044_継暦141年_夏/03
「ドップイネス様、ブルコ様は仕事を果たすでしょうか」
ビウモードの宿で色小姓が主たるドップイネスに問いかける。
「可愛い可愛い私のスアフ。優しい子だねえ。
だが、ブルコはしっかり仕事を果たしてくれるだろうよ」
スアフは色小姓であり、ドップイネスの愛情を一身に受けている。
ただ、その愛情はいわゆる褥の中だけの話ではない。
子を持たぬドップイネスが次代のドップイネスとさせるために大いに教育を、そして遺産の相続を約束している相手だった。
彼の問いかけはブルコを心配してのものだけではない。
『何故、大任をブルコにだけ任せたのか』という教師への質問でもあった。
単純な戦闘技術であればジャドが上であるし、
忠義という面で言えば自分がいる、そう言いたげに。
「いいかい、スアフ。
我らの仕事は為すべきことを、為すべきときに行うことなのだ。
そのときが来ればなにを捧げればよいか、わかるようになることが肝要なのだよ」
それは否定でも肯定でもない。
ドップイネスはブルコが仕事を果たすことが重要なのではなく、
彼を向かわせることが重要なのであると、そう告げていた。
ジグラムやウィミニア、或いはメリアティを殺すことそのものが今必要な駒の動かし方ではない。
であれば、何を?
スアフは次の疑問を持つ。
「ドップイネス様の御心を知るには何が必要なのでしょうか。
足りないのはこの身の才覚ですか?
それとも、経験則を得るべきその土壌でしょうか」
元は見栄えだけのよい少年だったスアフだが、彼がドップイネスに心酔しているのは何も多くのものを与えられたからではない。
スアフにとって、成功を積み重ねてきたドップイネスは吟遊詩人に謡われる英雄たちよりも、より身近に存在する偉人であったからだ。
「経験と一口に言ってしまうのは余りにも広いことなのだよ、スアフ」
「では、経験を分解して、必要なものを区別するとしたなら……必要なのは」
言われた通りに沈思する。
荒淫のドップイネスがその情欲に従うだけでなく、このように色小姓を学びに向かわせるのは、その才覚を認めているからであった。
「誰をどう扱うか、誰の才能が誰の才能に影響を与えるか……でしょうか」
その言葉は一種、『楽団』の教義にも合致する言葉だった。
主たる勢いを持つ三つの宗教。
つまりは『聖堂』、『楽団』、『教会』はそれぞれの教義に学ぶべき部分が多い。
ドップイネスは宗教と教義を信仰ではなく、教師と教本のようにしてスアフへと伝えていた。
「ほっほっほ、そうとも。
それに加えるならば組む相手の力量というのもある。
相手の力量が自分と近く、求める方向性が似ているのならば無言の間にも協力関係にも似た結果が与えられるものなのだよ」
才能と才能を引き合わせるためには、そもそも引き合う場所が必要である。
その場を作り出すためには別の人材が必要ともなる。
「今回であればウィミニア閣下ですか?」
「ああ、彼女は恐ろしい。信用ならない。
しかし、目的が合致しているならばこれより信頼できる相手もいない。
彼女はたった一つのことを為すためならばどこまでも冷酷になれるお人だからねえ」
だが、とドップイネスは区切り、そして続ける。
「我らの仕事はそこで終わりではない。
わかっているね、スアフ」
「はい。
ドップイネス様がご一族の唯一の染み汚れとなったものを今度こそそそぐため。
……妖物、今様のライネンタートを完全に消し去ることこそが──」
ドップイネスは御用商人である。
血筋を辿れば幾つかの貴人の家系にも繋がるもの。
その一つが『教会』の重要な立場に属するものでもあった。
『教会』の人間として多くの秘密を抱え、守り、ときには秘密を得るために人を殺し、秘密を葬るために人を殺すこともあった。
しかし、教会はある時期に後ろ盾を失った。
管理局との太い繋がりが彼らを肥えさせていた一因ではあったが、その管理局そのものを国とともに終わらせた存在こそが討ち果たし、復讐を遂げるべき相手だと伝わり続けた。
その復讐の相手。
彼らの目的は管理局を実質的に終わらせた『最後の管理局』ライネンタートを葬ること。
管理局の支配権を奪われ、その名誉をも失ったと考えているドップイネスの血族の悲願が掛かっていた。
それを果たすためであれば、例え倒すべき今様のライネンタートと手を取り合うのもやぶさかではない。
最終的にどちらの策略が上回るか、純粋な勝負になるだけだ。
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よっす。
