059_継暦136年_秋/A04
よお。
オッサンのお陰で目的地には到着できたオレ様だ。
戦いの音は止み、気配も消えた気がする。
敵が入場してこないのも、オッサンがこっちに来ないのも気になる。
あの怪我も相当深かった。
それでも、何故だろうか。
あのオッサンは生きている気がした。
今はそれを信じよう。
通路を進むと、それは見えてきた。
入り口には看板。
デカデカと書かれているのは『子宝蜥蜴亭』という店名らしきものだった。
かつては看板がなかった頃には酒保と書かれていた案内があったのが見受けられる。
扉の向こうには相当に大きな食堂が存在する。
食堂だけではなく、売店、ごろ寝スペースなんかもあった。
人間型の怪物、つまりは悪漢悪女に悪党がそこらじゅうでくつろいでいる。
「五階ででかい顔していたバンジャの野郎がついに殺されたらしいぜ」
「いい気味だぜ!」「野郎の持ってた装備は?」
「冒険者が回収したんだろ」「今からいきゃ奪えるかな」
「アグム原野でマーケット開催だとよ」
「ようやく場所が決まったのかよ。どうせエメルソンの野郎がゴネたんだろうけど」
「今回はどうだろうな」「アルティアさんが開催しねえマーケットなんざゴミに決まってる」
「囚われのお姫様の夢を見たやつがいたとよ」
「またかよ」「でも、そいつに見せられて冒険者に転身した悪漢もいるってよ」
「誰だよ、そんなロマンチスト」「フランシスだよ。『決別』の」
「ああ、そりゃあ」「ロマンチストだもんな」
騒がしい。びっくりするほど騒がしい。
だが、その雰囲気は冒険者ギルドそっくりでもあった。
言うなれば、裏サイドの冒険者ギルドってところなんだろうか。
「おにいちゃ……後片付けほどじゃないにしても、賞金首がいるから気をつけないとねえ」
───────────────────────
とにかく人が多い。
オレたちは席を決めておいた。いざとなればそこで集合すればよい。そんな考えだ。
一緒に行動しようとしても人の波に流される可能性が大きかった。
シェルンならまだしも、オレの体躯だとここにいる荒くれものたちの肉の波には抵抗できそうにない。
そして案の定波に揉まれる。
油断していたのはその強さだ。
下手に転べば踏み潰されてここで死にかねない。
そんなオレの腕を掴むものがいた。
強引に引っ張るではなく、優しくエスコートするように。
「大丈夫か?」
外套を羽織った人影だった。
悪漢らしい姿といえば、その通りだ。
フードを目深に被っているから顔は見えない。
「あ、ああ。助かった。正直ヤバかった」
「今日はいつもに増して客が多い。外にあれだけ冒険者がいれば仕方もないが」
「稼ぎどきってもんじゃないの?」
「誰もが冒険者を安定して倒せるわけでもないのだ、少年」
微かに血の匂いがする。
彼の体、衣服辺りからだ。
「よお、今日は子供連れか、後片付け」
髪色や体型こそ似ているが、顔立ちは全然違う。種族も。
ヒト種の悪漢だ。
「立ち話をしていただけだ。用件はなんだ、コリン」
「マスターから聞いたぜ、お前引退するんだって?」
「……ああ、そうだ」
「寂しくなるな」
「そう、かもな」
二人は友人なのだろうか。少なくともこの男たちからは悪漢が他人にするような見下したり、無意味な敵対意識のようなものを向けていない。
……って、フードのことなんて呼んだ?
