089_継暦136年_冬/A07
よお。
何かと対話していたオレ様だ。
『魔剣を構えてください』
腰にあるケネスから受け取った魔剣を握る。
デザインとしちゃ、本当に普通の剣だ。
エセルド監獄で使った魔剣みたいな奇っ怪な形状をしているわけでもない。
ただ、素直なデザインだからこそ、素直な性能が宿るものか。
『機能は大いに本来の私に劣りますが、最低限の仕事はできそうです』
(本来の私って、ロドリックの?)
『ええ。君が命を落とすきっかけになったもの。
しかし不思議ですね。
君は死して、しかし再びそこに存在する。
存在としては私に近いものなのでしょうか』
(あんまりそこは考えている暇はなかったし、今はそこに意思を傾ける気もないかな。
無駄だしね)
『無駄?』
(何度か死ぬと、記憶が巻き戻されるっぽいんだ。
自覚が無い以上は戻された過去があるかもわからないけど)
『廃材となった魔剣も、そのように利用することがあります。
機能の消失を終点とせず、有用な再出発とする。
その点においてもまた、私たちと似ているのかもしれません。
或いは私自身がそうであって欲しいと望んでいるのか……──いえ、これ以上の雑談のいとまはないようですね』
(アンタが話し始めたんだろ)
『対話できる相手に飢えていたからでしょうか、つい饒舌に。
失礼いたしました』
言っていることも八割方わからなかったが、それ以上に目の前にいるかのように高速で巡る思考の中で会話できていることが不思議だった。
アルタリウスはあの魔剣に存在した人格なのだろう。
それは理解はできる。
それがなにかの拍子に亡霊かのように、オレに取り憑いたんだろうか。
だとしたら何故今まで目を覚まさなかったのか。
ダルハプスの言葉に思考は中断される。
「さあ、それを、イセリアルを返すのだ」
「物みたいに扱うなって言ったよな」
「知ったことか。それは吾の所持物だ。吾のために存在するものだ」
彼女を庇うようにして魔剣を抜く。
「それを返せ。
イセリアルを。それを吾に返すのだ」
「この娘はそんな名前じゃない」
ちらと視線を向け、頷く。
名を定めたのだと。
「イセリナ。
イセリアルなんて物みたいな名前じゃない。
上品でいい名前だろ?
あー、いや、ごめん。お前みたいな下品なアンデッドじゃわからないか」
「誰が下品だと」
「お前だよ、お前。
影から出てきて現れて、名前も告げずによこせの一点張り。
路地裏のチンピラとの違いなんて鎧を着ているかどうかだけだよ、わかってる?」
血が通っていないからだろうが、通っていたなら顔を赤くして怒り狂っていただろう。
その代わりにアンデッドは不快な圧力を闇とともに発する。
『彼の制御下にないインクを感知。感情の高ぶりですね。
挑発はよい手です。
対象は既に肉体を持たないアンデッド。
その構成物はインクそのものであり、
インクの消費はそのままダメージと同じ意味になります』
(勉強になります)
姿のないアルタリウスの、見えないドヤ顔が見えるようだ。
「……吾の名はビウモード伯爵。
だが、時代は流れ、その名は吾の血裔が継いだ。吾には劣るもよくやっている。
故に吾はこう名乗ろう。
ビウモード領となる以前にあった、しかし忘れ去られた美しき湖沼と同じもの……ダルハプスと」
ダルハプスは手を前に突き出す。
その体から漏れ出た闇がゆっくりと剣の形状へと変わっていった。
見た覚えのある形状、あれは──
『かつての私と同じもの。
ロドリックが作り出したものが最高傑作であり、それ故に執着するのはわかりますが……。
あのように形ばかりの模造品を作られれば不快感も増すというもの』
アルタリウスは無機質な声を紡ぎながら、しかし感情がないわけでもないようで、
怒りがそのままにケネスの魔剣から燐光を発する形で発露する。
「ヴィー様……」
「イセリナ、大丈夫だ。
何があっても自由にしてやる。
まずは名前の不自由さからの脱却で第一歩だ」
「……はい!」
彼女はオレを全面的に信頼してくれている。
オレはそれに報いることができるだろうか。
『報いて貰わねば困ります』
(人の心を読むなんてスケベなやつだな)
『それは失礼しました。
君の力をお借りした結果ではあるだけなのですが』
(借りた?)
