046_継暦135年_秋~継暦136年_秋/A00
「メリアティ様のご容態は」
ビウモードへと戻った一同は何をするよりも早く城の、メリアティのもとへと戻っていた。
行動騎士ドワイトがメリアティの身の回りを任されていたものたちへと問う。
「昨日から意識が戻らなくなり……恐らく呪いによるものかと」
「呪いが顕在化したか……」
ドワイトの言葉に弱々しく頷く。
短命の呪いを受けているとされていたメリアティが病弱で体力もないとはいえ、呪いの毒牙に掛からなかった理由はたった一つ。
呪いはまだ顕在化しておらず、静かに眠っているからでしかなかった。
だが、その呪いはゆっくりと目を覚まし、彼女を確実に毒しはじめていた。
「……そうなると、多くの時間があるとは言えなくなりましたね」
ウィミニアは呟く。
探索中に怪我をしたと自己申告した彼女の顔には、目を覆うように包帯が巻かれていた。
だが、それだけではないだろう。
道中、誰の手も借りずに戻ってきたのだから視界以外の何かを得たのだろうが、そこに触れることができるものはいなかった。
「集められるだけの情報は集めたつもり。
ただ、」
言葉を選ぶようにしたせいで、ルカルシはどう言うべきかと悩む。
「なんだよ、言ってくれよ!」
たまらずヤルバはその先を促す。
彼とドワイトは生命牧場を探したものの、何かを見つけることはできていなかった。
十二分な成果を得られたとも言えるのはルカルシとウィミニアだけであったものの、
その成果は十分にメリアティを助けることができるものだと彼女たちは言った。
「そう焦らないで、ヤルバ。
眠りについてしまった以上はメリアティ様とお話はできないけれど、
処置をすれば今日明日で命を落とすようなことにもならないから」
「けどよお……!」
ウィミニアの冷静な言葉に対して食い下がるヤルバ。
「眠りについたら、このままなのか?」
「……そうね、このまま」
絶望に染まった瞳をウィミニアに向けるヤルバだったが、
ウィミニアは構わず言葉を続けた。
「何もしなければ、ね」
「何をすりゃあメリアティ様は助かるんだ!?」
「それは」
彼女が話し始めたのは、まさしく外法そのものであった。
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「歴史を思い出してみないか」
少年が言う。
「なんでもかんでも忘れるオレに勉強って」
「忘れていることを思い出すかもしれないだろ、どうだ」
「……ま、この場所に留まっている以上はやることもないし、
勉強ってのに興味がないわけじゃない」
「そうこなくっちゃ」
会話に飢えているのか、少年は微笑みを作る。
どこか艶やかというか、人の心、そこにある壁を溶かしてしまうような力があった。
「えー、おほん。
我らが王国が生まれるより過去の話。
神様が殺される頃よりは未来、魔王が誕生するよりも未来、
まだ自分たちの限界ってのを知らない、恐れ知らずだった人間の幼年期のお話だ」
指を鳴らす。
意識が落ちるではなく、周囲にヴィジョンが浮かぶ。
視界や実際にあるものとは違う、作り出された映像とも呼ぶべきもの。
「ヒト種はエルフ種を羨んでいた。
特に神に寵愛されたハイ・エルフたちを。
なにせ彼らは神と共に在ることを望まれたがゆえに寿命というものがない。
普通のエルフと比べても四分の一、いいとこ半分くらいしか生きる時間を持たないヒトは羨ましくて仕方がなかった」
映像が切り替わり、人体を表す絵が並ぶ。
「だから、当時のヒト種の研究者はこう考えた。
『完成されたヒトの肉体』を作ればいい。
神がレガシーを作ったように、ヒトも自らの手でレガシーを作ればよいのだ……ってね」
「エルフを作るってことか?
解決にならなくないか、それ」
「ああ、だから器だけを作ることにしたのさ。
寿命の縛りがない肉体に彼らは入ろうとしたんだ」
そんな話、聞いたことがない。
賊だから、とかそういう問題ではなく、そんなことができるなら世界は停滞していそうな気がする。
だって永遠に生きる奴がいて、そいつが支配者になったらそっからずっと変わらないんだろ?
