四話 あなたが後ろに
【もしもし、私メリーさん。今あなたが後ろにいるの】
そんなメールを受け取って、すぐに後ろを振り向いた俺は、フゥと一息ついて前を向く。
どちらが後ろにいるのかを、勘違いしたまま。
体勢を元に戻した俺は、すぐにその存在に気がついた。俺の膝の上に腰を下ろした、長い銀の髪の後ろ姿を。
「うわびっくりしたっ!」
「ぎゃっ!」
まさか目の前にいるとは思っておらず、その人物を思わず突き飛ばしてしまった。彼女は顔から壁に激突し、汚い悲鳴を上げた。
「あっ、やべ」
「うぃぃ、更斗くんってばホントにひどいよぅ……」
俺はハッとして、すぐにそちらに駆け寄って膝を折る。そして、そっと手を添えながら言った。
「穴空いてないよな、傷もなさそうだし良かった」
不法侵入者がぶつかった、部屋の壁に。
「み"ゃ"ー!私の心配しろぃ!ねぇ見てよこれ!お鼻腫れちゃったじゃん!ちょっと血が出てきてるしぃ!ほらほらねぇ!」
ホッと胸を撫で下ろす俺に、その女の子は自分の顔を指差して、ぎゃあぎゃあと騒いでいる。顔も寄せてきているし、普通にうるさい。うざい。
「知らねぇよ、人の許可なく勝手に上がってきやがって。誰が入っても良いって言ったんだ?」
「えっ」
スックと立ち上がって自身を見下ろす俺に、彼女はその体勢のまま固まった。その表情は引き攣っており、その翡翠色の目を泳がせている。
「えっとぉ、だって会いたかったし……」
「知らねぇよ。俺はアンタのこと存じ上げてないのに、なんで会いたいんだよ」
女子相手に詰め寄るのも良くないかもだが、こんな得体の知れない人物に、優しくする義理はない。
もしかしたら新手の詐欺かもしれない、知らんけど。尻餅をついたままの彼女は、上目遣いの涙目でこちらを見ている。
見た目はかなり可愛いので、こんなことでなければ嬉しいことだ。しかし、不法侵入は許せない。
「だってだって、お世話したかったんだもん!結婚を前提にお付き合いを──」
「だったらせめて、やりようがあったろうが!」
「ぴぃっ!」
この期に及んで下らない色仕掛けをしようとしてくる銀髪女に腹が立ち、怒りのままに声を荒げる。
お世話とかお付き合いとか、そりゃなにも考えなければ嬉しいさ。でもやっぱり、得体の知れないのは論外である。
何を企んでいるのか、とても不安だ。もしかして美人局なんじゃなかろうか?
「とりあえず、警察に通報しとくか」
「なんでぇ!やだやだ更斗くん、捨てないで!」
「捨てるもクソもないだろうが!アンタのこと誰か知らねぇんだぞこっちゃあよ!」
縋る彼女にそう言うと、あっ という声が返ってくる。なにやら思い出したかのような表情をして、居住まいを正してこちらを見た。
「はじめまして、私は紫崎 芽凛衣と言います。更斗くんと結婚を前提にお付き合いしたくて、こちらに来ました──」
ようやく名前を知ることができたわけだが、やはり俺には誰か分からない。知らない人である。
もしやいま流行りの闇バイトというやつか?一体いつの間に身辺調査をされたというのか。
「──よろしくお願いします」
正座をしながら、芽凛衣は両手を着けて、丁寧に頭を下げる。対する俺はというと、ポカンと呆けた顔していた。
「いや結婚て、しかもお願いされてもさ、俺は何にも知らんぞ。同姓同名の他人と間違えてないか?」
「ないよ、絶対に」
先ほどまでの泣きべそはどこへやら、芽凛衣は凛とした眼差しで断言した。しかし、当の俺はなにがなんだか分からないままである。
いきなりお付き合いとか、状況が飲めないままだ。
「さいですか。でもさ、俺は芽凛衣さんのこと全く知らないんだけど?それでお付き合いとか言われてもさ」
「ふふーん、その為にここにやってきたのです。私が少しでも役に立つことが分かれば、ちょっとは考え変わらない?」
芽凛衣さんのドヤ顔である。そんなことを言われても、未来のことは分からない。そもそも一切の面識もない相手にお世話とかされても、申し訳なさが勝る。
というか、不気味である。
「いや、不気味だし無理」
「ぶぅぇ……グスッ」
変な声を出しながらベソをかく芽凛衣さん。ちょっとキツく言いすぎたかと、段々冷静さを取り戻してくる。
とはいえ、年頃の男女が大人の許可もなく一つ屋根の下にいるのは、些か問題ではなかろうかと思う。
これは丁重にお断りするべきだろう。
「そもそも、年頃の男女が一つ屋根の下はマズいでしょ。親もいないし付き合ってもないって、そんなことばれたらあとで何を言われるか分かったもんじゃない」
「それは大丈夫だよ。だって付き合っちゃえば関係ないし」
芽凛衣さんはない胸を張って、ふふんと笑う。
大丈夫とは?むしろそこに至るまでの過程があまりにも雑すぎて、面倒事を避けられない気がする。
怒られたくないです。せめて親との面通しはさせて下さい。
「いや、そう簡単に言われてもお互いのことを知らないわけでさぁ──」
「それならっ!是非とも私のことを知って!取り敢えず全部見て!」
「おいこらだからって──うわっ、エロすぎる!」
完全に自棄になった芽凛衣さんが、突然服を脱いでしまった。でっでかくない!
まさかの早脱ぎに見つめることしか出来ない俺に、彼女は両手を後ろに、その肢体をありありと見せつけている。
これはあまりにも、過激すぎるだろう。