャンと言って、どこかに行ってしまった。リンネちゃんは左手で目を覆った。
「やっぱり、人となりのせいね……。ちなみに、あの子、わたしにはすごく懐いてるから」
いや、アンタの家の猫ですから。
懐かれてなかったら、むしろビックリですよ。
リンネちゃんはニヤニヤしている。
感じ悪いな。
こいつ、嫌い。
それにしても、猫がいるのに、抜け毛が落ちていない。それだけ掃除が行き届いているということだ。
リンネちゃんの部屋はどんななのかな。
すごく乙女趣味だったりして。ぷぷっ。
よく考えたら、女の子の部屋に入るのは生まれて初めてだ(妹を除く)。やばい、なんだかドキドキするかも。
すると、リンネちゃんが襖の前で足を止めた。
「ここだけど。あの、2人になったからって、変な気を起こさないでよね」
「そんなわけないだろ。別に、女だなんて意識してないし」
「ふん。ならいいけど」
部屋の中に入ると、和室だった。
ちょっと意外だったが、家の雰囲気からすると、自然ではあった。
畳の上にラグが敷かれていて、ベッドや机とテーブルが置かれている。小綺麗な部屋だ。てっきり、ゴミ屋敷みたいな部屋かと思っていたから、軽くビックリした。
机の上には本やフォトフレームが並んでいるが……。あれ。一つだけ伏せられているぞ。
部屋に入ると、良い匂いがした。
リンネちゃんの指先からしたのと同じ匂いだ。
シャンプーとも違う。
洗い立ての洗濯物みたいな、良い匂い。
少し甘くて、気分が落ち着くにおい。
部屋に通され、テーブルの横の座布団に座るように促された。
「ちょっと、飲み物とか取ってくるから。そこらへん勝手に見ないでよねっ」
リンネちゃんは、そう言い残すと部屋から出ていった。お湯を沸かしてくれていたから、お茶を淹れてくれるのだろう。きっと、数分は戻って来ない。
「勝手に見ないでよねっ」と言うのはお決まりのフラグだ。男子たる者、それを乗り越えてこそ、一人前だと思う。
とりあえず、机の上の倒された写真立てがすごく気になる。リンネちゃんはまだ戻って来ない。
あまり部屋を荒らすのは気が引けるが。あれくらいなら見てもいいよね。
(もしかして、好きな男の写真だったり?)
俺はフォトフレームを起こした。
すると、学校で自撮りしたリンネちゃんの写真だった。その奥には隣の席の俺も、背景として写り込んでいる。
写真の俺は大あくびをしている。
自分ながらに締まりのない顔だ。もうちょっとマシな写真にしてくれたらいいのに。
でも、こんな変顔の写真でも気にならないくらい、俺には無関心ということなのだろう。それにしても自撮り写真とは。
いつも自分で美少女と言っているリンネちゃんらしいな。
なんだか他を物色する気が失せてしまった。写真をまた倒そうとすると、戻ってきたリンネちゃんと目が合った。
「な、な、な、何見てるっ!! しかもその写真……」
「え? リンネちゃんの自撮りでしょ?」
リンネちゃんは一瞬、フリーズしたが、また動き出した。
「そうなのよ。って、部屋に自撮り写真って、わたしナルシストみたいじゃん」
みたい、じゃなくてそのものだと思うが。
「いや、まあ、いいんじゃね? リンネちゃん綺麗だし」
「だから、そういうのじゃなくて。おばあちゃんに、彼氏いるのにツーショット写真はないの?って言われて……仕方なく。アンタの写真飾ってるの」
あれ、俺もメインの写真だったの?
俺は完全に背景の一部なんだけど。
「え、じゃあ、なんで倒されてたの?」
「そんなの恥ずかしいからに決まってるじゃん。……ばかっ」
どうやら、偽装のために、2人で写ってる写真が必要だったらしい。でも、この写真じゃカップル感が皆無でしょ。俺としても、もっとマシな写真を飾って欲しいし。
「じゃあ、2人で写真を撮らない?」
リンネちゃんはジト目になった。
「その写真、変なことに使う気じゃないでしょーね?」
この人、どんだけ俺のことを誤解してるのさ。
「しないし。じゃ、撮らない?」
リンネちゃんら口を尖らせた。
「……とる」
俺は右手でスマホをもって、2人並んでフレームに入るように掲げた。角度を調節するが、自撮りに慣れていないこともあり、なかなかに難しい。
「もっと、顔を近づけてくれないとはみ出ちゃうよ」
「男の子とこんなに近づいたことないし。恥ずかしいんだから、仕方ないじゃん」
「まぁ、いいや。とるぞ。タイマーね。3……2……1」
文句を言いながらも、リンネちゃんは俺の方に寄ってきた。左肩にチョンと触れている。
「ね、頬にゴミついてるよ」
リンネちゃんは、俺の方に向くと右手をのばしてゴミを取ってくれようとした。
その時。
「フニャーン!!」
さっきの猫がリンネちゃんに飛びついた。
「キャッ!!」
チュッ。
パシャ!!
シャッターが落ちる瞬間、俺の左頬に柔らかいものが触れた。咄嗟に左を向くと、リンネちゃんの顔が、至近距離にあった。
俺は左頬に触れた。
まだ、リンネちゃんの唇の感触が残っている。
「あの、……いまの。キス?」
「ち、違うし。ミントに押されて、頬に口が触れただけだし」
(それはキスそのものでは?)
リンネちゃんは、耳の先まで真っ赤だ。
俯いてしまって何も話さない。
俺も自分では見えないが、きっと同じような顔をしているのだろう。
「あのさ、この写真、消す?」
俺が聞くと、リンネちゃんは首を横に振った。
「せっかくだし、不本意だけど、活用しないのはもったいないし。そこに飾るから、わたしにも送ってよ」
俺は改めて写真を見た。
リンネちゃんは目を閉じていて、俺の頬にキスをする瞬間を狙って撮った写真に見える。俺も何故か笑顔だ。
写真の中の2人は、本物のカップルみたいだった。経緯はともかく、良い写真だ。
俺も消すのはもったいないと思ったので、リンネちゃんが消したいと言わなくて良かった。
俺は改めて自分の頬に触れた。
女の子の唇って、あんなにも柔らかいのか。そして、きっと誰もが羨む極上の相手。
……しばらく、顔を洗うのやめようかな。