『私はそもそも生物ではありません。ロドリックの魔剣が持つ機能ですらないのです。
ただ、ロドリックの強い想いが魔剣に、私という自我のようなものを与えたのです。
彼自身はそれを知ることもなかったようですが』
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継暦85年。
私が生み出されるまで、一年の月日が掛かった。
それだけの品質だ、自画自賛することに何の躊躇もない。
そして、造物主であるロドリックもまた、そう思っていたに違いない。
彼は魔剣を作ったものの、当時のビウモード伯爵……今しがたの名乗りで言えばダルハプスは完成した魔剣を要求したがそれを拒否した。
理由?
単純なことです。
強力すぎたのです、私は。
……どれほど力があるかは君自身がよくわかっていると思いますが。
それによって結果として献上せぬならお前がルルシエットのバスカルを討ってこい、そういう話になりました。
元々の目的がそうなのだから、討手が変わるだけなら構わないという判断なのでしょう。
戦いに赴く条件は変わらず、ロドリックは自身の妹の娘、つまりは姪御であるロザリンドの命の保証でした。
約束は結ばれて彼はバスカルと戦い、相討つ形になってしまった。
さて、私がここにある理由は魔剣として生み出されたからばかりではありません
私は魔剣。
生命でもなく、いうなれば、個人であるわけでもない。
私は魔匠ロドリックが武器に籠めた思いが自我を持ったもの。
ロドリックが死した場所にダルハプスは現れていました。
その側にはロザリンド、つまり命の保証をしたはずの姪御も。
「魔剣は未だ抜けぬか」
「はい、術士たちも必死になりましたが、どうあっても解放できないと……。
恐らくはこの魔剣の力を危険視した、この戦いの関係者の手によるものかとは想いますが極めて複雑化した封印になっておりまして」
「解く気がないからこそ厳重にもできる、か。
ふん。であれば」
ロザリンドは魔剣の側に転がされました。
そして、彼女はダルハプスに組み伏せられると、未成熟な体を自らの手を使い、酷い方法で破壊し尽くしたのです。
「魔剣に思う心でもあるというなら、解放されろ」
破壊しながらダルハプスは言います。
けれど、そのときの私はバスカルとの戦いもあって自我はあっても身動きなどできるはずもない。
……私とて、身動きがとれるならばとりたかった。
それから永い時間の後に、君の手に握られることになります。
こうして君と対話できているのは君の技巧がロドリックに通ずるものがあったから。
魔剣に残っていた私を君の技巧が引き上げた。
君が偸盗と認識するものにあるのは、解析。
数多を理解するための力。
君は魔剣を通じて残存していた私を無意識に解析し、
死して、しかし再び目を覚ますその不思議な魂の再生に巻き込まれる形で私を結びつけてしまったのです。
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(解析?)
