093_継暦127年 - 133年
儀式術士ズェルキン。
141年時点の先代ビウモード伯爵が雇っていた儀式術を扱う男。
同年でいずれの勢力にもその名はどこにも響いていない。
歴史に名を刻まない、世の誰もが故知らぬ人間。
取るに足らない術士であっても当時のビウモードの状況を知る数少ない人物である。
私は──ズェルキンはケチな術士ですよ。
未来ある若人に『隷属の儀式』をぶち込んで報酬をいただく。
そんな仕事をいまからしようとしている、小悪党というには外道過ぎ、
悪党というには矜持の足りない……つまるところ、ロクデナシってところでさあね。
ちょっとばかり小器用な幾つかの魔術や儀式を扱えるが、才能があるわけじゃない。
長く生きてきて術と金稼ぎ、世渡りのコツを掴んでいるだけ。
皆さんにもそういうのがあるでしょう。
プロにはなれないけど、アマとしちゃあちょっとしたものだって小技。
靴紐を結ぶのが早いとか、胃腸が丈夫だとか、速読できるとか、そういうやつですよ。
私にとってのそれが魔術や儀式を扱える、そんな程度。
戦えたりするわけでもなければ、国を変えるような大きな儀式を扱えるわけでもない。
生きるためにゃあ何かを商う必要があるのがこの時代。私は儀式の術を商いに選んだってわけです。
どんな相手でも請われれば儀式を請け負ったもんですよ。
元々は雨乞いだの、豊作だの、狩猟の成功だの、そうした儀式を扱っていましたがね、
雨乞いはさておいても、豊作やら狩猟の成功やらの儀式はかなり意味が薄い。
そして、それらを求めるものは金のない連中ばかりで、報酬はゼロに近いわけです。
食べていくのにもギリギリ。
木の根を掘り返して食べることも少なくない程度の生活です。ああ、木の根生活はたまにでしたが。
隷属の儀式を扱えるのはちょっとした運が重なった結果でしかなく、
しかし、それを扱えるようになったからといってすぐにそれを商売にはできなかった。
なけなしの良心が働いていたわけですな。
とはいえ、悲しいかな、人間ってのは低い方にはガンガン流れていくもんでしてね。
生理的欲求には抗えない。つまりは空腹。金のない儀式の使い手はいつだって飯に困る。
そこに付け込むように人材商が声をかけてきた。隷属の儀式が使えるのだろう、と。
以来、仕事は途切れなかった。空腹で動けなくなるようなこともなくなった。
こうしてロクデナシが一人誕生したってわけですな。
運もあったんでしょうが、それ以上に生きた──或いは、死んだ人間の教訓を生かしてきました。
どういうことかと言うと、先達たちがあっさりと消されていく業界であることを理解し、
立ち回りを考え、受けるべき仕事、持つべき顧客を選んで、今日までやってきた。そういうのですな。
いつもは人材商の商品に隷属をかけるばかりで、そうした日々が続けば良心などすぐに摩滅し、持っていたはずの罪悪感は殆どなくなっていた。
だからこそ、今回の依頼は少しばかりなくなったはずの良心がちくりちくりと心を突き刺す心地だったんです。本当ですぜ。
朴訥な田舎者の青年を騙すようにして、隷属の儀式を打ち込む。
とてもではないが褒められたことではない。
ロクデナシの本懐ってわけですな。ハハハ。
……褒められたことではないことを命ずる雇用主、ビウモード伯爵との付き合いは今回だけではありません。
思えば、彼との付き合いはそれなりに長くなっていました。
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継暦127年、夏。
私はケチな術士としての仕事をこなし、そのアガリをもらおうとしていました。
向こうふた月くらいは暮らしていけるくらいの金額でさあね。
酒もやらない、女も買わない、博打もしない倹約生活の上でのふた月なんで、まあ、タカが知れてますかね。
それでも生家の家業である巻紙の木の栽培をするには真面目さが決定的に足りなかった。
足りない割には倹約生活を厭わない辺り、半端者でさあね。
相手は人材商。
とはいっても普段は賊で、発注されて人材を確保することもあるって手合い。
少なくないんですよ、賊にはこういうのが。
裏のマーケットじゃあ人材はいつも人気商品ですからね。人を襲ってなんぼの賊にとっちゃ実入りの良い仕事ってわけでさあ。
この賊は『オプションで隷属を付けることができます』なんてことを言っているらしく、そのオーダーが入る度に私が呼ばれるわけで。
直属の部下じゃないんでオプションで~なんて喧伝すればそのうち私の不在のときに痛い目に遭いそうなものですが、私の知ったこっちゃありませんやね。
報酬は実に素晴らしいので手が空いてるなら断ることもないですよ。
粗末ながら、手に入れた人材を保存するためという用途にも使われるからなのか、
結構な広さを持って作られたログハウスの中で私と取引相手(賊のカシラ)、そしてその部下が歓談をしている。
「ズェルキンさん、知っているか。
この辺りでもようやく人材商の取り締まりが始まるんだってよ」
「今更の話ですなあ」
「ま、他の領地と同じで手前のところで人材商を飼い始めたから野良の人材商は邪魔だってことじゃないのかね」
「どうするんです?」
「つっても、ビウモードの動きなんてどうせ大したことないだろう。
噂じゃ伯爵は各地を巡って学術なんぞを嗜むとか……モヤシってことだろ?
