023_継暦141年_春
「十人目、か」
正規兵、最後の一人が倒された音を聞き取った。
自分の剣によって心の臓を断ち割られた男が眠るように死んでいる。
生かして、逃がすこともできた。
だが、自分にはできなかった。
「たとえ傷の舐め合いだとしても、似たような傷を持つ相手に介錯させるなど、むごい申し出なのですよ。
それをしなければならない自分にとってそれは羨ましく、虚しい気持ちで一杯になるのですから、本当に残酷なことです」
死者へと語りかけて、何になるというのか。
自分の故郷は東方の、元々戦火の絶えない場所だった。
ちらちらと熾火のように爆ぜるだけの戦火は、何かの拍子に猛火となることがしばしばあった。
その『しばしば』によって多くの人間の家族や、民を護るべきものたちが焼き尽くされた。
元々知己が多くいたわけではない私であっても失うものがあった。
あのときに、それよりも昔に、斬るべきものを斬っていたならば。自分と共に血煙の中を走ってくれるものがいたのなら。
ああ、そうだとも、ゼログラム。
自分もそれを望んだだろう。
よくもそれを思い出させたな。よくもそれを追想させてくれたな。
……よくも、君を助けられない無力さを教えてくれたな。
この苦しみを贖ってもらわねば自分の気が済まない。
彼の亡骸を担ぐと、歩き出す。
───────────────────────
十人目の正規兵を斬り殺した辺りで、私は周りの町民が町長によって連れ出されていることを確信しました。
ここに向かってくるときに彼に会えてよかった。
状況を説明すると、すぐに行動してくれた。
正規兵を抑えるのは正直、命がけだったけれど、相棒に頼まれたことです。
彼の頼み、違えることなど決してできません。
目指すはイズミストへ通じる関所の方角へ。
関所近くまで逃げることができれば相手も深追いはできないはず。
今の私の実力では、騎士には太刀打ちできない。
それはきっと、相棒も同じ。
……けれど、相棒と共に研鑽すればいつかは彼らの命にだって届くはずです。
───────────────────────
「卿ら、状況は」
「逃げられました、ほぼ全員です。
方角的にはイズミストかと考えます」
「ほぼ全員?」
「幾人かは正規兵がおもちゃにしてしまったようでしてね」
「止めなかったのか」
「ご冗談を」
へらへらとした表情で騎士の一人が言う。
なるほど、自分たちが率先してやったわけか。
「アルドハース卿、『それ』は?」
外套に包まれたものを不思議そうに指すもう一人の騎士。
「これは、そうだな。戒め……いや、贖いかも知れぬ」
「戒め?」
ゼログラムの亡骸をそっと置く。
「卿らにも、また違う形で与えなければならないようだ」
「それはどういう」
「贖いを、さ」
騎士の一人に刀を抜き打つ。
彼は伯爵のお気に入りで、魔術式の刻印によって防御を高めていた。
だが、刻印は値段によって性能はまちまち。
彼が伯爵のお気に入りの一人とはいえ、それほど高価なものを贈ってはやれないのも理解している。
魔術式の刻印は効果の高いものであれば刻印自身が生物のように与えられた魔術を持続、維持し続けることが可能だ。
頑強であれと刻印されたもので、その刻印をしたものの腕前が良ければ持ち主に関わらず高い強度を持ち続ける。
安物であれば、発動する度にインクを必要とする。
つまり、先程の『頑強であれと刻印されたもの』も安物ならば持ち主がインクを消費し、頑強の効力を発動し、維持しなければならない。
元々、魔術士にはなれない程度のインクしか持たない男だ。
町民で『お楽しみ』になった後の卿に残されたインクでは刻印は発揮しきれず、一刀が走り、首を飛ばすことに成功する。
「アルドハース卿、何をなさる!」
もう一人の騎士は彼と違って魔術士としての素質に恵まれている。
焦点具たる杖にインクを流し込み、戦闘の準備を始める。
魔術は強力だ。
我ら魔族の先祖たちが主と定めたものが持っていた超能力。それを誰しもが扱えるようにと手を加えて生み出されたものこそが魔術だ。
個人的な印象に過ぎないが、魔術は請願や技巧と比べれば修得は難しいが、扱うことそのものは容易だ。
インクと地頭の良さ次第であっさりと使えるようになったりする。
が、それは使えるようになっているだけだ。
修得にはほど遠い。
本当の意味で魔術を理解したものは、凡百な魔術士と異なり、詠唱など必要としない。
思う様にインクを形にすることができる。
魔術とは、力を操る術であることを理解したものを言う。
だが、卿にはそれほどの才能はないのも知っている。
詠唱が始まる。
魔術を真に理解するものは少ない。だが、理解せずとも武器として扱うのならば詠唱があったところで問題もない。
そしてやはり、卿には武器として扱う才能も、戦闘の才覚も持ち合わせてはいない。
自分の尻尾が杖を叩き、インクの流れを乱す。
詠唱によって構築されつつあった力が乱れ、無意味にインクが放出されるのを必死で抑え、立て直そうとする。
せめて杖を離し、威力が下がろうとも目眩ましにでもその魔術を使うべきだったのだ。
そうして刀の距離から離れるべきであったろうに。
だが、その教訓を預けることはできない。
「アルドハース殿!