『触れたものの付与の質を理解することができるでしょう』
(……ああ、確かにある)
『それこそが解析。
低位のものは与えられた銘や、微かに力を理解する程度。
高位ともなれば多くのことを理解する。
君はその扱いかたすら解析した結果から、どのように使うかまでを理解できる。
だから魔剣たる私をインク切れで死ぬほどに使うこともできた』
(そうは言われても、自覚もないんじゃ──)
『言ったでしょう。
君が偸盗と呼んでいるものを詳らかにすると』
手にあるケネスの魔剣のことは調べているはずだった。
しかし、魔剣側から誘われるような感覚がある。
恐らくはケネスの魔剣の中にあるアルタリウスのものだろう。
「ヴィー様! 来ます!」
イセリナの声。
どうやら何もないところから登場したダルハプスだったが、ある種の受肉というか、手足を始めとして全身を恐らくは生前の姿として作り上げていた。
老人の姿ではあったが、その踏み込みの鋭さは外見年齢のそれとは異なる恐るべきものだ。
ふんぞり返っているだけの伯爵のそれではない。
『問題はありません。
解析を進めましょう、やり方は』
(今までのとは違うものだ。
詳しいというか、複雑というか)
『私の持っている感覚を共有できている証明です。
正確には私の持っている、ロドリックの記憶の残滓ですね』
(高位の解析を持つってのはこういうことか)
かつてケネスの魔剣を振るっていた、オレの知らない英雄の記憶がそこにある。
思い出があるわけではなく、どうやって剣を振っていたかの記憶だ。
付与術の中に蓄積した情報はどのように自らを扱えばいいかをオレに教えていた。
ダルハプスの模造魔剣を剣の腹で滑らせ、
(この剣で袈裟斬りにするのには不向き。
端から切り落とすべし、か)
魔剣に眠っていた経験と機知がオレに助言するが如くに伝わってくる。
従うようにして、ダルハプスの片腕を切り落とす。
人間のように落ちるわけではないが、切り落とされた部分は黒い霧となって霧散する。
「ぐ、グヌゥ……貴様ァ……」
「苦しそうだな、ダルハプス」
「……この、程度ォ!」
闇が破裂するようにして切り落とされた腕が根本から生えて戻る。
「大丈夫です、ヴィー様。
インクの総量は減っている、確実に損傷を与えているのを感じます!」
『解析もなく、それを理解するとは。
……なるほど。彼女もまた君に似たものなのですね』
何を意味しているところかまで、今は考えている暇はない。
「イセリナ、退路があるかを見ていてくれ。
見つけ次第、全力で逃げるぞ」
「はい!」
「逃がすと思っているのか、小僧がッ!」
「ああ、逃げられると思ってるよ、こっちは!」
魔剣の知識が動きを教える。
剣を弾き、ダルハプスの体を端から削ぎ落とす。
『彼女の言う通り、インクの総量は減っています。
ですが、このままの戦い方で殺しきれるかで考えれば難しいでしょう』
(じゃあ、どうすりゃいい)
『以前やったときと同じことを試してみるのはいかがでしょうか』
(インク切れで死ねってのかよ)
『そこまでの出力はこの魔剣ではとても。
ですが、魔剣を犠牲にさえすればダルハプスを消し飛ばすこともできます』
(……消し飛ばしたいか)
『それは……。
どうでしょうか』
(ロザリンドだっけか。……無念だったろうな)
『所詮は作り物の私にはそこまでの心の機微は』
(ごまかすなって。
言えよ、アルタリウス。
ロドリックに代わってその反故にされた約束の、その怒りってのをぶつけたいって。
そうすりゃ、言う通りに戦うよ。
オレだって、イセリナを物扱いしているコイツに腹は立ってるんだ)
『……ええ。
ええ、そうです。
あのような幼い子を蹂躙するなど許されない。命を削ってまで作り上げた魔剣を奪うために犠牲にしたことも許されない。なにより約束を違えたことがなにより許せない。
私は……私はダルハプスを滅ぼしたい。徹底的に。完膚なきまでに。
だから、どうか君の力を』
(よし、わかった。
それじゃ、やり方を教えてくれ。
あの老いぼれアンデッドをここから消し飛ばすための手段ってのをさ)
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私──つまりアルタリウスが持つ知識や記憶は人間のものとは異なる。
その多くはロドリックが生きて培ったものを拾い上げただけである。
ヴィルグラムの持っている技巧を詳らかにすることは可能だった。
むしろロドリックでもない、ヴィルグラムでもない、完全に他人の目線を持つ私だからこそ、冷静に分析ができた。
偸盗。
確かに『らしい』名称ではあった。
盗み出すもの。
ただ、それは手癖の悪い盗賊の技にのみ特化したものではない。
深く読み取る『解析』。
付与術の在り方を変更させる『改装』。
或いは、魔剣から現出した私からは見えない力がそこに働いている可能性もある。
私ができることは魔剣が持つ付与の力をより『改装の技巧』を働かせやすくするために視覚化することだけだ。
だけといっても、彼にはそれで十分なはずだ。
偉そうなことを言ったが、なんてことはない。
彼はそれだけの才能と力を持っている。本来であれば私如きの助力など不要なはずだ。
どうやらそれを忘れてしまっているようだが、身に備わったものというのは頭で考えるだけで完結しているわけではない。
触れることで思い出すものもある。
私はただ、触れさせるだけでいい。
『扱いやすい性質の魔剣ですね』
(オレ様が技巧使ったときよりも見えるものが多い。
これはアルタリウスの力?)
