209_継暦141年_冬/04
「アゼラ、貴様! 裏切ったか!!」
「私は私の良心に従いたいだけだッ」
都市内は混沌としている。
麗しの外見を持つアゼラは乱戦と転戦の中でフェリとセニアの巡回組とはぐれてしまった。
運悪くそこにかつての同僚と遭遇する。
既にアゼラがたもとを分かっていたのは何らかのことから判明していたのか、彼らはすぐに武器を向けてくる。
「ハッ。所詮は金のために助力した半端者か。そのような真似をするぐらいならばコーネルに媚態でも見せてやればよかったのではないか?」
「き、貴様……!」
女であることを伏せたいわけではない。
だが、女として見られることは面倒なことが多い。それこそ彼女の美貌で言い寄ってくるものも少なくない。男だと言ってもだ。
金に困ってはいる。だが、全ての誇りと名誉を捨て去るほどにはまだ困窮もしていない。アゼラはそこそこ以上に苦しい立ち位置であったのは事実である。
「裏切ったならむしろ都合がいいというもの。
体も心も蹂躙してやるぞ。
そうすることで我らを裏切る愚か者はどういった末路を迎えるかの、その広告塔にでもなってもらおうか!!」
対面する騎士の持つ大槌が振り回される。加速を得たそれを回避する余裕がない。剣を盾にするが何らかの付与がされた槌が風と衝撃を与えて盾とした剣を越えて鎧を破損させる。
「そら見ろ。その体つきで性別を偽るなど不可能であろうがよ。子爵の騎士どもや傭兵がどんな目でお前を見ていたかわからんでもあるまいに。それでも気が付かれていないとでも思っていたのか?」
「隠しきれないことなどわかっている。だが、私が私であることは隠しているつもりはない」
「ドワイト様に拾われたことを忘れたのか?」
「恩義はある。だが、その恩義の返し方は貴卿らとは違うだけだッ」
果敢に斬りかかる。
アゼラは筋力こそ他の騎士に劣るものの、技の冴えにおいては追随を許さぬほど鍛えられていた。
槌の一撃を許し、鎧を失ったものの、むしろそれが彼──いや、彼女にとって覚悟を決めさせて鈍重さを殺して速度と技に命を賭けるに向かわせた。
「ぐ、き、貴様ッ」
「私が動いて暴走の阻止に連なることができて、かつての優しいドワイト様に戻ってくださるというのなら、私はそのために動く!」
刃が騎士を断ち切る。
「ドワイト様は変わってしまわれた。泥のような闇に飲まれるようにして。
私が恩義を持ち忠義を向けるドワイト様に戻っていただくためにも、裏切りものにでも恥知らずにでもなろう」
「許せぬ。今のあのお方こそが我らが主、ドワイト様であるぞ。大望抱くあのお方こそ……」
そう言いながら最後の一息を使うのは恨み言と、胸元から取り出した小さな笛だった。
高らかに響いたそれによってそこかしこから襲撃側の騎士や傭兵が現れる。
「何かと思えば、裏切ったのは事実だったわけか」
「どうでもいい。あの女は子爵閣下が狙っているって噂がある。身柄はこっちによこせ」
「……下衆な」
「その代わり全力で戦ってやるからよ」
「いいだろう。……だが、」
「わかってるって。子爵閣下には『良いように』伝えておく」
現れたものたちがアゼラをまるで品定めでもするように睨めつけ、武器を向ける。
不快な視線に身をすくませかけるが、騎士としての矜持が武器を握らせた。
立ち向かうようにして構える。
「顔には傷をつけるなよ」
