088_継暦136年_冬/A07
よお。
なんやかんや危険のない状況のオレ様だ。
その危険のない中で、数日間の足止めを食らっている。
足止めそのものがどうにもならないのは理解できている。
現在滞在しているのは『ダルトナ子爵領』といい、名前の通りダルトナ子爵閣下が運営している街。
中立中庸を標榜してはいるが、その実、ツイクノクの後ろ盾によって(表向き)独立を維持できている。
実質的にツイクノクの子分のような関係らしいが。
数日の間に色々と調べたが、まずはこの街は後ろ盾のツイクノクよりも発展し、金もある。
ないのは武力であり、その部分をツイクノクが握っている。
一方でツイクノクは金がない。
ダルトナのようにアレコレと後ろから支配しようとするあまり、懐事情的に相当追い詰められているのだとか。
冒険者や子爵側の人間と立ち話をする機会を得て、そこから知れたことは可能な限りダルトナはツイクノクから離れたがっている。
それは領地全体の、事情を知っているものたちの総意のようでもあった。
足止めされているのも、実質的にディバーダンやイセリアルを人質にした交渉をしているのかもしれない。
恨みはしなかった。
お陰で街を回れたり、色々とすることもできた。
なにより、聞けば聞くほどにツイクノクの性格の悪さも知ることができた。
街の人間だけでなく、行商人やら旅人やら、他の街から流れてきた冒険者が云うのだから相当なものだ。
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少し時間を戻し、彼女が、
『私は人間ではない』と発言したあたりから。
それきり、彼女は黙ってしまった。
否定をしたかったが、どう否定すればいいかがわからない。
あれやこれやと理由を探すが、見つからなかった。
その日は特に会話もなく就寝となる。
警戒していたせいで眠りは浅かったが、問題は起きなかった。
翌日、彼女は
「昨日はごめんなさい。
あのような態度をとってしまって」
そう謝ってきた。
彼女が謝るようなことではない。
オレも「無神経だった」と謝罪し、
「お互いに悪かったってことで、お互いに歩み寄ろう」
彼女は頭にハテナを浮かべるが、頷いてくれた。
その日は外に出ることにした。
尤も、ディバーダンの監視付きではあったが。
このディバーダンという男。
陰湿にも思える口ぶりから来る、どうにも信のおけない雰囲気はあるものの、話せば案外面白い男だった。
それに口ぶりが陰湿なだけで面倒見も良い。
年齢は四十かその前後。年から来るものもあるかもしれないが年下のオレやイセリアルを気遣っているようでもある。
例えば、
「ヴィルグラム殿、これを彼女にどうですかな」
ときに甘いものを差し入れろと云い、
「衣服の替えはないでしょうから、買いに行くのはいかがです。
勿論、こちらからも手伝いのものを寄越しますよ」
ときに衣服を選ばせ(ディバーダンがこの街にいた臨時雇いのメイドと共にというのも助かった)、
「夕食は静かな店がよいでしょうな。
我々も監視できるところにはいさせていただきますが、席はお二人で」
ときに食事のことを気にして、
このような形で、前述のとおりに気遣っている。
どうにもこの男はオレと彼女の間になにかトラブルがあったと思っているようで、
関係性の修復を手伝ってくれているようだった。
お陰で彼女との距離は確かに縮まった。
衣服を選ぶ頃にはすっかり元気になっていて、選んだ服から
「ヴィー様はこういうお召し物が好みなのですか?」
などとからかってくる。いや、存外本気なのかもしれないが。
近くにいる人間がきれいな格好をしてくれることは嬉しいが、好きなものを身につけてほしいという気持ちも強かった。
臨時雇いのメイドは
「では、一週間のうち三日はヴィルグラム様のお好みのものを、もう三日はイセリアル様のお好みのものを選ぶのはいかがでしょうか」
という提案をしてきたので頷く。
しかし、
「残りの一日はどうする?」
「勿論、わたくしが趣味で選ばせていただきます」
何が勿論なのかはわからないが、このメイドの口ぶりが面白かったのもあって、彼女に選ばせた。
ちなみにメイドが選んだのはいわゆる不良風のというか、下品過ぎではないものの、結構際どいものだった。
ディバーダンはその服装に対して、攻め過ぎではないかと云うも、
