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5.急転直下。これがフラゲというものか(前編)


 ゴールデンウィーク直前の、4月下旬。

 今年は前代未聞の10連休。しかも月末月初という企業にとっては給料日の次に重大な日が、前後共に盆正月並みの長い連休で分厚くサンドイッチされ、どうにもこうにも手の施しようがない状態となっている。

 うちの会社もご多分に漏れず、我が経理部は、最後の審判を迎えるがごときデスウィークを迎えていた。


 だが、当社なんかまだマシな方だ。

 月末の入金の状況は予測がつかないが、銀行の協力により支払いについては連休前の26日には全て完了する手筈がついている。あとは粛々と事務処理を遂行するだけだ。

 気の毒なのは、給料日のスケジュールが月末を挟んでいる会社だ。

 例えば、20日締めの月末支給とか。月末締めの10日支給とか。


 給料というのは、ただ計算すればいいというものではない。その前にまず、勤怠記録のチェックという重要な作業があるのだ。

 むしろ、給料計算の8割がこれだと言っても過言ではない。

 記録自体は、タイムカードや出勤簿などを元に各部署の現場が作成するのだが、とにかくこれが、まともに出来ていたためしがない。必ずどこかに記入漏れや集計ミスがあり、この確認と修正には大変な労力と時間がかかってしまう。

 それだけではない。銀行の手続き上、給与振り込みは通常の支払いと違って、支給日の数日前にデータを送らなくてはならないことになっている。この日数は、3日としている銀行が多いのだが。

 つまり、10日支給の会社の場合、送信の期限は7日の午後3時。連休中じゃなくて良かったね。

 とはならないよ!

 通常で7日かかる作業を6時間でやれって、無理に決まってるじゃん! 勤怠表すら上がって来ないよ!

 しかも、しかもだよ。支給日がそれより前だったら、もうどうにもならない。月末締めで8日支給の給料計算を26日の午後3時までに完了しなければならない、って。

 助けてドラえもん! としか言いようがない。


 でもね、それでもなんとかしてしまうのが、日本のサラリーマン。

 方法はいくつかあるけど、一番確実なのはとりあえず仮の金額で給与振り込みをしてしまい、差額を当日に現金払いするというもの。

 小銭を数えるのが大変だけど、これなら支給日ギリギリまで時間が稼げる。そしてこれをやる時にはコツが一つ。それは、仮払いの金額は少なめにしておくこと。

 万が一多く払いすぎてしまったら、給料日に「おつりを返してちょ」と言わなければならず、言った回数と同じ数だけの罵倒を浴びること請け合いだ。

 逆に不足分を現金で支払った場合、今度は皆に感謝されることになる。なぜなら、多くの家庭で「一度財布に入った金はお父ちゃんのもの」というルールがあるからだ。

 だから当社でも、年末調整の還付金は現金払いという慣例になっている。

 まあ今回については、15日締め25日支給のうちは関係ないけどね。


 とはいえ、通常業務を4日も前倒し、月初の分も含めればそれ以上の量の仕事をこなすのは並大抵のことではない。

 俺も含め、経理部の面々は死に物狂いで作業に没頭していた。


 と、そこにかかってきた一本の電話。会社の電話ではなくスマホの方だ。

 まずい、と俺は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 取引先も俺のスマホの番号は知っているが、通常の連絡は会社に掛けてくるのが通例になっている。スマホに掛かってくるのは、緊急の場合のみだ。

 何かトラブルか。この大変な時に……。

 と、心の中で舌打ちをしながらポケットからスマホを取り出した俺は、画面の相手先を見て、首をひねった。

『コスモトラベル』? はてな、何の用だろう。

 正直に言います。この時、俺は嵐のことなんかすっかり忘れていました。


「どーもー。いつもお世話になっております、コスモトラベルでございます」


 このいつもながらの愛想のいい声を聴いた瞬間に、思い出した。

 まずい、さっきとは別の意味で。

 目の前には、鬼の形相で机に向かっている部下達がいる。こいつらの前で「嵐がー」とか「札幌がー」なんていう話を大声でするわけにはいかない。

 俺は「少々お待ちください」と声を掛けながら席を立ち、隣の応接室に向かった。


「どーもとーも、お待たせしました。どうしましたか、社長」

「やあ、お忙しい所に申し訳ありません。実は、例の札幌の件なんですけどね」


 やはり。


「はいはい、色々とご面倒をおかけして申し訳ないです」

「いえいえ。実はですね、飛行機が取れそうなんですけど」

「ほうほう」

「それがですね、ちょっとご相談なんですけどね」

「ふんふん」

「空港がですね、仙台なんですけど」

「せっ……」


 仙台って……。あの、東北道中間地点の?


「それならば、行きも帰りも取れそうなんですけど」

「うーん」


 仙台か。車で何時間かかるんだっけ。どうだろう、行けないことはないと思うけど、いったい何時に家を出ればいいんだ。

 いくら愛する家族のためとはいえ、ちょっと俺が可哀そうすぎないか?

 でもまあとりあえず、だ。


「で、時間は?」

「えっと、行きが午後12時30分」


 なんだ、それなら何とかなりそうだ。12時半発なら朝はのんびり、千歳には1時過ぎには到着するしそこから札幌まで1時間としても、開場の4時半には十分間に合う。


「帰りがですね、えっと朝の9時30分ですね」

「えっ?」


 9時半といえば、早朝というほど早くはないし、朝の便としてはごく普通の時間帯だろう。

 だが、完全仕事モードの俺の頭脳は、一瞬にしてこのプランの問題点を見抜いていた。


「ちょっと待って、確か2日目のホテルって、空港から2時間の温泉でしたよね」

「あ、はい」

「搭乗の1時間前には空港に行かなければならないとすると、6時半にホテルを出なければならないですよね。起きるのも大変だけど、そんな時間にタクシー呼べますかね」


 同時にタクシー代のことも頭をよぎったが、考えたくないので無視した。


「あー、そっか。そうですよねー」


 おそらく、あちこち手を伸ばしてやっと見つけてくれたんだろう。電話の向こうの声が、あからさまにトーンダウンした。


「すみません、ちょっと保留ということで」


 保留というより却下だが、そこは社会人のたしなみというやつだ。


「わかりました。引き続き他を当たってみます」

「お願いします」




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