「わかってい──ごぼあっ!!」
不意に飛んできた中身の詰まった木樽が烈士の一人に叩きつけられた。
囲んでいたものたちがその方向を見る。
そこには二人の女がいた。おそらく、この都市で最も高い武力を持つ二人の女だった。
「ここにおられたのですね、アゼラ様。離れてしまったこと、ご容赦くださいませ」
「戦えるなら、武器を構えて。……一緒に蹴散らそう」
フェリが武器を構える。
何を言われていたのか聞いていたのだろう。無粋で下衆な言葉に少なからぬ怒りを溜め込んでいるのがフェリの体から立ち上がる怒りから察することができる。
ルルシエットで冒険者をしていた頃、周りにいたものたちはぶりは荒くれていたものが多かった。しかし、なんだかんだその中身は紳士的な人物が多かった。戦時とは言えこれほど品性のないものを見るのは驚きよりも嫌悪感が勝る。
結果。
語るまでもなく、フェリたちによる襲撃者の蹂躙で幕を閉じた。
✘✘✘
「大丈夫だった?」
フェリが近寄り、傷がないかを見る。
セニアは周囲をそれとなく警戒していた。襲撃に関する知識と勘の働きはグレートウォールの二つ名を持つ彼女に軍配が上がる。
「助かりました。……ですが、しかし、その……よろしいのか。私は先程まで襲撃側の」
騎士アゼラは申し訳なさそうに二人に──フェリとセニアに言葉を向ける。
「自分の中の正義と天秤に掛け、結果こちらへと傾いたのでしょう」
「正義のありどころは私には見えるわけではないけど、信じたいと思ったから、今はそれでいいと思ってる」
二人の言葉に思わず立ちすくむ。
(……私は、仕えるべき人に仕えるままにと従っていた。だが、そこに己の正義のありどころなど考えたこともなかった……)
アゼラの生い立ちはこの時代においてはそれほど複雑なものではない。
生みの親と育ての親が違い、元の身分と今の身分が違う程度。
娼夫の父親が女騎士との間にできた子が自分であった。ただ、女騎士は身分がある人であったから、産みはしたものの育てることはできず(当時は敵も多く守りきれないと判断したらしい)、自分の部下の中でもとびきり信用できるものへと頼んだ。
その部下は優しく、学も礼節もあったが、しかしドワイトの子飼いであったこともあってアゼラはその教育にばっちりと収まってしまう。
だが、彼女の幸運というべきか、あるいは無知でいられなかった不運というべきか、本来の親がいる騎士団に配属され、そこでの薫陶もあり現在の彼女、つまりは己の正義と向き合う勇気のある一人の女騎士が生まれるに至っていた。
だが、自分の行動が正義かどうかを判断するほど彼女の心はまだ育ちきってはいなかった。
まだふわふわとした正義の心に、フェリとセニアの容赦は覿面に効いた。
彼女たちが持つ正義のあり方の、その選択性に魅せられたと言ってもいい。
「この戦いが終わったあと、お二人はどうするのですか?」
アゼラの言葉に少し悩む素振りを見せるフェリ。
彼女の目的はどこまでいってもビウモード討滅。そのはずであった。
だが、アゼラとの出会いは彼女にも影響を与えていた。
全てを殺そうとしていたが、だが、アゼラのような善良さを持つものもいるのだと。
勿論、知らず知らずであろうとも毒が回りきっているような連中まで助けるつもりなど毛頭ない。
だが、気がつける人間相手ではどうなのか。
そして、気がつける人間に気がついてもらうためには……?