メイドは大きなため息をついて、
「わっかんねえようですわねえ、ディバーダン閣下にはこの位階の話は……」
などと。
雇われとは思えない尊大な態度だが、オレは面白かったのでその態度を許してやってほしいことをディバーダンに告げる。
彼自身もそうした態度のメイドこそが雰囲気を明るくすると考えて雇っていたようだった。
この日は実に平和だった。
ディバーダンが選んだ店も雰囲気がよかったし、その後にも何があるわけでもない。
勿論、毒や何かが入ってないかの警戒はしたものの、その点においても杞憂だった。
まあ、男爵の手のものかどうか、確実な判断が下せるまでは何もできなかろうと高をくくってもいるところはある。
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油断していたわけじゃないけど、と言うと言い訳に聞こえるか。
そうした日々が数日続いたある日のこと。
最初に気がついたのはメイドだった。
宿でお茶お淹れていた彼女が周りを見渡してから云う。
「お逃げください」
「どうしたのさ」
「戦意のようなものを感じます」
いつものどこか適当で、平和な日々を謳歌しているメイドの態度ではない。
護衛を含んだ戦闘契約を行えるというのが彼女の本性であるようだ。
鋭い目つきで警戒している。
それからすぐにメイドが先導するように逃走を開始した。
頭から足先まで信用しているというわけでもないが、彼女の選んだ移動ルートはオレも選ぶであろうものだったし、不審もない。
ただ、逆に言えば他のものも予測が付いてしまうもの、ということだろう。
これに関してはメイドが悪いわけではない。
彼女がおらず、オレだけだったとしても同じことになっていた。
「ヴィルグラム様ッ!」
逃走しているときに矢が放たれ、オレを守る形で彼女が射たれた。
命には別状はなさそうだが、威力と衝撃からか、意識は失われているようだった。
「メイドが守るとはな。
賊から片付けたかったが、賊ってわけでもないのかね」
のっそりと現れたのは獣人の大男だった。
身なりからすれば騎士風ではあるが、貴族の類ではないだろう。
彼からは野戦の匂いが強く香った。お綺麗な商売をしているようには感じられないのだ。
「ヴィー様、お逃げください。
彼の目的は私です」
そんなことできるわけない、そう言いたいが、それを言われるのもわかっていてそれでも告げたのだ。
「彼はビウモードでも上澄みの強者です……。
ヴィー様が冒険者として優れていても……」
彼女の言葉にニィと笑って、獣人が云う。
「ああ、そうだぜ。
青色位階のヴィルグラム。
ここに来るまでに少しばかり調べさせてもらった。
冒険者ギルドの連中は嫌な顔をしていたが、ま……ビウモードと彼のギルドの関係性は既に冷えているし、問題もない」
げ、調べられたか。
……いや、でも考えようによってはオレの扱いがどうなっているかを知る機会でもあるのか。
悠長過ぎる考えだろうか。
だが、ここで会話に応じさせることができればディバーダンが駆けつけるだろう。
正直、彼も信頼できるわけじゃないが、少なくともメイドを射掛けるような奴よりはマシだ。今のところは、の判断でしかないけど。
「獣人さん、名乗る名前はないのかな」
「こっちばかりが知っていても、か。
俺はケルダット、ビウモードに雇われている傭兵だ。
狼人ってのは、まあ見りゃわかるか」
「で、ケルダット。
で、オレ様についてはどうさ。何かお気に召す点はあった?」
「正直、わからんことばかりだな。
俺自身が顔を出してあれこれ聞いたわけじゃないってのもあるが」
「素朴な疑問なんだけどさ、どうやってオレ様のことを知ったのさ」
「ディバーダンに伝えておきな。
次から雇うんなら安いチンピラは止めておけってな」
あー……なるほど。
そりゃあそうか。そればっかりは仕方ない。
名前とタグの色から調べたわけか。もしかしたら他にも調べる要素があるのかもしれない。
どうあれ、オレが何者かは判明させられたってのは動かしようのない事実だ。
「ウログマでの活動していたらしいが、かなりの部分が抹消されていた。
正直、お前が本当に青色位階の冒険者で、ウログマで活動していたってくらいしかわかってないんだ。
ただ、戦闘能力として特筆するべき部分があったとは書かれちゃいなかったそうだ」
