096_継暦128年 - 135年
ルルシエット伯爵
141年時点でのルルシエットの領主。
『不夜伯』とあだ名されることもあり、眠ることを忘れたように働き続け、
そうして得た多くのことを領の内外に伝えている。
当代随一の仁君と詠われることもあるが、糸の切れた凧のように一人でどこかへと旅立つこともあるらしく、天下御免の無責任伯爵などと詠われることの方が多い。
継暦128年、冬。
「ウウ……。呪いあれ……。
ビウモードに、呪いあれ……」
父親の、そして偉大とは言えないものの暗愚でもない凡庸なルルシエット伯爵の最期の言葉は怨嗟。
私──ルルが幼い頃にはビウモード伯爵に諭される形で未来と平和のために手を取り合ったはずだった。
しかし、それでも父の親から躾のように与えられたビウモードへの悪感情と、それによって歪んだ心情は根底では修正されることはなかった。
ルルシエットとビウモードは徹底的に殺し合い、奪い合い、やがて融和ではなく打倒によって一つとなるべし。
両家がどちらともなく言ったこと、古くからそう考えていることだ。
「……ルルシエット伯爵はここに眠りにつきました。
ナテック、記録を」
「はい」
書記官ナテックは古くから父に仕えていた。
私にとっては学問の教師役であり、若い頃は道場破りで小銭を稼いでいたこともあると父上がこっそり教えてくれたことを思い出す。
貴族なのにやんちゃな人だ。
「ダフ、すぐに領内外に知らせてほしいのだけど」
「新たな領主の誕生を、でしょうか」
「うん、よろしくね」
承知いたしました、と頭を下げるダフ。
財務に関わる多くのことを担当する貴族だが、元々は警備や地方の警邏が主な職務であったらしい。
領内で地方の官吏が帳簿を誤魔化していたのを糾弾し、その復讐に遭って危うく罪を被されそうになったのを父の図らいで免れたのだとか。
正しいことが為されにくい環境に問題があることを学んだ事件だったからよく覚えている。
「オットー。父上の葬儀は」
「しめやかに行いますか」
「ええ、派手にするには状況がそれを許してはくれないかなって」
父の晩年が失敗続きだったと言うつもりはない。
ただ、成功とも言い難かった。
各地で増え続ける賊への対処に失敗したことから、賊が過ごしやすい環境を形作ってしまったのは間違いなく父の失策が影響している。
今、父の葬儀を大々的に行えば各地に鎮圧のために出払っている騎士たちも戻さなければならない。
そうなれば影響を受けるのは行商たち。それを狙う賊。状況を止めるための騎士は不在。
導き出される答えは貿易関係への大打撃だ。
「そんなことはできない。
オットーは口惜しいでしょうけど」
オットーは父の親友だった。
身分を越えて友であり続けた人で、長く父を支え続けた。
親友であり、伯爵でもある父を大きな形で見送りたいと思うのはわかる。
私にとっても父は父だ。
最期の言葉は残念だが、それでも、父には変わりない。荘厳に送りたい気持ちはある。
「状況は理解しているつもりです」
勿論、しめやかにとは言っても市井の葬儀とは異なる。
民からしてみれば十分に大々的には見えるだろうが、モニュメントが作成されるわけでもなく、結びつきの強い領地から貴族に来てもらったりだとかをするわけでもない。
身内だけで静かに葬儀を……というものの、身内の範囲が領地そのものになっている。
「最期の言葉が、呪いあれ……か。
父上、それじゃあダルハプスと同じだよ。
いっそダルハプスくらいに強い呪いでも放つことができる才能があるなら、父上は救われたのかな」
父の人生を狂わせたのは私だ。
私の才能が彼を狂わせた。
いや、才能だけではない。
そこにダルハプスが過去に仕掛けたという呪いの力が影響していた。
私は呪いの力によって人生で眠りを得たことがない。
眠りというものは何かを知っているし、それが重要であることもわかるが、それをせずとも生きることができる。
どこかの学者が書き記したものだが、眠りとは精神と知性を休ませる行いである。
眠らないで過ごせば肉体か精神か、或いは両方を蝕む……らしい。
『らしい』というのは、私はそうはならなかったからだ。
呪いの力で眠ることを喪失し、しかし、眠らないからこそ多くを学ぶ時間を得ることができた。
先程の『どこぞの学者が書き記したもの』を発見できたのも、多くの人間が眠っている時間に暇に明かして読み漁った文献から知ったことだ。
四歳になる頃には城に滞在していた論客と議論を交わしたりと普通の子供ではないことを隠すこともなく生きていた。
眠らないからこそ、人格の形勢も人より早かったのだろう。
長い時間を掛けて、多くの経験を得ながら作られる人格と異なり、私のひねた性格もあいまって早熟の天才として周囲にも広まった。
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父の葬儀が終わってから数日は本当に忙しかった。
眠る暇もないというジョークをすると周りが悲しそうな表情をするのでそこは我慢。
「ルル様……いえ、失礼しました。
伯爵閣下。
お客様がお越しです」
「別にルルで構わないけど。で、どなた?