「私も、同じだ」
「同じ?」
「アゼラと同じなんだ。自分の存在が誰かによって動かされていた。そこから抜け出させてくれた恩人がいる。
それから旅をして、仲間を得て、守りたいと思えた後輩とも出会えて、……」
言葉は途切れた。
沈黙。その表情がかすかに曇る。
(……ああ)
アゼラは心中で嘆息した。ほんの少し前の時間で彼女が語った言葉を思い出した。
人が戦いに駆り立てられるのには理由があって然るべきである。
ビウモードに剣を向けるものの多くに関して、アゼラは当然とも言える一つの帰結に至った。
(仲間が奪われた、そう言っていた)
──彼女が武器を握り戦う理由は義憤でない。誰かを失ったのだ。ビウモード軍によるルルシエット侵攻で。
あの戦いにアゼラはいなかったが、それでも何があったか、首都を奪われた側にどういった被害が出たかは聞いている。
アゼラの性格に近い友人は従軍した結果、心を病んだという。ビウモード軍人、騎士の中には少なからぬ数のルルシエットの民と血縁関係にあるものがいる。
血縁者がいなくとも最大の友好国として旅行先に選ばれることの多い場所だ。思い出の多い場所を血で汚せと言われれば、心も崩れる。
そうした人間をアゼラは多く見ていた。
「自分が思う正義のままに行動したつもりだった。
けど、今は迷っている。
全てを捨ててこの先に行くことが間違っていることは、理解したつもり。
だからといって、今まで復讐のために動いていた自分が急に止まれるとも思えない」
立ち止まり、自分の手を見る。
「アゼラ。いつもの私なら、きっとあなたを許していなかった。殺し合いをしようとしてしまっていた。けれど、あなたを知ったから、殺したいとも、殺し合わないととも思わない。
同じように道に悩んでいるもの同士で共に歩めないかな」
あなたが許してくれるなら、だけど。
そう続けた。
「それは、……願ってもないことです。
こちらこそよろしくお願いします!」
その二人を見て、嬉しそうに微笑むセニア。
相棒の精神は少しずつ、牛歩であっても、それでも前に進んでいる。
セニアは元の彼女とでもいうべき、ルルシエットでの冒険者をしていた彼女を殆ど知らない。
出会って、それからすぐにあの侵攻が始まったからだ。
苛烈な復讐鬼となったフェリの方が馴染み深くすらあるが、だからといってそれに愛着を持つわけでもない。
(近くにいる人間には微笑んでいてほしい。そう仰っていましたね、ヴィー様)
仕えるべき人はもういない。
それは知っている。
だからこそか、主君が自分に向けた言葉を大切にしている。
セニアはその言葉があるからこそ、フェリが立ち直り、歩き出す手伝いをしている。彼女が心からの微笑みを浮かべられるその日まで。
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(無粋はするまい)
ニグラムはヤルバとメリアの二人の世界ができあがりつつあるその傍らで、キースとサナに必要な応急処置を行う。
(とはいえ、状況が状況だ。あの逃げた爺さんを何とかしなけりゃな)
そのまますぐに外へと向かおうとするニグラムだったが、その辺りでクレオたちが戻ってくる。
フェリたちは一度、邸まで戻ってきたものの、状況を出入り口で知るや否やすぐに他の襲撃がないかの確認に出た。メリアティのところまで戻っていればヤルバと会っていたことになり、そうなっていれば状況は複雑になっていたかもしれない。
あるいは、今のフェリであれば何か別の言葉を発していたかもしれない。
もしくはメリアティとの睦まじさを見て、ニグラム同様の感想を持って黙っている可能性も少なからずある。その程度の情動は蘇りつつあったし、仮初の如くであってもフェリにとってメリアティは主君とも言える相手。
その相手が大切そうにしている人間に斬りかかるほど現在のフェリはバーサーカーではなかった。
一方で平和と見える邸でニグラムが、
「仕事がなくなっちまったか?」
気の抜けたような発言をしていた。
「平和でなにより、じゃないかな」
ニグラムの言葉にルカルシもまた安穏な言葉で返す。
「ま、そりゃあ違いない。……っと、落ち着いたなら」
「色々やることも話すこともあるね。私の弟子も何故いるのかとかも含めてね」
それ以外にもヤルバの姿が変わったことも、説明がなされていないことも、
トライカの今後についても、話さねばならないことがごまんとあった。
暫くして、安全が確保された後にルカルシとクレオたちは別室でようやく話す機会を得るに到っていた。
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「お久しぶりです、師匠」