「だから、負けることもないだろうって?」
「無様に負けることはないだろうよ。最悪でも相打ちは狙える。
目指すは無傷の勝利といきたいが……」
じり、と狼人が構えを取る。
「どうせ嬢を連れて帰れなきゃ縛り首だ、命以外は賭け金に使えるさ」
嫌とは言わせない。そう言わんばかりにそこらから傭兵たちが武器を構えて現れる。
弓手も三人ほど。
どうあっても逃さない。逃がすくらいなら殺してやるくらいの勢いだ。
いっそ彼女を人質扱いして逃げるのも手かもしれない。
気持ちのいいやり方じゃないが。
彼女もこちらを見ていて、オレが今しがた考えたことを実行しろと言っているようでもあった。
嫌な以心伝心だ。
そのとき、悲鳴が上がった。
弓手だ。次々と燃えて、転がる。
「間に合ったようですねえ」
傭兵たちで作られた人垣を斬り伏せて開きながら、チンピラどもを従えたディバーダンが現れる。
チンピラも少し数が減っていた。
裏切り者を途中で始末したのか、逃げられたのか、そもそもそういうこととは関係なく離脱したのかもしれない。
「ケルダットくん、彼女たちはこちらの客なのでね。
手出しはやめていただきたいものです」
「普段だったら頷いてやるが、こっちも命が掛かっているんでね」
互いに顔見知りなのか。
「我々は男爵とことを構える気はありません。
彼女を守ってください。
ときが来たなら、お迎えに上がるとお伝えを」
オレの隣に並んだディバーダンがそう告げる。
それに頷き、イセリアルの手を取る。
「置いていけ!」
「物みたく扱うな!」
「いいや、物さ! イセリアルという装置に過ぎんよ、そいつは!」
「ならこいつはイセリアルなんて名前じゃない!だったら物でもないだろう!」
「屁理屈を──」
「燃え掠めよ、逆巻く焔」
オレがケルダットと言い争い未満をしているところに炎が上がり、ケルダットはうめき声を上げた。
直撃こそしないものの、ディバーダンの炎で炙ってやることには成功したようだ。
勿論、言い争いは本心からではあったが、魔術発動と命中の隙を作ろうとしていたのも事実。
「ナイスアシストです」
ディバーダン。
この数日で友好関係を築けていてよかった相手と言えるかも知れない。
「置き土産さ。
まただ、ディバーダン」
「はい。またいずれ」
ただ、再会する日はあるかはわからない。
オレはイセリアルを連れて逃げ出す。
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「ヴィー様」
「なに?」
走りながら、というわけではない。
警戒のために歩きと走りを交互にしている。
ここで相手方とばったり、なんてあったらどうしようもない。
「その、先程は私の名称がイセリアルじゃないと仰っておりましたが」
「ごめん、完全な出任せだった。
けど、自分で自分を物みたいに扱うのは、なんかイヤなんだ」
一拍の後、彼女は云う。
「それなら、ヴィー様。
私に名前をいただけませんか。
いただけるなら、私ももう自分をそのようには扱いません」
「本当に? 約束だよ」
「はい」
といっても、自分の名前にすら困っていることが多い。
「その、なんていうか、センスがないというか」
「どんなものでも構いません」
「……それじゃあ。そうだな……。
今の名前をまるっと変えちゃうのはここまでの思い出も消してしまっている気がするから」
名を渡そうとした刹那。
夜の闇が走り、影は骨と肉の代わりとなり、何もない場所に一つの存在が結実した。
「止まれ」
呻くような、掠れたような声。
人間ではない。
「誰だ、……いや、なんだ?」
「『それ』の持ち主である」
その姿は闇から、或いは無から現れたにしては人間そのものであった。
鎧を纏った偉丈夫だが、その顔立ちは老人そのもの。
精悍である一方で、不釣り合いなほどに老いている。
瞳があるべき場所には空洞があり、そこにちらちらと紫色のほむらが灯っていた。
登場の仕方からしてわかっちゃいたが、こいつは人間じゃない。
いわゆるアンデッドだとか、その類だ。
……ただ、ソクナと一緒に戦ったゴルティアとはわけが違う。
ゴルティアは骨ではあったが、まだしも『そこにあったもの』である。
だが、こいつはなにもない空間から現れて見せた。
何もない場所から現れるというのは、それだけで極めて高度で、高位なこと。