今日は来客の予定がなかったはずだけど」
「ビウモード伯爵閣下でございます。
葬儀への参列は叶わなかったが、墓参りさせてもらいたい、と……」
父上の最期の言葉、呪いあれというそれが頭に残っている。
なんとなく応対するのにギクシャクしてしまいそうだった。
引きずらないようにと心の中で自らを戒める。
こういう一種の自制心みたいなのも気持ち悪がられる理由だったんだろうな。
年相応に少女でいればよかったのだろうか。
今更何もかも遅いけれど。
ややあって、客間でビウモード伯爵と再会する。
髪の毛が真っ白になっている以外は出会った頃のまま、壮健そうだ。
「先代ルルシエット卿に哀悼と、
新たなルルシエット卿の前途に希望あることを祈る」
「ありがとうございます、ビウモード卿。
……ま、お堅いのはこれくらいで……ご用向は」
茶の準備を給仕たちにさせながら、会話を切り出す。
「墓参りと伝えたはずだが」
「それもあるでしょうが、そればかりではないでしょう。
貴方にそんなお暇があるとは思えませんよ、卿」
「やれやれ、またそうやって見透かすように。
いや、いいだろう。
わしがどのような用向きで来たか、当てられるか」
見透かすようなのはそういう性格と態度だからで、
本当に見透かせているわけではないのだけど、彼が私に期待している何かしらの能力を裏切るというのもなんとなく面白くない。
少し考えてみよう。
ルルシエットとビウモードは父上と彼の代でようやく停戦状態になった。
それまであった散発的な戦いも既に昔の話だ。
しかし、父の最期の言葉が『ああ』であったように、親の教えであるビウモード許すまじという念は消し切ることはできなかった。
私やビューを通じて友人関係が出来上がっていたと思ったが、幻想だったのもしれない。まったく、悲しい話だね。
ビウモード卿は敏いお方だ。
私は感知できなかった父の根底にあるものを理解していたのかもしれない。
次に、ビウモード卿が忙しくしている理由。
これは単純に呪いをどうにかしたいという思いから。
愛する妻を失い、娘もまたその呪いに食われかけているという。
しかし、呪いはビウモードに関わるものだけではない。
ルルシエットにも関わっている。
ただ、私自身は既に呪いを含めてそれが『自分の生態である』と思っているので恨み言はない。
それは卿も理解しているだろう、幼い頃からそんな話を何度かした覚えもある。
とはいえ、理解しているのと、無念に思うのは別なのだろう。
優しい御仁だ。
自分がやったのではないのに、責任を感じておられる。
少し脱線してしまった。
思考に戻ろう。
父の死、現れた卿。
卿の至上の目的は呪いをなんとかすること。
時間がないのは呪いをなんとかするため。
……無い時間を割いてここに来たのではない。
その時間の使い途こそがここに来た理由なのだろう。
伯爵となった私にでなければ話せないことがあると仮定するなら、それはなにか。
大概のことは幼馴染であるビューから私に話せば太子時代でもそれなりに融通は利いたはずだが、
融通では何ともならないことが『なにか』の正体か。
資金的融通……は違うだろう。
腐っても伯爵家、腐っても大領主、困窮しているという話は聞かない。
軍事的要求……も違うだろう。
そもそも軍を起こしてまで戦う相手がいるとも思えない。
あとは、領主に裁量権があること。
国宝の類などの物品的要求?
