035_継暦133年_夏
「この人の死体はここに置いといちゃダメだ。
オレたちを助けてくれた英雄だから……ちゃんと弔わないと、ダメだ」
ヤルバが亡骸を抱えようとしたときだった。
「全員止まれ!」
完全武装の正規兵、そして一人の騎士が駆け出し冒険者たちを止める。
「な、なんだ!?」
「私達は依頼で賊の討伐をしていた冒険者で──」
ヤルバとウィミニアが最低限の説明をしようとするも、
「知っている」
たった一言だけを返す。
そして冒険者を無視するかのように。
「では、我らは」
「ああ」
正規兵たちがてきぱきと賊の死体を片付けていく。
「この賊ではないようです」
兵士の言葉に騎士は頷く。
「……君たちには悪いが、」
騎士はあくまで丁寧に、
「身体検査をさせてもらう。
それと、その冒険者の亡骸はこちらで引き取らせてもらおう」
「そんな横暴が通ると」
ウィミニアは一歩前へと踏み出そうとし、ルカルシがそれを止める。
「……待って、動いたら……」
気がつけば正規兵たちが武器を構えている。
「……事情があるんだと思う。お国に関わるようなことが」
であれば、彼らは本気でこちらを殺そうとする。
情動だけで動くのは危険だと含めてルカルシは二人へ言葉を投げかけた。
「冷静で助かる、魔術士殿」
ルカルシがヤルバとウィミニアに頷く。
それは抵抗しないようにという確認で、急ごしらえの一党であっても、むしろ、だからこそヤルバとウィミニアは最も冷静であろう彼女に従った。
「待ってくれ、その人は俺たちの命を救ってくれた英雄なんだ!
手荒く扱うのは」
それでも譲れない一線があった。
ヤルバの悲鳴にも似た声は正規兵たちには届かず、
「この冒険者もやはり持っていません」
「であれば、取引の後か……そもそも外れだったか……。
だとしても痕跡は何も残すな」
「はい」
新米冒険者の声は届かず、あれよあれよという間に賊とグラムの亡骸は火に焚べられてしまう。
何があったかはわからないままにそれを見ていた三人だったが、
「あんな賊と一緒に俺たちの英雄を……説明だ!説明をしろ!」
ヤルバはついに我慢の限界を向けたのか、怒りを真っ直ぐに騎士へとぶつけた。
掴みかかろうとする彼に正規兵たちが武器で止めようとするが、騎士がそれを止める。
騎士は胸ぐらを掴まれると、努めて冷静な声で語る。
「説明をしても構わないが、深みに嵌ることになる。
この伯爵領の深みにね。
……ただの冒険者でありたいというなら、暫くの拘束を受け入れるといい」
「俺はッ」
「お仲間の人生まで狂わせるつもりかな、若い冒険者よ」
「ッ……」
ヤルバは俯く。
長年の付き合いでもない二人に、いっときの激情に付き合わせるわけにはいかないと考えてしまう妙な冷静さが誰でもない彼が一番、腹立たしく思っていた。
「貴方たちが焼いた人がいなければ私たちは今、ここでお話をすることもできていない。
命の恩人の亡骸を失い、弔いの機会をも奪われたのです。
せめて何があるのか、聞かせて欲しいです。それが深みに足を取られることでも」
「……私も。
このままは納得できない」
「二人とも……」
ウィミニアとルカルシの言葉にヤルバも一拍遅れて頷く。
意思の強さを見た騎士はため息を吐いた。
「私は警告はしたよ。
──では、付いてきなさい」
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騎士はドワイトと名乗った。
ヤルバはこの辺りの出身であるからこそ、ドワイトの名を良く知っていた。
伯爵領のたった一人の行動騎士であり、
相続戦争から向こう治安の安定を損なったままのビウモード家を守る『護国の戦鬼』とまで言われた人物。
だが、その実態は戦鬼という名の恐ろしさや厳しさは感じない。冷静で、どこか疲れた、探せば街に何人もいそうな中年男性であった。
通されたのはビウモードの衛星都市の一つ、トライカ。
イミュズや更に離れたメイバラとの交易路に接続された都市で、幾つかあるビウモード支配下の街や村の中では最も賑わいのある場所と言えるだろう。
その一角にあるのがドワイトの別荘であり、新米冒険者三人は屋敷内で多少の休息や食事、或いは湯浴みなどを行ってから再び集められていた。
「君たちが行った依頼は既にどこにも存在しない。
我々が抹消した。
お陰で冒険者ギルドとの関係は悪化してしまったが……」
