076_王国暦467年_春/08
よっす。
公爵様とご一緒させていただいているオレだぜ。
「まあ、死ぬかどうかは運次第だ」
捨て石になるって意図まで伝わっちまっている。
それを頷いてくれるかどうか、オレにはわからない。
「命が軽いねえ。
嫌われちゃうよ」
「嫌われる?誰にだよ」
「私とか」
「……公爵閣下に嫌われるのはぞっとしませんなあ」
軽口を適度に叩く。
さて、行くか。
そんな気配を彼女も察する。
彼女の表情は少し曇ったようにも見える。
けど、悪いな公爵様。
オレにできるのは命を使うくらいだ。
「突破するつもりですか、閣──」
「オッホエ!オッホエ!!」
オーガストとやらが何かを言おうとした瞬間に、彼の横にいる兵士が立て続けに命を落とす。
気合と共に二連撃。
あとは走るだけ。
オレと同時にザールイネスがドアへと向かう。
が、勿論上手くなんて行くわけがない。
『死ぬつもりなんでしょ』の言葉の通りだ。
公爵もそれを理解しているし、ここでのオレの犠牲でより大きなものを得られるとお互いに確信している。
何の為に命を投げ出すかについては簡単なことだ。
子供のために大人の責務を、なんて大きなことを言うつもりはないが、少なくとも公爵が生きていれば王子様にとって少しはマシな状況になる気がした。
この状況にオレがいて、命を使えば公爵の命を拾えるのなら、やるしかないだろうよ。
オレは四歳児だってのに気を吐き続けている王子様の助けになってやりたいのだ。
自分が四歳の頃の記憶はない。きっと復活を繰り返すなかで擦り切れて消えちまったんだろう。
それでも一般的に四歳児なんて鼻水垂らして木の棒を振って喜んでいる……のは流石に王族はしないか。
ともかく、子供は子供でしかないはずだ。
逃げながら、オレが殺した兵士が持っていた武器を拾い上げる。追いかけようとした一人へと投げつけ、数を更に減らす。
二人ともにドアへと到達した。
ザールイネスがドアの向こうへと行ったのを見て、オレは扉を閉めた。
「しちゃうんだあ、そういうことをさあ」
扉の向こう側から不平不満。
「王子様のこと、頼むよ。
公爵って立場があれば助けられることだって多いだろ?」
「助けられること、ね。
それって何をしてでも助けてもいいわけ?」
「頼む」
「……わかった。それじゃあ……またね、バグラム」
ドアの向こうで走っていく音が聞こえた。
これでいい。
しっかし、『またね』なんて無茶を仰る。
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「公爵と逃げぬとは、どういう了見かね」
「そりゃあ時間稼ぎですよ、男爵」
「どれほど時間を稼げるというのだ、木っ端一人が」
外ではドワーフの蛮声が今も響いていた。
ドワーフ、ドワーフね。
「なあ、男爵。
牢獄から逃げ出したエルフのお姫様以外にドワーフとウォル族がいたのは知っているよな」
男爵たちがひとまとまりになって何かを企てているってなら、その辺りも繋がりがあると狙う。
大外しをしたなら、それはそれで「そんなことも知らないのか」とか煙にまけばいい。
「何故それを」
オ、ナイス反応。
「あれほど見事に脱走されたなんて、男爵たちの名折れってもんかもしれないが、気に病まなくていい。
なにせ、相手はオレだからな」
「……何?」
「オレだよ。
オレが計画し、実行させた。
犠牲者は出たが、それでも三人ともに逃げ出せただろ?」
逃げ出せたと言ってくれ。
じゃないと無駄死にだ。……まあ、無駄死には慣れているけどさ。
「まさか、あの脱出劇は」
否定はないってことは、生きているっぽいな。
最低でも行方不明だ。
「王太子の協力者がいないとでも思っているのか?
