061_継暦136年_秋/A04
本日は21:00にも一度更新させていただいております。
「けだものがあああ!」
怒りを短剣に込め、刃を生み出す。
「人形もどきめ、貴様と遊んでいる暇はないのだ!
このサリヴァンの怒りを向けるべきはヤルバッツィ!
あ奴から我が矛先を向けられるべきなのだッ!」
短剣(というには改造された代物)を構え、突き進む。
だが、咆哮に引き寄せられるように狼たちが現れてはオレの道を阻んだ。
サリヴァンと名乗った二足狼はオレを無視してヤルバへと走っていく。
向かおうとするのを邪魔する狼たちを不可視の刃で断ち切るも、次から次へと狼が現れる。
「坊ちゃん、あの食い止しの亡骸は」
「名前も知らない人だけど」
「わっちたちの道を開いてくれた人なんだ……」
オレの言葉を引き継ぐようにシェルン。
「だから、わっちたちは許せない」
オレの意見を含めてくれる。
頭に上った血の幾つかが多少下りてくる。
そうだ、怒りに任せて敵を蹂躙できるほどオレは強くない。落ち着け。
「なら、背中は俺に任せて二人であの狼野郎のところに進め。
囲まれていないなら、前進するのに問題もねえだろう」
狼ごときに後れを取るブレンゼンではないことは理解している。
「群れの長をぶっ殺せば戦いは終わるかもしれねえ、誰かがやるべきことだ」
その言葉にオレとシェルンが殆ど同時に頷いて、サリヴァンへと走る。
背後や横合いからこちらへと走ってくる狼の殆どはブレンゼンが処理をした。
それでも処理しきれない若干数の狼はシェルンとの連携の糧にさせてもらった。
シェルンはさておき、オレは無傷で突破とはいかなかった。
狼の牙がオレの皮膚を破る。気にしていられない。皮膚程度なら継戦に影響はない。
やぶれた部分から血が溢れる。
それによってオレの体の中にある血の流れのようなものを鮮明に感じる。それと同時に巡るものもある。
インク。
オレの体から血が流れ出る度に、インクの流れ出るのを感じる。
その流れを辿るようにしてみれば、インクは四肢を巡る血液と同じようでもあり、
手に持っている短剣へと進んで、循環しているようでもあった。
観念的なものだ。伝え方がなんとも難しい。
「シェルン」
「どしたのさ」
よほどサリヴァンはヤルバとの戦いを邪魔されたくないようで、狼たちの数が増えていく。
段々と進む速度も遅くなっていく中でオレはシェルンに言葉を投げ、続けた。
「何か、掴めそうなんだ」
曖昧な言い方だ。
ただ、細かく伝えている余裕がオレにない。
言葉の通り、何かが掴めそうだった。オレの中にある何かが。
「わかったでや」
シェルンはオレを見やると、そう答えた。
自分でも理解できるほどにインクの充足と放出がなされていることは理解していた。
彼女もそれを見たのかもしれない。
単純にシェルンの面倒見の良さが炸裂しているだけかもしれないが。
怒りを鍵として、流れた血を気付きとして。
全身に走るインクの導線のようなものまでも感じる。
付与術によって与えられた不可視の刃。それを制御するものに触れるような意識があった。
刃の距離。
刃の鋭さ。
それだけではない。付与されはしたものの使い道がないままに捨てられた項目をも見える。
それらの数値を増やしたり、追加したりすればオレの体を巡るインクが急激に消費されていくのがわかる。
今、オレは体の中に、臓器か、魂とも呼ぶべきものに備わった技巧に触れている。
付与術の技巧、それとも別のものだろうか。
細かいことだ。それはいい。
この邪魔な狼どもを一掃できるだけの刃の長さだ。
刃を延伸する。重さはないが取り回しは難しくなる。だが、届かないよりはいい。
インクの消費量は馬鹿げたものになるが、一瞬の延伸であれば許容できる。
「ふッ!」
刃が振るわれる。
一拍の後に数匹の狼が横薙ぎに真っ二つになる。切れ味をオマケしておいたのが功を奏した。