「後片付けの称号、もう要らんだろう。
買い取ってやる」
「この汚名、纏って得があると思えんが……いつかの約束もある」
「俺以外の誰かがこの遺跡で後片付けを名乗るなんて、俺が許せねえ。
このコリンを負かした奴なんだ、お前は」
「ならば、纏うなり、捨てるなり好きなようにするがいい」
外套を脱ぎ、それをコリンと呼ばれた男へと渡す。
「お前、この後はどこに?」
「地上では男爵が派手な動きを見せているらしいから、そちらに行ってみようと思っている。
消し去りたいものがそこにあるかもしれん」
「未然王、つったっけか」
「ああ……」
「綺麗さっぱり終わるといいな。お前が自由になれるように祈ってるぜ。じゃあな」
外套の料金か、袋に入った金を渡すとコリンは去る。
……後片付け。
外套の下はエルフの男だ。
シェルンで勘違いしかねないところだったが、このエルフもまた中々の偉丈夫。
もっと細面に痩躯なイメージがあるんだが、ともかく、助けられたのは事実。
くそ、人波に負けてか人混みに酔ったか、ぼうっとしていた。
こいつ、シェルンの仇じゃねえか。
どうにかシェルンに声を掛けようとするも、仇もコリンも違う方向に歩いていき、オレは雑踏から自分の身を守るのに精一杯だった。
───────────────────────
なんとか雑踏から抜け出て、指定の席に戻れたオレだったが、問題が過ぎたわけじゃない。
「よお、エルフのべっぴんさん。
そんなガキの相手にしてないで俺らと遊ばないかあ?」
先に戻っていたシェルンの隣に、ほうほうの体で座ったオレに対して悪党が五名ほど突っかかってきた。
正確にはオレをダシにしてシェルンに絡んできた、が正しいか。
「わっちは興味ないかなあ、君たちには。
だって体も頭も弱そうでや」
「あぁ!?なんつったてめえ!」
悪党の一人が尻を掴んでいるのも見えたのでそういう対応するのもわかる。
「自分の知り合いに何か問題があったか」
ぬう、と現れたのはあのときの男。
ヤルバッツィだ。
どうしてここに、とも思うが……。
「な、てめえ……なんでここに」
ざわついている。
彼らだけではない。
このフロアの連中が全員、ヤルバッツィに目を向けていた。
「ウログマの騎士階級まで持ってる陽の当たる場所にお住まいの騎士殿が、どうしてここにいやがりますかねえ?」
うろたえる悪党に変わって、別の悪党(シェルンの尻にセクハラを噛ましていた男)が声を掛けた。
自分よりタッパの大きい女のケツを揉みに行く度胸の持ち主だ。噛みつくのも早い。
「自分もこの遺跡に関わっているからだ。
たまにはこちら側で羽根を伸ばしたいと思って何が悪いというのだ」
「……ってことは、噂は本当なのかよ」
オレは横から「噂?」とオウム返しをする。
「ビウモードが行っている研究のために手を汚しまくってる、堕ちたる騎士。
それが至当騎士団の騎士ヤルバッツィだって」
「伯爵家のためなら暗殺でもなんでもやるとか……」
「どこぞの男爵にも睨まれているらしい……」「爵位持ちとも敵対してんのかよ」
巷に溢れていたであろう彼に関わる噂が一気に言葉として呟かれた。
普通であれば「こんな悪党は信じられない」となるであろうが、
「なんだあ!やるじゃねえか!」
「よっ!暗黒騎士!」
「悪漢ヤルバッツィ!」
賛辞だった。
よくぞ悪党でいてくれた!それくらいの盛り上がりだ。
給仕が酒とつまみを持ってオレたちを別の座席に案内する。
幾人かからの奢りだから座って楽しんで欲しい、と給仕は言った。
シェルン、そしてヤルバッツィに絡んでいた連中はバツが悪そうにして、唾を床に吐きつつ去っていった。
ばっちい奴だ。
「あー、助かったよ。
早速恩を返された、ありがとう」
「何を……この程度は返した内には、いや、まずは」
そう言って依頼書を取り出し、オレたちへと見せる。
オレに続いてもう一人の増援か。
「ええと、わっちは返せるものなんて」
「いえ、自分の命を拾ってくれたのはヴィルグラム殿、その恩義を返したいだけなのです。
シェルン殿、どうか戦いの末席に加えてください」
困ったようにシェルンがこちらを見てくる。
「いいじゃん、手伝ってもらおうよ」
