092_継暦136年 - 140年
※客体:趣意輻輳は『091_継暦136年_冬/A07』からの連続的な繋がりはありません。
物語の直接的な続きに関しましては一週間と少しの後に再開させていただく予定です。
継暦140年、冬。
ビウモード城にて今後の伯爵家に大きな影響を与えるであろう会議が執り行われていた。
行動騎士ドワイト、行動騎士ヤルバッツィも当然ながら参列している。
そこで主であるビウモード伯爵から伝えられた言葉に、
「早春に……ルルシエットを攻めると仰るのですか」
ドワイトは主であるビウモードの打ち出した目的に懐疑的とすら思えるような声で応じた。
ビウモードとルルシエットは事実上の停戦状態が長く続いている。
「──……」
在るだけで重苦しい空気を発するビウモード伯爵は表情を少し歪め、瞑目する。
付き合いの深い行動騎士たちは、その表情が苦しみであることを理解していた。
かつてビウモード伯爵がビューという幼名であった頃からルルシエット伯爵とは付き合いがあった。
互いに尊重し、理解し、未来を信じていた幼少の砌。
だが、それは過去の話だ。
「これ以上は待つことはできぬ」
ビウモードの血、その呪いを断つことはいかなる術士にもできないことであった。
いずれ顕現するであろう呪いの、その最大化を止めるためにはどうあってもルルシエットに存在する『炉』が必要であった。
可能であればルルシエット当人の身柄も。
そしてなにより、
「メリアティ様のご容態、思わしくなく」
横から口を出したのは管理局から派遣されている研究者。
ただ、研究者が本分であるというよりは、ビウモードの政治と管理局の立場の円滑なやりとりを行うための人員である側面が強い。
彼は状況を動かすためにたった一言だけを告げた。
それで十分だった。
少なくとも、ドワイトとヤルバッツィに関しては。
「先日お会いしたときはお元気そうでしたが」
ヤルバッツィは既に彼女との結婚を済ませ、夫としての立場を持ってもいる。
ただ、相変わらずヤルバッツィはメリアティに潜む呪いを晴らすための行動を続けている。
ここ最近は昏々と寝続けるようなこともなく、トライカを育み、ヤルバッツィを出迎えることができていた。
だからこそ、研究者の言葉は寝耳に水であった。
「ええ、お元気です。
それが問題とも言えますが」
「お元気なのが何が問題なのだ」
ドワイトは噛みつくではなく、冷静に問う。
それはヤルバッツィの冷静さを保つための動作でもあった。
周りが冷静であればあるほど、人は熱しにくいもの。
「メリアティ様は前回お休みなられたのが十日前でございます」
「それ以来お休みになっておられないと?」
「ええ、一睡も」
「……一睡も?」
昏々と眠り続けたと思えば、次は持続的な覚醒。
明らかに常とはいえない状態であった。
「イセリアル──いえ、イセリナ様が必要です。
最低でも、炉の確保がなければ」
「なければどうなる」
「現在の状態、つまりは呪いが活性化しつつある状況を鎮めることはできません」
吐息を一つ漏らす伯爵。
当然、彼はこの話を事前から聞いている。
腹心たるドワイトとヤルバッツィの反応も予想の範囲内だった。
「準備を進めよ。
どうあれ、あの呪いは私の代で終わらせねばならぬ。
どのような悪名を纏おうと、罪を重ねようと、呪いが成就するよりはよほどマシだ」
「……その前に一つ伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
「何が聞きたい、ヤルバッツィ」
「ルルシエットを落とさず、イセリナ様だけをお連れしたならどうなります」
それは私から、と研究者が口を挟む。
それだけの権限が彼に与えられていた。
「イセリナ様の協力を取り付けられれば問題はありません。
そうでなくとも彼女を──」
「犠牲にしたなら上手くいく、か」
「はい。
炉の代わりになるものはありませんので、そこについてはビウモード領が血を流すしかなくなりますが」
顔の皺を深くするようにしながらドワイト。
表情の色は苦渋。
血を流すというのは何も生贄を出すというわけではない。
ただ、大都市たるビウモードではあるが、炉の数は潤沢ではない。
それに炉は都市の核たるものとも言えた。
何者かから平和裏に手に入れることは不可能だ。
炉が外部から手に入らないのならば、ビウモードで稼働している炉を犠牲にするしかない。
そうなればビウモードの市民たちに大きな不都合を与えることになる。
例えばそれは土壌の豊かさにも関わっているため、炉なきときの収穫に大きな痛手が出ることがまずは予想される。
ただ、それでも伯爵家同士の本格的な戦争になるよりは犠牲は少ないかもしれなかった。