理解した。
これが技巧なのかまではわからない。超能力であるのかもしれない。
付与術を与えられたものを扱う力、それがこの身に備わっている。
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「ヤルバッツィ、貴ィ様ァ……この体をどうしてくれる……。
この男爵たる私の体をォ!人間から狼へ!アアア!素晴らしいィィ、憎いィ」
咆哮のような絶叫。だが、その音には悲嘆だけでは構成されていない。
愉悦とも、陶酔とも取れるものが含まれていた。
まるで人間ではなくなったことを喜んでいるかのように。
相反する多くの感情が、理性が、冷静が、情熱が、熱情がこの狼を狂わせているようだった。
「知ったことか!」
ヤルバィは抜き打つようにして矢を放つ。
それらは分厚い毛皮と堅い筋肉に阻まれてか、傷つけるに至らない。
あざ笑うかのようにしてサリヴァンが踏み込み、腕を大きく振り上げる。
「死ィねェ!!」
だが、それが振り下ろされることはなかった。
振り下ろすべき腕がないのだ。
「……?」
何が起こったかわからないと言いたげなサリヴァンはゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは『人形もどき』と侮った相手。
つまりはオレが立っている。
オレの作り出した不可視の刃がサリヴァンの片腕を落としていた。
「私の腕?」
ゆっくりとこちらを振り向こうとしたサリヴァン。
だが、それは叶わず、なにかに衝突したようによろけて転ぶ。
彼の腹に矢が突き立っていた。
「あの矢が自分の力量だったと思われるのは心外だな」
ヤルバは更に矢をつがえ、油断なく構えながらも言葉を向けた。
サリヴァンからオレは見えずとも、ヤルバからは見えた。
だからこそ敢えて、弱々しい矢を放ってみせた。一種の意識誘導だ。
オレに注意を向けさせない見事なやり口だった。
「ケダモノ。あの人をどうした」
サリヴァンは憎々しげにオレを見つつ、『あの人』と呼ばれたものの方向を見て、明らかな嘲笑を浮かべた。
「この、この体になって、飢えたのよ。
飢えて、求めて、目の前にあったからこそ、貪り食らった……」
転んで、うずくまった体勢のままサリヴァンは呻くように笑う。
「大した美味ではなかったが、頭の部分は悪くはない」
ぺっ、と吐き出したのは硬質な何か。おそらくは頭蓋の破片だろう。
「そうか」
ああ。
こいつは生かして、情報を吐かせた方がいい。
オレがなぜ狙われるか、もしかしたらオレがなんなのか、そういうこともわかったんだろう。
だが、ダメだ。
コイツはここで殺す。
報いることがオレの流儀として定めたことなら、生かし、脅し、利用し、その後に殺すではなく、
コイツがあのおっさんにやったように、ここで殺し捨てる。
自分に利用価値があるなんて思わせてもやるものか。
瞳が蠢き、オレを捉える。
「などと話してみたが、どうだ?
弱った私を相手に優越感を得られたか?」
跳ね上がったバネのようにして転がった姿勢から立ち上がる。
かと思えばその次の瞬間にはオレの眼の前にサリヴァンは現れていた。
速い。
尋常じゃない速度だ。
残った拳がオレを砕こうと突き進むのを
「ヴィー!」
シェルンが鈍器を盾にするようにして阻む。
しかし、シェルンの巨体すら跳ね除けた。
両腕が健在であれば続く一撃でオレは殺されていただろう。
「シェルン!」
派手に飛ばされた彼女に狼が殺到するが、ブレンゼンがシェルンのカバーに入った。
あっちは大丈夫だ。
オレはオレの身の安全を考えるべきか。
次にオレに何かありそうになれば、今度はヤルバがオレを庇うに決まっている。
そういう顔をしているからな。
「人形もどき、貴様は哀れだ」
まただ。人形もどきという言葉を使った。
人形、オートマタ。それらの何かがオレを構成しているのか。
「……何がだ」
