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3.コンサートのチケットよりも重要なものがあるという現実を知る(後編)


「いやあ、実は嵐のコンサートに……」


 俺がそう言った瞬間、それまでにこやかに談笑していた社長の顔から、一瞬にして笑いが消えた。


「えっ……」

「えって、どうし……」


 て? と最後の一文字を発するより早く、社長はものすごい勢いで目の前のパソコンを相手にカチカチカタカタと格闘を始めた。


「あの……」


 いったいどうしたと言うんだ。声をかけても、全然耳に入っていない様子だ。

 そして暫くそうした後。


「駄目です、部長。全滅です」

「え、なにが?」


 すると社長は、真剣な顔で俺に向き合った。


「飛行機は全線満席、ホテルは一部屋も空いてません」

「うっそ」

「うっそ、じゃありません」


 滅多に見られない、社長のこの真面目な表情。まさか、それが嵐のせいだとでも?

 いやいやいやそんな馬鹿な、いくら嵐が人気アイドルだとはいえ。

 だって、コンサートはまだ半年以上も先だし、札幌って大都会でしょ? ホテルがいっこも空いてないだなんて、そんなこと。

 ぶっちゃけありえなーい!


「あの、素泊まりの安いビジネスホテルでいいんだけど」

「満室です」

「じゃあこの際、高くついても仕方ないから高級ホテルでも」

「満室です」

「飛行機は?」

「行きも帰りも満席です」

「うっそー」

「うっそーじゃありません」


 滅多に見られない、社長のこの真面目な表情。まさか。

 じゃなくて、待て待て。これでは無限ループになってしまうではないか。

 ここはいったん気を落ち着かせて。


「どういうこと?」

「つまりですね」


 ズイと身を乗り出した社長の口から出てきたのは、こんな意外な言葉だった。


「嵐が、人気アイドルだということです」

「知ってます」


 当たり前すぎて、意外だった。

 だが、続いて社長の口から紡ぎ出された言葉は、俺の想定を超えていた。


「いいえ、部長は判ってません。

 いいですか、嵐に限らず、ドームでのコンサートともなれば、観客数は4万から5万。

 そして真のファンともなれば、全国津々浦々からどこへだって馳せ参じるのは当たり前なんです。

 つまり、たった一日のうちに日本中から5万もの群衆が、一か所に、一斉に、集まってくるのです」

「5万……」


 俺が住む町の人口よりも多い……。

 つまり、逆に言ったら町一つがたった一日で無人と化すのと同じ。まさに民族大移動。いや、まるでパニック映画なみだ。


「で、その5万人のうちの何割かは、東京から旅立つわけです。半分とは言いません、ですが、仮に3割としましょう。はい、何人ですか?」

「えっと、5かける3は……。い、いちまんごせんにん」

「はい正解です。さすがは経理部長、計算が速いですね」


 こんな時でもヨイショを忘れない、営業の鑑な社長である。


「ということは、コンサートに向かう人達がみんな、チケットの抽選に当たったと同時に航空券とホテルの予約に走ったということですか?」

「はい、不正解。部長、そんな甘い考えで嵐に会えると思ったら大間違いです」

「はい?」


 これでも甘い、だと?


「いいですか? 本物のファンというものは、当たったらではなく、当たろうが当たるまいが、抽選の申し込みと同時に飛行機とホテルの予約をするものなんです」

「なるほど。外れたらキャンセルすればいいだけだもんな。早い時期ならキャンセル料を取られる心配もないし、リスクはないのか」

「いいえ部長、ホテルはそれで済みますが、飛行機はそうはいきません。予約から3日以内に料金を払い込まなくてはなりませんし、払った後にキャンセルしてもお金は戻りません。