であれば世間のルールも変わらないってことだ。
だが、そうなっちゃいない。
代替わりで領内が酷いことになって賊が増えまくっているなんてのは日常茶飯事だ。
そういうのはわかるんだよ。賊だからさ。
「そう。
無理だった。
正確には『完成されたヒトの肉体』に似たものは作り出すことはできた。
けれど、その作り出した器にはインクを発生させることができず、
魂を移し替えるなんてこともできなかったんだ」
水槽を作ったものの、水はない。
そんな場所に魚を入れれば死んでしまう。
インクのない肉体とはつまり、魂がそこに存在できないということでもあった。
オレもインクはない、が、ゼロというわけではないらしい。
生きる上で必要なだけのインクはあるということなのだ。
「その上、作り出された器たちはどうしてか勝手に動き出して造物主との戦いをはじめた。
なあに、束縛されたら解放されたがる。
ヒトが作ったならそうした思考も親に似るってもんでさ」
どういった戦いがあったか。
そもそも、どうしてオートマタたちが造物主に歯向かったのか。
少年は知らないらしい。
ともかく、その時代の文明は作り出されたものによって滅ぼされたことだけが歴史に残った事実だという。
「で、その話がどう関係するんだ?」
「彼女たち……ウィミニアとルカルシはそれをしようとしているのさ」
「オートマタをか?」
曖昧に少年が笑うと、
「歴史の授業はここまでにしておこう。
彼女たちの話の続きだ」
そう言ってもう一度、指を鳴らした。
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「彼女そっくりな人形を作って、呪いをそちらに移す」
「そんなことができるのか?」
ヤルバの疑問に対して、こともなげにウィミニアは「できる」と頷く。
「危険性は?」
「ゼロじゃあないけど、このままにするよりはよっぽどマシじゃない?」
ウィミニアの言葉は常にまっすぐであったし、
だからこそヤルバとドワイトは言葉を無くした。
「立ち聞きする気はなかったが、聞こえてしまったからには私も混ぜてもらおうか」
一同がその声にすぐさまかしずく。
「楽にしてくれ。
今はそれどころではない。違うか」
言葉に従い、再び元の姿勢に戻る。
それを見てから声の主──ビウモードは続けた。
「ウィミニア。
古の時代にそうして作られたオートマタの話……私も伯爵家の人間としてそれなりに修学した身だ。
知らぬわけではない。
彼らはインクを持たず、そして自我を有して人間との戦争をはじめたことを」
「ええ。
ですからオートマタは作りません。
その辺りの理論なんかはついばむことになりますが」
魔術士として、そして魔術の研究を日夜やっているルカであればまだしも、
ウィミニアが口にすることはいずれも、今までの彼女が持っていたものとは思えない。
それはヤルバやドワイトは勿論、伯爵もまた察していることではある。
これに口を挟まないのは今のこの状況においてウィミニアの『変質』という問題はメリアティの呪いとその解決という問題よりも下にあるからだった。
「では、どうするのだ」
「精巧な人形を作るのです、人間と差のない人形を」
「それが妹の呪いに対する解決になるのか?」
「ええ。
呪いをその肉体に移しますからメリアティ様は健康な肉体となるでしょう」
遥か東方には掛けられた呪いを人形に移し難を逃れるという儀式がある。
尤も、流石にこの場にそうしたものがあることを知るものはいなかったが、
ウィミニアの言うこと自体、発想としては受け入れやすいものだった。
「可能なのか」
「この呪いに自我はありません。
まったく同じ環境であれば移されたかどうかなどわかるものでもないのです」
「どうやってその肉体を作る」
ウィミニアは笑みを作る。
「そのための生命牧場です、伯爵」
やはり、こともなげにそう言うのだった。
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話し合いは終わった。
ヤルバはメリアティの側に付き、伯爵とドワイトは日常業務と予算のやりくりへと進む。
ウィミニアがざっと提示した金額はビウモードの正規兵、その上位に位置する団体である至当騎士団の年間の維持費にも相当するものだった。
しかも、その金額はあくまで儀式の『手付金』同然でしかないという。
報酬としてではなく、単純な経費としてそれだけ必要なのだと。
ウィミニアは詳細な費用をルカを伴って書き出している。
時間との勝負、とまでは言わないがそれでも人手は必要だったからだ。
「ウィミニア……貴方、何をするつもり」
「ルカ、もうわかっているんじゃないの?