「それをせねばならないことだった、と?」
ウィミニアが噛みつくような雰囲気で返すとドワイトは苦笑いをし、
「そうとも。
国のためにな」
疲労を隠さずに返した。
「……ボーデュラン侯爵を知っておられるかね」
「公爵殺しのボーデュラン。相続戦争をより苛烈な時代に押し上げた貴族」
ルカルシは感情を込めずにそれが何者かを告げる。
「生命牧場と称した、非人道的な施設を運営していた噂もある。
彼は戦場ではないどこかで命を落とし、その牧場と呼ばれていた施設の場所を知るものもいなくなった。
有名な話」
「公爵殺しって……もう百年以上前の話だろ?」
ヤルバのその疑問に、
「そうだとも。だが、生命牧場は見つかっていないし、そこで行われていたある種の実験の知識や技術もまた、どこにも現れてはいないのだ」
ドワイトはそう言って続けた。
「我らは街に詳しく、文化を知る。
それは騎士や兵士と、冒険者もまたそう変わらないことだ。
だが、賊は違う。
彼らは文化的とは言い難い生活を営み、それを続けるために独自の情報網と知識を持つ。
ときにそれは我らが探しても見つけられない情報をもあっさりと知ることもある」
「それがボーデュラン候の」
騎士の話を要約してしまえば、難しいことでもなかった。
ビウモードは以前よりボーデュランの遺産を狙っており、数ヶ月ほど前に探し方を閃いたものがいた。
その閃きの主が伯爵の子である。
彼は賊を雇い上げて、ボーデュランに関わる情報を集めさせたのだ。
それは結果として成功し、今までどう探しても見つからなかったボーデュランの研究施設や別荘などが発見され始める。
或る賊はその情報が金になることを理解するや否や、自分を伯爵家に売り込んだ。
『情報なら持っている』と。
伯爵家に呼び出された後に、城の内部で他の賊を手引して暴れさせて、彼自身はボーデュランに関わる情報を纏めた資料を奪って逃げた。
実力こそ騎士どころか正規兵にも勝てない程度の実力であったはずの賊だが、
敵ながらも見事な軽業で逃げ切ってみせたらしい。
外にいる賊仲間たちにその資料を分け与えた。
分け与えたのは自分が捕まらないようにするために撹乱として、だろう。
彼ら騎士は資料を取り返すべくしてあのように戦い続けているらしい。
「それで、私達の依頼は」
「あの賊も、盗み出したものと繋がりがあったことは調べが付いていた」
悪いとは思っているが、謝罪を示す理由もない、と言わんばかりの態度に。
「資料の八割ほどは冒険者ギルドが討伐依頼を出す前に賊を倒し、回収できた。
だが、今回に関してはギルドの動きと君たちの判断が我らを上回ってしまった」
椅子に体重を預け、ドワイトがため息を吐く。
「冒険者ギルドの辣腕ぶりを舐めていたわけではない。
彼らもまたこの地に安定をもたらそうと必死なのだろうことは理解していたつもりだった。
しかし、それは所詮はわかったつもりに過ぎなかったわけだ」
冒険者ギルドは伯爵家が賊を使って侯爵の遺産を探していたことは知らない。
だが、伯爵家の動きによって賊は活発化し、
ギルドは賊を何とかしようと手を打った。
その結果、賊が持ち出した資料の回収を任務とする伯爵の兵と、ヤルバたちがバッティングすることになってしまったというわけである。
「冒険者ギルドの依頼は握り潰した。
そんなことをしてしまえばギルドも何かがあると気が付くのでは?」
ウィミニアが当然の疑問をぶつける。
「そしてそれを知ろうとする情報戦に勝利したからこそ、関係は悪化したのに繋がる……違う?」
騎士はルカルシの思考の接続に感服したと言いたげに肩を竦めたが、
明確な答えは避けた。
「依頼は握りつぶされた、ギルドと伯爵家は険悪になった。
それはわかったよ。
じゃあ俺たちの立場は今どうなってるんだ?」
「今回の依頼に入る前に逃げ出した、ということにしようかと思っていた」
あくまで表向きは。
ギルド内部からしてみれば伯爵家に懐柔されたか、脅されたかと考えるだろう。
「グラムは?」
「勇んで一人で戦い、死んだことにする。
君たちは賊から逃げていたところを見回りをしていた私たちと合流し、保護されたことにさせてもらおうと考えていたが──」
「……ボーデュランのことを知った以上はただでは帰さない」
ルカルシの言葉に、
「剣呑なことにするつもりはないよ、今のところはだが」
しかし、ドワイトは明確な否定もしなかった。
