083_継暦136年_秋
管理局。
王国が健在であった時代には国家と冒険者を繋ぐ機関として運営され、
多くの難事を解決に導いた組織である。
カルザハリが国としての滅びを迎える前後において、管理局の殆どの技術的、運営的ノウハウを冒険者ギルドへと渡し、閉じた。
結果として冒険者ギルドはかつて王国の影響下にあった全ての都市に枝葉を伸ばし、根ざすことになり、多くの人々を救い、英雄譚を紡ぎ、或いは夢破れた死者たちを生んだ。
管理局の最後の局長であるライネンタート侯爵はその後、継暦に入る頃には命を落としたと言われている。
或いは、少年王と宰相が死ぬときに殉死した一人だとも。
(私から言わせれば、恐らくはそんなことをする人間ではない。
いや、そもそもが人間なのかも怪しいところだ。
纏う伝説の幾つもが、西側の、更に向こう側に存在すると言われている魔王や、
東方の諸国家群に存在する魔族たちの逸話に近いものを感じる)
生きることに執着し、人間よりも強い欲求を持つ怪物たち。
それが魔王であり、魔族であるとこの辺りでは伝わっている。
公爵家として残る情報を知るハルレーは、ライネンタートという人間が異常なまでに少年王に執着していることを知っていた。
それが思慕なのかどうかはわからない。
ただ、望めば一国の王にもなれるほどの人心掌握や管理運営能力を持ちながらも侯爵という立場に甘んじて、少年王の執政を手伝い続けていた。
ライネンタートにそこまで執着させた理由は一体なんだったのか。
好奇心が疼かないかと言われれば、否定できない。
(今回はそれを知れるのかもしれない。
ライネンタートを騙るものだったとわかれば、それはそれでいい。
ライネンタート当人だったとしても、考えていることを知れるなら楽しそうだし、
危険であるなら殺してしまえばいい)
物騒なことを考えるハルレーだが、物騒なことを考えるに至る理由もある。
それは過剰な知識と技術だ。
自身の家であるザールイネス家もそうだが、今の文明とは比べ物にならないほどの技術を備えている。
ザールイネス家については自らの一族を辺境にて隠遁させることで世界そのものから離れていた。
ハルレーは例外的に外へと飛び出し、トリックスターじみたことをしてはいるものの、
技術などに関してはむしろ否定的であり、高い技術は自分のような技術による被害者──つまりは改造などをしてでも力を拡張させられるものが現れることを嫌がっている。
これに関しては正義感や秩序のためというよりは、自分がされたことに対する復讐として技術を廃棄させることが結実になっていると考えているためだ。
しかし、ライネンタートは違う。
家族こそ存在したものの、技術などに関しては一切家や家族には遺していない。
王国が滅びたときにライネンタートが持っていた(管理局と関わり合いのない)技術の殆どは消えたと言われているが、そんなことはない。
大体は生命牧場などに保存されたままだ。
それこそ、エセルド監獄にザールイネス家の技術が封じられていたように。
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「こちらでお待ちください」
今、ハルレーはヘイズの案内によってビウモード伯爵領の衛星都市、トライカへと訪れていた。
そして、そこにある大きな屋敷に通され、客間で待たされている。
伯爵家の持ち物だろうが、居住用のものというよりは、酒場などにでも使いそうな内装になっている。
(冒険者ギルドみたいな……いや、そうか。ライネンタートであれば管理局。
この施設は元々管理局のものだったか、それを再現したものなのか)
礼に則ったノック、ハルレーもまたそれに礼を以て応じる。
現れたのは『教会』風の装束に身を包んだ少女だった。
年の頃は自分と同じか、それよりかは上。
顔をヴェールで隠しているが、ハルレーにとって顔を隠そうが、御簾で姿を隠そうがあまり意味のないことだった。
ハルレーの眼力は一種の共感覚を伴ったものであり、インクを色、音、匂い、或いはそれ以外の感覚を含めて見ることができる。
完璧にそれを使いこなせているわけではなく、ハルレーの母親はこの力を数段階は上のレベルで使いこなしているのもあって、
ハルレー自身はこの能力をそれほど強力なものとは思っていない。便利ではあるとは思っている。
それこそ、今のような状況であれば未熟な眼力であってもだ。
(……なんてこった。
本物だな、この人は。本物のライネンタートだ。
だけど、妙な違和感もある……。なんだろう)
的確に眼の前の人間がライネンタートであることを見抜けているのだから、有用な力であるのは間違いない。未熟かどうかなどどうでもよくなるほどに。