『一応は、そうですね。
あくまで君の補助をしているに過ぎないし、すぐにその補助も不要になるでしょう』
(なんか少しさみしい物言いだね)
そう言いつつも、パズルで遊ぶように可視化された情報に触れている。
(斬撃じゃあ損傷は与えても、殺し切るのは難しい?)
『個体次第ですが、今回に限って言えば意味は薄いでしょう』
(有効な手段は?)
『撹拌、でしょうか』
(撹拌? 混ぜるの?)
『ええ。ご覧になったとは思いますが、ダルハプスは骨も肉もあるようには見えますが、
切り落とした時に霧のように崩れたでしょう』
(そうだね。また生えたけど)
『自らが動きやすいようにと、そのように構築しているだけでアレはあくまでインクがそこに漂っているに過ぎません』
(ああ、なるほど。
インクを集めて再生しようとするなら、集められないくらいに散らしてしまえばいい。
そういうこと?)
飲み込みが早い。
実際にただインクを散らすだけでは意味がないが、それについては理解しているようだ。
だからこそ徹底的に撹拌してやれば、ダルハプスを構成していたインクは自らの認識を失って元に戻れなくなる。
この少年は何者なのだろうか。
私もアンデッドであったとして、彼に取り憑くことができたなら知ることができるのか。
……いや、アンデッドではないが、取り憑いているという意味ではかわらない。
彼がインクを使い果たして死んだとき、私もまた消えるはずだった。
しかし、彼の魂は新たな器を得て、目を覚ました。
彼の覚醒と共に、私も同様に気がついた。消えていないことをだ。
暫くは残滓を拾い集めるのに必死で声をかけることはできなかったが、準備が整った今であれば、こうして語りかけることもできる。
あの少女──イセリナと名付けられた彼女も、彼と似たようなものであるとも感じる。
どちらにせよ深く調べることもできない以上は予測にすぎない。
造り出された存在であろうことは、似た存在の自分だからこそ理解できた。
(そうか、これで、……うん。
アルタリウス、これどうかな)
私が少し考え込んだ間に──高速回転するヴィルグラムの思考の中なので現実的には時間はまるで経過していないが──彼は答えを出したらしい。
「西南の方じゃ、風が渦を巻いてなにもかもなぎ倒す現象があることを思い出したんだ。
理屈的にはそれと同じ。回転して、巻き込んだものを外側に弾き飛ばす。
これならインクで構成された体も、削ったインクも一気に吹き飛ばせるでしょ」
『インクを剣気のようにまとわせて、急速に回転させる……』
実際に存在するわけではないが、脳内の設計図を彼は提示した。
彼の中に寄生しているような形であるからこそ、彼がそうして提示するものも見れるわけだ。
魔剣からインクが溢れ、それが特定の方向へと吐き出されるように改装されていた。
動かされるインクは細長く先端が尖った、巻き貝のような形状となる。
効率的な撹拌装置といえるだろう
『十分な効力が見込めそうです。
……これで行きましょう』
「ああ、行こう」
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高速回転する思考から脱したオレは叫ぶように問う。
「ダルハプス! 一つだけ聞くぞッ!」
「何をだ、小僧」
「ロザリンドという少女は覚えているか。
ロドリックの姪にあたる娘だ」
「ああ、覚えているとも。無意味な命と無意味な死であった。
柔い肉であったこともな。惜しいことをした。エルフどもと同じように崩して風呂の湯にするべきであったわ。
それならば少しは意味を持たせてやれたものを」
「……そうかい。それが聞ければ……」
整理した付与術を起動する。
急速にインクが注がれていく。
小さな目眩を覚えはするが、問題はない。
「もう十分だッ!!
