211_継暦141年_冬
「回収、完了いたしました」
エルフが感情を乗せずに報告をする。
管理局の一人だった。
メリアティはありがとう、とだけ返事を返す。
しばらく沈黙が続いた。
部屋には彼女たち以外には影はない。
管理局の歴史にとってみれば新米もいいところのキースやサナは今、別の場所で行動をしていた。
街の安定を強めるためだ。
トライカにおいて、管理局は安定に欠かさざるべき警察機構の働きを持っていた。
ヤルバはルカルシたちに別れを告げるために出ている。
私人としてのメリアティはここにはいない。
「彼は」
「コーネル子爵配下のディートルフと相打ちしたようです」
メリアティと彼──いや、彼らというべきかのか、それとも単一のものとして考えるべきなのか、彼女にはわからない領域のことだが、彼女にとっては単一のものであると考えて、
「きっと、誰かのために死んだのでしょうね。あるいは、私のために」
自分のために犠牲になった、というのは買い被りだろうとも思う。
だが、彼であれば単純な彼女一人のためではなく、多くに紐づいた結果、メリアティのために死んだようにも見えるだろう。
「私の望みは、夫の心を晴らすことです。勿論、トライカと父の遺したビウモード領のことも忘れたわけではありません」
「はい、承知しております」
エルフは機械的に応答する。ただ、思考する感情なき肉人形というわけではない。永きを生きて感情が消えたわけでもない。
年上である自分が、年下であるメリアティの前で感情を出すことは大人らしくないだろう、そういう俗世的な考えのもとにあった。
「私が彼のためにしてあげられることは、何があるのでしょう」
「メリアティ様のお身体があなただけのものになることこそが、あの方にとって最上の結果です」
「あなたにとってのニグラム、いえ、ジグラム……なんと呼ぶべきでしょうか。いえ、些細なことですね。彼は何者なのですか?」
「私にとって……そうですね。師のようなものでしょうか。あるいは性格の悪い兄か」
「エルフにとってすら、そうなのですね」
種族によって差別や区別をするような言い方ではない。
彼女のような長命種にとってすら、あの男は『年上』なのかと、そう言いたかった。
「はい。あの方が何者かは私にもわかりません。ただ、彼はあなたが知る彼と同じです。誰にとっても友人としてなら付き合いやすく──」
「親密となれば大きな傷を与える厄介な男の人、ですね」
小さく頷く。
このエルフもまた、そうした傷を与えられたのだろう。
「やるべきことは定まりました」
言葉を選ぼうとするが、今の彼女は私人であるメリアティではない。
国力も財力も、兵も繋がりも、何もかもが母体に負けている挑戦者側に立たされた一人の公人であり、都市の支配者であり、守護者である。
だからこそ、まっすぐな物言いを心がけた。
自分と共にあることを選んだ管理局への礼儀でもあろうと考えたからだ。
「ヤルバッツィを取り返せたことで、我々のもとには力と求心力の一部を得ることになります。
外交と交渉で遅滞戦術を敷き、同盟との繋がりを強め、反抗に出る準備をします。
管理局の要請は何があります」
「グラム様の亡骸の獲得と、ビウモードへの潜入の許可を」
「ビウモードの?」
「はい、おそらく次に動きがあるとするならあちらになります」
「動きというのは」
「彼の、ですね」
彼、つまりは先ほどまでニグラムとして生きていた男について。
「わかるのですか」
「学術的なものではなく、付き合いの古さから来る予想のようなものです」
「……わかりました。潜入を許可します。必要なものや権威は好きにお使いなさい」
頭を下げるとエルフは一礼して去ろうとする。
ふと足を止めた。
それに気がついたメリアティがどうしましたかと問う。
「市長閣下。我々の望みは王の帰還です。それが全て。個人の感情を含めればグラム様が望むように生きることも含めることになりますが。
……市長閣下の望みとはなんなのですか?」