「相変わらずかしこまっているなあ、ワズワード」
まさしくひれ伏す、という言葉がよく似合う姿勢のワズワード。
普段の彼の態度から考えればありえないほどの忠実忠勤の学者にして魔術士といった雰囲気である。
あるいは、裏路地へと転がり落ちる前はこうであったのかとも思わせる。
考えてみれば、態度はさておき行動は一貫してふざけたところのない真面目なものであったと考えられた。
「連絡をくれていたのは知っていたんだけど、すぐに返事を出せなくてすまなかったね」
「いえ、お忙しいことはわかっておりましたので……」
「内容に関しては会ってからにしたい、と言っていたけど」
そこまでルカルシが言ったところでクレオが一歩前に出る。
ワズワードと同じくかしこまった態度だが、元々が高等教育を受けていたからこそか、その立ち居振る舞いは貴族の前であったとしても一片の恥もない美しいものであった。
「私の持つものに関しての──」
ちらりとルカルシが見る。
「隷属か」
クレオが全てを言う前にぴたりと言い当てる。
不言の二つ名は詠唱を極限まで省略し、魔術を行使することから与えられる尊称そのもの。
百年に一人いれば運がいいと言われるほどの逸材である。
ただ、ルカルシが不言の名を戴いているのは慣熟した魔術の運用にのみではない。
その頭脳には膨大で莫大な知識が渦まいていて、研究のために徹底的に効率化した思考展開法は会話においては未来予知めいた予測能力を備えることになる。
「おわかりになるのですか」
診断の一つもなくぴたりと当てられれば流石のクレオも緊張を強くした。
見た目こそ少女であっても、当代きっての偉大な魔術士であることを明確にしたからだった。
「種類というだけであれば、忌道であればね。ワズ、解決策は君のところにはなかったのかな」
「お恥ずかしい話ですが、果ての空から離れてからそうした研鑽は」
「……果ての空から離れた? どうして?」
「存じておられなかったのですか」
「君ほどの学士がどうして果ての空を離れるの?」
複雑な表情を浮かべる。
彼には彼なりの理由があった。ただ、最大の問題は彼自身が才能を自覚できなかったからだった。
「よもや、才能がないからとか言うまいね」
「そ、それは……」
「はあ。それは後にしよう。まったく……」
ルカルシにとってもワズワードは大切な弟子であるのが見て取れた。
だが、それよりも先に解決するべきことがある、と。もっともな話ではある。
膝を折るクレオの目線に会わせるようにかがむ。
「見せてもらってもいいかな」
「は、はい……」
そう言うとクレオは躊躇もなく肌を晒す。
背中に刻印された入れ墨は全て忌道の一つ、隷属に関わるものであった。
「なるほど……。幾つかの種類の隷属を掛け合わせたタイプに、我流の研究込みか」
視線をすいすいと動かしながら、入れ墨を見て理解していく。
文字通り、格が違うのか何がどうなっているのか置いてきぼりになっているのはニグラムだけではない。スムジークも圧倒されていた。
「……強引に解除することもできるけど、持ち帰るべきだね。安全に解除したい」
「え?」
ルカルシの言葉に思わず素っ頓狂な声をあげるクレオ。
「解除……」
「あれ、解除してほしいって話……なんだよね?」
困ったようにルカルシはワズワードを見る。
「今まで相当に苦労していたようですので、師があっさりと仰るので驚いたのかと」
「あー。ああ。そっか。ごめんね。でも約束するよ。私に任せてくれれば確実に解除できる。ただ、この場ではちょっと不確実性が勝る。だから悪いんだけど、果ての空まで一緒に来てくれるかな」
クレオはぽかんとしつつも頷く。
一方でルカルシは同意を得れたとして刻印に何かを施している。
「機能不全にさせる方法はちゃんと機能しているし、一部的には機能を殺すことができている。うん、やっぱりワズワード。君は優秀だね。まったく、なんで果ての空は辞するのを許したんだか。
ここまで来たってことは戻りたい場所があるわけでもないんでしょ。
話はこっちで通すから、研究に戻ってもらうよ」
「は、はい。師の仰せのままに」
クレオと同じようにワズワードもやはりあっけにとられたように。
「で、君はスムジークって言ったっけ。融合については興味がある。手伝えることもあるかもしれない。
ただ、何をやるにしてもここではね。
ここまで一緒だったんだから、君も来てくれる?」
「おお……。なんと……。しかし、私は」
「あー。果ての空に入る資格が云々なら、夢を壊すようで悪いけど、一般の人が思うほど高尚でもないし難関に顔を背けて入る方法だってある。必要なのは結局、魔術をはじめとしたインクの研究に対して何を、どこまで犠牲にできるかでしかないし」
