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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

薬莢と屍の上で、不死の魔法使いは何を思ったのか

 灯火管制(とうかかんせい)の暗闇の中、探照灯(たんしょうとう)の光が空へと延びる。

 けたたましく鳴る警報が、地獄の始まりを合図した。


 対空陣地で、男たちが忙しなく動く。


 空に現れたのは、巨大な飛行船。

 船は次々と火球へと変わり、流星の(ごと)く地へと流れ落ちる。


 一人の兵士は神に祈りながら、その光景を眺めていた。

 『これが救いなのか』と、思わずにはいられなかったのだ。



 ------



 動力機の武骨な音が響き渡る船内で、ある兵士は自分を鼓舞し、またある兵士は祈りを捧げる。

 時折響く対空砲火の炸裂音と共に、船内が揺れた。


 ここは敵地の上空、大きな飛行船の中。

 小窓の外では、正確に高度を設定された弾頭が、赤橙(あかだいだい)色の光を出しては消えていた。


「降下準備!」


 先頭に立っていた指揮官が、大声をあげた。


 兵士たちは、自分の装備、そして前に立っている兵士の背面装備の確認を行う。

 慣れた手つきで準備を終えている兵士たちの中、一人だけ、手間取っている者がいた。


「焦るな、ゆっくりやれ」


 自分の背面装備の確認が終わらないことに、黒髪の兵士が声をかける。


「は、はい……すみません……」


 小心者の兵士は肩をすぼめた。


「初めてか?」


 黒髪の兵士は、そんな彼に聞く。


「はい……あなたは初めてではないのですか?」

「俺は、三度目だ」

「三度目!? す、すごい……」

「運が良かっただけさ。最初は生き残る事だけを考えろ。降り立ったら気配を消し、合流地点へ向かえ。間違っても戦うな」

「分かりました。あの、私は()二四七です。あなたの名前を聞いてもいいですか?」

「名前、か……」

「ただ覚えておきたくて……」

「いや、問題ない。(こう)一〇二だ」

「甲って、最初期組じゃないですか! 本当にすごいです!」


 小心者の兵士は、自分が最後に話したことになるかもしれない相手のことを知りたかった。


 彼らに名は与えられていない。

 この飛行船にいる兵士全員が、軍にとっては捨て駒だ。


 敵地中心に空から奇襲をする。

 その間に、本隊が前面から攻勢を仕掛ける。

 飛行船と呼ばれる”空飛ぶ箱舟”が開発されて使われるようになった、人命軽視の作戦だ。


 そもそも飛行船というのは、あまりにも大きく、あまりにも遅く、言ってみればただの的だった。

 対空砲によって対策された今では、作戦地点へ辿り着くことさえ少なくなっていた。

 結果、戦死しても問題のない人員、身寄りのない孤児が集められた。

 数十年と続く戦時中ということもあり、皮肉にもその人員は足りていた。


 彼らは空挺魔導部隊。

 齢十五の大人になれない子供たちは、名が生まれることなく、そして名が残ることもない英雄たちだ。


「降下三十秒前!」


 指揮官の声が小さな船室の中でよく響き、その声と同時に天井の(あかり)が赤く光った。


 秒読みは『二十』『十』と進んでいき、ついには最後の命令が出された。


「降下!」


 天井の灯が青色に光り、一人ずつ前の扉から空中に足を踏み出す。


 空中に飛んだ時、兵士の背嚢から傘が開いた。

 その傘は風を受け止め、落下速度を減少させる。

 その小さな傘は、落下死を防ぐためではなく、あくまで落下地点を調整するために設計されていた。


 傘と同時に兵士の靴底から青色の薄い円盤が展開された。

 それは、魔導機械による防御魔法だった。

 落下の衝撃、そして地表からの弾を防ぐことが可能だ。


 しかし、砲弾は兵士の”横”で炸裂した。

 一発の砲弾で、複数の兵士が散っていく。


 戦争は技術を進歩させ、時代は加速度的に移り変わる。

 取り残された者たちは、ただ無残にも消えゆくだけだった。


 それでも、訓練された兵士は傘を操作し、最高速度で地面へと降り立つ。

 地面に降り立つ瞬間、靴を覆っていた金属の魔導機械が壊れ、落下の衝撃を相殺した。


 この時点で、兵士の数は飛行船内から半分に減っている。

 撃ち落とされた飛行船のことを考えると、生き残っているだけで幸運だった。


 生を繋いだ者は、合流地点へ進む。

 彼らの行動は、機械的で無機質だった。




 とある国のとある軍需工場都市。


 空挺魔導部隊は敵兵を避けつつ、寂れた教会に集合していた。


「不思議だよな。俺達、同じ神を(あが)めているんだぜ」


 一人の兵士が、正面に置かれた神の像を見て言う。

 彼の胸元には、像の背後に掲げられたものと同じ、十字架があった。


「お前、神を信じているのか? 面白いな」


 他の兵士が笑いながら言った。


「いいじゃなーか。俺たちは死ぬことが確定している。だったら、死後の世界を信じたいと思うのが普通だぜ?」