正門に向かってまっしぐら(老人程度の速度)のオレだぜ。
手入れのされた道だ。
舗装用に撒かれた石一つ一つも実に上質。
オレはそれの幾つかを蹴り上げるとポケットへと忍ばせた。
入り口は閉ざされていたが、鍵は掛かっていない。
重い扉を開く。
中に人の気配はない。
とはいっても、埃が舞ったりするわけでもない。
まるで時間の流れに置いていかれたような雰囲気だった。
手入れはされていれど、居住者は多くないのを感じることができる。
それを不気味と言うのか、静謐だと言うのかは人それぞれの感性次第だろうが、
オレはどちらかといえば後者の印象を受けた。
ウィミニアの話を思い出し進んだ先は最上階、最奥の部屋。
「邪魔させてもらうぞ」
そういいつつ開いた扉。
窓辺に立つ一人の女性。彼女はゆっくりとこちらを振り向く。
金の毛髪に、理性的な瞳。
胸がずくずくと痛む。
まただ、何かを思い出そうと痛む。忘却してしまった何かが叫んでいる。
だが、ここでうずくまるわけにもいかない。止まるわけにも。
「……あなたが。
トライカ市長、メリアティと申します」
ウィミニアとの間で何かしらのやり取りが事前にあったのか。
ただ、それを知る時間は残されていない。
優雅な挨拶を取る令嬢。
彼女の何に自分は乱されているのだろうか。
「……名乗るほどのものではないが、名乗らぬ無礼で通すわけにもいかぬよな。
冒険者のジグラム。
市長閣下にこのような老いぼれの姿を晒すことをお許しいただいたこと深甚に思う」
礼節ってのはよくわからない。
ただ、染み付いた記憶の中から選び取ったものを提示する。
不可思議な顔も、苦笑もないところを見るとひとまずは無難な対応だったようで、オレは胸をなでおろした。
「お久しぶりです、と言ってもきっと通じないのでしょうね」
「……久しぶり?
さて、記憶にはないが……見ての通りの老骨故に覚えたこと、出会ったことは取りこぼしておりましてな」
「いいえ、貴方は貴方ですよ。
ヴィルグラム。
変わらず、貴方のまま」
「……わしの、何かをご存知なのですかな」
「ええ、私は──」
メリアティが何かを言おうとした瞬間、言葉を打ち切るだけの勢いと轟音と共に扉が砕かれた。
「おっと、扉もろともと思ったんだが、失敗しちまったかあ。
そりゃ扉の前でお話はしねえか」
オレはメリアティを庇うように立つ。
まあ、オレ如きが壁になって意味があるのかは置いとこうぜ。
「これはこれは、屠殺者ブルコ殿。
お早い到着、いや、むしろ遅かったと申したほうがいいのですかな」
「部屋の数が多くって迷っちまったんだ」
ブルコは再び手元で包丁を弄ぶ。
一種のルーティーンってやつか?
戦意を引き出すための準備、そういう癖を持つことで精神の安定を図るやり方もあるんだろう。
さて、厄介な相手と厄介な距離で睨み合うことになった。
道中の戦いでこいつはオレの投擲をあっさりと払ってみせた。
つまり無策で投げつけても傷ひとつ付けられないだろう。
懐には幾つかの石。
この邸の舗装用の石だ。上質だ。
やや小ぶりではあるが、むしろ近距離で使うなら小さい方が加速を付けやすい。
流石はお邸ってだけあって、この部屋自体かなり広い。
メリアティは最も奥、窓側に立っている。
ブルコが一投足だけで踏み込めない距離だ。つまり、オレにも届かない程度。
ただ、出入り口はブルコに塞がれている。
他に出入り口にできそうなのは壁それぞれに付けられた窓だ。
どうやらこの部屋は邸の一部が飛び出たような形状にあるらしく、出入り口がある面以外のそれぞれに大きな窓が存在する。
市長殿の背後の窓を破ればもう一つ出入り口は作れるが、
窓を割って移動するのと追いつかれるのは殆ど同じくらいの時間になる。
外に出ようとするのと斬りかかられるのも同様となれば、その選択肢を取るのはイマイチ。
ブルコはまだ得物を弄んでいる。
直感的な話になるが、こういう相手はルーティーンを騙し討ちには使わない。
そういうことができるタイプもいるかもしれないが、そういう手を使うならもっと前にオレを殺す手を打っている。
それを打てるのにしないのがこの推理の傍証だ。
決断まで数秒の猶予はある。
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老人の体ってのは妙だ。
成人の肉体のような力強さや頑丈さがあるわけではない。
少年の肉体のような体のキレや反射神経があるわけではない。
むしろ、そのどちらにも劣る。
