第2話 リンネちゃんは握りたい。
翌朝、寝坊してしまった。
バタバタとシャワーを浴びて、歯を磨く。
すると、ノックもせずに脱衣所のドアが開いた。
「ちょっと、おにい。トイレ入ったら換気してって言ってるじゃん!!」
朝からギャーギャー騒いでいる不愉快なガキは、うちの妹だ。
「結衣、お前こそ脱衣所のドア開けるならノックくらいしろよ。つか、お前が風呂入ってるときに勝手に入られても文句いうなよ?」
「妹のお風呂を覗くとか、マジでひくんですけど」
結衣は中3で受験生ということもあって、いつもイライラしている。
はぁ。
なんだか、朝から疲れるぜ。
それにしても、昨日は大変だった。
いきなり「彼女」ができるなんて。
いくらフリだとしても、家族にはしばらく黙っておこう。
リンネちゃんとも、どう接していいか分からない。仲良いフリをしようにも、共通の話題もないし、それ以前に、お互いにほぼ赤の他人だし。
正直、憂鬱だ。
……ま、小梅ばあちゃんの前だけの話だ。なんとかなるか。
「いってきまーす……」
重い足取りで玄関ドアをあける。
すると、ローファーを履いた女の子の足が見えた。リンネちゃんが待っていた。
「リンネちゃん、どうしたの?」
「別に。おばあちゃんが、ラブラブなら一緒に行けって」
まじかぁ。
通学路でも恋人ごっこをしないといけないのか。
「了解」
歩き出して少し経つと、リンネちゃんが言った。
「……あのさ、呼び方。アンタじゃ変だからさ。結人って呼び捨てにしてもいい?」
「それって、普段から?」
リンネちゃんは口を尖らせた。
「普段から慣らしておかないと、咄嗟の時に間違えちゃうし」
「わかった。じゃあ、おれも凛音って、呼び捨てでいい?」
「イヤだけど、仕方ないから許可する……」
どうやら自分はイヤらしい。
「なんだか、微妙に上から目線じゃない?」
すると、リンネちゃんは俺を睨んだ。
「アンタみたいな目立たない子が、わたしみたいな超絶美少女と恋人ごっこできるんだから、少しは感謝しなさい!!」
普通、自分で超絶美少女とか言うかぁ?
改めてリンネちゃんを足先からみてみる。
真っ白な肌で、天然物のまつ毛がバシバシだ。目も青くて深い海のような色をしている。悔しいが、100人中99人は「可愛い」と言うであろう容姿をしている。
残り1人は誰だって?
それは俺だ。
俺はもっと大和撫子っぽい子が好きなのだ。
「こっち見ないで。ヘンタイ」
俺の視線に気づいたリンネちゃんは、身を守るように自分の両肘を抱きしめると、そう毒を吐いた。
(……コイツ、やっぱ嫌い)
2人でならんで歩き出す。
会話がないと、たとえ美少女と歩いていても、しんどいものらしい。
3ブロックはなれた角をまがったところで、俺は言った。
「もう、この辺でいいんじゃない?」
気まずさに耐えられなかったのだ。
それに、あまり学校に近づいて知り合いに見られても面倒だ。
すると、リンネちゃんも身体を離した。
「そうね。じゃあ、明日からは、3ブロック目のここからは2人は他人!! いいわね? この先で馴れ馴れしくしたら、警察に通報するから!!」
通報って、変質者扱いじゃん……。
「へいへい」
リンネちゃんは、自分から恋人のフリを頼み込んできたことを、すっかり忘れているようだ。
……やっぱ、コイツきらい。
さて、バラバラに学校に行くか。
「あらあら……」
リンネちゃんと離れて歩き始めると、誰かに声をかけられた。
小梅ばあちゃんだった。
町内会の清掃に参加しているらしく、ホウキを持っている。
小梅ばあちゃんは続けた。
「まさか、わたしの目が黒いうちに喧嘩しちゃったのかしら……?」
「そ、そんなことないよ?」
リンネちゃんは急いで駆け寄ってきた。すると、リンネちゃんの小ぶりな胸が、ぷにっと俺の肘にあたった。
柔らかい。
……不覚にもドキドキしてしまった。
悲しいかな。
嫌いな子の胸でも、年頃男子はときめいてしまうものらしい。
「ね、結人? わたしたちラブラブだよね?」
リンネちゃんは、覗き込むような姿勢で聞いてくる。その顔はニコニコしているが、小梅ばあちゃんの死角で……今、俺はリアルタイムに足を踏まれている。
「……あぁ、小梅ばあちゃんが心配することなんて、何もないですよ」
小梅ばあちゃんは目を細めた。
「ふぅーん。最近の子は、付き合っても手も繋がないのかね?」
完全に疑われている?
(いくらなんでも、手を握ったりは……)
しかし。
「ガシッ」
リンネちゃんは力強く俺の右手を握ってきた。
「お、おいっ、良いのかよ」
俺が囁くと、リンネちゃんは言った。
「仕方ないじゃない! やるしかないのっ」
小梅ばあちゃんは更に目を細めた。
「どうも演技っぽいのう。その手も握り慣れていないっていうか。それじゃ、握手じゃよ?」
小梅ばあちゃん、正解っ!!
たしかに、これは、総理と大統領が会談の終わりにするヤツだ。
「そ、そ、そんなことないよ? おばあちゃんは知らないかもだけど、最近の高校生はこういうのが流行りなのっ」
リンネちゃんの言い訳は苦しい、
小梅ばあちゃんは首を傾げて続けた。
「ふぅん。じゃあ、ぐっどもーにんぐのキスはせんのか?」
「ま、ま、まだしないのっ。わたしたち付き合ったばかりだしっ」
「おい、「まだ」とか言って大丈夫なのかよ?」
俺が小声でいうとリンネちゃんは返事をした。
「仕方ないじゃん。「まだ」はしばらく来ないし大丈夫」
すると、小梅ばあちゃんのお友達のお婆さんが集まりだした。
(これ以上広められるのは、ヤバい)
「んじゃあ、遅刻しちゃうし、わたしたち行くねっ」
リンネちゃんは、そう言うと俺の手を引いて、スタスタと歩き出した。
「おい、あんなこと言って良かったのかよっ。いつかキスするハメになるぞっ?」
すると、リンネちゃんは、手を離して立ち止まった。
「そんなの来ないもん。おばあちゃん、死んじゃうもん……」
リンネちゃんは、今にも泣き出しそうだ。
俺も小梅ばあちゃんに元気になって欲しい。これは本心だ。でも、ずっと元気だと、ずっとフリをしないといけなくなってしまう。
……困った。
(こう言う時ラノベだと、彼氏は彼女の頭を優しく撫でるもんだよな)
俺が右手で撫でようとすると、着弾する前にリンネちゃんにはたかれた。
リンネちゃんはシャーって猫のように威嚇モード全開だ。
「……さわらないで!! アンタ、むしろわたしの好みと真逆だし!! 勘違いしないで」
って、こいつ……!!
こっちだって気を遣ってやってるのに、ほんとヤダ。
すると、背後から声を掛けられた。
「あらあら、木之下さんちの凛音ちゃん? その子が噂のフィアンセね?」
振り返ると、近所のお婆ちゃんだった。どうやら、小梅ばあちゃんが言いふらしているようだ。
リンネちゃんは、また俺の手をガシッと握った。なんだか爪を立てられて痛いんですけれど。
……俺らの恋人擬態エリアは、家から3ブロック+お婆ちゃんの友達の生息域まで広まったらしい。