062_継暦136年_秋
ビウモード伯爵と協調し動く管理局ではあるが、城郭都市ビウモードではなくトライカに現在の本部を置いている。
表向きの理由としては彼らが手を取り合っている理由、つまりは伯爵令嬢のメリアティの療養を思えば少しでもきれいな空気である方が望ましいということから。
裏向きの理由の一つは管理局が『用済み』になったあとでもビウモードにいるよりも危険性が少ないからである。
「局長閣下、ヘイズから連絡です。『彼』が終了したとのことです。
報告書も届いておりますが」
未だ空に太陽は昇っていない未明、ウィミニアは管理局の一員であるミストから連絡を受けていた。
「そう……ですか」
その声音は沈んでいる。
『彼』の死を悼むような。
「すぐに起きますので、少しお待ちいただけますか?」
「お休みになられてから二時間も経っておりませんが」
「報告が回ってきたなら起こして伝えろと言ったのは私ですから」
錆びついたかのような錯覚すらある身体をベッドから引き剥がしながら、立ち上がった。
ウィミニアは寝間着を脱ぎおろし、『教会』の装束を元にした衣服を纏う。
信仰を持たない彼女がそうした衣装を纏うようになったのは瞳を失ったときから。
「後悔をしているか、ですか?」
時折、ウィミニアは平静を欠いているかのように、誰かとの会話をする。
「瞳を我が手で抉ったときの痛みは、ええ、苦しいものでした。
ですが、後悔があったとするならその痛みくらいのでしょうか」
部屋に備え付けられた鏡に姿を移す。
かつての色とは異なる瞳は人のものとは異なる形質を備えていた。
「ええ。緩やかに消えていく貴方の代わりに、上手くやっているでしょう?」
彼女が誰かと語り合うことを不思議に思うものを、彼女は周りには置いていない。
「ミスト」
「はい、局長閣下」
扉の前で管理局の制服を纏ったエルフの女性、ミストが応じる。
「少し手伝いをお願いしたいのですけれど」
「入室してよろしいでしょうか」
「ええ」
現在の管理局に『正式な局員』は数少ない。
部外のもの──事務方だけでなく、情報収集をするような立場のものや、ヤルバッツィのように現場に出向くもの──を除くと三名しかいない。
ヤルバッツィと共に行動している現場担当の『ヘイズ』。
この計画ではひたすらにあちらこちらに移動せねばならない、その運動を担当する『フォグ』。
その二人の情報を局長へと渡し、或いは命令を伝える『ミスト』。
いずれもが管理局の長であるライネンタートによって見出されたエルフたちであり、
その長命によって長く王国と管理局に仕えることを約束させられていた。
かつては行動騎士と同様の役割を持ち、鉄火場にも向かっていた『ドゥリズル』を始めとして多くの現場担当もいたが、それも過去のこと。
ライネンタートはこの世から去り、しかし、いつか戻ってくると信じていた管理局の残党は細々と生き延び、そして残党が願っていた彼の帰還は叶った。
かつてのライネンタートとは異なる、可憐なる少女ではあるが──
「そういえば、ミスト。
チャールの件はどうなりましたか」
「ご命令のとおりに」
先日、チャールの邸や別宅などは全て、同時に火に包まれた。
それを命じたのは今様のライネンタートこと、ウィミニアであった。
彼女はそれをミストに命じるときに、
「チャールの家族や親しい人間は」
それを問う。
ミストから報告されたのはチャールは天涯孤独の身と言ってよく、一応の家族もいるが、名目上のものでしかないという情報。
「それはよかったです。
死ぬのならば、それは少ないほうがいいですから」
ミストはその姿に、
少年王と数少ない人間以外の、つまりは『価値の薄いもの』の、その価値をいかに高めるか──高めるためには大抵、命を消費するのだが、それを考えるばかりの人間であったライネンタートを見た。
命を消費するたびに、確かに王国と管理局は栄えた。
「仰るとおりです、ラ……ウィミニア局長閣下」
「ライネンタートと呼んで構わないのですよ、ミスト」
ミストはエルフとしても殊更に美しい外見を持っていたし、それなりに俗世で過ごした彼女が他人の肌を知らぬわけではない。
その彼女をしてウィミニアから惹きつけられるような異性的な美しさを感じていた。
ライネンタートの妖しげな美しさをどこか引き継いでいるように、或いは、その瞳と共に身体的な部位を備えたかのような雰囲気すらあった。
妖物。
そう呼ばれるに相応しい、不可思議な魅力を備えている。
「いえ、そう呼んでしまえば後戻りができない気がしますから」
「そうなっても構わないのに。
よくできた大人なのですね、貴方は」
「老いて、冒険ができなくなっただけですよ」
ミストは彼女のかんばせを隠すためのヴェールを運び、そっと被せる。
「手伝いありがとう、ミスト。
では仕事に移りましょう」
未明の中にあって、彼女の瞳は赤く赤く、なにより鈍く輝く。
それをヴェールで隠すと、ようやくに人を破滅させかねない予感を振りまく妖物の気配も抑えられた。