スムジークについては自己紹介の際にあれこれと彼も話している。
つまり、元々の立場を捨てて今がある、ということも。
「君は既に充分に犠牲にしてきているようだし、入る上での説得材料には足りてるさ。
万が一ダメだとしてもワズワードの研究助手って立場でもいけるだろうし。それでもよければだけど」
「夢に手が掛かるなら、どのような立場でも!」
「ははは」
つい笑ってしまうルカルシ。
「ごめんごめん。いや、私も人の目から見るとこういう感じだったんだろうなって。
それじゃあここでやるべきことを済ませて、さっさと行くとしよう。
で、ニグラム。君は」
「オレはこれで全て済ませれたかな。
姐さん、こっからオレがやれることもないし、オレがやるべきことで、やりたかったことは完遂できそうだ。あとはルカルシに全て頼むってことになるけどさ」
その言葉にクレオは寂しそうにする。
「ここでお別れ、なのか?」
「姐さんの隷属がしっかり切れたらどこぞで祝杯をあげよう。
いい感じの酒場を探しておくからさ」
これっきりで終わりなわけじゃない、と。
(それに、終わったことを墓前にでも捧げにいかんとならんし。……それにはまず、思い出すって作業が必要だけど)
クレオは諦めたように、しかし、約束もした。連絡する手段もこの時代だ、ないわけじゃない。
いざとなれば冒険者ギルドに依頼を出して探させてもいいのだから。
「ワズワード、スムジーク。半端なところでお別れになって悪いけど」
「いいさ。……お前のお陰でまた学者ができることになる。が、一応聞いておく。お前も来ないか?
ツボの空の真髄が見れる機会だぞ」
「興味を引くのがうまいな。けど」
「わかってるさ。一度決めたら道を変えさせるのは難しそうなのは」
「感謝の言葉もありません。この恩義はしかと抱えておきますので、そのうちに」
「重い重い。恩義を感じる先はこっちじゃない。でも研究が形になったら見せてくれよ」
「もちろんですとも!」
あっさりとしたものだったが、踏み込まないことがニグラムにとっての一つの生き方であった。
助けるべき相手のことを思い出せたことは僥倖。あのような焦燥感は記憶の中では感じたことはない。
そして、今もそれは感じない。
目的を達成したとして、そうしたものは波が引くように消えたのか。
だが、ニグラムとて人間。
このまま、この場に留まれば未練も強くなる。そう。未練がないわけではないのだ。
彼らとの旅は楽しいものだったから。
「ニグラム!」
一歩、クレオが間に出た。近づく。
その手を取る。
「……どうしてここまでしてくれたのか、きっと理由があるのだろう。
いつか、聞かせてくれ」
「姐さんが自由になったあかつきに、きっと」
強く、互いに握手をする。
恩義だけではない。旅の中に感じた友情、信頼。ここで分かれることに関しての、惜別の念。
互いにそれを感じているのはわかっていた。
その想いが依存心に変わる前に、そっと手を離す。
「姐さん。またな」
「ああ。また会おう。私の恩人、ニグラム」
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(せめてディカにはもう一目会っておきたかったかな)
最低限の旅装を整えたニグラムは遠巻きに市長邸を見ている。
(っていうか、キースっつったっけか。アイツの装備借りっぱなしになっちまったな。
……ま、今度返すってことで許してもらおう)
借りパクであった。
賊としてはささやかな犯罪かもしれない。
(まったく、妙な周回だ。記憶にしろ、出会いにしろ。
命冥利を尽くさないといけなくなるってのは、どうにも苦手なんだけどなあ)
頭を軽く掻いて心をごまかすように。
(さーて、まずはどこからやるか……ね……?)
視線の先に映るものがあった。
闇の中で声を殺して動く影たち。それは紛れもなく──
(あの爺さん、生きてやがったどころじゃねえ。あの深手でそれでもメリアティを殺すことに執心すんのかよ)
その執念深さにぞっとする。
だが、
(こっちにゃ気が付いていない。敵の数は爺さんを入れて六人。不意打ち決めりゃ片付け切れる数だ)
頼りになる仲間たちを呼ぶにしろ、声を上げて危険を知らせるにしろといったことも考え付きはする。
だが、彼らがそれに反応して隠れたとして、あの執念深さだ。トライカの地下に潜み続け、脅威を感じさせ続けるのはいかにも不利益だ。そして、その不利益がどんな形でトライカに災禍を生み出すかもわからない。
片付けるしかない。
ニグラムはそう結論づけた。