 兵士は十字架を口に付け、祈りを捧げる。


 その時、教会の裏口から一人の兵士が入ってきた。

 飛行船に居た黒髪の兵士だ。


「灯が消え、影が姿を現す。これで大丈夫か?」


 黒髪の兵士が言ったのは、合流時の合言葉だった。

 すでに合流していた兵士たちは頷き、彼に向けていた銃口を降ろす。


「何人残った?」

「あんたを含めて九人だな」

「……居ないか。俺は甲一〇二だ。俺より上の奴は居るか?」


 黒髪の兵士がそう言ったのは、作戦規定により、隊長が死んだ場合、名前順で指揮をとる者が決まるからだ。


「いねーよ、そんな奴なんて」


 兵士たちはその言葉に同意する。

 そこに居た全員が、()の番号を与えられた者たちだった。


 黒髪の兵士は状況を把握し、時間を確認する。


 そして、少しの時が経った後、指示を出した。


「時間だ。我々の目標は、魔導中枢を破壊し、街に張られた防御魔法を解くことにある。では、行くぞ」


 休んでいた兵士も含め、装備を整え歩き出す。


「すみません、遅れました。あ、っと……灯が消え、影が姿を現す、です」


 慌てて教会に入ってきた一人の兵士が、合言葉を言った。


「生きていたか……」


 黒髪の兵士から、安心したような声が漏れた。


 そう、最後の合流者は小心者の兵士だったのだ。


 ここにる彼らは、幸運にも特殊な任務を負う者たちだった。

 街の中心に降り立つ魔導部隊の陽動に対して敵が気を取られている内に、少し離れた場所から敵本陣に侵入する。


 陽動に選ばれた兵士たちは、生きて帰ることができない。

 よくて捕虜として捕らえられるだけだ。

 現にほとんどが、空中で撃ち落とされていた。


 そんな仲間の死を無駄にしないためにも、ここにいる兵士の士気は高い。

 死ぬと分かっていても、自分の命を無駄にはできない。

 それは今、地についた足が無数の屍によって存在しているからだ。




 探照灯の光を避け、街に降り立った兵士たちは、己の使命を全うするために行動する。

 夜闇に(まぎ)れ、息を殺し、人通りの少ない街中を歩く。

 参謀本部から与えられた地図には、今は放棄された下水道の存在が記されていた。


 路地裏の薄汚れた一角に、その入り口が見えた。

 鉄製の錆びた蓋を開け、一人ずつ下に降りて行く。


 し尿のような匂いが鼻に染みつき、訓練された兵士でも眉をひそめた。


 湿った空気が水滴となって天井から落ちる。

 軍靴の足音が、それに続き、狭い下水道内に響く。


 区画を一つ二つと抜け、ある地点で先頭を歩いていた黒髪の兵士が拳をあげた。


 隊列は止まり、全員が息を潜める。


「罠だ」


 通路の両側に小さな穴が開いていた。


「どうする?」


 十字架をかけた兵士が、小声で黒髪の兵士に問う。


「時間がない。一区画前から上に出る」

「了解、俺が囮になる。じゃあな、お前ら。また会おうぜ」


 十字架に軽く口付けをして、兵士は一人で進んだ。


 誰も止めない。

 全員、いずれ自分の番が来ると分かっている。




 隊列は進路を変更し、一人ずつ地上へと登る。

 ここは工廠(こうしょう)、不格好な長方形の建物が規則的に並んでいた。

 空襲警報が響く一帯は、敵地の中心だ。


 しばらくして、開かれた鉄製の穴から爆発音が鳴った。

 黒髪の兵士は『馬鹿野郎が……』と小さく呟いた。


 止まっている訳にもいかず、そのまま工場内に入り、気配を殺して進んだ。


 周りから、一区画先へ急ぐ敵国の兵士たちの焦りが聞こえる。


 見回りの兵士は少なく、居たとしても音もなく処理される。

 この任務のために生涯を費やした空挺魔導部隊の精鋭たちは、顔色一つ変えることなく死を与えていた。


 自分と他人、生と死、教育された平常心は残酷だった。

 本来ならば少年と呼ばれる年齢の彼らは、”モノ”として存在している。

 それは、工場内に生産途中で放置された魔導兵器と同じだ。


 魔力は蓄魔池に貯えられ、魔法は術式として刻まれる、夢の世界。

 技術の進化は、人から人間性を消した。

 それは、決められた命令通りに動く機械と区別がつかない程に。


 囮によって騒がしくなっている区画を周り、隊列は目的地へと近づいていく。

 目的の区画一つ前で、黒髪の兵士が最後の指示を出した。


「ここから三方向に別れ、目的地へ向かう。魔導中枢の発見と破壊が最優先だが、任務の続行が不可能だと判断したら……」


 兵士は言い淀んでしまった。


「派手に散れ、ですね。せめて囮になれるように」


 そんな彼に、小心者の兵士が場に似つかわしくない程幼い声で言葉を続ける。


「ああ、そうだ。魔導中枢の破壊が完了したら、ここら一帯に空爆と砲撃が行われる。その後には援軍が来るはずだ。だから、諦めるな」


 黒髪の兵士は、隊の全員を見て言う。

 今まで二回生き延びたかれだからこその、説得力だった。


 それから、隊は三人ずつに分けられ、別々の方向へと進みだす。

 最後に一人の兵士が、黒髪の兵士の肩を叩いた。


「ありがとよ。あんたは生き残ってくれ」