そう言いつつ、耳打ちするように、
「それに仇がこのあたりにいるなら手下も多いかもしれない。
二人よりも絶対に三人で戦ったほうがいい。
数がいるってのはそれだけで武器になるから」
彼女にとって、仇討ちこそが至上の目的。
同行者のオレの意見は冷静なものだと受け取ったのか、
「……ヤルバッツィさん、それじゃあよろしくねえ」
「こちらこそ、お願いする」
シェルンに握手を求められたからか、彼はそれに応じた。
そのときに光るものをオレは見た。
指輪だ。
薬指にはめているのは既婚の印だったか。
「結婚してるんだな、ヤルバッツィさんは」
「ヤルバで構いません、ヴィルグラム殿」
「じゃあ、そっちも敬語はやめてくれ。呼び方もヴィーでいいから。
堅苦しいのはあんまり好きじゃないんだ、ヤルバ」
では、と息を整えるようにしてから。
「妻がいてね。
素晴らしい人なんだ、ただ病気がちで……それを何とかするために冒険をしている」
「病気がち?」
「先天的な呪いの影響で、一日の殆どは寝て過ごしている」
だが、と彼は区切るようにして言って、
「それも近々にはきっとなんとかなる。……呪いの対策の研究が進んでいてね」
「研究」
そういえば、彼は言っていた。
『大切な人の命が掛かっているんだ。
それには人形が関わっていて、世間の目がそちらに向くのは都合が悪い』
ううむ。またオートマタか。
あのときの話を思い出す。呪いの体を捨ててオートマタに移す、ってのなら不可能だ。
オレや男爵の命を奪ってでもオートマタの風評に関して口封じしようってのに、それを知らないはずがない。
なら、別の使い方をするんだろうか。
「オレ様の記憶が明瞭だったならヤルバのお嫁さんの呪いのことも手伝えることがありそうなんだけどな」
「記憶……」
複雑そうな顔をするヤルバ。
そこに、
「よう、新入りども」
シェルンよりも大きな男がのっそりと現れた。
───────────────────────
オレは今、空中を飛んでいる。
小鳥さんのように羽が生えてぴよぴよ飛んでいるわけではない。
投げ飛ばされたのだ。
さて、空中でオレらの状況を伝えよう。
現れた大きな男の種族はオーク。
後ろには先程絡んできた尻を揉んで来た奴らだのがいる。
親分と子分ってやつか。
「よう、新入りども」
そう言ってから机の上の、人様の奢りだってものを引っ掴むとヤルバへと叩きつける。
避けることもなくヤルバはまっすぐにオークを睨みつけていた。
「俺のかわいい手下に恥かかせてくれたらしいじゃねえか、騎士さんよ」
普通の酒場ならここでガヤガヤとするだけだろうが、この酒場の品性と人間性はそれには留まらなかった。
「もったいねえことしてんじゃねえ!」
チンピラの一人が子分に殴り掛かる。
ほどなくして子分と他の連中の乱闘が始まり、それによって他の机にも影響が出て、乱闘が酷くなっていく。
「おいおい、手下止めなくてもいいのか?」
親分に無視されている状態のオレはひとまず状況の収拾をはかるために声をかけるが、
やはりここも地上の流儀とは異なる。
「うるせえ!すっこんでろ!」
うん、そういう態度は予想してた。『ガキは黙ってろ』とか『座っていやがれ』的なね。
が、相手にすっこまされるところまで行くとはオレも予想してなかった。
親分はオレを軽々と持ち上げるとそのまま遠くへと投げ飛ばした。
ここでオレが空中にいるって状況にまで行き着くわけだ。
オレがいたところでは、投げ飛ばされたのを確認してヤルバが遂に怒りを顕にして拳を親分に叩き込んでいる。
彼もやはり冒険者ってことなんだろう。乱闘騒ぎには慣れているようだった。
投げ飛ばされたオレをフォローに入ろうとしているのはシェルン。
キャッチしようと走るも、乱闘騒ぎが邪魔ですぐにオレのところに向かえない。
彼女に受け止めてもらえれば痛くもなさそうだったのだが、残念。
オレは離れた机の上に不時着した。
派手な音と共に食器が破壊される。
「痛ってて……ああ、ごめん。オレ様が飛びたくて飛んだわけじゃ……」
「なっ……」
絶句といった感じの声。
そりゃあ空から飛んできて晩餐……かはわからないが、飯と酒の邪魔をされたら絶句もするよな。