だが、老境の肉体には奇妙な……直感とはまた別のところにある感覚というべきか、能力が備わっているように思えた。
それは明確なヴィジョンを伴う、結果の予測。
例えばこのまま石を投げつければ、相手はどのようにして動き、それを防ぐか。
誰しもに通じるものではないが、ブルコは幾つかの手をこちらに見せていた。
それで十分に予測を取ることができる。
勿論、相手が平手で来るに限るので、見たことのない手管で来られたらお手上げだが、少なくとも一手目から変わり種では来ないだろうから、相当の精度で次の盤面を見ることができる。
先の続きで言えば防がれて、踏み込まれて、何かをしようとするのと同じに切られておしまい。
死の結果が予測できた。
印地の切れ味というべきか、投球魂めいたものは上がっているのとは別。
肉体に由来した、妙な感覚。
今はそれを信じるべきだろう。
どうせオレはまたあっけなく死ぬことになる。
次の肉体でそうした『違い』みたいなものを試すなり考察するなりすればいい。
だが、オレが死ぬのは今日じゃない。そして、オレを殺すのはお前でもないんだよ、ブルコ。
……そのくらいの気合がないと、死を選びそうなんだ。
格好くらい付けさせてくれ。
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『予測』は付いた。
『行動』の時間だ。
一手目。
懐から投擲。メリアティの背後の窓が割れるのとほぼ同時にオレは「急げ!」と叫ぶ。
ブルコが弄んでいた包丁を握り直す。
「逃げの一手か?」
オレの言葉に意味などない。打ち合わせもしてないのだからメリアティは一拍分行動が遅れる。
素直に従われるとヤバかったが、完全に戦闘をするつもりのオレたちとは一種、時間の流れというわけではないが、全ての判断と行動速度は彼女と大きな差が生まれている。
そう。これが大事なんだ。
踏み込もうとするブルコ。
行動はここまでは的中している。
次に移ろう。
二手目。
庭で拾った石を手首のスナップを利かせて擲つ。
痛い!手首が痛い!軟骨がすり減ってるのか!?年取ると関節痛むってこういうことかよ!
クソ!二手目の結果がわからなくなった。
「どうしたあ、ジイさん!ぬるいぜえ!」
回避すらしない。
肉の厚みがそれらを弾いてしまう。
踏み込みから切り落とさんと包丁が振るわれる。
三手目に繋げる算段が崩れた。
手ぬるい一撃のせいだ。
ブルコが突き進める程度の威力で印地を打ってしまったからだ。
どちらにせよ、三手目に繋げられないなら死ぬ。
ならば命懸けのギャンブルに出たところで損がない。
「ヌルいかどうか確かめてみるかッ」
振りかぶる包丁に向けて幾つかの指を立てて、いくつかの指を畳む。
特異な構えを扱う魔術の類があるとどこかで聞いたことがあるような気がする。
老人の肉体であれば怪しげな構えに策を見るかもしれない。
「セートオキーブ!ロレワコキーブ!」
出鱈目な言葉を並べる。
ブルコもそこに策があるかどうかの判断をする必要が出る。
ここで回避されるなり、腕ではなく首でも狙われるでもすれば賭けは失敗。
「呪いだとしても遅すぎんだよッ!」
彼はオレの手に何かを見たのだろう。
拳は肉切り包丁に切り裂かれ、腕が刎ねられる。
痛いなんてもんじゃない。
意識が消えるか消えないか、視界が明滅する。
だが、
「賭けはわしの勝ちのようだな、ブルコ」
「何を──」
そうは言っても最後の最後まで策は弄する。
残った片腕で投げるような姿勢に移ろうとする。
ブルコは武器を振るった勢いのせいで回避はできない。であれば、せめてと正面のオレに対して防御姿勢を取った。
詰みだ。
刎ねられたのはオレの腕だけじゃない。
窓が割れ、飛来したものがブルコの首を跳ねていった
太い首を割り、勢いを使い切ったそれが地面に転がる。
戦輪。
馬車の中で飾られていた円形の刃物。
扱った記憶がないというのに、自在に扱える気がしたのは投擲の技巧のお陰か、それとも。
そこまで考えて、痛みが全てを支配し、膝をつく。
「ご無事かな、市長殿」
そう言いはしたものの、限界が来た。
オレはギャンブルとブルコに勝利はしたが、出血と痛みに敗北し、その意識を手放した。
いつも感想、誤字報告、評価などありがとうございます。
大変励みになっております。
感想などで「状況やら人物の立ち位置やらが混み合ってきて把握が大変!」とご意見をいただくことがしばしばありましたので(優しく伝えてくれてありがとうございます!)、
明日にその辺りのことを纏めたものをお見せできればと思っております。
 