それともあえて聞いているの?」
ペンが走る音が二つ。
それが止まることはない。
「……あえて、聞いているんだ」
「では敢えて言うよ。
そうとも、少年王の帰還こそが妖物の唯一の願いだとも」
ルカは動かしていたペンを止めて、少しだけ瞑目する。
「君はもうウィミニアじゃないのか?」
「ウィミニアではある、けれど、まるきりウィミニアだというわけでもない。
弱いところ、不要な部分を切り捨てて、そうして作られた余った場所に必要なものを押し込んだ」
ウィミニアは自身がウィミニアであるという自我が消えたわけではないことを理解している。
ただ、彼女の本心というものを今まで誰にも晒したことがなかったからこそ、
『本当の彼女』を知るものはどこにもいないだけだった。
「ライネンタート。
ボクは君が必要とは思えない」
「それはこちらのセリフだよ、ボーデュラン」
互いに状況は理解している。
ルカがウィミニアの中にライネンタートを感じるように、
ウィミニアはルカの中にボーデュランを感じていた。
「けれど、ここで私達が殺し合えば陛下は戻ってこない。
それは理解はしているんだろう」
「ボクは陛下にご帰還いただきたいわけじゃない」
きっぱりと否定するルカ。
ルカもまたウィミニアと同じく、自身の自我を失ったわけではない。
そもそも、彼女は契約に基づいて行動する約束をしただけであって、何かと合一したわけではないのだ。
だからこそ、彼女は陛下──カルザハリ最後の主君、少年王に対して思うところは少なかった。
「あの時代から引き継がれている負の遺産を何とかしたいだけかい?」
「それがボクが彼と交わした契約の一つだからね。
この呪いにしたって、負の遺産の一つだからこうして君に協力しているだけだ。
じゃなかったらオートマタなんて危険なものに手を出すわけがない」
伯爵にはオートマタではないとは言ったものの、それは言い訳に過ぎない。
やろうとしていることはオートマタ制作と殆ど同じだ。
「まったく、死んでも変わらないとは流石カルザハリ一の頑固者だ。
私を含めて消し去りたいならそれでも構わないけれど。
陛下が戻らない限り、伯爵たちが残した呪いをどうにかすることができないのだって理解しているだろう」
ウィミニアは交渉というよりも現実問題を盾にしてルカへと言葉で挑む形を取った。
彼女はルカと異なり、特に興味もないことに関してはライネンタートの思うところを体を貸すかのようにして言葉を発していた。
「……わかってる。わかってるから君を殺してないんだよ」
「すぐさま陛下がお戻りになられるわけじゃない。
どれほどの時間がかかるかはわからないけれど、進めていこうじゃないか。
それまでは」
「協力しろって?」
「ああ。
かつての私達はそれができなかったけれど、
今の私達はボーデュランとライネンタートというだけじゃあない」
ライネンタートではない。
その要素はあれど、ウィミニアはウィミニアであった。
だからこそ、彼女が少年王を蘇らせることが最終的なゴールではないこともルカは理解している。
「ウィミニア。
君は何を望むんだ?」
「……かつての過ちを消したいだけ。本当にそれだけなんだ」
「グラムは帰ってこない。
死んだ人間は戻らないんだよ、少年王が例外なだけだ」
「わかっている。わかっているよ」
わかっている。
その言葉は間違いなくウィミニアのものだった。
ウィミニアは本心を誰にも言ったつもりはない。
けれど、ルカもヤルバも彼女の奥底にあった痛烈なまでの自己否定の嵐を理解していた。
それを助けたいと思って、しかし癒やす手段を持たない自分たちを苦く思っていた。
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「で、オレ様が生まれたってわけ」
手を広げて主張する少年。
「オイオイ、随分省略したな」
「このまま聞いていたって面白い話でもないし、
彼女たちは持って回った話し方をするばかりだからさ。
重要なのはこうしてオレが生まれた、そして、周回を生きることになった。
それが全てさ」
情報を掴みあぐねるのは確かだが、それでも見ていれば知れることもあろうに。
ただ、それらを見せるかどうかを決定する少年が見せないと言うのであれば従う他はない。
「質問をしても?」
「いいとも。ここからも長いからね。
むしろここからの方が長い、というか……追体験じみたことになるわけだし」
その言葉につい一拍ほどためらうも、黙るよりはよかろうと続けた。
「どうしてオレはお前と喋っているんだ」
「わからないか?」
「わからんよ、何も」
「ここにオレ様がいるからさ」
とんとん、とオレの胸を叩くようにして。
「……どういうことだ?」
叩かれた場所は、胸がじりじりと、ちりちりと痛む部分だった。
少年が触れたときには皮膚や骨とはまた違う、硬質な音が響いた気がした。
「わかるさ、そのうちに」
「追体験をすれば、か?」
「そうとも」
オレは「見るよ、見せてくれ」と観念するように言う。
「それじゃあ、一つの周回を見てもらおうか。
他ならぬオレ様自身に」
少年が指を鳴らす。
今度は周囲のヴィジョンと、少年のコメンタリーではないようだ。
意識が落ちていく。深く、深く。眠りにつくように。
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よお。
状況が読み込めないオレ様だ。
ここはどこだ?
自分は……誰だ?
まったく思い出せない。
何をしていたのかも、何をするべきなのかも。
──ま!いいか!
自由だってことだけは確かだ!
何をしてもいい自由がここにある!