 その兵士が何を思って、その言葉を残したのかは分からない。

 任務を達成したとしても、味方諸共(もろとも)ここら一帯は更地になる。

 結局のところ、生き残ることは不可能なのだ。


「俺たちも行くぞ」


 黒髪の兵士は、他の二人を連れて歩き出す。


 ──この世界に救いはない。


 そう思ってしまいながら。




 魔導中枢の位置は、大まかにしか分からない。

 敵の兵士も場所を知らされていないのか、一部の防衛を強化している様子はなかった。

 ただ、街を守る防御魔法の中心はここだ。

 建物のどれかに、それは存在している。


 黒髪の兵士は、建物の陰から目を凝らす。

 少しでも不自然な点を見つけ出そうとしていた。


「あそこの教会、おかしいですよ」


 共に行動していた小心者の兵士が、彼に耳打ちした。


「理由を言ってみろ」


 黒髪の兵士は、冷静に教会を確認した。

 煤と錆にまみれた工廠の中、綺麗に鎮座している教会は浮いている。

 だが、それ自体はよく見る光景だ。


「今って、神様の降臨を記念する期間ですよね?」

「確かにそうだ」

「じゃあなんで、あの教会は窓を開けていないんですか? 扉も締め切っていますし、どこから神様をお呼びするのでしょうね」


 疑問の声はあくまでも純粋で、謎解きを楽しむ少年のようだった。


「確かにそうだ……」


 戦時下における措置だとも思ったが、郊外の(さび)れた教会ですら、慣習は守られていた。


「私が行きましょう」


 会話を聞いていたもう一人の兵士が、前へ進む。

 眼鏡をかけ、知的な様子の好青年だった。


「待て、方法を考えている」


 黒髪の兵士は止める。

 だが、静止は無意味だったようだ。


 少し離れた場所で、大きな爆発音がした。

 敵の兵士たちは気を取られ、一瞬の油断が生まれる。


「皆さんと共に、先で待っています」


 建物の陰から、眼鏡をかけた兵士は飛び出してしまった。

 彼はそのまま、教会とは反対の方向へ走る。


 少しの間の後、見張りの兵士が彼に気づき、警報の笛を鳴らした。


「行くぞ!」


 黒髪の兵士は悪態をつきながらも、作られた隙を無駄にしないため、駆けだす。


 最小限の動きで、残った敵兵を片付ける。

 発砲音は混乱にかき消され、教会の裏口に辿り着いた。


 しかし、扉は開かない。

 それは見た目だけで、開けられるようには設計されていなかった。


「任せてください」


 小心者の兵士が、背嚢(はいのう)から金属製の管を四本取り出す。

 そして、慣れた手つきで組み合わせ、正方形の枠組みを作った。


 それは開かずの扉に取り付けられ、何かが蒸発する音と共に赤く光る。

 

 扉の一部が焼き切られ、穴が開いた。


「良い動きだ」


 黒髪の兵士は、少し悲しそうに言った。


「ありがとうございます!」


 純粋な笑顔は、訓練された兵士が浮かべている。

 その現実を、彼は信じたくなかったのだ。




 教会の中、隠し階段が導く長い通路には、血が飛び散り死体が転がっている。

 その先の小さな空間から、淡い光が漏れていた。


「手順通りにいくぞ」


 黒髪の兵士は、爆薬を設置し始める。

 空間に這う無数の配管は。全てが一つの魔導機械に繋がれていた。


 小心者の兵士も、自分の役割を全うするために行動する。


 全ての準備が整うと、二人は階段を昇った。


 地上に出て、祭壇に続く身廊(みろう)を歩く。

 この世界の神が、二人を見守っていた。


 黒髪の兵士は、神の前で時計を見る。

 ちょうどその時、床が揺れた。


「これで任務は完了だ。安全地帯を探す……伏せろ!」


 教会の玄関、扉が吹き飛び、銃弾が二人を襲った。


 小心者の兵士は押される形で、長椅子の裏に隠れる。


「ごめんなさい……」

「いや、油断した俺が悪い。神の像に向けて攻撃してくるとは想定外だ」


 黒髪の兵士の脇腹からは、血が流れていた。


「この体も、もう終わりか……俺が囮になる」

「そうですか……」

「すぐに砲撃が始まる。急いで逃げろ」

「いえ、私は逃げません」


 小心者の兵士は即答する。


「どうせ死ぬのです。最後は誰かと()きたい」


 銃弾が頭上を掠める中、彼は笑っていた。


 黒髪の兵士はやれやれと頭を掻き、自分の小銃に銃剣をつける。


「なら、最後まで足掻(あが)くとしよう」


 そして、それを小心者の兵士に渡した。


「はい!」


 黒髪の兵士が拳銃を抜いた意図を察し、小心者の兵士は自分が下げていた拳銃と交換した。




 銃撃が止み、沈黙が流れる。


 こつんこつんという足音が大きくなる。


 敵兵は一列一列確認している。


 ついには最前列、祭壇の目の前に辿り着いた。


 隠れていた黒髪の兵士が、一人の敵兵の小銃を蹴り飛ばす。

 そのまま敵兵の首に腕を回し、背後に立った。


 彼は反応が遅れた他の敵兵を、拳銃で的確に打ち抜いていった。

 弾が尽きると、拳銃を落とし、腰から新たな拳銃を抜く。

 片手では装填するのが面倒だった。

 

