第六章 磐長姫命の誓いと岩鉄静流社のはじまり
雷武神社の中には、三つの社がある。
一番大きな雷武神社では、武甕槌神を祀っている。
戦いに勝つ神・瞬発力の神とされ、『試合で勝ちたい!』『ここ一番の勝負に勝ちたい!』という願いを持つ人がお参りするといいらしい。
香取剣社には、経津主神が祀られている。
戦略と決断の神で、『冷静な判断ができるようになりたい!』『頭脳戦で勝ちたい!』と願う人が訪れるそうだ。
そして最後に、一番小さな社である岩鉄静流社。
ここには、磐長姫命が祀られている。
耐え抜く力・不動の心を授ける神様で、『絶対に夢を諦めたくない!』『揺るがない意志を持ちたい!』と願う人がお参りするという。
『夢を叶えるまで耐え抜きたい』『自分を貫き通したい』——そんな思いを抱えている人には、特にふさわしい社なのだろう。
こんな私には、この岩鉄静流社の存在が、強く胸に刺さった。
磐長姫命は、木花咲耶姫と姉妹だった。
瓊瓊杵尊、天照大神の孫で、地上に降りてきた神は、木花咲耶姫に一目ぼれをする。
だが、彼女には姉の磐長姫命がいた。
二人は、大山津見神という山の神の娘だった。
大山津見神は大いに喜び、『せっかくなら、二人ともお嫁にしてほしい!』と言い、姉妹をセットで差し出した。
しかし、瓊瓊杵尊は言った。
「木花咲耶姫は美しいが、磐長姫命は醜い。だから、いらない」
そして、姉の磐長姫命を突き返し、妹だけを妻にしてしまう。
磐長姫命は、拒絶されたことに深く悲しみ、そして怒りを覚えた。
しかし、怒りに身を任せることなく、静かに言い残す。
「もし私を妻にしていれば、あなたの子孫は岩のように永遠に続いただろう。でも、妹だけを選んだのなら、子孫は花のように儚い運命となるだろう」
その言葉通り、木花咲耶姫は瓊瓊杵尊の子を産んだが、彼の子孫(人間)は限りある命を持つ存在となった。
もし磐長姫命も選んでいたら、人間は不死の存在になっていたかもしれない……。
だが、磐長姫命は運命を嘆くことなく、こう誓った。
『私はこの大地を守る』
彼女は、岩のように静かに、揺るがず、そこに居続けた。
それゆえ、彼女は
『変わらないもの』
『長く続くもの』
『耐える力』の象徴となった。
美しさは一瞬。でも、本当に大切なのは、長く続く強さ。
揺るがずに耐え抜いた者だけが、最後に残る。
拒絶されても、怒りに流されず、静かに強く生きることができる。
磐長姫命は、ただの『長寿の神』ではない。
彼女は、精神的な強さの象徴として、人々に敬われる神となった。
「宮司なのにどうかと思うが……」
そう前置きしながらも、鉄太さんはこう言った。
「俺は、この岩鉄静流社が一番好きなんだよな。その理由は、苗字に『岩鉄』が入っていること。自分の子どもの名前にも『流』の字を使ったこと。……とまあ、そういうのもあるんだけどな」
鉄太さんは照れくさそうに笑った。
岩鉄静流社の裏には、磐長姫命の象徴とも言える 大きな丸い岩 と、それを包み込むようにそびえる クスノキのご神木 がある。
この岩とクスノキは、およそ千年以上もこの地に根を下ろし、変わらずそこにあり続けているという。
遠い昔——
この地に、磐長姫命 は静かに佇んでいた。
彼女は岩のように不動の誇りを持ち、永遠の命を授かる神であった。
しかし、天の神は 美しき花の命(木花咲耶姫) を選び、磐長姫命の 永遠 を退けた。
その時より、人の世は 花のごとく儚く、命は流れゆく時とともに 散りゆく運命 となった。
「なぜ、変わらぬものは求められぬのか」
磐長姫命は静かに嘆きながらも、己の定めを受け入れた。
それから幾千の時が巡り、彼女はただ 静かに、この地を守り続けた。
あるとき、一人の男が現れた。
