20・忘れ得ぬ人
皇帝陛下というこの帝国最大の権力者に、信頼と理解を得られた私は、その密命を胸に暗躍することを決める。親愛なるキャロラインを守り、そして帝国の未来をも左右するという大切なお役目を胸に。そしてまず、一つだけ確認しなくてはならないのは、スティーブ殿下の本心を探ること…
あの金髪キザ野郎と心の中で呼んでいた私は、ルーシーに相当に執心で盲目的になったことが、その心や行動に影響を及ぼしているのだと思っていた。だけど皇帝陛下から伝えられた新事実…そのことが、私のその確信を黒から灰色に変えた。それが白に近付いていくかどうかは、スティーブ殿下次第だと思う。そして最終的にはどちらの色になるのかも…
皇帝陛下の仲間になって一週間、私は守るべき親友キャロラインの側で変わらずに過ごしている。秘密の仲間になった後でも、基本やることは同じだからね?そう思っていると…
「これから体力強化の授業があるじゃない?面倒よねぇ…」
そう言って机に突っ伏すのは、クリスティーヌだ。どうも運動が苦手らしい。それにブリジットも同意して…
「私も~!何故貴族の令嬢が、走らないといけないのかしら?そんなの実生活で活かせる場面なんてあると思う?」
そう疑問を口にしてブーブー言っている。確かにそうだけどね…
学園では週に二回、体力強化を目的とした授業がある。それは学年合同で行われ、おまけに令嬢だといっても対象外になる訳でもない。ドレスを脱いで体操着に着替え、それから走ったり歩いたりするが、その後は決まって…筋肉痛になる。
「そうよね~この前なんて、運動場で繰り返しダッシュさせられて、もう脚、動かなかったわ!酷くない?」
「そう、そーっ!」
そう言って文句が止まらない私達だが、授業が無くなる訳はなく渋々着替え始める。サックス色のシャツに茶のズボン、それにふくらはぎまでの黒いブーツを履いた。このシャツの色は全員同じと決まっていて、高等部はサックスブルー、中等部はイエローグリーンに統一されている。運動場は共同の為に、一目でどちらの生徒なのか見分ける為に色分けされているようだ。便利といえば便利!
それから身軽な恰好になった私達は、嫌々ながらも運動場へと向かう。そしてそれは他の令嬢達も同じ気持ちのようで、やる気がなさそうだ。その中にはもちろんルーシーの姿も…。私は唯でさえ面倒な運動の時間に、更に面倒なことは避けたいと、今日は近付かないことに決める。
「今日は少し暑いので、この帝都学園の敷地をぐるりと一周歩くだけでいいぞ!そして歩いた者から順に解散だ!」
「ええーっ!そんな…」
そんな教師の言葉に、男女問わず一気にやる気を失う。この暑い中を、おまけにこのだだっ広い学園を一周するなんて、考えただけでも鬼の所業だ!
「ハハハ…もう笑うしかないわね?体力温存で、ゆっくり歩きましょうか…」
私がそう言って提案すると、あとの三人は苦笑いで頷く。それから私達は、トボトボと歩き出す。と、その横をビュンとスピードを上げて、通り過ぎて行く一団が。騎士教科を学ぶ体力のある生徒達が走り出したようだ。それにスティーブ殿下やロブ達も、負けじと続いて走って行くのが見える。おっ、令息達はまた違う闘いがあるようだわね?負けては沽券に関わる…ってやつかしら?そんなの無駄な闘いだと思うけど…
そうして全員が出発した。まずは運動場から正面玄関へ出て、この辺でふくらはぎが張ってくる。それから高等部の校舎の裏を進むと今度は足首が痛くて…。それを我慢しながら講堂から中等部の校舎へと向かうと、太腿がパンパンに!それを何とか引きずりながら進んで、やっと運動場へ戻って来た時には、生まれたての子鹿のように脚がガックガク!疲労困憊で歩くのもままならなくなって…
「も、もうダメ!誰か手を引いて~」
ブリジットがそう言って手を前に差し出すと…それを意外な人物が握る。
「えっ…アンドリュー!?」
ブリジットの双子の片割れアンドリューが、運動場に残っていたようだ。ぶっきらぼうにぎゅっと手を握ってブリジットを引っ張って行く。
──あれっ…走ってたし、もうとっくに着いてた筈だけど?喧嘩ばかりしていると言っても、やっぱり兄妹なのね!
そう微笑ましい気持ちになった。ブリジットはさして抵抗もせずに、そのまま連れられて行く。それをフフッと笑いながら見つめる私達。それに続いて歩こうとすると、キャロラインが驚いて声を上げる。
「あら、見て!今度は中等部の生徒達が一周するみたい。おまけに念入りに準備運動してるから、全員走るんじゃない?」
その声に再び運動場を見ると、中等部の校舎からぞろぞろと生徒達が出てくる。体格はそれほど変わらない感じだけど、顔はどこかあどけない。私も病気にさえならなかったら、ああして中等部から通っていたのかしら?と微笑ましく見ていると、突然一人の男子生徒から目を離せなくなる。
──あれ…あの人、見覚えがなかったかしら?
イエローグリーンの若葉のようなシャツを着て、颯爽と運動場へと歩いて来るその人。中等部の生徒にしてはかなり背が高いようだ。そして運動場の中程まで進むと、他の生徒と同じように準備運動を始めた。友人達と何やら話している様子だったが、私のそんな視線を感じたのか、スッとこちらに目を向けて…
それからじっと見つめ合う二人。何故か、その目を離してはいけないような気がする。それは向こうも同じようで、二人して不思議な感覚に囚われて…
すると突然、その男子生徒がこちらに向かって駆け出した。ええっ…どうして!
猛スピードと言っていいくらいに、みるみる近くなる。広い運動場のほぼ端から端までと言っていいほどの相当な距離を、あっという間に縮めて!それには恐怖さえ感じて…だけど私は、何故かその場から離れられない。そして至近距離まで来ると…
「ア、アリシア?君は、アリシアなんじゃないか?ランドン家の…」
その男子生徒は、太陽に透ける朱色の髪を揺らし、まるで黒水晶のような瞳でじっと私を見ている。そしてここまで全速力で走った為に、流れる汗を煌めかせて…
──あ、あなたは?
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