物質に縛られないもの──つまりは魔術や請願といった『現象』そのものと同一である。
少なくとも、オレはそうしたものを記憶がある中で見たこともなかった。
存在としては、だが。
見たことも会ったこともないはずのもの。
だが、オレの体の内側が訴えかけている。
なにかが、このアンデッドを滅ぼせと叫んですらいる。
そうだ。
これは怒りだ。
オレのものではない怒りが煮えたぎっていた。
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「どうしても我が頼みを聞けぬか」
「ああ、聞けねえなあ。
そんなもんを作りゃあ、ようやく作り出された平和が壊れるだけだ。
オレはなあ、平和な世界で包丁でも作って過ごしてえんだよ。
それを魔剣を作れ、だ?」
「それによって我が民は幸せになるのだぞ?」
「馬鹿言うんじゃねえ!」
「……どうしても、聞けぬか」
「くどいッ」
「『あれ』をここに」
「この娘は貴様の妹、ロザリーの実子。
世界最高峰とも謳われる解析の技巧を持つ貴様であれば、判断もできよう」
「作るか、どうかだけを問うぞ。ロドリック」
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意識の裡とも言える場所。
時間の流れを遅くしたような中。
技巧が読んだだけだと思っていた。
だが、どういうわけか、怒りの感情がそこにある。
その怒りの感情が拍動するように、硬質なものがぶつかる音が一定のリズムで響いている。
『あの存在を打ち倒すのです』
「誰だ、アンタ」
『存じているはずです』
じきに思い出すだろうと言いたげでもある。
「オレ様に何かを望むために現れたのか」
『ええ、殺さねばならないのです。
鍛え上げられていく中で封じられたはずの心が、そうせよと求めている』
闇の中で聞こえてくるのは無機質な声。
そして、規則ある音……これは鉄を打ち付ける音だ。
何かが鍛え上げられている。
「あれは?」
響く音。
目を凝らせばそこに一人の男が鍛冶に専念しているような『もや』が見えるような気がした。
『おそらく、私が作られている情景。
鍛えるたびに、彼は想いを注いだ』
「その想いが奴を殺せというものだったのか?」
『それだけではありません。
むしろ、そうした想いは幽かなものだったとすら言えます。
けれど、鍛えられる中で鉱滓として消えてしまうほど弱い想いでもありませんでした』
剥き出しなほどの感情を思い出す。
魔剣から伝わってきた記憶が我がことのように振り返る。
或いは、この声によって振り返らされたのか。
「そうか。
聞き方が悪かったね」
この声が何者かを思い出した。
ある意味でオレを殺したものでもあり、
ある意味でオレが起こした行動に力を以て答えたものでもある。
つまり、
「アンタの銘はなんだ。
アンタを作り上げた男……『魔匠』ロドリックは何を願って銘を刻んだ」
ロドリックの魔剣。
オレは今、どういうわけかコイツと喋っていた。
『私は……』
遠雷のような、剣を生み出す音。
それが大きく、強くなっていく。
『私の銘は、アルタリウス。
神話の時代にあった言葉たる、
後より現れ、先あるものを打ち倒すを意とするもの』
遠雷は最後の一振りをおろしたか、音は消える。
静寂の闇の中で、幽かな光がオレの方へと向かってくる。
「剣が喋っているってわけじゃないんだな」
『私は魔剣から君へと棲家を遷した、想いそのものでしかありません。
ですが、魔剣を私として有用に活用するための依代はそこにあるでしょう』
ケネスの魔剣に視線が動く。
「魔剣と一緒に戦えば、彼女は助けられるか?」
『確約はできません。
ですが、わかっているはずです』
「戦わなければ、その可能性すらない……」
『我が造物主ロドリックが魔剣に込め、そして君へ結びついたもの。
君が偸盗と呼んでいるものを私と共に詳らかにして、勝利の礎を作りましょう』
腰に帯びた剣に手を伸ばす。
こちらへと向かっていた幽かな光はオレと剣へと絡み、やがて消える。
「今度はインクを食い尽くさないでくれよ」
『確約はできかねますね。
彼を打ち倒せるのなら……、
いえ、彼女を助けられるなら、それも本望なのでは?』
無機質で、感情の起伏の薄い声。
その性根は、それらからは考えられないくらいには武辺者のそれだった。