この力がなければ当人がライネンタートかどうかを判断するのに多くの手間が掛かっただろうからだ。
「姿こそかわいらしいけれど、貴方はまさしくザールイネス公爵閣下の血族ですね」
そして、怪物的な力を持つのはハルレーばかりではない。
ライネンタートもまた、眼力か、或いは別の手段によってザールイネスであることを明確に理解しているようだった。
「……そちらこそ、本物のライネンタート侯爵閣下のようで」
ただ、疑問もある。
ライネンタートは魔族の如き存在だとは思っているが、その肉体は人間のはず。
王国が滅び、国史の編纂を担当していた尚書のルクレインという人物が、
「王国暦は今日を以て終わり、王国の次を求めたものたちの時代が始まる。
継ぐものの時代、これを継暦と呼ぶこととなるだろう」
そのように発したときから既に百年以上が経っているのだ。
エルフやドワーフのような長命種であれば可能性もあるが、ライネンタートが人間であるのは間違いない。
公爵家が残した多くの情報からそれは判明している。
そうした情報が公爵家に揃っているのは、ザールイネスが他者を操るために多くの『脅しの材料』になりうるものを集めていたからだ。
その中の一つにライネンタートの生い立ちについてのものも揃っていた。
だが、ハルレーの眼力は間違いなく眼の前の存在がライネンタートであることを見抜いており、同時に人間とも思えない不可思議なインクを備えていることも理解していた。
「そう熱い眼差しを向けられると困ってしまいます。
かつてザールイネス閣下も私にこのように見られて困っていたのでしょうね。
この時代では立場が逆転しているのが何とも面白いです」
くすくすと笑う。
「ライネンタート管理局局長閣下、私は君と楽しいお話をしに来たわけじゃないよ」
「ええ、わかっていますよ。ザールイネス公爵太子殿下」
(ここまで連れてきた以上は目的がある。
けれど、全てを明かす気はないだろうな。
私でもそうするし、何より私を下に見ている。かつての公爵とは違う、と)
悔しくもあるが、同時にハルレーは試されることそのものに忌避感や怒りをあまり覚えなかった。
眼の前にいるのが伝説の中にあるライネンタートならば、何を試してくるのか興味があった。
「少年王はご存知ですね」
「カルザハリの未然王のことを言っているなら、勿論」
「端的に言えば、私たちは彼の復活を願っています」
「死んだ人間を?」
「死んではいないのですよ」
「それは失礼。じゃあ、狂ってるのかな。長く生き過ぎてさ」
「否定はできかねますね。
けれど、狂っていることと、真実を語っていることはときに並び立つこともあります」
余裕のある応対。
しかし、こういう応対には母親で慣れている。焦れることはない。
「……じゃあ、聞き方を変えるよ。
願い、祈っているだけじゃあないんだよね」
「ええ」
「管理局は今、造成種を作り上げている」
「我々だけではありませんが、そうです。
必要な試験運転をしている、というべきかは難しいところですが」
丁重な扱いを受ける亡骸を思い出していた。
そして、彼から発せられたあの匂い。
儀式、魔術、請願、付与術、或いは屍術やそれ以外の多くの何かが関わっている可能性もある。
「……彼が、ローグラムがそうだと?」
いや、作り物のわけがない。
彼にはものを思う心があり、ハルレーを慈しむ優しさがあった。
「はい」
その同意はハルレーにとって、敵対の宣言に等しい。
明らかな怒りと害意を感じ取ったヘイズが主君であるライネンタートを守ろうと動こうとするが、それはライネンタート自身によって手で制されてしまう。
「それほどに想うのですね、彼を」
「私のことを知らず、打算もなく思ってくれた唯一の人だからね。
彼の心を作りものだとするのは侮辱で、
私は友人を侮辱されるのが我慢できない性質だったようだ」
ライネンタートはヴェールをたくし上げて、その素顔を見せた。
美しい女性であった。
ハルレーが驚いたのは瞳だった。
魔眼とも呼ばれる、この辺りでは極めて珍しい超能力がそこにあった。
顔を晒したのは、表情を見せるためであることもわかっているし、それが思考の誘導のためであることくらい、ハルレーも理解している。
けれど、その微笑みはそうした謀などないかのような、優しいものだった。
「ご安心ください、公爵太子。
作り物であるのは、その体だけ。心は紛れもなく人間のもの。
──我々が愛したあの方そのものです」
狂っていることと、真実を語っていることは並び立つことがある。
つい先程、ライネンタート自身が言ったことをハルレーは思っていた。
(つまり、ローグラムがカルザハリの未然王……。
でも、どうして彼が死ぬような真似を見逃すんだ……?)