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書類が山積みになった机にウィミニアが着座すると、てきぱきとそれらを片付けていく。
ヴェールの下にある瞳は複数に分かれ、それぞれが独自に情報を処理しているのだが、余人がその姿を見れば怪物かと思うほど不気味であろうとして隠している。
神秘性を演出する意味よりも、どちらかといえばこうした外見的な恐ろしさを隠すためのものとして彼女はヴェールを纏っていた。
左右の手で違う書類を捌きながら、
「ヤルバはどうなりましたか?」
口はまた違う話題を追う。
「やはり、『彼』に絆されたようです」
「不幸になるだけだと伝えたのですが……仕方のない人。
或いは私も彼も不幸になりたいのかもしれませんが」
情報はヘイズが当人から聞き取ったことをそのまま報告書へと纏めたものを配送されており、正確なものであった。
仮にヤルバッツィが心境を隠していたとしても、それを見抜けないヘイズではない。
「ヤルバにはこれ以上は関わってほしくはないのですけれど……。
可能な限り彼が不幸にならないように補助はしましょうか」
ヤルバの行動は贖罪の意味合いが強いのだろう。
メリアティを救うためとは言え、他人の命を犠牲にし続けることを選んだのだ。
とはいえ、騎士となって厳しさを纏うようになり始めたものの、性根は優しさを備えた男。
『彼』を殺し続ける道の果てにあるのは自己否定の嵐になるのは目に見えていた。
だからこそウィミニアは計画からヤルバを何度も遠ざけようとしたが、失敗した。
ここまで状況が進んでしまえばヤルバを計画から切り離すのは不可能。
自らの手で戦友を不幸へと叩き落とすことになるのだという覚悟だけを、彼女は胸の中で決めていた。
「報告書にはヤルバと行動を共にする冒険者がいるとありましたが」
「『彼』と共に行動することを決めた二人の冒険者ですね」
ミストが詳細を改めて読み上げる。
片方はブレンゼン。調べた限りでは混種の冒険者であり、後ろ暗いことも平気で行うような男であるらしい。
もう一人がシェルンという名のエルフの冒険者であるが──
「ミスト、そのエルフは」
「はい、恐らくはドゥリズルの子かと思います」
そのままミストは言葉を続けた。
「ドゥリズルは名を継がせる前に、その跡取りに殺されました」
「殺したのは」
「ええ、長子のサークという男児でした。
私もあまり会ったことはないので大きなことは言えませんが……」
ドゥリズルは夫婦も熱狂的なライネンタートの部下であり、その教育が行き過ぎたのではないかとミストは考えを口に出した。
子を儲けたことも育てたこともないウィミニアはそこに踏み入る言葉を持たない。
ただ、シェルンについての言及がない以上は次子たる彼女に問題はないということなのだろう。
「つまり、回り回ってそれでもあの血統は『彼』を支える立場にはなったということになります」
それは結構と、だけウィミニアは返した。
興味がないのか、わかりきったことだったのか、その点においての理解をミストは得ることはできなかった。
「メリアティ様のご様子は」
「お変わりございません」
昏々と眠り続けている、ということだ。
「『彼女』はどうです、まあ……予想は付きますが」
「おそらくはその予想の通りかと思います。
つまりは、」
「『彼女』にとって、世界とは苦しみだけがあるもの。
今も邸の地下室で苦しみ続けている」
残酷な言い方にミストは少し沈黙のあとに、それから「ええ、仰るとおりです」と返す。
露悪的な言い方は正しくライネンタートその人である。
だが、彼女はあえてそれを実行している。無理をしてライネンタートたらんとしている。
ミストにはそう見えた。
「残酷なことですが、それが彼女を人間にするための儀式でもあります。
報告書にある通りなら、『彼』は解析の技巧に触れた。
それであれば、あと一歩です」
「『彼』の死因もそれが原因のようですが」
「死因はあくまで偸盗の技巧。
解析と偸盗の関係をないまぜにしてはいけませんよ」
言葉こそ強いが、その言い方は叱るようなものではない。
柔らかい声音での訂正にミストも「失礼いたしました」と頭を下げる。
偸盗も解析も一般的な技巧ではないからこそ、仕方のないことではあった。
「『彼』の次の復活は」
「局長閣下がお考えの計画のとおりでしたら、
解析の技巧を次の段階に引き上げるためのものになる予定ですが、いかがしましょう」
「そのままで参りましょう。
……ただ、今回の情報は少し遅れて出してください。
巻き込まれればただでは済まないかもしれません」
情報の全てを共有しないのは後々で恨まれるか、不信を育てることになるが、
それはライネンタートを引き継ぐウィミニアにとって日常的なことでしかなかった。
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ウログマ冒険者ギルド。
多くの冒険者が情報によって与えられた賞金ラッシュから戻って来たからか、大いに賑わっていた。
「後片付けをはじめとして、賞金首四つ。
支払いは資産金属でいいか?