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私たち三人に出された道は複数あった。
それがドワイトさんなりの慈悲なのは年若い彼らも理解していた。
個室に通され、相談するようにと。
邸の外に出ないならば庭の散歩くらいなら許されるとも言われた。
「相談って言ってもなあ……」
冒険者になるまでは木こりの家で育ってきたらしいヤルバからすると、随分と話が進んでしまったせいで現実感がないようだった。
グラムを賊と一緒に焼いたのは全会一致で許せない点ではあるが、それ以上に出された条件に頭を悩ませている。
ウィミニアがその条件を確認するように、
「報酬の百倍を受け取って、領内で静かにしていろ。
一年程度の面倒は見てやる。
その次が、全てを忘れて領外の冒険者になれ。
それに──」
ウィミニアの言葉を引き継いで、ルカルシが続ける。
「ドワイトさんの手伝いをしろ、か。
……関わりたくないなら一つ目しか選択肢がないと思うけど」
「二つ目だって悪くないんじゃないのか?」
ヤルバの言葉にウィミニアは
「情報を持った人間を簡単に外に離すかなあ」
その言葉にヤルバもやや絶望感のある「ああ……」という吐息にも似た返答をした。
冒険者ギルドだって、自分たちのような人間を再度迎え入れてくれるだろうかもわからない。
それに、迎え入れられたとして、伯爵家と交わした今回の件を秘密にしておくことという約束を果たしきれるかどうかも、やはりわからない。
私が伯爵家の人間なら『後腐れのない方法』を選ぶだろう。
ただ、今もこうして選択肢をぶら下げられて、後腐れのない方法を取られていないということは、
伯爵家は情に厚いのかもしれない。……希望的観測が過ぎるかな。
「二人は答え、決まってるのか?」
私もウィミニアもそれに頷く。
どの選択肢を取るかは個々人の自由ということで、口には出さなかった。
「決まってないのは俺だけか……。
……ちょっと庭でも散歩してくるよ」
この彼の散歩がその後のことの方向性を大いに決定づけることになる。
何があったのか、そのときに何を思ったのかは後日、当人から聞かされた。
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はー……。
どうしてこんなことになっちまったんだ。
郷里から出たのは、正直木こりじゃあ食べていけないから。
正確には、弟たちのほうが木こりに向いていたからだ。
俺は正直、体格も弟たちほど優れていないし、どうにも親父や爺ちゃんのような木と対話するってのも理解できなかった。
そんな奴が兄貴として立っていたら、絶対に弟たちの厄介者になる。
あいつらは優しいから絶対にそんなそぶりは見せないだろうけど。
グラムさんは命を使って俺たちに勝利をくれた英雄だ。
けれど、俺は未だにその命をどうするかを決めることができていない。
「きゃっ」
ぼんやりと庭に作られた池を見ていると、少し離れた場所で少女の声が聞こえた。
そちらに目をやってみると年齢が自分と同じか、ちょっとばかり下の娘が風に煽られる髪を抑えて木を見上げている。
ああ、枝に帽子が掛かってしまっている。
飛ばされてしまったらしい。
俺は彼女に「取ってあげるよ」と言って、木へと登る。
木こりの子として生まれた俺は弟たちと同じで、生まれ育ちも遊び場も沢山の木に囲まれて育った。
木登りは得意中の得意だ。
すいすいと登っていく俺に、少女は「すごいです!」と褒めてくれた。なんとも面映ゆい。
帽子を取って、彼女に渡すとそれを抱き締めるようにして、
「ありがとうございます……!」
とはにかんだ笑顔を向けてくれた。
見たこともないくらいの美少女だ!……なんて口に出したならウィミニアやルカルシに睨まれてしまうだろうけど、
なんというか、幻想的というか、寝物語で語られたことのある精霊みたいな美しさだった。
「帽子、本当にありがとうございます。
兄上からプレゼントしていただいたもので、とっても大事なものだったんです。
──いけない、私ったら」
田舎者の俺にはわからないが、おそらくは完璧なのだろうキレイな所作で彼女は礼をする。
「メリアティと申します」
「あっ、あー、お、俺はその、ヤルバッツィだ。
ヤルバって皆に呼ばれてるからよければそう呼んでくれたら嬉しい」
ダッサー!