研究に必要そうなものであれば、確かにそれはありそうだが、呪いに効果がありそうなものなど既に使い切っているし、新たに仕入れたりもしていない。
それこそ呪いをなんとかできるほどに大きな力を持つ代物なんて──
いや、呪いをなんとかできるかはさておき、大きな力を持つ代物ならある。
領主の権限で扱えるものが。
『炉』だ。
遥か古の時代に作られたなどと言われる代物。
ビウモードにも存在するが、ルルシエットはビウモードよりも幾つか多くの炉を持っている。
既にビウモードの炉は都市の基盤となるほどに使われているから、何かしらの方法で使うことはできない。
一方で、ルルシエットには余剰の炉がないわけではない。使ってはいるが、私の趣味の範囲といってもいいくらいのものだ。
金でも軍でもない、武具や国宝でもない。
だが、卿がわざわざ来るほどのことであれば、思いつくものはそれくらいだ。
外したら格好悪いが、思いつかないならこれで行こう。
「『炉』に関しての相談ですか」
「……!」
明らかに驚いた表情を浮かべる。
卿のことが好きなのはこういうわかりやすいリアクションをしてくれることだ。
私が幼少の頃からだし、もしかしたらなら演技なのかもしれないが、どうあれ私が喜ぶことを知っていてやっているのだろうから、それはそれで嬉しい。
「本当に心を読んでいるのではないか」
「だったらもっと有効活用しています。
当たり、ってことでいいんですよね」
砕けた言葉遣いは周りの家臣にいつもダメ出しをされていたが、私にとって卿は関係性の近い親戚のような人だ。
敬意と最低限の敬語は使うが、それ以上はしない。
なんとなくそういう口調はこちらの感情がすんなりと通らないような気がするからだ。
「やはり察せてしまうか。であれば、もったいぶる必要もない。
そうだ、炉についての話をしに参ったのだ、ルルよ」
私の砕けた口調から、相手も伯爵相手ではなく幼い日から知っている親戚の叔父のような態度に戻る。
「呪いの解決に進展が?」
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要求は炉。
とはいえ、炉そのものが要求ではない。
現在において、炉とはその運用に必要な機材を収めることができる大きな部屋一つを指している。
卿の要求は本来の意味するところの炉、つまりはインクを発生させることができる核となるものの譲渡だった。
彼が提示したのは一つの儀式についてだった。
ダルハプスが封じられている間に強力な封印を施すことで暫くの間、呪いを遠ざけるもの。
炉一つで都市一つ分の価値とまで言われているものに対して提示された交換条件は、私の延命。
眠りを必要ない代わりに寿命を削る私の体質に、眠りを与えるではなく、莫大な体力回復の恩恵を付与をすることで延命手段にするというもの。
そんなことが可能なのかと驚いたが、対価を聞いて納得もした。
炉を卿と儀式的に接続して運用するのだという。
人間がそんなことをすればものの数秒も持たずに焼き消えることになるだろうが、その辺りについては考えがあるらしい。
儀式に卿の命を使い、その儀式で使用しないインクを私に与える。
本来眠りによって補填される一種の体力のようなものを外部的に与えられるインクで補完する。
結果として、これ以上の寿命の減衰を抑えることができる……ということらしい。
私とビウモード家は呪いによって接続されているに等しいからこそできる芸当だ。
「封印に御自らを犠牲にするというのは……」
「実行にはまだまだ準備が必要でな、それまでに別の策が見つかれば良し」
「常の次善策として、ですか」
責任ある伯爵の立場であるのに、とは言えない。
責任のない行動をするのは私の専売特許みたいなものだ。つまりは人に責任がどうのとかを言えた立場ではない。
「はあ……」
「ため息は幸運が逃げると云うぞ」
「ため息するとストレスが緩和されるなんて話もあるそうですよ」
そんな言葉の応酬に小さく苦笑いする卿に、私は言葉を続けた。
「仲のいい親戚の叔父さんが来たと思ったら、自殺幇助の依頼だなんて……こんな少女にする話ですかねえ」
嫌味というか、八つ当たりみたいなものだ。
「こんな少女でもない限りは頼まぬよ。
その『こんな少女』など、世のどこにでもいるわけでもないからな」
肩を揺らすようにして伯爵が笑う。
私もついつられて笑ってしまった。
持ち上げるのもうまい、会話をそらすのもうまい。
こういう大人になりたいと思っていたことを思い出した。
と、なれば私の性格がひねているのは彼の影響もあるのでは?