そんなモヤシが俺たち賊をなんとかできるなんて──」
そこに扉が蹴破られた。
「な、なんだあ!?」
取引相手の驚愕と同時に周りの部下の一部は武器を構えようとし、次の瞬間には心臓や頭に矢が突き立っている。
現れた男は壮年の男性だった。
魔術のような──或いはそれすらも舌を巻くほどの──速度で矢を幾つも放って戦闘の意思を見せたものを射殺したのだ。
「投降すれば殺さぬ」
「誰だか知らねえがナメんじゃねえッ!!」
賊たちは全員そのようにして激昂し、次の瞬間には同様に射殺された。
私?
勿論、両手を上に挙げて投降の意思をばっちりと示しましたよ。当然ね。
私はケチで、チンケで、しょぼくれた術士ではあると自覚するが、だからこそ長生きするためのやり方というものを認識しているんでさあ。
「お前は」
「ズェルキンと申します、ケチな術士です。
さぞや高名な武芸者のお方とお見受けします。
こんな薄汚い首なんぞとっても武名を汚すばかりかと……お見逃しくださるのならその恩義に報います」
強い相手に媚びを売るのは初めてじゃない。
こうして上手く取り入ることができれば生きて、駄目なら死ぬ。
わかりやすく、わかりやすい以上にシビアだが持たざるものの人生なんてそんなものだ。
「どうなるかは、お前の面白さ次第だな」
恐ろしげに私を睨む相手こそがビウモード伯爵で、ここが初めての出会いになったってわけでさあね。
この後はどうなったか?
当然、彼にとっての面白い話ができて、それからは半ばお抱え的に雇われることになったわけです。
勿論、非合法なことをする裏方として、非公式に。
状況に甘んじている理由?
居心地がいいのだ、伯爵様の側は。
彼はどのような人間も差別しない。
自分にとって有用であれば大事にする。
それなら非合法ながらもお側に仕えるってのは、悪い選択じゃあないなってのが今日までの感想ですかね。
ああ、いや、自分にとって有用なってのはちょっと違いますか。
自分にとってではなく、伯爵家の未来にとって……そう表現するべきでしょうな。
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継暦133年、冬。
視点は戻って、今。
ケチな術士のズェルキンでございますがね。
これまでの何度も同じような仕事を受けては来たが、良心が咎めなかったのはこの家の兵士やら騎士やら従士やらが相手だったから。
言ってしまえば、職に就く上で誓ったことを実際的な効力を伴ったものに置き換わるだけ。
だが、あの青年はそうではないことをドワイト氏から聞いていた。
メリアティ嬢に惚れ込んだだけの、世間知らずな青年。
では良心に従うのか、と言われれば勿論従わない。
悪党として食べていくと決めた以上、半端な善意は命取りというものだ。
「隷属の内容はいかがしましょうか」
儀式の準備をしながら、伯爵へと問う。
「ビウモード伯爵、いや……わしへの隷属を。
但し、代替わりした際にはこの効力を失うようにすること」
「それは……随分と寛容な」
それを聞いていた青年に向かい、伯爵は
「メリアティを盾にするようにして隷属の儀式に踏み切らせたその恨み。
向けるのははわしだけにせよ、ヤルバッツィ」
契約に含めるかのように言う。
青年はそもそも恨むなどとんでもない、と。
隷属の儀式の効力、その重さを知らないのだろうなと哀れにすら思っちまいますね。
伯爵は為政者、それも成り上がりではなく徹底的に為政者足らんとして育てられたもの。
青年の心を転がすために隙にも見えることを言っているに過ぎない。
……そう考えるのは私が薄汚れているからでしょうかね。
「では儀式を」
「承知いたしました」
こうして青年に隷属の呪いが刻まれることになるわけです。
儀式自体は大仰なものじゃあありません。
焦点具を使い、幾つかの詠唱を唱え、相手との合意を得て、インクを刻む。
条件が多くなれば大きく、複雑なものになりますが今回は衣服の下に隠せる程度のものになりました。
「では、私はこれにて」
そそくさと彼らから離れる。
雇われているとはいえ、非公式。
ときに伯爵閣下から酒の席に誘われることもあるが、基本的には私自身が道具扱いであるべきだとさせていただいている以上、望まれない限りは深くは踏み込まない。
長生きするには知らないことが多いほうが都合がいいこともありましょうや。
報酬の払いなどがあるので暫し留め置かれ、やがて、現金をいれた袋を持ってきたのは青年だった。
資産金属?