すごい焦っちまったよー!恥ずかしい!
こういうときグラムさんだったらさらっと流せたんだろうけど。
大人の余裕ってやつが俺にも欲しい。
「今日は天気もいいので、もう少しお散歩しても許していただけると思うのです。
よろしければ、付いてきてはいただけないでしょうか?」
「よ、よろこんで!」
彼女はこの邸の娘さんなんだろうか。
庭を案内してくれて、今はどの花が美しく咲くかとか、池にはどんな魚がいるか、さえずる小鳥の種類なんかを教えてくれる。
口調も話し方もゆっくりだが、会話に飢えているかのように色々と話しかけてくれた。
俺が知っていることは大してないが、それでも木々に生えていた茸のことや、元気な木とそうでない木の見分け方だったりなんかを伝えたりもした。
「そういえばヤルバ様は、どうして、この、邸……に──」
会話の最中、ふらりとメリアティが倒れる。
なんとか途中で抱きとめることはできたが、ここからどうすればいいかがわからない。
ひとまず邸に向かおうとしたところで必死の形相のドワイトと給仕が現れて、彼女を運んでいった。
ややあってから俺はドワイトに呼び出される。
「すまなかったな。
君がいなければ気がつくのに遅れ、そうなっていれば……」
「そりゃあよかった、けど、ドワイトさんの娘さんなのか?」
「……彼女は伯爵太子の妹君だ。
先程目を覚ましたメリアティ様が気にしたのは君のことだったよ、迷惑を掛けたと。
けれど、楽しい時間でつい自分の体調のことを忘れていた、謝罪の機会が欲しいそうだ」
「体調、良くないのか」
「……先天的に酷い呪いを持っておられてな。
ご健康の維持は難しく、そして命数もそれほど残されてはおられぬのだ」
あんなに楽しそうに話していたのに、俺はそれに気が付かないで……。
「あの方が人に会いたがるなど、どれほどぶりか。
よほど楽しく話せたのだな。
……ヤルバッツィ君、改めて話があるのだが、聞いてもらえるか」
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メリアティ様が抱えている呪いというのはひどいものだった。
運動は勿論、ただ起きているだけで息切れをするほどに体力を呪いに食われている。
日差しの強いときであれば呪いは減衰するが、それも気休め程度。
呪いを何とかするための手段は限られている。
その一つが『呪いを移す』というものらしい。
生命牧場の技術には呪いを移す手段に冠する研究がされていたらしく、それを求めて伯爵家は強引とも言える手段で探索を続けていたらしい。
メリアティ様の部屋へ入るまでにドワイトさんはそれらを俺に教えてくれた。
彼がそれを話した理由もわかっている。事情があるから、許してほしいと言外に願っているのだ。
彼女が待つ部屋へと通される。
清潔感の溢れた部屋だが、それは同時に生活感のまるでない場所でもあった。
即ち、彼女の生きる時間の大半が、生活感そのものがない、眠りの時間であることを直接的に理解させられた。
彼女は自分は呪いを持って生まれたことを話し、しかし俺と話している時間が楽しくて、それが惜しくて、
自分が呪われていることを話せば不気味がられてしまうのではないかと恐れて、黙っていたという。
不義理な自分を許してほしい、そう言って、しかし俺が何かを伝える前に力を使い果たしたように眠ってしまった。
一度昏睡すれば次に目を覚ますのはいつかもわからないらしい。
俺は呪いなんて怖くない。
側で話している彼女を見ていて、俺も楽しかった。
「……彼女が元気になるためには、ボーデュラン侯爵ってのが遺したものが必要なんですよね」
「ああ、そうだ」
「ウィミニアとルカルシはわからないけど、俺は決めました。
手伝わせてください。
駆け出し冒険者の俺なんかができることは少ないと思うけど、俺……また庭でメリアティ様と話がしたいんです」
俺は口調を改めていた。
これからは彼の下で働くことになるだろうから。
「そうか、そう言ってくれるか」
ドワイトさんは深く頷き、ありがとうと小さくこぼした。