なんて、責任転嫁を思うが、やはりそれも黙っていることにした。
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継暦135年、夏。
先代ビウモード伯爵の葬儀。
いつもの通りの態度を崩さないようにはしていた。
誰に言えるわけもない。
計画を協働し、結果的に彼を殺したのは私なのだということを。
あの後の数年、彼や他のものが探した解決策はむしろ彼の『自殺的』な手段を強固にするものばかりであった。
「さて、ビュー。
そろそろお暇するよ」
「食事くらいと思ったが」
「先代様に出された宿題が残っていてね」
計画が発動する前に、彼は私に一つの頼みをしていた。
完全な解決策を得られるまで封印が持続するように、彼が命を賭した儀式を維持・強化する方法の模索を。
ビューに相談するわけにはいかなかった。
それをしてしまえば、先代様の死に深く関与していることが露見してしまう。
他領の、それも前までバチバチに戦いあっていたルルシエットの人間が仕向けたとなればどうなるか。
トップであるビューが許したといっても、譜代の貴族たちは私とルルシエットを許すことはないだろう。
あくまで内密に。
手段がわかったときにはビウモードの研究機関に匿名でリークする。
「ねえ、ビュー」
「なんだ、ルル」
「楽しく食事を囲める日が待ち遠しいよ、昔みたいにさ。
もう……父上や母上、先代様もいなくなってしまったけどさ」
「メリアと、私がまだいるさ。
それに、メリアの夫もできるかもしれないしな」
「え、いい人が見つかったの?」
「まだ予定でしかないが、近々に報告を送ることになるかもしれん。
それはともかく」
先代様と違って、話題の転換の下手な男だ。無骨で、真っすぐで。
私にはない、そういう部分が好ましい男だった。
「……そのためにも、再封印された呪いを討ち滅ぼさねばな」
呪いを持つという意味での当事者でもある私は再封印の話など、ビウモードから教えられていた。
事後ではあったが。
再封印されたとはいえ、ダルハプスは強大なアンデッドであることには変わりない。
都合よく滅ぼせるとは思えない。
だが、彼は本気のようだった。
「それじゃ、今のうちにリクエストを考えておかないと。
ビューも考えておいてよね。
それで、その日が来たらお互いにその料理を持ち込むんだ。
楽しそうだろ?」
「ああ。待ち遠しくなる程度には、楽しそうだ。
だが辛い料理は止めてくれよ、ルルが昔作った料理の辛さが未だ思い出せる」
先代様が死んだあの日から、私には一つの能力が発現していた。
恐らくは流れこんだインクが影響したのだろう。
幼少の頃から『どこまで見据えているのかわからない』なんて言われてきた。
だから、新たに得た能力があったとしても形質が形質だけに看破されることはなかった。
能力の内容は漠然としたもので、既に分類的に存在するものかどうかまでを判断することはできていない。
私は目を凝らすことで、見たものの運気の量を測ることができるようになっていた。
例えば、左右に道が分かれていて、どちらのほうが『運気』が大きいのか、強いのかなどを見ることができた。
右に行けば大きな運気に出会える。左に行けば小さな運気が転がっている。
そんな風に見ることができた。
大きければ大きいほど、状況は動きやすい。
小さければ小さいほど、状況は動きにくい。
ただ、状況が動きやすい行き先にあるものは、理解も想像も当てやすい結果がもたらされることが多く、
小さいものであればあるほど奇想天外な結果を呼び込むことがあった。
運気の多寡に良い悪いがあるわけではないこと程度までは理解している。
私の視界で見たビューは、炎のような運気が燃えているように見えた。
それは小さな炎ではあったが、力強く、どんな風が吹こうとも消すことができない、
彼の精神を表しているかのような炎だった。
「人様の手料理をそんな風に云うなんて酷いなー。
ちょーっと激辛のスパイスを六倍量くらい入れただけじゃないか」
「六倍? 六倍なものかよ、あの辛さが」
父親そっくりに厳しい顔つきになっていた彼が作り笑顔ではなく、本当の笑顔を少し覗かせた。
彼の眉間に寄った皺がなくなるくらいに平和な日々が訪れるのを早めたかった。
先代様の宿題を終わらせる。できるだけ早く、正確に。
それが終われば、ビューと手を取り合ってダルハプスを滅ぼすためのやり方を探せるようになる。
孤独な伯爵とまで言うつもりはないけど、それでも一人で苦しむ時間は多いだろう。
少しでも安らぎをもたらすのは幼馴染の仕事のはずだ。