 味方を撃てずに躊躇してしまった敵兵たちは、一瞬の内に息絶えた。


 だが、離れた位置から別の敵兵が彼を狙っていた。


「助かった」

「いえ、問題ありません」


 一発の狙撃音と共に、それは小心者の兵士によって防がれる。


 第一陣と思われる敵兵の集団を、二人の兵士が倒しきった。


「次が来るぞ」

「はい!」


 小心者の兵士は、落ちていた拳銃に弾を込め、黒髪の兵士に投げ渡す。


 破壊された玄関から、新たな人影が見えた──




 同じ戦法はすぐに通じなくなり、盾としていた敵兵は撃たれてしまう。

 二人の兵士は頑強な石の柱を背に、数で勝る相手に対して接近戦を挑む。


 銃弾が閉鎖された空間に飛び交い、場は混乱した。

 同士撃ちを恐れた敵兵は射撃を躊躇(ちゅうちょ)し、その隙に撃たれていった。


 拳銃、小銃、短機関銃、手投げ弾に銃剣。

 落ちている武器まで使い、敵兵を(ほふ)る。

 学んだ技能は総動員され、命のやり取りが行われた。


 だが、場の拮抗(きっこう)はある存在が壊すことになる。


「機械化魔導兵か……」


 黒髪の兵士は眉を(ひそ)める。

 扉の先から、展開された防御魔法と、近づいてくる巨体を確認したのだ。


 本来魔導機械というものは、その重さゆえ、歩兵装備には向かない。

 だから空挺魔導部隊でさえ、落下時の使用に限られていた。


 それを解消したのが機械化魔導兵と呼ばれる、特殊兵士だ。

 魔導機械で魔導機械の重量を支える。

 結果、小回りの利かない巨体となったとしても、前線を切り開く役割がそれには与えられていた。


 機械化魔導兵は、機銃を乱射しながらゆっくり歩く。

 背中に背負った箱から、絶えず弾丸が供給されていた。


 柱から一歩出るだけで、確実な死が待っている。

 そんな状況で、小心者の兵士が動いた。


 彼は手投げ弾を長椅子の下に投げる。


 爆発音の後、長椅子が空に浮いた。

 機械化魔導兵の視線が、機銃の射線と共に上へ向く。


「さようなら」


 床を()うように移動していた小心者の兵士が、機械化魔導兵の防御魔法内に入り、彼の脳天を打ち抜いた。

 一発の銃声が教会の中に静けさを戻す。


 応援の敵兵は入ってこない。


「離れろ! 自爆だ!」


 黒髪の兵士の焦った声が響く。


 機械化魔導兵の装備が光り始めた。




 床に大穴を開ける程の大きな爆発の後、そこには二つの人影が見えていた。


「天使様……」


 少年の純粋で無垢な声が流れる。


「何してんだろうな、俺……」


 黒髪の兵士が小心者の兵士を抱き込む形で守っていた。


 彼の背中に生えた純白の翼が、少年を包み込む。


 周りから砲弾の着弾音が鳴り始めた。

 友軍によるものだ。


 教会の天井を突き抜け、一発の砲弾が落ちてくる。


 黒髪の兵士に当たる直前、それは”一枚の羽”に変わり、空中をゆらゆらと舞った。


「俺は天使なんかじゃない。ただの魔法使いだ」


 黒髪の兵士は舞う羽を掴み、少年が持っていた小銃に乗せる。


 すると小銃は純白に輝き、銃床(じゅうしょう)に文字が刻まれた。


「それはお守りだ、君を守ってくれる」


 そう言うと、黒髪の兵士の身体が透明になっていく。


「待ってください! 私は、私はどうすれば!? あなたは、何を見てきたのですか!?」


 小心者の兵士は、知りたかった。

 それは、死ぬことを前提としていた自分が、生きる意味だったのかもしれない。


「”次の私”を探せたら、きっと答えが見つかるよ」


 魔法使いは優しく微笑み、最後には消えた。


 神の像が見守る教会内。

 砲弾によって空いた天井の穴から照らす月光は、()しくも天へと続く道となっていた。


 魔導機械が開発され、数百年。

 魔力はただの燃料となり、魔法は機械が行うものになった。

 そんな誰もが魔法を使える世界にもかかわらず、おとぎ話の存在は、一人の兵士として戦場に立ち続けた。

 