消え散れッ、ダルハプス!!」
驚いたことが一つある。
回転するインクはそれそのものが推進力を得たように、前へと突き進む。
より多くの力を注げば、より早く突撃することができるだろう。
ほんの一息でダルハプスの片腕と脇腹を削り、砕き、そうして散ったインクを更に撹拌する。
制動が難しいが、それも回転の出力を弄ることでなんとか手綱を握ることができた。
「ゴァアアァァァアアァ!!!!」
喉から発せられる声ではない。
その体全てから音が鳴る。そうだ、こいつは人の姿を取っちゃいるが、形だけだ。
そのものはここに現れたインクの集積物。であれば喉を介さずに叫ぶことくらいはするだろう。
「消えた!? いや、移動したのか!?
な、何をした……、小僧ッ」
「言ったろう!」
破壊しながらも通り抜けたオレは再び、次は更に力を注ぎ、踏み込む。
「消え散れってさあッ!!」
ダルハプスの体のど真ん中を貫くようにして、完全に霧散させる。
悲鳴もなく、アンデッドを破壊した。
インク切れで死ぬことはなさそうだが、全身が重い。
「ヴィー様!」
駆け寄ってくるイセリナ。
「無茶を、させてしまいました……。
ごめんなさい……」
「イセリナ」
「……はい、ヴィー様」
「こういうときはごめんなさいじゃなくて、ありがとう、のほうが嬉しいな」
「……はい。
助けてくださって、ありがとうございます」
微笑んだ彼女を見ると心が暖かくなる。
まだ問題は山積みだが。
ツイクノクに雇われたディバーダンと、ビウモードに雇われたケルダット。
そのどちらが勝利したとしても自由は約束されていない。
いっそダルトナ子爵を頼ってみるってのもありかもしれない。
ケルダットがビウモードと冒険者ギルドの関係は冷え切っている、とか言ってたっけ。
……アイツもお人好しだな。
もしも自分から逃げ切れたなら、その後は冒険者ギルドに頼るってのも道って言いたかったわけか。
よし、それなら──
そう思ったときに、重い衝撃が背中を走った。
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ヴィルグラムが気を抜いていたわけではない。
むしろ、これまでの経験から倒した後にこそ危険が来る可能性があると考えてすらいた。
アルタリウスが気配を感知していなかったわけではない。
むしろ、造物主の無念を晴らすために目を凝らしていた。
アンデッドであればこそ、蘇るなり、再結合なり、どうあれ即座にリベンジをしてくる可能性を強く警戒すらしていた。
イセリナが目を背けていたわけではない。
ただ、彼女だけが起こったことを見ていた。
それは、何もない場所から、剣だけが現れ、勢いをつけるではなく、どこで加速したのかまるで巨漢が全力で振り回したかのような一撃が突如として現れてヴィルグラムの背を打った。
ヴィルグラムはイセリナの方へと倒れ込みそうになり、踏みとどまる。
「吾は」「吾は」「吾は」
「吾は」
「吾は」
「吾は」「吾は」
撹拌したのが失敗だったわけではない。
むしろ、アルタリウスが提案したのは最も正確なダルハプスの撃破方法であったと言える。
問題は、ダルハプスが一人ではなかったことだった。
七つの黒いモヤのようなものが、不定形に蠢いていた。
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「そう、来たかあ」
深い傷ではない。
強い衝撃は走ったが、刃が立っておらず、切り裂かれずに済んだ。
とはいっても鉄塊で殴られたに等しいのだから痛みは当然ある。
それでも、生きているというだけで十分だった。
『ごめんなさい、まさか……』
(誰だってダルハプスが複数いるなんて思わないって)
「小僧、小僧、小僧……貴様だけは許せぬ。
もはやイセリアルなどは二の次。
吾が生命の一つを破壊したこと、どうあっても許せぬ」
「見たところ、残り七つの命ってわけだ」
「今は七つ。だがイセリアルを使えばより増えることができよう。
短命の呪い、その受け皿たる娘。
だが、だが、だが、……だが、それだけではない。いや、それではない。
愚かな血裔どもはなにもわかってなどいない」
(随分と喋ってくれるね)
『一つの命が破壊されれば、死を迎えるのと同様の衝撃を受けるのでしょう。
いわば錯乱状態にあるわけです。死んでいながらも、生きている自分に対して』
(復活のトーシロか、哀れなもんだね)
軽口は叩く。
だが、先があるわけでもないかと苦々しい気持ちが浮かぶ。
それでも諦めてここで特攻するつもりにはなれなかった。
するにしても、この選択肢なき闇の中で、選択肢を何とかして得るまでは、死ねないと考えていた。
死ねば、イセリナはこの怪物の手に落ちてしまう。
錯乱状態であるというなら、むしろ都合がいい。
言葉を刃にした二回戦の幕開けである。
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「ダルハプス!