彼女と自分は対等ではない。管理局の長たるウィミニアであれば気安く聞けるようなことかもしれないが、君臣の契りはなくともそれでも貴人と労働者の差はある。
それでも、問わねばならないような気がした。それが彼女のためにもなるという感覚があった。
「ヤルバの子が欲しいのです。そのためには、平和が必要になります。
彼が飛び出ていかなくてもいい場所を。
彼の子が微笑んで暮らせる国を。
それを作るために、私はここにいます。それは彼と夫婦になる約束を取り付けるよりも前に決めていたことですから」
その瞳には強い情愛があった。メリアティの根源は父と変わらない。強い愛情。父は家族に向き、彼女もまた同じように家族へと向いているに過ぎなかった。
違いがあるとするなら、一人ではできずとも、成し遂げるための大きな歯車になるだけの素質と才能があったことだった。
エルフはそれを確認すると一礼し、去っていく。
メリアティは窓から外を眺めなおす。
彼女が描いた計画は順調に進んでいる。
彼女にとって必要となる大きなピースは残り一つだった。
「本当に完璧な貴女が来てくれる日を、待っています」
空に願うようにそう呟いた。
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「もう行くのか」
ヤルバは少し惜しむような声で。
「うん。流石に忌道が悪さをするタイミングが読めないなら急ぐべきだからね。今日明日、今年いっぱいくらいは持つだろうけど。それでも当人だって不安だろ」
ルカルシが大人の意見を。
姿こそ大人と子供は逆転しているが、二人の関係性はこれまでも変わらない。理性的なルカルシが感情的なヤルバを言い宥める。
「そう、だよな」
「ヤルバ。少しは考える時間を得られたんじゃないかな。あの日よりまだしもマシな顔になっているよ」
「あのときは、そうだな。本当に……」
自死を選びかねないほどに追い詰められていた。冷たい雨が心の体力をも奪い去っていた。
今は違う。
幼体に戻った記憶の全てもある。
「……なあ、彼は」
「ほら」
そう言って手紙を一枚渡すルカルシ。
「君が知りたいだろうってことは書いといた。読んだら燃やすんだよ。いろいろぼかしてはいるけど、それでも余人が見ていい内容じゃないから」
「わかった」
「暇ができたら果ての空に来るといい。嫁も連れてね」
「それも、わかった」
「彼女は頑張り屋さんだし、私よりも頭もいい。だから、未来を考えすぎる。ヤルバと同じく足元を見ない。次から足元を見るのはヤルバの仕事だよ。いいね」
それについても、わかったと頷く。
「ま、私にとってはそう遠い距離じゃないから困ったら手紙をよこして。走って駆けつけてあげるから。
それと、ちょっとばかり変わっちゃったところはあるけどウィミニアも頼るんだよ。あの子だって、結局お前と同じなんだから」
「ルカルシは違うのか?」
「君たちより現実主義者ってだけだよ。思い入れも思い出も傷もあるけど、前後不覚悟になるほど深くはないと思えているから」
そういうスタンスで今までもやってきた。
これからもそれを貫くしかないのだという考えも彼女にはある。
「それじゃ、またね」
彼女が歩いていく。その先には三人の同行者が待っていた。
ヤルバもまたそれを少し見送ってから、背を向けて歩き出した。
その先には妹が待っていた。
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「兄さん」
それは確固たる声だった。
探していた兄が目の前にいた。
騒動と動乱と白熱と混沌が過ぎ去り、ようやく妹──ディカが口にした。
「……ごめんな」
「謝らないで。記憶はどこまであるの?」
「あのヤルバも、このヤルバも、今は一つだよ」
「そっか。なら、説明も前振りもいらないよね」
目を見るディカ。まっすぐな瞳だった。
彼女がグラムと呼ばれるたぐいのものと旅をしたその影響だろう。
本当に、感情を向けるときに見せる仕草はそっくりになっていた。