流石にこの金額はうちには置いてなくってな」
「それで構わないでや」
地上に戻る中でも色々あった。
シェルンとブレンゼンはヤルバと共にヴィルグラムの亡骸を運ぶも、
彼の次の復活地点を知るためには亡骸をある人物に預けねばならないのだと。
男爵たちが回収しているのを知っているブレンゼンは、同じように集めているものがいることに対しての不信感もあってか、やや難色を示したものの、
渡すことを拒否した結果、場所がわからないなんてことになることこそが最悪であるのも理解しているからこそ、亡骸は引き渡した。
その辺りはよりヴィルグラムと親しい(とブレンゼンは思っている)シェルンが亡骸の扱いを頷いたのも理由にあった。
終始そのやりとりに押し黙っていた彼女の我慢する姿は痛々しかった。
場所の特定には最長で二日ほど掛かるとのことだったので、シェルンとブレンゼンはここからどれほどの旅になるかもわからなかったので、その支度に全力を尽くすことになる。
そこで、冒頭のギルドマスターとの会話へと戻ってくる。
男爵を葬った後、しばらくは酒保は混沌としていた。その隙を狙ってブレンゼンが首に賞金がかかっている連中の撃破証明を回収した。
手際のいいというか、抜け目のない行為はシェルンもヤルバも苦手とするところである。
賞金首の報酬は一年分以上の旅費となった。
ヤルバがその受取を拒否した(正確には時折パーティを抜けねばならない可能性があると告げた)ため、二人で均等に分配した。
それに加えてゴジョから引き継いだ地図も売り払ったが、これが思った以上の金額が付く。
考えてみれば、今まで入れないエリアの存在を書かれた地図は遺跡探索の可能性を広げるものであるからだ。
「なんだか見たことないくらいお金持ちになっちゃったねえ」
「どうだろうなあ、これで足りるかは怪しいぜ」
「そうなの?」
「あー……。まあ、ほら、探すってときには人を使って広い範囲を探す必要があったりするかもだろ?
そうなれば金なんて幾らあったって困ることはないからな」
「そっかあ」
シェルンはのほほんと頷いている。
が、ブレンゼンは全てを言っているわけでもない。
彼はヤルバを同病相哀れむ相手とは思ってはいても、信頼はしていなかった。
騎士になるほどの人物であれば、忠義立てする相手がいる。
(ヤルバは名声だの名誉だののために騎士なるような男じゃない。
一人の人間として、信念がある。恐らくは婚約相手か。
坊ちゃんか自分の大切な相手かの二択が迫られたとき、前者は取らない。
それに坊ちゃんも取らせないだろう)
急に関係や支援を切られたときのために、金は幾らあってもいい。
金さえあれば解決できることがこの世にはごまんとあるのだ。
例え、それが騎士を相手にしなければならない状況だとしても。
(とはいえ、そんなことは嬢ちゃんには言えんわな)
それに彼とて、そうならないのが一番であるとも思っている。
ただ、冒険者は不測の事態に備えるもの。
血錆の鉄色とまで呼ばれる裏街道まっしぐらだったブレンゼンであれば、その意識は一層に強い。
(だが、どうにもヤルバにゃ危うさがあるんだよな……。
何かに……手柄を焦るのにも似ている何かが……)
新人冒険者が陥るようなものにも通ずるものを、ブレンゼンはヤルバから受けていた。
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それからややあって、冒険者ギルドに呼び出された二人。
ヤルバが旅装を整えて待っていた。
「シェルン、ブレンゼン。
待たせたな、ヴィーの居場所がわかった」
二日に差し掛からない程度の時間で、ヤルバは情報を持ち帰っていた。
「で、そりゃどこなんだ?」
待ちくたびれたという態度ではないが、会話の答えを急ぐ癖がブレンゼンにはあった。
この辺りは依頼人がいつも持って回る言い方をするから備わった癖というものであろう。
「ビウモード、ルルシエットの軍事境界線。
地名で言うところの」
「アドハシュ原野……かあ」
ややネガティブにも取ることができるシェルンの声音にブレンゼンが反応する。
「知っているのか、嬢ちゃん」
「うーん……知っていると言えば知ってるでや。