お前はビウモードの伯爵じゃないんだろう!
一人ぼっちでイセリナを追いかけて来たのか?
そうだよな、お前みたいな怪物に誇りある傭兵のケルダットが従うわけがないものな!」
痛みは少しずつ引いていく。
のっそりと立ち上がったオレはそうして挑発を行う。
安い挑発だが、安いほうがこういうお貴族様には通じやすいような気がしたのだ。
「伯爵であるのは変わらぬ!
血裔どもにその座を貸してやっているに過ぎぬ!
誇りある傭兵?
そんなものなど知らぬわ!吾は一人にて完結した存在。
余人を食らうことはあっても、最早他者を下につける意味などありはしないのだッ」
そして、その予想は正しかった。
「え?
じゃあお前んところって家族でイセリナを奪い合ってんの?
おいおい、みっともないって。
確かに美人だよ、イセリナはさ。上品だし、かわいげもある。
だからこそお前みたいなアンデッドには過ぎたる娘だとは思わない?
せめて取り合うんじゃなくて子孫の顔を立てるかとかはないんだ?」
「愚かなことを。
全ての血裔は、吾のためにあるべきであろうが。
吾のことを認識しているやおらぬや知らぬ。
興味もない。
だが、知るならば崇め奉るべきであろう。
吾があるからこそ己があることを理解する程度の脳は持っているはずなのだからな!」
『つまり、ケルダットの雇い主である伯爵とは無関係。それどころか』
(恐らく、どちらがイセリナを手元に置くかを争っているほどですらある。
それならまだ光明はある)
ケネスの魔剣を握る。
幾つかの付与術に変更を加えながら、ちらりと逃げてきた小道を確認する。
あのダルハプスが疾駆する速度はどれほどのものかはわからない。
不意打ちを食らったあの突発的な出現については、撹拌されたダルハプスのインクに紛れていただけだろうことは今更ながらに思い至った。
もっと早くに気がつけば不意打ちを受けなかったが、今気がつけただけでもよしとしよう。
であれば、百歩先、千歩先まで逃げても追いかけられる可能性を考慮しなければならなかったからだ。
そうではないのなら、ダルハプスが驚異的な出現能力を持っていないというなら逃げ続ければいつかはアイツも追いつけなくなるだろう。
小道の先に進めるかどうかに賭けるのが一番分のいい命の張りどころである気がした。
「イセリナ、光ったら来た道を戻るんだ。
オレ様もそっちに走るから」
「はい……」
「何の相談だッ」
「決まってる」
剣を向けると同時にインクを拡散する。
何の痛痒もない、無意味なインクのバラマキ。
だが、考えもしない一撃を受けたばかりのダルハプスにとって、残った七つの命が失われるのかもしれないという危惧から徹底的な防御姿勢を取る。
取らせた、というべきか。そっちのほうが気分がいい表現だ。
インクが晴れる頃にはオレとイセリナは小道へと到達していた。
「逃がすと思っているのかァッ!!
小僧!
イセリアル!
逃さぬ!絶対に、絶対に逃さぬぞッ!」
アルタリウス風に言えば『制御下にないインク』の雄叫びと共に七つの黒いもやが一つに結集し、
骨と肉を擬似的に作り出す。
二回戦目、言葉の刃による戦いは策略を含めてオレの勝利だ。
でも、勝利をもぎ取っても、戦いは終わっていない。
命の危機も、逆転敗北の可能性もまるで消えてはいない。
この後に控える三回戦目。
そこが大一番になるだろう。




