032_継暦141年_夏/02
「伯爵、ご帰還お待ちしておりました」
雲遊と言えば響きは良いが、口さがないものからは『糸の切れた凧』と言われるルルシエット伯爵は、この難事の最中であってもその姿勢を改めない。
それを表沙汰に批判しないのは、伯爵は以前より雲遊の中で状況に適した答えを持ち込んできたからである。
伯爵の帰還を知り、ルルシエットの行動騎士が顔を揃える。
この世界において、爵位とはただの飾りではない。
それを名乗ってすぐに爵位を着飾れるものでもない。
爵位は、その魂と血に力が引き継がれ、或いは変質する。
行動騎士とはその『爵位持ち』から力を供給されるものを指す。
一般的に国のために戦う、土地のために戦う、そうしたときに行動騎士は力を貸し与えられ、奮戦により大きく勢いがつく。
ただ、爵位は無制限に行動騎士を任命し、力を与えられるというわけではなく、
当代の素質や力によって行動騎士に任命できる数と力の強さは変化する。
一般的な伯爵であれば行動騎士と定められるのは三名ほど。
ルルシエット伯爵がその雲遊の悪癖を持っていてなお悪名を纏わないのは、ここにも理由があった。特に、この状況で雲遊を許されているだけの理由が。
「忙しい中、集まってくれたことに感謝するよ」
この伯爵領には現在、六名の行動騎士が存在する。
それは即ち、一般的な数の倍まで行動騎士を指名できるということであり、そこらの伯爵と比べて倍の戦力を有することができたからでもある。
「伯爵閣下のご命令とあらば、どのような状況でも揃いましょう」
行動騎士の一人が総意を示すように。
当代伯爵が持つ才覚が判明したのはルルシエット陥落の後であり、もしもそれ以前よりわかっていたならばルルシエットは無事だったのではないかという話題も出なくはないが。
ただ、窮地を救った新たな行動騎士たちの奮戦によって、当代ルルシエット伯の力量も明らかとなり、家臣、民草、領地は一つに纏まる要因ともなった。
六人の行動騎士がルルシエット伯爵の前に揃う。
とは言え、伯爵の意向もあって王族のように『謁見の間』のようなものを使ったりはしない。
雑然とした趣味の品々が転がる、学生の部室のような場所に彼らは集められていた。
それに文句を言うものはいない。
この雑然さ、厳かではない場所こそが君臣の関係よりもルルシエットという故郷を取り返すための絆を重要とする伯爵からの表明であると感じられているからだ。
……やり方はまだしも、部屋はもう少し綺麗にしてほしいと思うものはゼロではないが、それはともかく。
「行動騎士オットー、お戻りをお待ちしておりました」
オットーは譜代の騎士である。
年齢は50を超えているが、若々しいのは先祖にエルフの血があると当人は語る。
文官としての仕事も抱えているルルシエットの頭脳とも言える男だ。
「行動騎士ナテック、同じく」「行動騎士ダフ、ここに」
そして彼らもまたオットーと同じく、譜代の騎士。
オットーより少し若いが、彼らもまたルルシエットになくてはならない人材であった。
だが、やはり彼らによってルルシエットの安定が与えられていたとしても、
年齢もあって、戦いにおいて無双の力を発揮できるものではない。
だからこそ、伯爵としての才覚を持つルルシエットは新たな人材を引き入れた。
「行動騎士ガドバル、お召に従いました。
一人で旅に出るなんて水臭い。
俺にも一声かけてくださいよ」
鉄色位階の冒険者、そしてルルシエットからペンシクへと退く際の撤退戦では殿を努めた一人。
伯爵が過去に出た雲遊の際に友誼を結んだ相手でもあり、付き合い自体短いわけでもない。
「行動騎士ローム、主の帰還をお待ちしていた。
……で、こっちの状況だが相手の動きは静かなもんさ。
それどころか、戦線から兵士が退いていっている気配すらある。
イセリナ嬢が持ち帰ってきた情報は真実のようじゃないか」
ロームもガドバルと同じく鉄色位階の冒険者であり、撤退戦での殿を始め、その後最前線で防衛を果たし続けている。
『ドワーフは定住したがる癖がある』という噂があり、それが種族全体に本当に言えることかまではわからないが、このロームというドワーフは人一倍ルルシエットへの帰還を望み、そのために常に最大限の尽力をしていた。
「行動騎士イセリナ、ここに」
ビウモード伯爵の元へ向かう覚悟こそ決めていたものの、ルルシエットからの召還もあって、ペンシクへと戻ってきていた。
イセリナと伯爵の関係は、彼女が冒険者ギルドの受付嬢となる前からのものであり、ルルシエットに流れついた頃からの付き合いであり、伯爵の無二の親友でもあった。
「まずは大冒険の報告をしてもらおうかしら、ルル」
彼女は行動騎士となった今も平時と変わらず、ルルシエット伯爵を愛称で呼んだ。
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よっす。
気ままな一人旅になったオレだぜ。
帰る場所、ルルシエットとは言ったが流石に直行できるほどオレは強くない。
そこに何かがあるんだろうが、現状でルルシエットに『ある』と予測できるものなんて危険くらいなもんだ。
まあ、なるようになる。あちらこちらを旅して、それでもなるようにならなかったらゴーダッドを頼っちまえばいい。
よくしてくれるだろ、あの人なら。
と、半日ほど歩いた辺りで聞き慣れた音。
剣戟の響きだ。
「近づけるな!」
「賊どもめ!」
「か、数が多いぞ!」
いつもの。
まあ、この辺りは特に賊が多い。
記憶があるだけでもゴーダッド以外にも名うての賊はいる。
それこそマシアスもいたわけで、他にも幾つか名前が浮かばなくはない。
こういうのは何ていうんだろうな、ゴールドラッシュならぬシーブズラッシュか?