「なんで、お前さんがここにいやがるんだ……坊ちゃん……」
と、思っていたが、絶句の理由は別の要因だった。
最悪な再会だった。
その席にいたのは少し前にオレを斬り殺した男、混種冒険者……『無慈悲』のブレンゼンが何故かここにいたのだ。
───────────────────────
表側のギルドよりも、俺はダンジョンの中にあるこうした悪党どもの店のほうが居心地がいい。
ここは俺以外にも似たようなカス揃いだからだ。
どうにもこういう酒場ってのは普通の冒険者には入ることができないやら、難しいやらのはずだが、つまりはなんてことはない、俺も遺跡の怪物と同じ扱いだってことなんだろうな。
そんな場所で俺は痛飲している。
俺は陽の当たる人生ってのを送ってこなかった。
何せ生まれはゴブリンの巣穴。
母親はオークの騎士だったらしいが、何かがあって俺を産んで死んだ。
俺の不幸があるとするなら、俺はゴブリンには産まれなかったことだった。
最初こそゴブリンどもと同じように暮らしていた。
体は連中の成体になる速度よりも早く、頑丈になった。巣穴じゃ負けなし。
ただ、知性そのものも差があるように思えていた。
巣穴はそのうちに掃討されたが、俺は運良く(或いは運悪く)生き延びた。
転々としていく間に俺は冒険者たちの言葉を学習し、そこから文字を学び、やがて、自分がただのゴブリンではないことを自覚した。
運が巡って、俺は冒険者になることができた。
しかし、仲間になってくれるような奴は一人もいなかった。
俺のような混種の存在は世界では珍しかったのもあるが、
ゴブリンとオークという血筋が良くなかったんだろう。
ただ、この肉体も悪いことばかりでもない。
普通の冒険者が嫌がるような仕事……つまりは溝浚いや死体回収なんかの仕事は苦にならなかった。
ゴブリンは先天的に疾病に極めて強く、穢れの強い場所であっても肉も中身も弱ることがない。
そうして地味な仕事と、時折入る乱戦要員として雇われて、色々な戦いを経験して青色へと上った。
仕事を選ばなかったのが功を奏したというべきか、目をつけられたというべきか。
やがて俺に回ってくる仕事は金払いはいいが表沙汰にできないモノが集まってきた。
勿論、暗殺やら何やらの仕事はあまり来ない。
主に来るのは紛争の撤退戦や、手段を選ばずに捕虜を逃がすための破獄の任務だったりだ。
汚い、というよりは危険な、或いは他人に伝えることを禁止されるようなもの。
悲しいことに俺は友人ってものがいないので話す相手もいない。
つまりは自動的に口は堅くならざるを得ない。
危険な仕事もこなし、汚い仕事すら実行する。
成功率は高く、実力も付いていて、なにより群れを作っていない。
やがて俺の名声は貴族たちに届くようになり、彼らの仕事を手伝うことになった。
鉄色位階に上がった頃、俺は一つの依頼を受けた。
ある少年の亡骸を持ってくること。
けったくその悪い仕事だった。それでも果たした。
仕事を果たすことが、俺にとって唯一『俺である』と言える証明だったからだ。
親も血も、種族も、故郷もない。
俺にとって仕事の完遂だけが俺たらしめていた。
それでも、子供の命を奪うことに呵責がないわけじゃない。そして、その命とて奪わなくてもよかったかもしれないような、そんな話をされてご機嫌でいられるほど外道に落ちきれてもいなかった。
俺に対して利害関係も何もなく、物怖じせず話しかけてくれたはじめての人間。
それを俺は殺したんだ。
結局のところ、だ。
俺は、あの子供ではなく自分を選んだだけだ。
……俺の命に、俺の積んできた名誉に彼の命を掛ける価値があったのだろうか。
俺は答えを見つけられない。
できることと言えば、酒を流し込んで、何もかもを曖昧にすることだけだ。
『がしゃん』
破砕音。
俺の慰み。
痛飲の時間は空から落ちてきたものによってご破産になった。
哀れなブレンゼンの、その慰みすら許されないのか。
俺は怒りと自己憐憫に染まりゆく中で、落ちてきたものを見やる。
「痛ってて……ああ、ごめん。オレ様が飛びたくて飛んだわけじゃ……」
「なっ……なんで、お前さんがここにいやがるんだ……坊ちゃん……」