「……行動騎士たる我々がイセリナ様個人をどうこうというのは手を回す暇はない。
ヤルバッツィよ、それは理解しているな」
「ええ、それは……」
「幾人かの伝を使い、イセリナ様にビウモードに来てくれるよう取り計らってみよう。
期限は冬の終わりまで。
ご容赦いただけますか、伯爵閣下」
「構わぬ。
だが……」
ビウモード伯爵は言葉を紡ぎかけて、それをやめた。
きっと上手くはいかないだろう。
イセリナは今やルルシエットでなくてはならない人材。
冒険者のみならず、多くの人間に愛されている。
何よりイセリナはビウモードと接することを拒否するだろう。
穏当に来てもらうことは不可能であれば実力行使。
しかし、その仕事を請け負うような人間がどれほどいるか。
ドワイトとヤルバッツィがそれらを行うことで納得するというなら成功の可否が問題ではない。
伯爵はそう考えて言葉を紡ぐのを辞めた。
結果はやはり、伯爵の考えた通りになった。
ドワイトが頼みにしたものは人手に困り、賊を使い拐おうとし、失敗に終わる。
ルルシエット領との戦いは不可避となった。
この状況はどこから始まったことなのか。
自分が騎士として召し抱えられるに至ったときから思い返す。
あるとは思えないが、過去を想起し、何か解決の糸口がないかを探す。
逃避行動に過ぎないことは、自分でもよく理解しているつもりだ。
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継暦133年、夏。
木こりの倅として生まれ、しかし木々と対話するようにしながら森に入り、
木を生かすために倒すその才能を持っていなかった自分──ヤルバッツィは冒険者となった。
跡継ぎ問題に関しては弟たちがいる。
彼らの才能は本物だ。
羨ましくなるほどに、理想的な木こりの才能を持っていた。
だから自分は冒険者の道を選ぶことができた。
最初の依頼で臨時の一党を組み、ともに戦うことになったグラムさんは自分たちを生かすために命を捨てた。
一日も一緒にいなかった相手だったが、人のために命を投げ出した姿に自分は焼かれた。
こうありたいと思う理想に焼かれたのだ。
紆余曲折、というほどのことではなかったがビウモード伯爵家に巻き込まれる形で、自分たちは通常の冒険者と違う道を歩むことになる。
ビウモード伯爵家の太子であるビュー様の実質的な配下として囲われることになった。
そこで出会った令嬢、メリアティ様に掛かっている呪いを解くために働きはじめた。
他の二人、ルカルシとウィミニアはもしかしたなら自分に付き合うなり、命の危機を感じて渋々だったのかもしれない。
それでも彼女たちも前向きに伯爵太子と伯爵令嬢のために動くことを拒否はしなかった。
厭々やっているという態度があるわけでもない。
必死になって伯爵家のために働いた。
正確には、メリアティ様のために働いた。
あの日見た彼女に、自分は心底惚れ込んでしまった。
自分は英雄のように、出会ったばかりでの他人のために命を投げ出せるような男にはなれない。
でも、せめて惚れた相手のために身を粉にして働くくらいのことはしたかった。
その一歩がいつか英雄の道に繋がるかもしれないから。
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継暦133年、冬。
働き始めて少し経った頃に俺──ヤルバッツィは伯爵に呼ばれた。
つまりは伯爵令嬢たるメリアティ様と、伯爵太子であるビュー様のお父上であり、実質的な雇用主でもある。
これまで彼と会ったことがなかったのは単純に身分の問題だけだと思っていたが、
どうやら随分と長い間、伯爵領を空けたり、短期間戻ってはまた空けたりの繰り返しをしていたらしい。
大貴族なのだから、どーんと邸でふんぞり返っているようなイメージが勝手に作られていた。
「話はドワイトから聞いている。自己紹介は互いに不要だろう。
わしには時間がなく、ゆるりとすることを楽しむほどお前も年老いてはいないだろうから」
重厚な、と表現できる風格の持ち主。
ビウモード伯爵という人は俺が思い描く『偉い人』そのものであった。
ビュー様も優れた体格を持っていた方だったが、その父上も偉丈夫の風格に満ちていた。
「伯爵様がお許しになるのでしたら」
名乗り上げが不要だと言うなら従う以外になかろうし、
俺もこの堅苦しい空間で自己紹介をしようものなら呂律が回らなくて舌を噛む自信があった。
「娘のために働いてくれているようだな」
「……は、はい」
「娘を好いているか」
「それは」
はいと答えれば身分の違いを知れと叱責、最悪斬られる可能性すらある。
いいえと答えれば娘に魅力がないかと詰められかねない。
詰みって奴なのでは?