「何も覚えていないのだろう。本来持ち得る全てを奪われ、与えられた知識の中で足掻く愚かな人間に堕ちた。
哀れだ。実に哀れ……。
本来は貴様を守るための力を向けられることも、この力も知るまい貴様が」
消えたと思うと、獣の脚から繰り出された蹴りがオレのみぞおちをへこませた。
痛いなんてもんじゃない。
ただ、死ぬほどでもない。
「我ら男爵は行動騎士でもある。
他の爵位と異なり我らは自らにのみ、この力を備えさせては振るうことができる」
ヤルバが矢を射掛けるも、その矢は空中で掴まれる。
全力で撃ったであろうそれを止められたことを驚きつつも、ヤルバはオレの元まで駆けつけた。
本気の一矢ですら囮にすることができる柔軟さは騎士というよりも冒険者的だ。
「殿は自分が。向こうに別の出入り口があるからヴィーたちは」
「でも、ヤルバは──」
「話している途中だろうがァッ!!」
サリヴァンは怒りに任せて掴んでいた矢をオレへと擲つ。
だが、オレを突き飛ばすようにしたヤルバは、その体と地面が縫い付けられる形で矢に脇腹を貫かれる。
「失礼。この体は激しやすくなるようだな。うん」
切り飛ばした腕を拾い上げ、それをあるべき場所に触れさせる。
「では、続けるが。
行動騎士は単純な身体能力の補助ではない。持ち得る能力そのものの強化。
獣の如き生命力を得た、このサリヴァンの力に行動騎士の恩恵が微笑むならば」
ゆっくりと指が、手が、腕が動く。
「これこそが行動騎士の力よ。
人の姿を捨てた対価としての価値はどうあれ、今この場において貴様たちを戮殺し、
その体を回収する価値まで含めれば釣り合いも取れる」
「そんなにオレ様の体が欲しいのか」
会話に繋げることができれば、情報を引き出せるかもしれないが、今回はそれが目的ではない。
オレは付与術を探る。
この短剣に何かできるものはないのか。
強度や延伸を増したところで意味はない。
バラバラになる勢いで切ったところで、粘土かなにかのように手足を接合しなおすだけだろう。
それに相手が黙って切られてくれるわけもない。
「ああ。欲しい。実に、実に欲しい。我ら男爵同盟は貴様の肉体を求めている」
「気持ちの悪い言い方を」
「その肉体も美しいが、貴様の内部こそが本当に価値があるのだ」
短剣には実装されなかったもの、その情報が含まれている領域を探る。何かないか?
『魔術効果の追加付与』に『請願効果の追加付与』。
このあたりはダメだ。
もしもオレが魔術や請願を持っていたとして、それらを武器の効果の一つとして発動できるようにするものらしい。
つまり、現状では無用の長物。もとい、無用の項目だ。
オレのこの技巧は何もないものを生やせたりはしないんだろう。
あくまでこの短剣に付与術を組み込んだものが、実装するかどうかを悩んだものだけがここに残っている。オレはそれを再利用しているに過ぎない。
何かないか……おっと、これはどうだ。
『刀身の射出』。
……なるほど、インクで作り出した不可視の刀身を飛ばすのか。
これはかなり有効そうだが、ただ、今じゃない。
刺さったところで殺せる相手じゃない。
探りを入れながら、会話を長引かせようと努力もする。
「オレ様のどこに価値があるんだ。
……どうせ殺されるんだろうし、その前に承認欲求を満たしてくれたっていいだろ?」
腕の調子を確かめながら、ゆっくりとこちらを見る。
「情報集めのつもりか」
「そういうわけでもある」
「ハハハッ。素直だ。嫌いではない。
ああ、むしろ、我が血統は愛していると叫んでいる。
ならば、いや、だからこそよかろう。
貴様ならいずれ知ることになる、であればこのサリヴァンから教授して何の問題もない」
他、他……。
『刀身の色を変更』。
すごい数の色から選べる?要らねえ!
『付与効果を起動する際の時間指定』……ううむ。
もう少し役に立ちそうなもの……『出力上限の制御』?