彼はこの地に生き、戦い、愛し、そして 失うことを知った者 だった。
幾度も戦を重ねるうちに、彼は気づいた。
「剣の強さは儚い。力だけではすべてを守ることはできない」と・・・
ただ勝つのではなく、揺るがぬ意思を持ち続けることこそが、本当の強さなのではないかと・・・
そう悟った男は、磐長姫命のもとへたどり着き、こう誓った。
「人の命は儚い。されど、私はこの地を永遠に守り続けたい。どうか、この誓いをこの岩に刻み、我が魂をこの地に残したい」
磐長姫命はその願いを聞き入れ、静かに大岩へと己の力を込めた。
「ならば、この岩におまえの想いを刻むがよい」
男は岩に手を添え、己の誓いを託した。
そして、岩の隣に一本の クスノキ を植えた。
「この木が育つ限り、私はこの地を見守り続けるだろう」
磐長姫命はその誓いを受け入れ、岩のごとく 静かに見守り続けた。
時は流れ——
最初の戦火が、この地を襲った。
戦国の世。
城が燃え、町が焼け、雷武神社も炎に包まれた。
しかし、戦火が去った後、人々は驚いた。
「神社は焼け落ちたのに、大岩とクスノキだけが残っている…!」
焼け焦げたクスノキの幹から、新たな 芽 が伸びていた。
「これは、神の御加護か…?」
人々はこの奇跡を讃え、この岩と木を祀る社を 『岩鉄静流社 』と名付けた。
岩鉄 ・・・岩のように不動、鉄のように強く折れない意志
静流 ・・・静かに流れる時の中で、変わらず見守り続ける力
こうして、岩鉄静流社は 『揺るがぬ誓い』 と 『変わらず見守る力』 を象徴する社となった。
そして——
また、時は流れ、再び 炎の試練 が訪れる。1945年。東京大空襲。
夜空を埋め尽くす爆撃機。降り注ぐ焼夷弾。
雷武神社の社殿は炎に包まれ、浅草一帯は 燃え盛る地獄 と化した。
だが、戦後、人々が神社の跡地に戻ると、再び 奇跡 が起きていた。
「岩鉄静流社は…まだここにある!」
またしても、焼け焦げたクスノキの幹から 新たな芽 が伸びていた。
岩は 微動だにせず、まるで 「不滅の意志」 を示すかのように、そこにあった。
「二度の戦火を耐え抜いた神域…」
人々は涙を流し、さらに深く信仰するようになった。
その後、クスノキは岩を包み込むように根を広げ、幾度の風が吹こうとも、幾度の雷が轟こうとも、揺らぐことなく立ち続けた。
やがて、この地に生きる人々は、その木を 『永遠の守り木』 と呼び、岩を 『磐長の誓い』として祀るようになった。
そして今もなお——
岩と木は寄り添いながら、訪れる者を静かに見守り続けている。
「話が長くなってしまったな」
鉄太さんは少し照れくさそうに笑いながら言った。
「でも、この神話が大好きなんだ。俺のじいちゃんの話だと、岩鉄を名乗る俺たちは、クスノキを植えた男の子孫なんだそうだ」
「そうなんですか……?」
「まあ、俺の生まれるずっと前の話だから、本当かどうかはわからん。でも、じいちゃんは 東京大空襲を生き延びたんだ。少なくとも 二度目の奇跡は本当にあったんだろうな。そう思ったら、宮司になるしかないだろ?」
「素敵な話ですね。神話って、こうして聞くと、とても深くて、心に響きます」
「だろ? 俺、岩鉄 って苗字を名乗れるのに誇りを持ってるんだ。……字だけ見ると、めちゃくちゃ頑固そうだけどな。まあ、頑固じゃないとダメなのかもな、ハハ……」
鉄太さんは豪快に笑った。
私は、神話と自分を比べるなんて、おこがましいと思う。
だけど——
"姉妹" という部分に、どうしても 自分を重ねてしまう。
自分も、貫き通すだけの強さがほしい。
怪物たちから逃げられた後のことも、これから考えていかなければならない。
私は——
誰よりも幸せになりたい。
人にも優しくなりたい。
そう、話を聞きながら強く思った。