大回りして避けてもいいんだが、ここはこっそりと隠れて様子を伺う。
商隊か。
馬車が三つ。
護衛は結構な数だな。十人くらい。元々は二十人はいたんじゃなかろうか。
一方の賊も護衛の倍程度の数がいる。やられているのは更にその倍。
元々かなり大きな群れだったのだろう。
損害度外視の力攻めをするってことは、あの商隊はよっぽどの貴重品を運んでいるってことだろうか。
護衛が弱いわけじゃないんだろうが、賊たちにどんどん押し込まれている。
全員が手傷を負っているのが原因だろう。
無事なものが殆どいないのを見るに、うまく奇襲されたってことだろうな。
賊の全てが「やあやあ我こそは」なんて名乗りあげたりはしない。
大抵は隠れた場所から石、枝、岩、幹を叩きつける。
余裕があるなら弓矢も使う。
そうして怪我させたところをガツンだ。
「身ぐるみ置いていきな!」と脅すのは損害を受けたくないときに出す口上でしかない。
賊は悲しいほど愚かな生物なので口上を発するのがルールであり、一方的に攻撃をすることを思いつかないだけのパターンもあるが、それはさておき。
この状況、見てみぬふりってのも後味が悪い。
周りを見れば取れそうな高所がある。あそこからなら相当有利に立ち回れそうだ。
別れたばかりのルルがオレの動向を見ているような気がして、無視ができない。
オレはそう言い訳をしつつ高所に陣取り、いい感じの石を掴む。
「オッホエ!」
戦いは始まった。
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「よっしゃ、あと一息だ!中身に何があるかなんて関係ねえ!
やっちまえ!」
「ひゃっはー!」
「やっちまげべっ」
威勢を上げていた賊の一人が倒れる。
相手をしている護衛たちもその状況に驚くも、一人が「援軍だ!押し返せ!」と叫んだ。
勿論、彼らも声の主が援軍かどうかはわからない。
それこそ賊の手違いかもしれないが、護衛はベテランであった。
状況を見逃すことはない。
彼の一言で潮目が変わったように護衛たちが押し返し始める。
遠くから「オッホエ」という奇声が聞こえ、その度に賊が一人また一人と倒れていく。
やがて、戦いは終わる。
賊は壊滅し、商隊の勝利となった。勿論、少なからぬ犠牲は出たものの。
「一応警戒しときなよ。上から見た感じだと残党はなさそうではあるけど、隠れていたっておかしくない」
おっとり刀で現れた少年に対して、
「少年、君が『オッホエ』さんかな」
援軍だ!と叫んでいた護衛が声をかけてきた。
「なんだそりゃ……いや、そう叫んじゃったけど」
護衛の一人は元々はそれなりの身分だったのか、正しく美しい所作で礼を取り、感謝を示す。
「我らが勝利できたのは君のおかげだ」
「そんな大仰な。でも無事だったのはよかったよ」
「礼をしたいのだが……」
「その前にここは離れるべきだとは思うよ。漁夫の利狙いの賊がいないとも限らないし」
ならば、と商隊は目的地まで共に来てもらい、そこでお礼をしたいという。
少年──ヴィルグラムは頷き、護衛として中途採用という形ともなった。
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商隊の目的地はビウモード。
そういうつもりはなかったが、おかげさまで街の中に入ることができた。
賊のオレが入るには何かしらの非合法な手段が必要だろうかと思っていたが、商隊の主と護衛のリーダーはオレの身分を立ててくれた。
今、この街には冒険者ギルドがないらしいが、それでも冒険者相当の身分を作ってもらうことができた。
現在は冒険者ギルドを代替する臨時の伯爵家直下の組織、『管理局』が城門の近くでその手続を行っている。
オレのように他のものに身分を立ててもらえたものがそれなりにいる。
ビウモードは多少の治安低下や街の安定よりも、活気を選んだということなのだろうか、手続きのやり取りはかなりのファジーさが発揮されている。
治安の低下の理由で恩恵を受けていはするも、商隊の長と護衛の彼は
「冒険者ギルドが潰されていなければ、他のところでも通用する身分を保証できたのに」
と残念がっていた。
冒険者ギルドを潰すのだって簡単ではなかったろうし、こうした状況で冒険者ギルドの不在を嘆く商人と護衛がいる。
こういうところから人心ってのは離れるんじゃないのかとも思うが。
……あー、なんだっけ。
冒険者ギルドにゃすんげえ代物が使われてるんだっけ……。炉だとかなんとか。
いつの記憶かもわからない、なにかもはっきりわからない知識が役にも立つわけもないが、
それでも何かしらの貴重品を奪うためにギルドを潰したって考えれば納得はできたので勝手にそういうことにした。
大手を振ってビウモードへと入り、行商がその仕事、つまりは依頼先との荷物のやり取りを護衛する。
流石に街中で襲われるようなことはなかったが、終始緊張感があった。
街中だってのに、どうにも治安の悪さってのが空気感に現れている。
行商はここでの仕事は終わりだと告げると、護衛たちに報酬を支払い始める。
その最後にオレに報酬をと呼ぶ。
賊からするとかなりの金額を用意してくれているようだったが、
「ほう、管理局や一部のギルドの人間はそのような方法で運用しているとは聞いておりましたが……。
いやいや、最先端を生きておられるのですね、感服いたしました」
突然そんなことを言い始めた。
なにがなにやらわからないうちに、
「では、こちらで……」
行商は懐から出した石をオレの指先に近づけると、淡い光が揺らめいた。
「資産金属を埋め込む、か。
確かに首にじゃらじゃらつけるよりは邪魔にもならない。
ふむ……私もヴィルグラム殿の真似をするのもよさそうだ」
なになに?どういうこと?