真実があるとして、それが何かをハルレーは見抜くことはできなかった。
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休憩しましょう、というライネンタートからの発言もあり、ちょっとしたお茶会のようなものが催されていた。
出された飲食物に毒はない。
仮に毒があったとして、人が死ぬ程度の細やかな毒ではハルレーを殺すには至らない。
そもそもの尊大な気性もあって、ハルレーは優雅にお茶を口にしていた。
ヘイズが誘い、ライネンタートに繋ぎ、そしてその会話の蓋を開けてみれば、出てきたものはハルレーへの依頼だった。
母親からの依頼の、その続きをさせられているのと変わりない。
王国が、正確にはライネンタートが存在を認識している生命牧場、その全てを破壊する。
「その報酬が彼にもう一度会えることだって言いたいわけだ」
提示されたものを全て潰すとなると四、五年は掛かるだろう。
これに注力するのならもっと早くに片付けることもできるが、ハルレーの性質として一つのものに縛られることをよしとしない。
「期間は?」
「貴方がザールイネス公爵閣下の血を引いているのなら、定めないことが最短となるでしょうから」
ザールイネス、ライネンタート、ボーデュラン。
ハルレーは遺された王国時代の文章から、彼らはそれぞれがそれぞれを疎ましく思うなり、憎々しげに思うなりしているとばかり思っていた。
だが、ライネンタートが見る自分への──自分を透して見ているザールイネスへの感情はどうにも敵対的なものばかりではないようだ。
「わかった。
その代わり、前金として質問に答えてほしい」
「支払いすぎてしまって逃げられても悲しいですから、一つだけお答えしましょう。それでいかがでしょう」
「十分だよ。
じゃあ、質問ね。侯爵様は未然王をどうしたいの?」
「自由にして差し上げたいのです」
「ふうん。自由に……。
目覚めることそのものを拒否したらどうするの?……って、これは質問を追加しちゃうか」
「構いませんよ、質問に答えきっていませんもの。
陛下が眠りを求めるのであれば、そのように致します」
「それじゃあ、細やかに生活したいって言ったら?」
「メイドとして雇っていただこうかと思います」
妖物をメイドとして雇うだなどと、豪華とも言えるし恐怖とも言えることだ。
それはハルレーも思うところではあっても、口にはしなかった。
「じゃあ、依頼に関わる質問もいい?」
「狡い人」
それでは実質的に質問を増やしているじゃないかと言いたいのだ。
しかし、ライネンタートの批判は本気ではない。
狡いやり方をむしろ、懐かしむような、楽しむような風でもあった。
「君は何者なの?」
「確かに、当然の質問ですね。
私という存在が何かいうのは、ええ、重要でしょう。
けれど、返答が難しくもあります」
「どうして?」
まるで蓋か箍かが外れたように、ライネンタートからインクが漏れ出る。
意図的なものだ。
ハルレーであればそれが見えるのだと理解した上で、彼女はやっている。
(二人分のインクの色?……いや、二人分だった……?
