序章 第8話 夕食の時間
ようやく、一日が終わるの。
明日はもっと、大変な一日になりそうなの。
キッチンに向かう途中で、リビングに人影を感じた。
ドアを開けると、そこには俺の「父」、神崎広大が座っていた。
「おう、ただいま! ゲームでもやっていたのか? 声をかけても、返事がなかったが」
「いや、少しまどろんでいた。改めて、お帰り」
父は既にスーツを脱ぎ、ラフな格好に着替えていた。
どうやら仕事は、定時で終わりにしたようである。
「ヒーローズネスト」は、非常にホワイトな業務体制をとっている。
よほどの緊急事態でない限りは、無理に残業をさせたり、早朝から出勤させたりすることは無いらしい。
それでもきちんと回るように、シフトが組まれているようだ。
ただ、父の手元に書類がいくつかあるようだ。
どうしても処理しきれず、持ち帰りになった案件が出てしまったようである。
もっとも家で処理するということは、緊急性はそこまで高くないのだろうが。
「俺はこれから、母を手伝う。それでは」
「ああ、頼んだぞ」
父の声を後にして、俺はキッチンへ向かった。
仕事を持ち帰ったことからも分かるように、父は良く言えばフレキシブル、悪く言えばルールを守らないところがある。
臨機応変な対応は、プラスに働くことが多いのだが、ついていけない時もあり、個人的に少し苦手としている。
もちろん、俺たちを育ててくれた恩人であり、良い人であることは分かっているのだが。
キッチンに行くと、母が料理をしていた。
材料はチキンカツ、たまねぎ、卵。
チキンカツ丼で間違いないだろう。
ちなみに、リクエストしたのは結希だ。
意外と彼は、縁起を担ぐことがある。
明日の試験に「勝つ」ことを、意識しているようだ。
「もうすぐ、できるわよ。食器を並べるのを、手伝ってくれる?」
「分かった……あれ?」
ふと疑問を覚える。
結希の姿が、見当たらない。
「あ、結希は着替えているところみたい。父と一戦交えたから」
試験の前日に、何をしているのだ。結希。
応じる父もまた、父であるが。
丼と大根と油揚げの味噌汁、白菜の漬物を用意する。
テーブルの上に料理が並んだところで、結希が部屋から降りてきた。
「ごめん、お待たせ!」
「はいはい。今できたところだから、席についてちょうだい」
俺たち4人はテーブルにつき、手を合わせた。
「いただきます!」
ちなみに俺と結希の丼は、最初からラーメン丼を使用している。
両親は普通の丼であり、その点は年相応であろう。
「くっそ~! もう少しで届きそうだったのに~!」
「まだまだ、負けるわけにはいかないな。もう少し虚実をうまく使えるようにならないと、狙いがバレバレだぞ」
どうやら結希は、父に対する連敗記録を伸ばしてしまったようだ。
父も結希と同じ剣士であり、更に経験による引き出しの多さが、俺たちとは比べ物にならない。
肉体的にも衰えを感じさせず、高い壁として立ちふさがっている。
食事が終わりそうになり、少し気が抜ける。
そのタイミングを「あいつ」は、待っていたようだ。
気が付くと、肉体の制御を「あいつ」に奪われていた。
「すまない。私の話を聞いてほしいのだが」
一人称の違いから、すぐに家族は「あいつ」が話していると分かったようである。
そのまま「あいつ」は、俺の悩みについて打ち明けてしまった。
こういうことは滅多に無いのだが、「あいつ」がどうしても必要と判断した時、たまに体が乗っ取られることがある。
こうなってしまうと、俺ではどうしようもない。
「あのね、久郎……成績優秀、大人でもなかなか取れない資格を複数、加えてプライベートも充実している人に、更に戦いで負けたら、僕の立場が無くなるのだけれども?」
「そうね。それはさすがに、欲張りすぎよ。……それに、戦うことだけがヒーローの仕事ではないでしょう?」
「この完璧主義者が。いくらお前が超人的とはいえ、一人ですべてをやろうとするのは悪癖だぞ!」
……精神的に、ボコボコにされてしまった。
とはいえ、仕方ないのかもしれない。
かなり、思いあがっていたようだ。
「悪い。俺の中に、焦りがあった。反省している」
話を終えた「あいつ」は、すぐに俺に体を戻した。
どうしてもこれだけは、家族と共有しておく必要があると思ったのだろう。
体も少しかたくなっており、緊張していたのだと実感する。
「よし。それじゃあ、後でほぐしてやろう。最高の状態に仕上げてやる!」
前にも述べたが、両親は「カイロプラクティック」の資格を有している。
一般的にはマッサージ、ストレッチの印象が強いだろう。
しかし本質は、睡眠や栄養学を含む、極めて高度なものなのだ。
実際アメリカでは、カイロプラクターは医師資格を要している。
「そうね。子供たちがベストの状態を出せるようにするのが、親の役目だから」
母は、結希の方を担当するようだ。
なお母は、美容に関する研修も受けており、それを実生活に活かしている。
結果、俺たちの兄や姉のような容姿が保たれているらしい。
久しぶりの、父との触れ合い。
考え方では正反対の部分もあるが、それでも受け入れられるようになりたい。
俺は切実に、そう思った。
しっかりほぐしてもらい、歪みを整えられ、サプリメントを飲んで準備は万端。
いよいよ明日は、試験当日だ。
カイロプラクティックについては、作者は結構詳しいの。
ただ、あくまでも個人の感想であり、人によって効果は違うと思うの。