アンタらが組むように、王太子に媚を売るやつもいるのさ、オレとかな」
「だから、何が言いたいのだ」
「ドワーフも、だよ」
ドワーフがどうしたと言いたげに睨む。
周りの兵士たちはさっさとオレを殺して公爵を追いかけるべきなんじゃ……と言いたげだ。
そう、それが正解。
だが、男爵には色々とオレから確かめないとならないことがある。
オレを捕縛するってのも一つ手なんだろうけど、こうして会話ができるなら会話で済ませたいだろう。
口が堅くて拷問で吐くまでに時間がかかる可能性もあれば、そもそもその前に何かしらの事象によって死ぬ可能性もある。
「アンタらは上手くドワーフどもを使った、なんて考えているのかもしれないが……本当にあいつらを動かしているのは誰だろうな」
「馬鹿な……ナバックが……」
ナバックってのはドワーフの一人だろうか。
王国側の裏切り者が男爵だとして、その窓口ってところかね。
もしくは、ドワーフたちも一枚岩じゃないのか。そのあたりは考えても詮無きことってやつか。
「いやいや、アイツはアンタの命令を聞いている。
が、ナバックの上がアンタらの計画を含めて理解して、ナバックを踊らせているのさ。
そしてそれに気が付かず一緒に踊っているアンタも滑稽だな」
な~んにもわからんが、とりあえずこういうときは乗っておけってのが信条だ。
「馬鹿な。
牢獄に捕らえられている間にローム家の発言力はなくなったと聞いているのに……」
あのドワーフはロームってのか。
記憶はしておこう。
話の流れ的にはあのドワーフも生きている、と。
「ええい、だとしても!
だとしてもだ!
貴様を殺し、ドワーフ共を纏め上げて、次は連中の国を荒らして別のドワーフを傀儡として支配すればよいだけだ!」
「そう上手く運ぶかね」
「運んでみせるさ!」
思わず口笛を吹く。
いや、心からの称賛だ。
ここまで言い切るなんて気持ちのいい奴だ。味方だったら最悪だが、敵としてなら最高だね。
「奴を捕らえろ!」
そうなるよな。
脅しの道具にしろ何にしろ、有用過ぎる。
勿論、簡単に捕らえられてやるものかよ。
オレは衣服のボタンを毟り取って、それを指で弾く。
痛手を追わせるなんてできやしないが、それでも一人の視界を一瞬くらいは奪うことができる。
そのままそいつへと踏み込み、腰に帯びた予備の武器──この場合は短剣を頂戴する。
狙いをつけるでもなく、ひたすら大振りな構えを取った。
投げるぞ!そういう姿勢だ。
「オッ」
気合の入ったオレの声は続くことはなかった。
捕らえるよりも男爵の命を守ることを優先した兵士たちがオレに武器を突き立て、或いは男爵の盾にならんと立ちふさがる。
それでいい。
散々お前らにオレの投擲は見せてきた。それが結実した。
こいつが何かを投げれば、命が消し飛びかねない。そんな印象を刻み込めた。
槍やら剣やらが突き立てられ、命が砕かれる。
「男爵、知っているか……。
今頃入り口には……ロームの息のかかった連中が……」
それがオレの最期の言葉だ。
勿論、根も葉もないことだし、そうなるかもわからない。
一つも正しいことのない情報だとしても、それで公爵が逃げる時間を稼げたならそれでいい。
消えゆく意識の中。
突然、先程までいたバルコニーが、部屋が、そしてオレや男爵をも巻き込んで爆発した。
部屋には土煙が舞い上がる。
意識が闇に溶けていく。
半ばむき出しになった施設。
最期に見えたのは外に立つザールイネスの姿だった。
手を突き出すようにしていたが、それをそっと下ろす。
魔術か。しかしここまでど派手な一撃をお見舞いできるとは、もしかして彼女に取っちゃ危機でもなんでもなかったのか?
