042_継暦141年_夏/03
よっす。
トライカに突き進む馬車で老いに苦しむオレだぜ。
この肉体はまるでいいところがない。
オッホエと叫んでみたら関節が痛い。腰も。首も、とにかく痛い。
ただ、勘所というか、どこに幾つかの選択肢からよりよい選択肢を掴むような、
投げれば当たるという妙な……いうなれば熟練者の感覚のようなものがある。
肉体に染み付いた経験をまるで吸い上げたかのように。
「大丈夫ですか?」
「ああ、寄る年波には勝てんというやつでな……。
動いただけでどこもかしこも痛むものよ」
「……おいたわしい。請願を掛けてもよろしいでしょうか?
少しは楽になるかと存じますが」
「ああ、是非頼むよ」
彼女は『《回春》』と唱える。
治癒と異なり、自然回復と老化による不調をある程度緩和する請願であるという。
「そんなものを遺した偉人がおられるのだな」
「元の使い方はまた別のものだったそうですが」
「ああ……なるほど」
請願の名を考えれば、『本来の用途』を理解する。
精力が漲る力を他者に与えるとなれば、貴族たちには特に喜ばれるだろう。
跡取り問題はいつだって彼らの最大の悩みなのだ。
「若返りまではできないのかね」
「人であれ、世界であれ、時の歩みを狂わすことができたものなどいないのですよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
確かに、オレも復活するに過去へと戻ったことはない。
戻ろうと思ったこともないからかもしれないが。
「トライカに入りましたね」
ウィミニアの言葉にオレは窓へと目をやる。
ビウモードは時勢が時勢だからか重苦しい空気が漂っていて、
妙に曇っていると言うか、ピーカンの晴れ!というようなイメージがない。
しかし、トライカは城郭都市ほどに明確に土地を仕切っていないせいか(勿論、ある程度以上都市の守りは堅牢にされてはいるが)、開けていて、明るいイメージを受けた。
目抜き通りは露店が多く並んでおり、多くの人間が生を謳歌しているように見える。
「到着いたしました、ウィミニア閣下、師父」
馬車自体もVIPだが、どうやらその扱いもVIPのようで、
目抜き通りを越えた辺りで馬車の預かりやら何やらの人員が現れ、あれこれとやり取りをしている。
あれこれの中身は「馬車はどこそこに保管いたします」だの、「次に使用するときは係のものに申し付けくださればすぐにお運びいたします」だの。
「馬車の旅はここまで。
よろしければこのままジグラム様には私と共に来ていただきたいのですが」
「わしの仕事はウィミニア殿の護衛であろう、なんの断りを入れる必要がお有りかな」
「そうでしたね、私としたことがつい」
賓客扱いしてしまった。
……いや、賓客扱いなのは十分に理解している。
だからこそ、付いてこいと言われれば断れるわけもない。
キースと生き残った護衛は馬車を預けるとすぐさまウィミニアの守りを固める。
護衛の一人があのやけに目立つ鈍器を運び出していた。
相当の重量なのか、両手を使って運んでいた。
オレも本来は護衛たちのようにウィミニアを守るべきではあったものの、ウィミニアがこちらの歩調に合わせるせいで護衛をしているというよりも、散歩に付き合っている孫娘のような構図になってしまっていた。
「ウィミニア殿はビウモードやトライカについてお詳しいのかね」
「人並みに、というところでしょうか。
住んでいて身につく知識であれば、ある程度は」
「興味本位のことでしかないのだが、
ビウモードは厳しい雰囲気が、そしてトライカには開けた雰囲気がある。
どうも意図的というか、作為を感じるのだが」
ビウモードは伯爵家の支配を象徴とし、規律こそが全てであるかのような姿勢を見せている。
一方でトライカは人々の自由さや交易などへの手厚さ、公平さを感じ取れた。
それ自体は別に都市ごとの特色として受け入れられることではあるが、
その差が広ければそれ以外の意図や作為を受け取ってしまうもの。
「ビウモード家の支配であることは同じですけれど、その支配者が違えば色も異なるもの」
「つまりトライカはビウモード伯爵の支配下にない、と」
「はい。
ここは伯爵の妹君であらせられる、メリアティ様が差配されているのです。
声望も高く、伯爵であっても自由にできない土地」
「それがトライカ、か。
人々にとっては住みよい場所なのだろうな」
彼女の顔はヴェールに阻まれて見ることはできないが、
オレの言葉に「はい」と同意したときの、その声の感じから少し微笑んだような気配を感じる。
ルカの話を思い出す。
ヤルバッツィとウィミニアを含めて三人ともメリアティには悪感情はなかったような伝え方ではあったが、
こうして見れば悪感情どころか、好意的であるという方が正しいのではなかろうか。
あの話の主観がルカであるわけだし、彼女は好悪の情そのものがメリアティには薄かったようだから仕方もないのだろうが。
いつのまにやら人気のないエリアまで歩いていた。
「あちらがトライカ市長、メリアティ様のお邸です」
広い。
綺麗。
金持ちの家を見る賊の感想に期待してないでほしい。
小鬼も驚くような穴蔵生活だったり、空と大地が我が家みたいな生活だったりするのが賊だ。
それらとは異なる生活様式を見せられても対応する言語センスは持ち合わせていない。
ただ、気になることは、
「邸の護衛が少ないのう」
「……何かがあったのでしょうね」
「何かってのは──」
ああ。
血の匂いだ。
邸はぐるりと囲いが存在するものの、城壁めいたものではない。
そのために、それなりの数の護衛がいたのであろうが、そこかしこの道に死体になって転がっている。