「貴様の臓物は特別製だ」
「特別製?」
「インクや呪いを吸い上げ、自らに蓄える。
その臓器を喰らえば我らにもその力が宿るかもしれぬ!おお、肉を!肉を食らうのだ!」
肉という言葉でテンションがぶち上がったのか、咆哮を上げる。
ああ、そうだったな。
こいつは人肉に魅入られている。
ただ殺すだけなら、オレはオレだけを憎めた。
だが、オッサンの肉体を食らい、捨てた。そこに命を使い果たしてまでオレを守ろうとした人間性をお前は餌としか見なかった。
オレの力であれば未実装のものを実装できる。
実装する度に体の内側が痛い。だが、気にしてもいられない。
サリヴァンの言葉から勘案すれば、オレの臓器にはインクを蓄える機能があり、
この痛みは蓄えたものを吐き出しているからだと解釈した。
出力上限の制御。これを使えるようにする。
が、まだだ、これで出力を注げるようになっただけだ。
刃の延伸を操作する。限界まで大きくしてやる。
いや、今大きくすれば気取られる可能性が……そうだ、時間指定だ。
一定時間になったら突然巨大化でもすれば相手は察知することもできないだろう。
それに、刀身の射出。
これでいい。
「はあぁあぁ、我慢ができぬ。
ヤルバッツィを殺す前の、前菜だ。
臓器を残し、頭は、私の、食事になれ……なるのだ……」
涎を垂らしながらサリヴァンがこちらへと歩む。
「ヴィー!」
「坊ちゃん!」
狼を蹴散らしながらサリヴァンへと突き進む二人。
サリヴァンの意識がそちらへと向いた。
付与術の技巧かどうかは知らない。
だが、オレの力だというなら、発揮されてくれ。
コイツが奪ったおっさんの命を、オレに報いさせてくれ。
臓器が痛むではなく、しぼむような感覚がする。
それでもいい。
──出力上限撤廃。
爆発的なインクが短剣へと流れ込む。
その気配にサリヴァンは意識をこちらに向けようとしたとき、
「グラムよ、我が心の英雄よ!放つ力を貸し与えられよ!」
ヤルバは自分の脇腹に突き立っていた矢を引き抜くと、つがえて打ち出す。
「ぎゃっ」
その肉体の強度に傲慢になっていたのもあるだろう。
だが、毛皮や筋肉では守れない部分にヤルバの矢が突き立った。
目玉だ。あの蠢いていた目玉に矢が突き立つ。
異常な治癒能力があれば回復できるのかもしれない。
だが、サリヴァンがまだ人間であるという自覚が残っているが故か、大いに苦しむ。
それはオレにとって最大の好機となった。
──刀身射出。
その勢いに耐えきれず短剣全体が崩壊しながら不可視の刃が放たれる。
──時間差起動、刀の延伸発動。
巨大化した刀身が爆発的なインクを伴って広がる。
刀身だったものは純粋な、熱を帯びた光となってサリヴァンに刺さるではなく、その体を焼き消した。
断末魔すらない。
ほんの一瞬でサリヴァンは、脚を残してこの世から消失……いや、焼失した。
主を失った狼たちが一斉に逃げ出すのが見えた。
勝利を確信した瞬間、気が抜けたのか、オレは倒れた。
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「あ、あれ……」
「ヴィー!大丈夫?顔が真っ青で」
まずはシェルンがオレの側に駆け寄り、引き起こそうとするが、相当ひどい顔色なのか抱き寄せるに留めた。
シェルンが泣きそうな顔でオレを見ている。
ほんの少し遅れて、脇腹から血を垂れ流しながら走り寄ったのはヤルバ。
「……使い切ったのだ」
「何を」
ヤルバの言葉の先を求めるようにオレは言う。
「インクを。君は全ての自分が生きる上で必要な分までインクを消費してしまった」
「ああ、あの力を使う度に臓器が軋んだのはそういうことか。
あれがインクを過剰に使ったって証だったんだな……まったく、雑魚なんだから身の程を知れって話だよな」
ははは、と笑って和ませようと思うも、口の端で小さな笑みを作るのが精一杯だ。
ヤルバは腰のポーチから薬品を取り出し、オレにかけようとしながら話しているから、それは止めた。
使ったところで無意味なのはオレが一番わかっている。
オレはそっとポーションを傷にかけようとしたが、どうにも力が入らず、ハンパな量が塗布された。
「シェルン。
大丈夫、オレはほら、さっきも言っただろ……死んだって、また」
「死ぬのは痛いんじゃないの?苦しいんじゃないの?
そんな風に割り切るなんて」
伝えたい。
今回はそんなんでもないよって。
ブレンゼンは狼たちを追い払いながらこちらの状況を見ている。
それでも近づかないのは、シェルンやヤルバ、或いはオレに狼を近寄らせないためだろう。
潰走した怪物の群れがどう動くかがわからない以上は最善手のようにも思えた。
「また、どこかで……」
会えたらいいな。
そう口にしようとして、しかしそれを果たす前にオレの意識は闇へと解けていった。
明日からはまたいつもどおりの更新とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。