 ちなみにAMAの場合、羽田から札幌までの料金は、片道約4万円です」

「えっ、そんなに高いの?!」

「はい」


 知らなかった。往復8万円もの大金を、勝てるかどうかもわからない博打に平然と注ぎ込む。これが真のファンというものなのか。


「で、それでも取れなかった人達は、当然キャンセル待ちを申し込むわけです。

 抽選が終われば、外れた人はキャンセルしますから、それを狙うという事ですね」

「なるほど」

「つまり、既に予約取りの山場が2回も終了しているということです」

「ううむ」


 もう、腕を組んで唸るしかない。


「ということは、俺たちはもうコンサートには行けないってこと?」

「いえいえ、今はまだうちがメインで使っているJIBで調べただけですから。ルートは他にもありますし、キャンセル待ちもないわけじゃないですから望みはあります。

 もう少し他を当たってみましょう」

「お願いします」


 再びパソコンに向き合う社長の横顔を見ながら、俺は自分の迂闊さを反省していた。

 まさか、札幌に行くのがこれほど大変だとは。

 もしこれで行けなくなったとしたら、妻や娘にどれほど責められることか。いやいや、あいつらだって、ここまでとは思っていなかっただろう。

 つまり、僕が悪いんじゃないもーん。


「ありました。一泊目は二人部屋が2つ、ただし別々のホテルです」

「うーん、別々か。場所は?」

「どちらも札幌駅から歩いて10分ほどですね。それほど離れてはいません」

「なら、問題ないですね」


 この際、ベッドさえあれば何でもいい。


「ただし、お一人様一泊2万円です」

「うっ……。で、二日目は?」

「市内はやっぱり駄目です。一番近いところで、温泉旅館なら一部屋あるのですが」

「近いって、どれくらい?」

「1時間ほど」

「電車で?」

「電車は通ってないので、タクシーかレンタカーということになりますね。でも、慣れない土地でレンタカーはあまりお勧めしませんが」

「ですよね」


 タクシーで1時間か、いったいいくらかかるんだ……。ん、待てよ? 二日目なのだから。


「札幌まで1時間ということは、空港までだと?」

「2時間ですね」


 ぐぬぬぬ……!


「他には?」

「今のところ、そこだけです。ちなみに、お一人様一泊3万円」

「じゃあ、両方とも押さえちゃって下さい」

「了解しました。では早速」


 もうヤケだ。

 じゃなくて、ここは即断即決。大丈夫、ホテルはまだキャンセルがきくから、他が見つかれば乗り換えればいい。

 それよりも問題は、だ。


「でも、飛行機に乗れなきゃ話にならないですよね」

「それなんですけどね。さっき満席だと言ったのは、羽田発のAMA便だけなんです。実を言いますと、他の航空会社はまだ早すぎてオープンしていないのですよ」

「他って?」

「スイカマークとかビーチとか。料金もそちらなら半額以下になるはずです。初めからそっちを狙っている人も大勢いるはずですよ」

「ということは?」

「3回目の予約ラッシュが来るということです」

「いつ頃?」

「恐らく来月には。それに、茨城便や福島便はそういうLCCだけですから、こちらも予約はこれからです」


 そうか、ならばまだチャンスは十分にあるということだな。


「じゃあ、飛行機の方は手配しておきますが、何かご希望とかありますか?」

「ありません、行って帰って来られれば十分です。空港もどこでもかまいません」

「わかりました。ではきっちり取れるよう、頑張ります」

「よろしくお願いします」


 深々と頭を下げる。



 思わぬ長時間をかけて、やっと宿と飛行機の手配が完了した。

 いや、全然完了していない。まだ行けるかどうかは決まっていないのだった。

 まさか、コンサートのチケットを購入しても、更に別の関門をいくつも突破しなければ会場にたどり着けないとは。

 嵐、恐るべし。

 そして、旅行のプロの手腕というやつをまざまざと見せつけられた。

 俺一人だったら、きっと大騒ぎをした挙句にギブアップしていたことだろう。

 どうか、航空券が無事取れますように。店を出てから、思わず後ろを振り返って手を合わせる俺であった。


 あと、旅行の費用が総額はたしていくらになるのか。

 そんなの……。恐くて計算なんかできる訳ないじゃないか。

 はは……、は……。




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