 薬莢と屍の上で、不死の魔法使いは何を思ったのか──



 ------



 小銃による加護があったのかは定かではない。

 一年、二年、そして十年と過ぎても、ある兵士は生き残った。

 それは、彼を大人に変えるのには十分すぎる程の時間だった。


 数十年続いた戦争は終わり、仮初(かりそめ)の平和が訪れた。

 過去に取り残された元兵士は、宿屋を出る。


「行くのか?」


 宿屋の主人は煙管(きせる)で煙をくゆらせながら、元兵士に聞いた。


「世話になった」


 彼は振り返ることをせず、そのまま外に出た。

 『見つかるといいな』という宿屋の主人の言葉には、ただ右手を上げた。




 一人の元兵士は旅に出た。

 情報を仕入れながら、時間をかけて未来へ進もうとしていた。

 それでも彼の肩には、いつも小銃が掛けられていた。


 技術の進歩により、戦時中の情報は広まることになる。

 結果、生き残った空挺魔導部隊には哀れみの目が送られた。


 元兵士はそれを、死者に向けられる弔いのように感じていた。

 彼には自分だけが生きている理由が分からなかった。


 たくさんの仲間が先で待っている。

 すぐに、いずれ、そしていつか、自分も終わりへ辿り着けるのだろう。


 しかし、待っても待っても自分の番がやってこない。

 小銃は呪いの様に元兵士に纏わりつき、彼はそれを解くために魔法使いを探す。

 それがきっと、今生きている意味なのだろう、と自分に納得させながら。


「あんた、名前はなんだ?」


 国境沿いにある寂れた村、いかつい男たちの集まる酒場の主人が、元兵士に聞いた。


二四七(にしな)だ」


 元兵士は、自分に新たな名を付けた。

 彼にとっての名とは、自信を識別する番号に過ぎなかった。

 だからこれは、その延長線上にすぎない。


「良い名前だな。それで、その文字の意味だろ?」


 酒場の主人は、元兵士の持つ小銃の銃床を見る。


「すまないが、俺には分からん」

「そうか、感謝する」


 元兵士は、そのまま酒場を出ようとした。

 しかし、酒場の主人が彼を止める。


「待ってくれ。お礼をしたいのは俺たちの方だ」


 その言葉に、その場に居た全員が立ち上がった。

 皆が皆、どこかに傷を負った男たちだった。


「銃身を短くした特殊設計の小銃。あんた、空挺魔導部隊だろ。俺の所属は魔導砲兵第一七連隊だ」


 酒場の主人は敬礼をしている。

 周りに居た男たちも、それに続き敬礼をした。


「話は聞いている。俺たちのために命をかけてくれてありがとう。あんたらがいなかったら、この村は消えていた」


 元兵士は、なぜ彼らが敬礼をしているのか分からなかった。

 空挺魔導部隊には、階級が存在しない。

 そもそも、”一人”として認識されていなかった。


「それは、先に逝った仲間たちへの言葉だ。俺には受け取る資格がない」


 元兵士は表情を変えることなく、出口へと向かう。

 しかし、それは複数の大男によって防がれた。


「なんだ、邪魔をするなら……」

「まあまあ、飲んでたら何か思い出すかもしれねーぜ?」


 酒場の主人が、酒瓶を片手に笑う。


 実戦経験を積んだ屈強な男たちに囲まれては、元兵士に逃げ場はない。

 最適解は場を流す事だった。


「金は持っていないぞ」

「そんなのはいらん! 今日は全部俺のおごりだ! この糞っ垂れた平和に乾杯といこう!」


 酒場から、雄たけびのような声があがった。


 男たちは度数の高い酒をあおり、肩を組む。


 元兵士はなされるがままに、その場に居た。

 彼は笑わない、笑えない。

 それでも、周りの男たちは、かつての英雄に対して酒を勧める。


 違う兵科、違う部隊、違う階級。

 ただ一つ同じなのは、全員が過去に取り残されていたということだ。


 宴会は一晩中続き、翌朝の酒場は死屍累々の状況だった。

 床には大男が寝転がり、空の酒瓶はあちこちに散乱している。


 そんな中、目を開けた元兵士は酒場を出ようとした。


「その文字、聞いたことがある」


 出口に差し掛かった所で、背後から酒場の主人の声がした。


 元兵士は立ち止まり、その続きを待った。


「古代文字の一種だ。それについて研究している人がいたはず。北へ向かえ、ずっと北へだ。あんたにとっては辛い旅になると思う」


 元兵士は右手をあげて、感謝の意を示した。

 彼の背後には『見つかるといいな』という声が流れていた。




 国境を越え、元兵士はかつての敵国へと入る。

 検問所は通らず、荒野を歩いて先を目指す。


 街というものはなく、集落が点在するだけの広大な平野が広がっていた。


 魔導技術が発達し、馬車から馬が消えた時代。

 時が止まったような自然が。元兵士を受け入れていた。


 言われた通り、北へ進む。

 手に持った方位計だけを頼りに、道なき道を歩く。


 元兵士の持っていた食料が尽きかけた時、綺麗に整えられた畑が現れた。

 中心に一軒だけ、木製の家屋が建てられている。

 煙突からは煙が出ていて、人がいることは間違いない。


 元兵士は、食料を分けてもらおうと畑道に入る。


「ここでは、その銃は隠した方がいいぜ」


 緑で隠れていた死角から、男が声を出す。

 彼に気にしている様子はなく、淡々と土に生えた雑草を抜いていた。


「まだ戦争の恨みを持っている者は多いからな。ほら、これを使え」


 男は、近づいた元兵士に対して大きな麻袋を投げる。


「感謝する。ただ、俺はこの国の通貨を持っていない。金貨で払わせて欲しい」


 元兵士は小銃を麻袋に入れ、一枚の金貨を取り出す。

 通貨としては使えないそれも、金としての価値はあると思った。


「おいおい、全く敵意を感じないと思ったら……金銭感覚のない坊ちゃんってことはねーだろーな」


 男は頭を掻きながら、呆れたように差し出された金貨を押し返した。


「いや、俺は大人だ」

「冗談だよ、冗談。まあ、それは受け取れん」

「俺は食料も欲しい。それの対価だとでも思ってくれたらいい」

「はあ……なんだかな……そうだ、ちょっと手伝ってくれねーか? ちょうど人手が欲しかったんだ」


 男は元兵士の腕を掴み、満足そうに頷いた。


「よく鍛えられている」

「何をすればいい?」

「そうだな……」


 それから、元兵士は農作物の収穫を手伝った。


 綺麗な色合いの作物を、一つ一つ丁寧に(かご)へ入れる。

 ある程度いっぱいになったら、近くの納屋まで運ぶ。