行動騎士にまで上り詰めたというのに、地位を捨てるというのですか!?」
白刃一閃。騎士の首がまた一つ飛ぶ。
「上り詰めた、か」
結局のところ、ツイクノク伯爵は東方以外で存在する『魔族という特異な生い立ち』の武芸者を見ていただけに過ぎない。
或いは、この姿が好みなだけであったのか。どちらにせよ、くだらない理由だ。
行動騎士とはただの騎士ではない。
その領地の名誉を背負い、戦うことを命じられたならインクの大きなバックアップを受けることができるもの。
奪われた土地を取り返すこと。
殺された臣民の仇を討つこと。
主に代わって一騎打ちをすること。
行動騎士に与えられるべき戦いは多くの場合は名誉に関わるはずだった。
それが、ツイクノクが行動騎士に与えた命令は血縁者が育てた街を人材商に売り払うこと。
行動騎士として取り立てられたときは嬉しく思わないでもなかったが、初めての任務がこれだった。
逆に、これだったからこそ見切りをつけるに十分な理由になったとも言えるかも知れないが。
彼と出会わなければくだらないと思いつつ、行動騎士であり続けることを辞めなかったのかもしれない。
だが、彼と出会い、彼を殺した。
彼は自らの苦しみを断つためにアルドハースの刃を使い、自らの求めを完遂するだけでなく、それによって相棒である少女をも逃した。
ただ逃がすわけではない。
彼女が戦い、その誉れを高める道筋まで作った。
東方の才人であってもそこまで気を回しながら命を捨てられるかどうか。
自分は彼に名誉を見てしまった。
「戒めと贖いだよ」
自分と彼に聞かせるように、もう一度呟く。
「名誉ある君を殺してしまった私への戒めと、
相棒を遺し命を捨てた君の贖い。
それを果たさねばならない」
再び彼の亡骸を担ぐと、北へと足を向けた。
───────────────────────
日が暮れ始めてしまいました。
黄昏。
鳥が巣に戻ろうなんて語りかけているのか、鳴き声も聞こえてきます。
関所には町長──ヘンソンが話を付けてくださいました。
相棒の言う通り、彼の立場を知ったイズミストは手厚く保護をする約束をしてくれました。
やはりツイクノク伯爵の血縁者となればイズミストからすると情報という宝の持ち主に見えたということなのでしょう。
ツイクノク側の関所で待っていても問題はありませんでした。
仮に何か問題が出れば関所へと走ればいいだけですし、彼が逃げてくるなら一番初めに助力として駆けつけたい。
ですが、来たのは相棒ではありませんでした。
騎士が一人、歩いて来ます。
黒い髪の、私と同郷だろうと語った方。
行動騎士アルドハース。
外套に包んだ何かを抱きかかえて、こちらへと向かってきます。
敵意は感じられません。
であれば、こちらから刀を抜くこともするべきではないでしょう。
「なにしに来やがった、手前」
「君の相棒を返しに来た」
「なっ……」
なにを、馬鹿なことを。
ええ。正直に言えば彼は強くはありません。多くの人からしても弱い、と評価されるかもしれません。
けれど約束を破る人でもないし、なにより……私の心を苛むような真似だけは絶対にしないと確信できるのです。
だから、死ぬなんてことは有り得ません。
アルドハース殿が外套に包まれたものを私の目の前に置き、そっと布を捲る。
見たくはありません。だって、それをしてしまえば。
「手を離していただけねば捲れませんが……。
それともご自身で?」
「騙されてなんかやるもんかよ」
私の手でそれを払う。
ああ。
ああ、どうして?
包まれていたのは相棒の亡骸でした。
心の臓を断ち割られている、見事な技です。
一瞬の死だったのではないでしょうか。きっと、苦しみもなかったでしょう。
彼女の腕前に私も彼も感謝するべきなのかもしれません。
鋭い白刃の一刀は、肉体ではなく命そのものを真っ二つにする。血が出る前に絶命することも珍しくはない。
けれど、
「ここで……、ここで待ち合わせしてたろうが!
嘘つき野郎!!」
抑えきれず、ぼろぼろと涙が溢れてしまう。
『スオウ』として生きると決めてからは、もう泣かないと決めていたのに。
苦しまなかった彼はそれでよかったのでしょう。
でも、
「ようやく相棒って呼びたくなるような奴と出会えたってのに!
ようやく全てを話したいって思える奴と出会えたってのに!
なあに死んでやがんだよお!!」
これから共に歩むはずだった相棒との道を、それを想像した私は、これから孤独の苦しみを抱えて生きることになるのでしょう。
……いいえ、彼が私にそれを与えたいがためにしたことではないことくらいはわかっています。
でも、彼と生きて再会できなかったのは、きっと彼が死を望んでいたから。
私が苦しみを抱えて生きることになるのは、側にいて、支えてくれた彼のことを理解していなかった罪。
「ひでえよ。お前は、本当に……!」
私はきっと、頼りなかったのでしょう。
自分のことばかりを望みすぎたのかもしれません。
あれほど泣いていた貴方が、あの後に涙を見せることがなくなったことに安堵したのは慢心だったのでしょう。
たとえ、心の傷を抉ることになったとしても、しっかりと伺うべきだったのです。
貴方に恨まれてでも、貴方のことを理解するべきだった。
大切な人間ができるのは時間の長さではない。
それは理解しています。
けれど、もっと時間があったなら、彼のことを知れたかもしれません。
そうなれば、彼が選んだのは死ではなかったのかもしれません。
後悔が尽きることはなく、だからこそ、この黄昏が尽きるまでこの慟哭を自分の意思で止めることはできませんでした。