違和感の正体はこれか)
インクとはそのまま、魂の色を示すものでもある。
混ざりあったものや、大理石色のように完全に混ざらないものもある。
ただ、どんな人間であっても発生源は一つ。
眼の前に居る女からは二つの発生源があることをハルレーは知覚していた
(多重に人格を持つ存在を見たことはある、それはマーブル・カラーのインクだった。
演技が巧みな魔術士がいた、それは刻々と色を変える不思議な人だった。
だが、ライネンタートは違う。文字通り、二人分のインクがそこにある……。
こんなのは初めて見る)
「私の本来の名はウィミニア、けれど同時にライネンタートでもあるからです」
「つまり、一つの体に二つの魂がある、そういうこと?」
「完全な正解ではありませんが、返答が難しいといった理由はそこにもあります。
私はウィミニアであり、ライネンタートでもあり、その意識は一つの中で混ざり合っています。どちらも私であり、どちらも私ではない」
「接がれた草花のように?」
「それであれは別の土壌から持ってきた土を混ぜた、川と海の水を混ぜた。
そのような表現のほうが正しいかもしれませんね」
つまり、完全に一つにはなっている。そう言いたいのだ。
「ウィミニアって人はそれでよかったの?」
「……私は元々空っぽでしたから」
「空っぽだからって何を入れても良いわけじゃないと思うけど」
そうかもしれませんね、と淡く笑う。
「空っぽではありましたが、それをライネンタートで埋めてまでしたかったことができたのです」
「したかったこと?」
「公爵太子様と似たものですよ。
……私の場合は好意ではなく恩義からではありましたが、同じように会いたいと願う相手がいたのです。
どうしてもその恩義を受けた理由が知りたかった」
ウィミニアという女こそが、ライネンタートを蘇らせたそののもの、というわけだ。
経緯や手段はさておいても、それをするに足るほどの理由が彼女の中にあった。
理由を知るためであれば、自分がいかに変質しようと構わない。
空っぽであれば、そこに満ちるものを得られるならばそれはそれでよいとも考えたのだろうか。
彼女ではない以上、ハルレーにはわからないことだった。
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(これで二つ目)
蜥人や鼠人や兎人のような、獣人でもヒト種とは離れた構造をしている生物たちを研究しているだけあって、
ここの守りはアンデッドたちではなかった。
獣人をベースとした、造成種のテストベッドだ。
半ば造成種、半ば人間、どちらとも付かないものたちを再利用していたことがわかる。
人格もなく、飲食の代わりに土地から接収したインクによって永らえる装置同然のものたちであった。
(やはり王国末期には造成種そのものの技術は確立していたってわけだね。
それも、かなり高いレベルで)
死体の山に腰掛けながら、偶然遺されていた書物に目を通している。
生命牧場の殆どは研究物を廃棄されたか、そもそも記憶以外では残さないようなルールになっていた。
殆どの場合は破壊して終わりではあったが、今回は獣人たちの中に自我を持ったのか、それとも素体か何かだったものが遺した書物が幾つか存在していた。
それによってこの施設の研究のことがわかったのだ。
(ローグラムは造成種であり、実地データのために死んで、甦らされている。
恐らくは、だけど)
自らの王、大切な人をそのように扱う理由まではわからない。
最初に潰せと命じられた生命牧場は随分と辺鄙な場所だった。
探すのにすら時間が掛かったが、それは次のローグラム(彼らが言うところのヴィルグラム)の復活に関わらせないためであるというのに気がついたときには遅かった。
怒りは覚えなかった。
ライネンタートの掌の上で踊らされたことに気がつけなかった自分が悪いのだ。
(今も彼はどこかで死んでいるんだろうか。
……私ができることはないのだろうか)
そればかりを思って、転戦を続ける。
しかし、そればかりを思い続ければ心が細る。
ハルレーは考えを少し切り替えることにした。
(生命牧場を探すのもこの辺りにして、そろそろボーデュランのことも調べ始めたいな。
今のところ、ライネンタートが隠しているばかりで情報が降りてこないけど、
それってむしろ逆効果だと思うんだけどね。
私に触られたくない事柄ってことなんだろうけど)
あえて本当に大切なものである少年王のことを語り、それ以外を口にしないことで秘匿度合いを増そうとしたのか、それとも他に理由があるかはわからない。
(その辺り、少し探ってみてもいいかもしれないな。
まずはウィミニアの過去を洗い直そう)
会えない時間だけ、ローグラムへの思いが募らないと言えば嘘になる。
だが、彼女は自分自身が生来持っている性質を捨てることはしない。
つまりは好奇心を飼い殺したりはしないということだ。
(それじゃ、我が身の好奇心を潤わせるためにも早速行動に移したいね。
ボーデュランのことを調べるのも今と同じくらいに、楽しくなりそうだ)