 その繰り返しだった。


 単純作業は元兵士の思考を鈍化させる。

 彼はそれに、謎の心地良さを感じていた。


「助かったぜ。んじゃあ、帰るか」


 空が(だいだい)色に染まり始める頃、男が土だらけの両手を叩きながら立ち上がった。

 午後のまだ日が高い時間帯から始めた農作業は、暗闇の接近と共に終わりを告げる。


「食料を頼む。俺はそれで十分だ」


 元兵士はすぐにこの地域を離れる予定だった。


「せっかくだ、ここで働いていけ」


 道具を片付けながら、男は言う。


「これ以上迷惑はかけられない。それに、俺には目的がある」

「食料だけじゃなく、この国の通貨も渡そう。旅を続けるなら必要になると思うぞ」


 元兵士は、男の優しさが分からず勘ぐってしまう。

 これは罠かもしれない。

 過去の自分が、善意に対する素直な気持ちを阻害していた。


「確かにそうだが……」


 元兵士は、逃げることを考えていた。

 足を横に踏み出そうとした時、可愛らしい声と、軽快な足音が近づいてきた。


「お父さーん! 夕ご飯できたよー! ってええ!? だれ!?」


 元兵士の姿に気がつき、急停止をして男の背中に隠れる女の子。


「ああ、こいつはな、明日から働くことになった……あー、名前はなんて言うんだ?」


 男は今の今まで名を聞いていなかったことに、ばつが悪そうにしながら頭を()いた。


二四七(にしな)だ。そして、別に働くとは……」

「そうそう! にしなだよ、彼の名は! いや~、明日からも頼むよ、にしな君。はっはっはー!」


 元兵士は肩を組まれ、そのまま家屋へと連れ去られた。


「にしなって、不思議な雰囲気だね!」


 女の子は、元兵士が無表情で男の勢いに乗せられている様子に笑っていた。




 彼らが住んでいるのは、質素な長屋だった。

 炊事場と居間を中心に、寝室と浴室が繋がっている。


「お父さんたちは、先に風呂入って来て! 準備しておくから!」


 元気いっぱいの女の子の声に、男たちは風呂場へと向かう。


 服を脱ぎ、風呂場に入った元兵士は少し驚いた。


「魔導機械を使ってお湯を沸かしているのか?」


 それは、湯気が出ている風呂桶に取り付けられた機械に対してだった。


 魔力は貯えられる時代にはなった。

 だが、それを可能とした蓄魔池(ちくまち)と呼ばれるものは、ほとんどが軍用として接収されていた。

 元兵士の住んでいた国では、終戦後の今でも、一般家庭で魔導機械を見ることは少なかった。


「ああ、そうだな。この国では普通だ。着替え、ここに置いとくからな」

「助かる……」


 元兵士は、戦時中から国力の差を感じていた。

 その国力を埋めるために自分のような存在が生み出されたことも、知っていた。


「それにしても、凄い傷だな。どれだけの戦いを乗り越えたらこんな体になるっていうんだ……」


 男は傷だらけの元兵士の背中を見て、眉間に(しわ)を寄せる。


「俺は運が良かっただけだ。それに……いや、やめておこう」


 元兵士は気づいていた。

 男の身体、そのあちこちにある銃創は、かつての敵兵である証だ。


「そうだな、終わったことだ……」


 男の声は、低く重かった。




 元兵士は体の汚れを流し、男が用意した着替えを身に着け、居間に戻った。

 居間に置かれていた食卓には料理が並べられ、美味しそうな匂いが部屋中に(ただよ)っている。


「ちょっと待ってて! もう一品作ってるから!」


 奥の調理場から、女の子の声と何かを焼く音が聞こえた。


 元兵士は彼女の元に向かい、声をかける。


「何か手伝うことはないか?」


 それは何気ない一言だった。

 元兵士は、自分だけが仕事をしていない状況に、居心地に悪さを感じたのかもしれない。


「別にいいよ! 私一人でできるから!」


 女の子は手際よく重い鍋を振るっている。

 幼い身にはきつい労働だというのに、楽しそうにしていた。


「偉いな」


 その様子に、元兵士は褒める。

 自分が彼女の年齢だった頃は、これだけ素直でいられただろうか。


「全然! 楽しいから、大丈夫!」


 女の子の笑顔に、元兵士は自然と動く。


「どうしたの?」

「いや、何でもない」


 女の子の頭を撫でようとした手を、もう片方の手で押さえていた。


 彼の脳裏に、かつての記憶が蘇った。

 戦地となった街では、老若男女の亡骸(なきがら)が転がっていた。

 そこには、彼女と同じ年齢の子もいた。


「居間で待ってる」


 元兵士は、震えている自分の手を見て、食卓へと戻る。


 なぜ自分だけが生きているのか、彼はまだ分かっていない。




「美味しかった、感謝する」


 食事を終え、元兵士は頭を下げた。

 普段冷たい保存食しか食べない彼にとって、久しぶりの温かさだった。


「それはどうも! ねえ、にしなって、どこから来たの!?」


 女の子は、元兵士のことを知りたがっていた。

 それは、彼女の外に対する渇望がそうさせていたのかもしれない。


「ずっと南からだ」

「えー、それだけじゃ分からないよー」

「まあまあ、彼は流浪の旅人なんだよ」


 女の子の追及は、彼女の父である男がはぐらかしている。

 夕食には終始穏やかな空気が流れ、仮初の平和がそこにはあった。


 その平和は、数週間続いた。


 元兵士は、何かと理由を付けられ、引き留められた。

 逃げようと思えば逃げられた。

 それでも、ずっと居続けたのには、彼なりの予感があったのかもしれない。




 そしてある日、日常が終わり、皆が寝静まった時。

 元兵士は、借りていた空き部屋で麻袋から小銃を取り出す。


 そして、居間へと足音を立てずに向かった。


「巻き込んじまったな」


 居間では、男が酒を飲んでいた。

 彼が酒を飲んでいる光景は、今まで一度もなかった。


「窓から確認した。数は十かそこら。装備と動きから見て、かなりの手練れだ」


 元兵士は淡々と報告する。

 男は頷くが、行動はしない。


「戦時中に、しくじっちまってな」

「……そうか」

「俺の部屋、本棚の下だ。そこから外に出られる地下通路がある」


 男の言葉は沈黙によって返された。


 元兵士は小銃に弾を込め、銃剣を取りつける。

 何度目になるか分からない近接戦闘の準備を完了させた。


 そして、居間から離れる前に、男に問う。


「一つ聞かせてくれ。人生とは、なんだ?」


 男は酒をあおるだけで、振り返らない。

 ただ、少し笑った。

 