とんでもない。どんなときもニコニコ現金払いが最高でしょうや。
隷属が機能するかの試験運用もあるかもしれないが、そもそもこの朴訥な青年がこの程度の命令に隷属の儀式が反応するような行動は取らんでしょう。
あくまで試験運用という名目で、肉体的には今までと変わりないことを青年に教えるためのものだったのかもしれませんなあ。
「まったく、若いというのに過酷な道を選びなさる」
「いえ、これでいいのです」
「これで四人目ですよ、隷属を付与したのはね。そしてこれでいいと云った方もね。
青年の進む道がせめてメリアティ嬢にまで続いていることを祈らせてもらいましょうか。
他の三人は道半ばで死んじまいましたからね」
余計な言葉だろうが、それを漏らすのもまた微かにのこった良心からくる祈りの言葉。
いや、そうしたものの残滓というべきか。
金を受け取り、邸を後にする。
タカをくくっているわけではないが、殺されはしないだろう。
伯爵についての情報を私がどれほど抱えているか伯爵家の人間は分からない以上、殺すわけにはいかないし、
今までも私は裏切られなければこちらも裏切らないスタンスを続けている。
先程、青年に向けた言葉もギリギリ裏切りには入らないだろう。
そもそもとして伯爵は多少の裏切りでも私の有用性からすれば見逃すであろうが、
彼の部下は別だ。
清濁併せ呑めるのが伯爵だとして、その下にいる騎士や貴族はどこまでいっても騎士や貴族以上の何者でもない。
邸の庭を抜けた辺りで待っていたのはドワイト殿だった。
「おや、いかがしましたかな」
彼ともまた宴席を共にする間柄ではあるものの、彼の本分は騎士。
身分の違いもあるし、伯爵閣下から独自に裁量を与えられているなんて噂も聞いている。
つまり、私が不要……というよりも領地運営や何かしらの目的の邪魔になれば彼の意思一つで私を殺せるってことでさあね。
「上手くいくとお思いですか」
「あの青年が呪いを打開する道を作るかについてですかな」
「ええ」
「……さて、どうでしょうかね。
色々な人間を見てきたつもりですが、彼は大業を為せる人物ではないようには見えますが」
ただ、と続ける。
「彼は今までのものたちとは違って……」
そう、隷属の儀式を行う中であの青年から妙なものを感じた。
彼に残っていたインクの残滓のようなもの。彼生来のものではない。
私が行える儀式とは隔絶した、巨大な、或いは緻密な儀式が行われた形跡のようなものだった。
その儀式の痕跡は彼の精神にも影響を与えている可能性がある。
悪い意味ではなく、人を奮い立たせるような、本来は人が自らの意思では発露できない前へと進むための気力の蓋を開いたような。
儀式は周りに影響を及ぼすもの。
例えば雨乞いに秀でた儀式の使い手が会心の出来で儀式を執り行うと、
その渦中にあったものはいつ頃に雨が降るかを感覚的にわかるようになったり、水の流れを感じて井戸掘りの才能に目覚めたり、そういう影響を与えることがある。
であれば、あの青年が関わった儀式は何を行ったのか、彼に何を影響させたのか。
一人の儀式使いとして興味があるが、同時に、それを知ったところで理解するほどの才能がないことに直面するのも理解している。
手の届かないことには手を伸ばさない。長生きして、程々に満足して生きるためのコツだ。
「彼は何を為せるかについては私には何も予想なんざあできやせんが」
「聞かせてもらいたい」
「儀式術を使うものの漠然とした感想ですがね……。
彼が何かを呼び寄せる。そんな気はしちゃあいますよ、ドワイト殿」
儀式に立ち会うなり、巻き込まれるなりして、彼が変質したならば。
朝あることは晩にもあるとも言うし……彼がまた何かに巻き込まれれば、停滞した伯爵の目的達成にも影響がでることだろう。
伯爵家は誰も彼もが人を案じている。
心根は本来優しい人々で構成されているのだろうね。
だが、優しさを多くの人間に振りまくことができない状況がビウモードには存在する。
しかし、この血統に刻まれた呪いは簡単に解けるものでもない。
呪いが多くの犠牲と冷酷さを紡ぎ続けている。
あの青年はきっとそれらを救うような力はないのだろう。
だが、彼が呼び水になって状況が動くならば可能な限り手伝ってやりたいものだと考えている。
何故かは別段、特別な理由があるわけでもないんですよ。
晴れて隷属によって伯爵の狗になったから。つまりは私と同じような立場になったわけです。
私にゃ隷属はありませんが。
悪党ってのはどうしても身内に甘くなるもの、ってことなんでしょうかねぇ。
賊と大して違いはありゃしませんな、私も。
※巻紙の木:
品種改良によってチリ紙のように扱える実をつける木。
強い生命力を持ち、大抵の場所で育てることができる。