だとしたら格好悪かったかな。
でもまあ、いいさ。
オレの行いはどうあれ、少なくとも彼女は生きている。それが嬉しい。
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「……わかった。それじゃあ……またね、バグラム」
彼女はバグラムの意思を無駄にしないためにも外へと走った。
外では既に戦いは決していた。
王国の貴族や騎士たちは徹底的な敗北を喫している。
だが、殺されたものは少ない。
「よう、ザールイネスさんよ。
こっちは終わったぜ」
ドワーフの切り込み隊長であるナバックが声を掛けてくる
「お言いつけの通り、可能な限り生きて捕まえたぜ。
しっかし、恐ろしいね。
何もかも公爵殿の掌の上、か」
全ては彼女の手引であった。
西方を守る中で才覚を見せつける。
防戦においても、追撃においても、彼女の戦略と戦術は見事なものだった。
敵対することの危険性をエルフ、ドワーフ、獣人たちに理解させたのは、彼女の計画の一環である。
その後、戦いを回避することを提示した彼女はそうして敵対勢力と通じ、味方へと引き込む。
苛烈な戦いを演じ、勝利をもぎ取ったようにも見える彼女を勝ち馬として多くの王国貴族たちが味方し、援軍として入り込んだ。
そこで彼女は大敗を喫した。
貴族と騎士を捕まえさせたのは彼らの家から確保できる莫大な身代金目当てだ。
それは延いては王国貴族、既得権益への打撃ともなる。
国が細れば、それだけ国の崩壊は加速する。
「このまま王国解体まで進めるのかい」
ザールイネス公爵が王国の大敵であることは、今日この日まで王国の誰も知ることはなかった。
彼女に協力した男爵たちですら、ここまでやるとも思っていなかったのだ。
男爵同盟と名乗っていたものたちの狙いはあくまで、自らより上の爵位のものたちの力を削り、そこに付け込む形を取ること。
そして、公爵の後ろ盾を以て爵位を上げることであった。
彼らが公爵を裏切り、成り上がりを計画したこともまた公爵からしてみればなんてことはない。
元の目的に含まれていることであった。
計画と違ったのは、たった一人で暗躍と悪行を重ねようとした彼女を命を賭して守ろうとした人間が現れてしまったこと。
それが部下であれば気にもしなかった。
家臣であれば当然だとも思った。
だが、彼はそのどちらでもない。
見ず知らずの自分の命を守るために死んだ。
「ま、大目的をするのもしないのも俺らの知るところじゃあないが、ここでの次は何があるんだい」
「とりあえず、一つだけやることがあるんだよねえ」
「やること」
彼女の危うさ、信用のできなさはドワーフたちもよく理解している。
だからこそ、その言葉に思わず身構える。
気が変わったからドワーフたちと戦争するよ、だとか言いかねないと思われている。
ザールイネスはその様子に小さく苦笑をして、手を先程までいた施設へと向ける。
「我が声よ、跳ねる矢となれ。
《連唱》せよ、《輪唱》せよ、《重唱》せよ、」
彼女の掌に一つの光の球が生まれる。
魔術士たちにインク印地ともあだ名される初歩的なもの。
それは彼女が次に唱えた請願によって『複製』され、
『複製』する請願もまた次の請願によって『複製』され、
それを繰り返すための請願によって輪唱が『複製』され、
再び『複製』に至る。
一瞬で膨大な数のインク印地の準備状態でもある光球が浮き上がる。
「我が意思に従え」
その言葉と同時に大量のインク印地は解き放たれ、猟犬の如くに施設の中へと入り、爆発や破裂の音が響く。
ドワーフは苦々しい顔をしながら問う。
「相変わらずエグいぜ……。
これでうちらもボコボコにされたわけだもんな」
施設は破壊されていない。
だが、中で生存している彼女の敵は一人としていない。
「未完成だけどねえ。
無詠唱であればもっと効率的に使えるだろうし、無詠唱じゃなくても……そうだなあ。
喉の辺りをアレコレと改造すれば手順を省略して連続的に使えるかもしれないねえ」
彼女は口に出したあとに「おっと」と閉じる。
「つい、自分の興味がある分野のことになると長話をしてしまう。
悪い癖だよねえ。あはは」
彼女はドワーフに視線をやると、
「細かいことはこのあとに。
捕虜は大切な商品だと思って手厚く保護しておいて。
エルフや獣人たちに集まるように連絡をお願いできるかな」
それに対してドワーフも了解を伝える。
「そっちはどうするんだ」
「大切なものが見つかったからね、それを持ち帰る準備をするよ」
深くは踏み込むまい。
そもそもドワーフとヒトとの間には文化的に隔絶した部分があり、ザールイネスのような人間ともなればその差は埋められないほどになる。
一言で言えば、何を考えているかわからない。
彼女は施設の中──死体のみが転がるそこを普段と変わらぬ歩調で進み、
やがて男爵たちの死体が転がる部屋へと到達した。
ザールイネスは男爵やその配下の死体(正確には死体の破片であるが)には目もくれず、
バグラムと名乗った青年のもとへと近づき、亡骸を抱き寄せる。
彼女は鼻を鳴らす。
「うん。
やっぱり素敵な匂いだ。
キミはきっと、私に新しい可能性をもたらしてくれる」
それは魔術研究者としてのザールイネスの欲求か。
国を揺るがす狂乱の公爵としてのザールイネスの願望か。
彼女はそのどちらなのかを判断できていなかった。
その実、王子を助けるためという前置きはあれど、彼女が彼から受けたのは、人生で初めて『無私の善意』。
それに触れた彼女の、無意識的な彼への深く強い執着であったことを当人がここで理解することはなかった。
彼女にとって行動を起こすのに必要な理由──つまりはバグラムに備わった匂いの研究を動機にしただけだ。