全然わからないうちにオレはおだてられ、何かを渡され、そして彼らは朗らかな雰囲気のままに去っていった。
……え、何?
去っていく彼らに手を振り、それから自分の手のひらを見た。
マジでなんだったんだ?
資産金属?体内?
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「あいよ、グリーンハンバーグ。それに塩スープと余りパン」
どか、と机に置かれた食料。
現在、オレはどことも知れぬ店に居る。入り口の看板には『掲示板連合』と書かれているのは見たが、
管理局にいってみたのだが、お綺麗で、ちょっと空気がオレに合わないところも甚だしいので逃げ帰り、うろついた結果、同じくらいみすぼらしい連中が集まっている大きな施設があったのでお邪魔した。
噂に聞く冒険者ギルドとはこんな感じだろうか?と思いつつ見渡す。
いい匂いに負けて腹が鳴る。
先程の資産金属が云々の話を思い出し、カウンターへ並んで、最安メニューを頼んでみた。
金がなかったら働いて返そうと思いながら。
「支払いは?」
「資産?金属?で」
「そこの板に置いてくれ」
わからないままに手を置くと、硬質というべきか、あまり賊世間で聞かない音が響く。
「それじゃ、番号札持って座って待っててくんな」
「う、うん」
どうにも資産金属ってのがオレの体には埋まっているらしい。
この肉体の記憶にそんなものを入れた覚えはない。
つまりは、オレの自我のようにどうにかあって引き継がれたものなのだろうか?
わからないが、そうであるなら便利に使わせてもらおう。
問題はこのこと自体を忘れないかどうかではあるが。
と、まあ、そういうことがあってグリーンハンバーグ以下食べるものが並んでいる。
ちなみにグリーンハンバーグは緑色ではない。
初心者専用って書いてあったし、新参者用のサービスメニューなのだろう。
なんにせよありがたい。
いや、これはうまい!
……まあでも、うまいはうまいが、ゴーダッドのサンドイッチのほうが美味しいかも。
そういや、アレは盗んだものなんだろうか。
案外ゴーダッドの手作りだったりしてな。
あの面倒見の良さを考えるとありえなくはない。
食事を終える頃に、この施設ではまた別の状況が始まっていた。
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「一人もか」
「ああ。一人もだ。
こんな情勢だ、悪いな」
「……いや、こちらこそすまなかった。
ボクも無茶を言っていた自覚はあったから、迷惑ばかりかけてしまった」
ここの管理者らしい人物と、少年が掲示板を見ながら話している。
少年は魔術士らしい出で立ちだ。
冒険の話だろうか。
であれば、興味がないわけじゃない。
しかし誰も集まらないような依頼を初心者のオレが受けられるとも思えないが……まあ、キッカケにするのは大事だ。
それとなく近くに行って、内容を確認する。
「急募。カチコミ要員。
依頼主と共に『或る施設』への突入。
腕に自信があるか、命の惜しくない人間を求む」
……そりゃ集まらないだろう……。
「ボクはこういうのにそれほど造詣がないから批評ができる立場にはないんだけど……。
これ、依頼内容が悪かったとかはないのかい」
「……まあ、ちょっと過激だったかもしれん。
受付担当がノリノリになっちまったんだと思う、すまん。
もう少し時間をくれれば作り直すが」
「ああ、いや、いいんだ。
もとから人を付き合わせるかも悩んでいたから。
やはりこれはボク一人でやるべきことだと──」
なんだか悲壮な覚悟を決めた表情の少年。
流石になあ。ううん、放っておくのはなあ。過激な内容の依頼も少年の指示でもないようだし……。
それにどうにも未だに人助けを選んだルルの笑顔がちらつくのだ。
オレは彼らの横を通り過ぎて、その紙を剥がした。
「この依頼、受けたいんだけど」