あんまり講釈は得意じゃないから笑わないで聞いてね」
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ビウモードとルルシエットの間でアドハシュ原野に軍事境界線が引かれるに至った理由は双方が理性的に休戦を求めたからではない。
そうせざるを得なかったからだ。
五十余年前。
当時の伯爵には極めて強力な行動騎士が控えていた。
それは片方だけではなく、両勢力に存在し、その行動騎士こそが当時の抑止力となっていた。
ただ、大きな戦いに発展しないよう蓋になっていたはずの両騎士による抑止はあっけなく崩れ、戦争を引き起こすことになる。
きっかけは些細なものだったようだ。
現在は実りも少ない原野だが、昔は豊かな果実や木の実が作られることで有名な土地だったらしい。
それぞれの土地の民が実りを求めての衝突ではないかとは言われていた。
何せ戦争続きで人々は皆飢えていたそうだから。
既に殆ど戦争状態にあった両国によって加速度的に大きな問題にすげ替えられ、
抑止力となっていたはずの騎士たちを陣頭に立たせての戦闘となった。
その決戦の場こそが現在のアドハシュ原野だった。
先程も言ったけれど、当時は原野ではなく、また違う風景を見せていたのだが、
その戦いによって原野と呼ばれるような風景へと変わった。
ビウモード伯爵家の行動騎士、『魔匠』ロドリック。
彼は優れた付与術の職人であり、自ら作り上げた魔剣を片手に功しを得て、騎士となったそうだ。
ルルシエット伯爵家の行動騎士、『憎念』バスカル。
自らを傷つけたものを殺すまで付け狙う偏執的な男であり、かつての戦いでロドリックに殺されかけてから、何度となく戦いを挑む。
ロドリックの魔剣ですら殺しきれないことがそのままこの男の強さの評価に直結する。
先頭に立った行動騎士二人の戦いは数週間にも及び、やがて痺れを切らせた両軍の長──つまりは五十余年前のビウモード伯爵とルルシエット伯爵が突撃を命令。
血みどろの殲滅戦を互いに仕掛け、戦いのど真ん中でロドリックとバスカルは殺し合った。
決着はついたが、兵士の死体と行動騎士の戦いによって土地は変化してしまったらしい。
互いの戦力は底をついて、これ以上戦えば他の領地に横から刺されかねない状態になったから、なし崩し的にアドハシュは軍事境界線として扱われるようになった。
さて、問題はここから。問題というのは、わっちたちがそこに行くという上での問題。
なんと『憎念』バスカルは死んだことにも気が付かず、未だ原野を歩き続けている。
ロドリックは既にこの世にはいないのに。
それに加えて、いまだ原野には軍が残した財産がそのまま手付かずに残っているという噂がある。
それが賊を呼んで、集まって、ちょっとした賊による無法地帯が作り上げられていた。
あそこで何か掃討作戦をしたとかそういう話も聞かない以上は未だに事情は変わってないと思われる。
……なんでわっちがそんなに詳しいかって?
それはわっちがおにいちゃんと共に親に地獄と化していた、或いは賊にとっての楽園に武者修行と銘打って送り込まれたから。
バスカルはいたかどうかについても、知っている。
それは存在した。
おにいちゃんと共に戦っても勝てる相手じゃなかった。
正確には、勝つも負けるもなかったのだ。
あれはアンデッドだった。
憎念に縛られ、自らの鎧と武器を動かす自動的な存在でしかなくなっていた。
「って、感じ。
参考になったかな?」
「なった……が、嬢ちゃん」「なんというか、過酷な……」
渋い顔をする二人。
実は死ぬほどとまでは言わない程度の過酷でしかない。
それもこれもおにいちゃんがわっちを守ってくれていたからなんだろうけど。
ともかく、そんな場所にまた戻るとは、人生というのは様々なもので巡っているのだなあと感じる。
仇討ちのために旅に出たのが巡って仲間を得て、
仲間に再会したいがためにかつての激戦の地へと巡り戻ることになる。
行きたくないかどうかで言えば、行きたいに決まっている。それもいち早く。
そこに仲間が……ヴィーがあんなところにいるというなら、一人にさせてなんていられないのだ。