「よう、いつのまにか追い抜いちまっていたみたいだなあ」
片手で弄ぶようにして肉切り包丁を回す男。
「賊を率いてた男、だのう」
「やっぱ確認されていたかよ、ヨボついた目玉でもよく見ているぜ」
包丁を回転させ、それを掴むと弄ぶのを止める。
幾ばくかの戦意が醸し出されていく。
「アンタは目立つ体躯だ、やむを得んところじゃろ」
「ハハハッ、違いねえ」
殺し慣れている。
それこそ、賊とは違う慣れ方だ。
職務として、仕事として殺しに手慣れている。
賊も他人の命を命と思わないような連中だが、殺し慣れているわけじゃない。
あいつらは──オレもそこに含まれるわけだが──殺しに関して何も思わないだけだ。
そこにプロフェッショナルのような感覚があるわけではない。
「邸の護衛は」
「悪いが先に始末させてもらったぜ。
そこにいる管理局の局長様を含めて相手にするのは荷が勝つからよ」
そう言いつつ、彼は指を笛にするようにして鳴らす。
ここにオレたちが来るのを待っていたのだろう、隠れていた連中や、一般人に扮していた連中が姿を表す。
隠れたままにならなかったのは、ここにいる連中が急造の襲撃犯だってことを示している。
どちらかわからないままだと同士討ちしかねないから現さざるを得なかった側面があるのだろうと考える。
「見事に猟師の罠に掛かったというわけだの。
天晴な手腕よな。
折角ならば名前を伺いたい、巨漢殿。その名誉に預かれるならば、だが」
「賊たあ思えないほどの姿勢だねえ、ジイさん。
いや、ウィミニア閣下が声をお掛けになるんだから只者じゃあねえんだろうけどよ。
……ブルコだ。ケチな始末屋さ。
同業者からは『屠殺者ブルコ』なんて呼ばれちゃいるがね」
「わしの名はジグラム。
ブルコくんが羨ましいよ、わしには二つ名はないんでな」
「オレがつけてやろうか、じいさん」
「それは嬉しいが、お安くはあるまい」
「ジイさんの命一つを安いと考えるか高いと考えるか次第だろう」
軽快に返してくる。
正直、嫌いなタイプじゃない。戦う相手じゃなければだが。
「さて、どうするね」
ウィミニアに行動指針を求めておこう。
いきなり戦端を開くわけにもいかない。
「邸の最上階、最奥の部屋に市長がおられます。
護衛任務の内容上書きになってしまいますが」
「市長の護衛だの、承った」
オレは邸へと走る。
見たところ邸内に、少なくとも庭に敵の姿はない。
つまり邸の護衛たちは釣り出されたのだろう。
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「ジジイの癖に早いな。
さーて俺も──」
「ドップイネス殿の護衛ともなればビウモード領内でもある程度の自由は許されましょう。
ですが、ここでの狼藉は許されません。
少なくとも、私の判断において」
「許されなかったら、どうなるんだい。
ウィミニア閣下さんよ」
「無論」
ヴェールから透けて光るのは不気味な赤い光。
眼光鋭くという言葉もあるが、この場合は文字通りの物理現象となった。
ブルコは一瞬で危機を察知し、手近にいた部下を掴むと視線の上に投げ飛ばす。
「き゛え゛っ」
配下はまるで巨大な、鋭利ではない鉄板に通過されたようにして切断される。
切断と言うよりも、引きちぎられたに近い惨状だが。
「こりゃあ恐ろしい」
ブルコ。
ジャドやオーフスと共に雇われていたドップイネスの護衛であり、その仕事はもっぱら暗躍、特に実力を行使せねばならない相手に対してのもの。
年齢は40を超えて本来は衰えが見えはじめてもおかしくない年齢だが、動きのキレはむしろ増していた。
自身の超能力を自在に扱えるようになってきたからこそ、彼の実力と評価額は高まり続ける。
(魔眼の超能力か。
レアなもん持っていやがるぜ、流石はキースがなびいた相手。
どの系統にも引き継ぎが不可能とも言われている力の一つか)
部下をウィミニアの視界を塞ぐように投げ捨てると同時にブルコが走り出す。
(ヴェールは視線を見切らせないためのもの。
考えているじゃねえのよ。
俺が駆け出しだったらどう攻略するか悩んでいただろうが──)
自身の超能力を発揮し、急加速する。
直進ではない。視線を動かすための幾何学的な動き。
部下たちにも相手の危険性についてはある程度は伝えているが、対応しきれるかまでには興味がなかった。
「妖物とまで言われたお人とやり合う気はないんでな!」
そのまま邸へと突き進む。
視線を切るために大きく周り、ジグラムが入ったではなく、裏口まで大回りしたようだった。
「あちらはジグラム様にお任せするほかないでしょう。
……武器を」
護衛の一人が「こちらに」と取り出したのは鈍器の先端から両刃の刀身が伸びた異形の武器。
相続戦争が始まる以前に『教会』の僧兵が愛用したソードメイスとも呼ばれる代物である。
『数多の遺児のための教会』は今でこそ『聖堂』や『楽団』に勢力図としては大いに押された結果になっているものの、カルザハリ王国在りし頃には非常に大きな権勢を誇っていた。
その頃に作られた教会向けの武器は今もその質の良さから高額で取引がされている。
彼女が持つソードメイスもまた、そうした逸品であり、血が出る相手も血が出ない相手も関係なく切り倒すことができる。
魔術や請願によって本来武器が持ち得ない力を喚起するようなことはないが、
むしろ武芸体術に自信があるのであればシンプルな破壊力と絶大な耐久性に割り振っているこちらのほうが『向き』というものだろう。
「これ以上中に入られるのは楽しい気分にはなりません。
貴方たちは裏口の守りを」
「正面は閣下お一人で、ということですか?」
「問題が?」
「……いえ、ご武運を!」