「空回り、かな。まあ、その連続だよ」

「感謝する」


 そう言って、元兵士は男と別れた。


 外套(がいとう)を羽織り、地下通路に入る。

 その入り口にはご丁寧にも、食料とこの国の通貨が入った袋が置いてあった。




 人一人(ひとひとり)がやっとのことで通れる穴を抜けると、そこは林の中だった。 


 背後から轟音が鳴る。


 排除する対象の位置が特定できたのなら、その場所諸共(もろとも)吹き飛ばした方が手っ取り早い。

 罠があると分かっている閉所に、わざわざ足を踏み入れる必要もないのだ。


「同じだな」


 元兵士は、正面に立っていた女の子に対して言った。


「そう? 私はこれが普通だと思うけど」


 彼女の右手には、拳銃が握られていた。


「あんたには恨みはないけど、見てしま……」


 女の子の言葉は、途中で終わる。


 元兵士の腹部から、煙が出ていた。

 彼の左腕は藁で出来た偽物で、本物は袖に通されることなく、外套の内側で拳銃を握っていた。

 消音器の取り付けられたそれは、音もなく女の子の握る拳銃を打ち抜くことになる。


「くっ……」


 右手を抑え、苦悶の表情を見せる女の子。


「いや、同じだ」


 元兵士は、そのまま闇へと消えた。

 別に情けをかけたわけではない。

 敵の増援が来ると分かっていながらの、これ以上の行動は無意味だっただけだ。


 それでも、元兵士は考えてしまう。

 男が女の子に対して見せた笑顔は、本物だった。

 終わると分かっていても、彼は少しの”日常”を楽しみたかったのだろう。




 十分な物資と金は、順調に旅を進めさせた。


 元兵士は大きな街を避け、小さな集落を転々として北へ向かう。

 銃床に刻まれた文字について、他人に聞くことはなくなっていた。

 それは、北へ向かえば何かが変わる、という確信があったからかもしれない。


 数年前までは敵国だった場所で、元兵士は不思議と馴染んでいた。

 同じ言語を話し、同じ見た目のお互いは、自分から言わない限り区別などつけようもない。


 感情を表に出さない元兵士は、なおさらそうだった。

 誰も、彼を敵として接しなかった。

 大きな街へ行けば状況は変わったはずだが、元兵士にとっては、自分が見た現実だけで十分だった。


 気づけば旅は一年となり、季節が一巡する。

 元兵士は、海に面する小さな村に滞在していた。


「にしなさんが来てくれて、助かってますよ」


 若い男が頭を下げている。

 男とはいったものの、あまりにも中性的な見た目は、性別を混乱させる。

 それでも彼は、この村の村長だった。


「問題ない。宿と飯を用意してくれた恩だ」


 いつの間にか普通になっていた人助け。

 元兵士は、滞在した先々で出来ることをしていた。

 路銀は十分にあったが、その付き合いが”生きる意味”を教えてくれると信じた。


「でも、本当に行っちゃうんですか? もっと滞在してもいいのですよ」


 若い男は元兵士に、食料と(わず)かばかりの金を渡し、それでも引き留めようとする。


「俺には目的がある」

「それは、仕方がないですね……ですが、今日はもう遅いですし、ゆっくり休んでください」

「そうだな。もう一泊、世話になるとしよう」


 元兵士は、滞在中に借りていた村長宅の離れに向かう。


 途中、地平線に沈む夕日が見えた。

 ここは北の果てだ。


 北に向かえ、と酒場の主人が言った。

 それはもう一年以上も前の話だ。

 何の確証もない言葉を、元兵士は命令の様に遂行してきた。

 しかし、魔法使いはいなかった。


 これからはどうしようか。

 彼の脳内では、いつの間にか旅を続けることが前提となっていた。


 離れに着き、簡易的な寝床で横になる。


 目を閉じ、脳を休める。

 戦地での癖が抜けないのか、元兵士は熟睡というものができない、

 寝ているはずなのに、本能が周囲の音を拾おうとする。


「やらないのか?」


 元兵士は、目を開けることなく聞いた。


 返答はなく、金属が床に落ちる音だけがした。


「麻袋の結び方が違っていた。俺の正体が知られたということだ。覚悟はできている」


 元兵士は体を起こし、落ちていた銃剣を、目の前にいた若い男に渡す。


「あなたは死ぬことが怖くないのですか?」


 若い男は銃剣を受け取り、元兵士の隣に座った。


「順番だ。俺は遅かったみたいだがな」


 元兵士は表情一つ変えず、天井を見上げる。


「私の兄は、先の戦争で死にました。村のため、自ら戦地へ(おもむ)いたのです」


 若い男は語りだす。