「僕ができることなんて、ここにはない。
だからね。
だから、僕は故郷に戻るよ」
手を見る。戦いに慣れた証がそこにいくつもあった。傷であれ、たこであれ。
しかし、ディカは戦いをやめる理由を見つけた。再会した。
もしもその上で戦うなどと考えれば──
「あの人に、怒られたくないしさ」
一党仲間。信頼。恩人。
そして自覚こそないが、きっと初恋だった相手。
「理由もないのに戦うなんてバカらしいって。そんなのお前らしくないからって。きっと言われるから。
だから、兄さんをふるさとで待ってる」
微笑むと、
「だからね、約束して。
兄さんも無事にふるさとに戻ってくるって。父さんたちの後悔を払拭させる機会を与えてあげて」
「……すまない」
頭を下げる。
このすまないはそれができない、という意図ではない。
妹にそこまで考えさせてしまったことへの大いなる悔いであった。
「約束する。妻と一緒に、必ず戻ってみせる」
「うん! ……え、妻?」
ディカは何も知らなかった。
よもやこの都市の主人であり、絶世の美女であるメリアティが自分の義姉になっていることなど。
「そ、それどういうこと!?」
ずっと一緒にいながら、それよりももっと離れ離れだった兄妹のよもや話はディカの出発を少しばかり遅らせることになった。
だが、二人にとってその時間は何よりもかけがえのない数日になった。
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ルカルシに三人はそれぞれの表情を見せていた。
スムジークは未来を求める晴れやかな表情を。
ワズワードは出戻りすることに少し複雑な表情を。
クレオは迷惑を多大にかけることになるだろうこと求めていた自由への隠しきれない喜びを。
「たぶん、年齢もそんなに変わらないから魔術の大先生、みたいな扱いはやめてよね」
まずはそう言う。
大先生扱いは面倒だった。腫れ物のようで。
「これからは旅の仲間。一党。対等な立場だ。それが共に進むための条件」
「了解しましたとも、ルカルシ!!」
求められるならばその通りに。スムジークの感情と思考はいつも明朗だ。
その距離の詰めかたにワズワードは、
「おい、我が師に馴れ馴れしいぞ」
「ワズ。間違っているのは君だ。果ての空に戻ったなら多少は仕方ないが、旅ではそうはいかせない」
「む、む……。ですが、いえ、……」
彼女の眼力に負けるように、
「ああ、わかった、……ルカルシ……さん」
敬称をどうするべきかを悩み苦しみながら出すワズワード。
「ありがとう。……年齢が近いとは言うが、大人なのはやはり貴女のほうに思えてしまうな」
クレオは苦笑する。おそらくは自分のためにも関係性を横にしたかったのだろうことを察していた。
「だから、旅についてはせめて任せてくれ。これでもキャラバンを率いていたしそれなりに商いにも関わってきた身だ。
過ごしやすい旅を提供する努力を見せるぞ」
「そりゃいいね、クレオ。夜露を凌ぐために洞穴のゴブリンを駆逐するようなことになるのはもうまっぴらさ」
「師──ルカルシ、さんは、そんな無茶をしていたのですか、してたのか!?」
それを見てワハハと笑うスムジーク。
「ワズ! カタいカタい!」
「誰がワズだ! まったく、調子のいい……」
そう言いつつも悪くはない、そういう表情だった。
口にはしない。だが、心には思うことがあった。
この旅路に本当はもう一人いて欲しかったと。
ニグラム。
三人にとって軽重は違えど、恩人に違いない存在。気安く、ありがたい友人。誰より人間らしい男。
それを思って暗くなるのは彼の望むところでもない。わかっていた。
「さ、参りましょう」「行くとするか」「行こう」
三人の思いが同じであったことを示すように、言葉も並ぶ。
ルカルシもまたそれを見て笑う。
(グラム。君への恩義は彼らに支払う。それで、いいよね?)
答えはない。
ただ、風だけが同意するようにさらさらと流れて、隻腕の袖を揺らしていた。