であれば、せめて自分に正直にいるほうが幾らか納得ができる。
「その、……はい。
あれほど美しい方を見たのは初めてで、あの方のためならどんな労苦も厭わずできると思ったのです」
「……そうか」
惹かれたのは外見ばかりではない。
ただ、俺の表現力ではそれを伝えきれないと思った。
だからこそ、こうした説明になってしまった。
では死ね、とかはなさそうだ。
「少し昔のことを話すが、よいか」
「はい、お聞かせください」
うむ、と伯爵は頷く。
そのあとに自分の手に収まる指輪を撫でた。
「わしは妻に早くに先立たれてな。
メリアティを産んで、数年後だった。たちの悪い流行り病で死んだ。
……世間的にはそうなっている」
「世間的には?」
「妻はメリアティのために死んだ。
代わりに犠牲になった、というべきかもしれぬが」
それについての詳細を話すつもりはないのか、閣下はそのまま言葉を続けた。
「ここから先の話を知るものはそう多くはない。
その上で、ヤルバッツィ。
お前が望むのであれば娘の呪いのことも、お前がやるべきこと……いや、やれることを授けることができる。
だが、それを望むのであれば」
彼は机を拳で二度叩くと、それを合図としていたのか別室から魔術士が現れる。
「彼奴は流れの魔術士だ、裏社会の住人でな」
伯爵が顎で指図するようにすると、魔術士は頷く。
「初見さん相手に名は明かせませんが、ご容赦を。
職業柄、恨みを買いやすいものでしてね」
声からすると男だが、年齢はわからない。そういう喋り方を意図的にしているのだろう。
フードを目深に被り、着ぶくれしてそうな見た目だ。
何から何まで、己を知られまいとしている。
「得意なことは、まあ、人材商の皆様がお望みになることの多い儀式です。
つまりは隷属でさぁね。
引く手数多ではありますが、死に手も数多。
まあ、隷属も絶対的なものでもない。縛る手段もあれば解く手段もある。
解かれたものに殺されるものもまた数多」
おっと、また喋りすぎましたか。悪い癖ですね、と。
「隷属の魔術や請願よりも儀式のほうが効果が強く、
また広く条件が取れるものでして……と、うんちくは必要ございませんね。また長くなりますから。
早い話が、あなたが納得すれば私は儀式を行う。
儀式を行えば伯爵閣下はあなたに何かを授ける、とまあ、そういう話です」
よく回る口だ、と思った。
否定的な意味ではなく、むしろ羨ましい。
田舎者の俺にはない軽妙さがそこにあった。
「伯爵家に関わる重大な秘密が関わることだ、隷属によって縛りでもせねば伝えもできぬ」
「……なぜ自分に?」
「忠実な犬が一頭欲しかった、そう仰りたいのでしょう」
伯爵は術士が挟んだその言葉に叱責をしない。
貴人が言いにくいことを言うのもこの男にとっての仕事のうち、というわけだろう。
「全てのことが上手くいくならば、我が家にお前を迎え入れてもよい」
「それは」
「娘をやる、そう言っている」
投げ掛けられた言葉に頭が真っ白になった。
彼女をモノ扱いするような言動はカチンと来たのは確かだが、それ以上に一目惚れした相手と一緒になれる。身分の差があっても、それを越えて。
その事実にこそ頭が真っ白になったのだ。
「……わ、わかりました」
それはまさしく甘言であった。
だが、それに乗ったことを間違いだとは思わない。
この取引がなければ、魔術も請願も扱えない木こりの息子の自分がこの件に関わり続ける椅子を用意されることはなかっただろうから。
勿論、本当に婚約するかどうかは、メリアティ様次第だ。
いやがられるならば無理強いなどしたくない。
「儀式を受け入れます、機会をいただきたいです」
娘を道具のようにして扱うような発言をした伯爵が、
俺にとって『第二の父』と尊敬し、大恩を受けるとは思ってもいなかった。