 それは、復讐を果たす理由付けのためだったのかもしれない。


「この銃剣は、唯一の形見です。私は兄の仇を取るため、すぐに軍に志願しました。しかし、直後に戦争は終わった。やり場のない無念は、この平和な時代でもくすぶり続けていました」


 若い男は手に持った銃剣を眺めながら、苦笑していた。


「あの戦争は何だったのか、兄の死に意味はあったのか……戦争の火種、そして真意など、大衆の一人にすぎない私には分かりません。ただ、私が持つ復讐心こそが燃料だと、身を持って知ってしまいました……」


 そこで若い男は言い(よど)んだ。


 元兵士は彼の握っていた銃剣を掴み、自分の胸に当てる。


「復讐は連鎖する。ここで終わらせられるのなら、それがいい」

「あなたが死んで、私を恨む人は……」


 若い男は、暗闇に浮かぶ元兵士の瞳を見てしまう。

 どんな闇より深い”無”がそこにはあった。


「ははは……あなたは、すでに死んでいるのですね……」


 若い男は、乾いた笑いを浮かべる。


「ああ。だから、遠慮しなくていい」

「すでにそんな気分じゃないですよ」


 若い男は銃剣を引っ込め、懐にしまった。

 そして立ち上がり、元兵士に頭を下げる。


「私物を(あさ)って、申し訳ないです」

「いや、問題ない」


 元兵士は少し寂しそうにしていた。

 やっとのこと、自分の番が来たと思ったのだ。


 そんな彼の胸元に、(さや)にしまわれた銃剣の先端が当てられる。


「あなたは今、死にました。この瞬間から、新たな人生を歩みだしてください」


 元兵士は少し驚き、小さく息を吐いた。


「気遣い感謝する」

「いえいえ。あと、言えていなかったのですが、隣の村に古代文字を使う子供が居ると、昔聞いたことがありますよ。海岸沿いをずっと東に進んだ場所です」


 若い男は、床に置かれた麻袋を見て言い、玄関へと向かう。


「優しいな。平和な時代の女性に、君は相応しい」


 元兵士の言葉に、彼女は顔を赤くさせる。

 『いつから気づいていたの?』とは聞けず、そのまま離れを出て行った。




 波が岩に当たる音が、潮風と共に流れてくる。


 海鳥のものに(まぎ)れ、道しるべの様に純白の羽が落ちていた。

 

 海食によって作られた海岸沿いの崖。

 見晴らしの良いその(ふち)で、地面に座って地平線を眺めているのは、一人の少女。


 元兵士は少女の横に座る。


「旅はどうだったかい?」


 少女は聞いた。


「知らん。気づいたらここに居るだけだ」

「そうか……」


 それからはお互い話そうとしなかった。

 湿り気と辛みを含んだ風が、彼らの間を通り抜ける。


「あれだ……まあまあだったよ」


 口を開いたのは、元兵士だった。


「それで、これからはどうするんだ?」


 少女は少し嬉しそうにしていた。


「俺はこの旅を続けるさ」

「それはいい、ね……」


 再び流れる沈黙。

 地平線に沈みゆく夕陽を、二人は眺める。


 しばらくして、元兵士が立ち上がった。

 右手を少女に差し出している。


「一緒に来るか? 極東に面白い島国があると聞いたんだ」


 少女は少し悩み、彼の手を取った。


()二四七、君は変わったな」

(こう)一〇二、君は変わり過ぎだ」


 二人は再び歩き出す。

 彼らの表情は、自然と柔らかくなっていた。




『人生には、どれだけの価値があるのだろうか』


 死ぬことができず、暇つぶしに様々な人生を経験してきたからこそ、魔法使いは常日頃から考えていた。


 何を成しても、何も為さなくても、生きるということは部分部分の欲求による延命だ。

 時に流されるだけで全員が同じ結末へと向かっているのに、終わりを誤魔化すことに何の意味があるのか。


 しかし、魔法使いはその”作られた普通”にこそ意味があるのだと経験した。

 あの戦場を経験したからこそ、その愛おしさを確認できた。

 そして元兵士には、旅を通じて少しは感じて貰えたようだ。

 

 いつ終わるか分からずとも、いつでも変われる。

 そんな短い”人”の生など、結局は”まあまあ”だってことだ。




 一人の青年が、一人の少女の手を取り歩き出す。

 この先もきっと、彼らは何の変哲(へんてつ)もない旅を続けるだろう。


 それこそが”魔法使いの想った時間”なのかもしれない──

読んでいただき、感謝いたします。

またいつか、どこかでお会いできれば幸いです。


シエドリ

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