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第32話 リンネちゃんは……。

 あと数日で夏休みが終わるという頃。

 ある日の夕方に、それは突然に訪れた。


 「木之下さんのお婆さんが危篤だそうよ!!」


 え?

 小梅ばあちゃん、お盆の時、元気そうだったじゃん。


 最初に聞いた時、意味が分からなかった。


 それから病院に向かって、病室に入ると、医師と看護師さんがいた。だが、みんな慌ただしい様子はなく、酸素マスクなどの医療器具は全て取り外されていた。


 その姿をみて俺は思い知らされた。


 (あぁ、小梅ばあちゃん、死んじゃったんだ)


 だけれど、リンネちゃんは理解できないらしく、小梅ばあちゃんに話しかけていた。


 「おばあちゃん、ウチね……」


 その様子を見ていて、うちの両親は泣き出してしまった。俺は、泣いてはいけない気がして、涙が落ちないように上を向いて、鼻水が垂れないように必死にすすった。


 やがて、亡くなった人の身だしなみを整えるために、エンゼルケア担当の看護師さんがやってきて、先生と看護師さんが説得して、なんとかリンネちゃんを病室から連れ出した。


 エンゼルケアは立ち合いも可能だが、スタッフが、リンネちゃんには見せない方が良いと判断したらしい。


 リンネちゃんは病室から出る時に、小梅ばあちゃんに手を振った。


 病院に向かう途中で両親から聞かされたのだが、小梅ばあちゃんが亡くなる前に、うちの父に手紙が届いたらしい。そこには、自分が亡くなった後にして欲しいことが書かれていたということだった。


 母さんはリンネちゃんの横に座って手を繋いでいる。父さんは、少し離れたところで慌ただしく動き回っていた。


 少しだけ聞こえたのだが、葬儀の手配などをしているようだった。

 

 生々しいことだけれど、誰かが動かないといけないことだ。俺はそんなことには気が回らなくて、まだまだ自分はガキだと思った。


 30分ほどして結衣が来た。

 

 「おばーちゃあぁぁん」と泣きじゃくっている。せっかくリンネちゃんも落ち着いてきていたのに。まあ、色々と台無しだ。



 父さんが小声で話しかけてきた。


 「リンネちゃんのご両親にも連絡しといたぞ。今日の最終便でこちらに向かうらしい。ロンドンからだから、着けるのは早くて明日の夕方過ぎだろうな」


 「あぁ。父さん、ありがとう」


 「こういう時に動くのは大人の役目だからな。結人、お前はリンネちゃんの側にいてあげなさい」

 

 しばらくすると、看護師さんが出てきて、病室に呼ばれた。部屋に入ると、小梅ばあちゃんは身だしなみを整えられて、眠っているようだった。


 俺はリンネちゃんの手を握った。


 リンネちゃんは、俯いたままで、ギュッと手を握り返してきた。囁くように。


 「……ウチ、ちゃんとわかってるから……」


 リンネちゃんは、ただそう言っただけだった。



 時間が遅いので、小梅ばあちゃんのことは、明朝に葬儀屋さんが迎えに来ることになった。



 病院から帰る途中、母さんがリンネちゃんに声をかけた。


 「リンネちゃん、今日はうちに泊まってもいいのよ?」


 だが、リンネちゃんは、小梅おばあちゃんの家に帰りたいと言った。1人で考えたいらしい。


 すると母さんが俺の二の腕のあたりをパンパンと叩いた。どうやら、リンネちゃんの家に行けということらしい。


 本当は本人の希望を尊重するべきなのだろうけれど……。1人にさせるのは怖いと思った。本当は1人で泣きたいのかも知れないけれど、それはご両親が来てからで。


 だから、やんわり断ろうとするリンネちゃんを無視して、俺は家まで付いて行った。玄関から入ると、フワリとまだ小梅ばあちゃんがいるような匂いがした。


 リンネちゃんは着替えるというので、俺はリビングで待つことにした。お茶をすすりながら見回すと、どこもかしこも懐かしい。


 まだ3ヶ月くらいなのに、あの柱もあの振り子時計も。あのキッチンも。


 どこも小梅ばあちゃんとリンネちゃんの思い出でいっぱいだ。


 ほんの少し前。

 俺はこの席に座って、素麺を食べたのに。




 俺は小梅ばあちゃんが大好きだった。


 余命の話は聞かされていたけれど、いつも元気で。心のどこかでは、来年の夏も再来年の夏も、俺はここで素麺を食べているのでは無いかと思っていた。


 そしてそのうち、偽カレも長くなりすぎて、いつの間にか本物になったり。そんなのも悪く無いかもと思っていた。


 でも、現実は違った。


 小梅ばあちゃんは、偽カレの約束通り、3ヶ月で逝ってしまった。



 「ううっぅ……」


 涙があとからあとから溢れ出て止まらない。

 手で擦っても、手の甲が濡れるだけで、またすぐに視界がぼやける。


 気づけば、リンネちゃんが戻ってきていて、俺のことを見ていた。リンネちゃんは俺と目が合うと、「ありがとう」と言って俺を抱きしめてくれた。


 (俺の慰められてどうするんだよ……)


 その後はテレビを見たりして過ごした。

 でも、なんだかやはり落ち着かなくて、小梅ばあちゃんの話はしなかった。2人とも避けていたのだと思う。


 気づけば、もう22時近くになっていた。明日も色々と忙しくなる。寝ないとまずい。


 俺が「そろそろ寝た方が」というと、リンネちゃんはシャワーを浴びたいといってお風呂場に行った。


 戻ってくるとリンネちゃんは「結人くんもどうぞ」と声をかけてれた。バスタオル巻きのままだったので少しビックリしたが、それだけ動揺しているということなのだろう。


 俺もお言葉に甘えてお風呂を借りることにした。浴室に入ると、お風呂にお湯を張ってくれていた。ひよこをお湯に沈めたり浮かべたりして、今日のことを色々と考えていたら、いつの間にか長湯ながゆしてしまった。


 (心配だけれど、さすがに泊まりはまずいよな……。この後は結衣にでも引き継ぐか)


 お風呂から出ると、リンネちゃんはリビングにいなかった。心配になって家中を探すと、リンネちゃんの部屋の前にスリッパがあった。


 (部屋にいるのかな。良かった)


 「あの、俺、そろそろ帰るね」


 そう言ってリンネちゃんの部屋を開けると、リンネちゃんはベッドに入っていた。


 (あれ、寝ちゃったのかな?)


 ベッドに近づくと、リンネちゃんは反対側を向いていた。


 「あの、そろそろ俺は……」


 俺がそういうと、リンネちゃんはポツリポツリと言った。


 「約束通り、偽の恋人は終わりにしよう」


 「いや、色々と落ち着いてからで……」


 (なにもこんな時にする話じゃないし)


 リンネちゃんは後ろを向いたまま、首を横に振った。


 「いいの」


 「良くないよ。心配だし」


 すると、リンネちゃんは布団に入ったまま、こっちを向いた。目は真っ赤で、首筋のあまりには涙がたまっていた。


 それは、今日、初めて見る涙だった。


 「いいの。ここで区切らないと、ウチ、きっと結人くんにずっと甘えてしまう……」


 「いや、そういう訳には」


 すると、リンネちゃんは身体を起こした。

 毛布が肩のあたりから滑り落ちると、リンネちゃんはバスタオル巻きのままだった。


 「そんなに心配してくれるなら、明日までウチと一緒にいて欲しい……」


 リンネちゃんは抱きついてきた。

 すると、バスタオルが解けて、リンネちゃんの真っ白な胸があらわになった。

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