208_継暦141年_冬/04
メリアティ邸への再襲撃は未だない。
ただ、それは油断してもいいという話でもない。
フェリ、セニア、そして襲撃側から転身した騎士アゼラは外の監視を。
メリアティの直接的な護衛を管理局から任ぜられているキース、サナはその職務を全うしている。
そしてヤルバはメリアティの手伝い、という名目でお側付きのまねごとをさせられていた。
とはいえ、本来で言えば二人は夫婦。
「そう。君もヤルバという名前なのね」
小さく微笑む。
術士であるルカルシから報告を受けたわけではないからこそ、彼女は同姓同名の少年だと思っている。
乱世深まる世界で、親が失った子の名を付け直すということは珍しいことではない。
過酷な時代であればこそ、不憫には思っても疑問には思わない。
「実はね、私の夫も同じ名前なのよ」
「どんな方なんですか?」
「んー……。愛が深くて、目的意識が強くて、でも心はちょっと弱い。そんな人かな」
「心が?」
「優しすぎるの。だから、……ね」
彼にとっての恩人であるグラムと名乗った男を──最後に見た姿は少年だった彼を守れなかったあの日から、彼はひどく落ち込んでいた。
そもそもとしてあの侵略を止められなかったことそのものも強い悔恨を彼に残していた。
あの事件は明確にヤルバという男の心にとどめを刺した一件だった。
「なんだか、共感してしまいます。自分も、強い心の持ち主ではないんだろうなって……そう思うから」
「けれど、私を守るために残ってくれている。危険に飛び込んでくれているのだから、充分に強いと思うよ」
「それは、メリアティ様をお守りしたいって、そう思って」
メリアティも子供に心配されてしまうほどに切羽詰まった表情をしてしまったのかと内心で反省した。
襲撃はいつかくるものと考えていたが、強引で拙速なやり方とは思っていなかった。
「自分は、」
ヤルバが忌道によって幼くされた理由は術者であるルカルシからすると単純なことだった。
複雑なことを考えなくさせるためである。
彼のキャパシティを越えた苦難をせめて軽減できるようにと、そうした願いをこめられた力。
シンプルになった結果、ヤルバが戻ってきたのはメリアティの元であるというのは運命であったのかもしれない。
「警護が薄くてなにより」
声。
それは物陰からうすらと響く。
即座に反応したのはサナであった。生活環境の影響か、それとも管理局の訓練のたまものか、獣じみた反応速度で投擲を抜き打たんとする。間の抜けたオッホエは発さない。いや、発させる余裕すらなかった。
それよりも先に『声』がサナの腹に一撃を食らわせて転がしていた。
次にキースが動こうとするも、『声』が踏み込み、投擲の距離を潰しやはり一撃を腹部に受けて倒れる。
「管理局と敵対するなという命令でな。お前たちはそこで寝ているといい」
「……どなたでしょうか」
メリアティが睨むようにして誰何した。
当然、ヤルバが彼女を守るように前に立つ。
「コーネル子爵の騎士、ディートルフと申す」
略式の礼を取るディートルフ。
彼らにとって殺すべき裏切り者の姫であったとしても、身分の差は絶対である、ディートルフはそう考えていた。その身分の差を殺すことができることに強い興奮も覚えていた。いや、その興奮のためにこそ礼儀をわきまえる。
「トライカ市長、メリアティです。これまでの振る舞い、どのような了見からなるものでしょうか」
「当然、殺すためで──」
その言葉が終わるか否かのタイミングでヤルバが動いた。
少年の体躯から考えられない早業で斧が抜き放たれるも、巨躯のディートルフの蹴りが先に当たる。前に突き出すような蹴りがヤルバをくの字に曲げて窓の向こうへと叩き落とした。
「ヤルバっ!!」
「ご自身の無事を考えないとは、素晴らしい精神ですな」
舌なめずりするような声で、邪魔者は消えたと言わんばかりに一歩踏み出すディートルフ。
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かしゃん。
ガラスが割れた音が離れたところから聞こえた。ニグラムはそれが窓の割れた音、そして何者かが突き落とされたことを見た。
ちらりと影だけが見えたが、影の大きさからしてヤルバかメリアティかサナであろうと予想をつけるが、そのいずれであろうと関係はない。助けねば。ガラスの雨が降り注ぎ、肌を切り裂かれながらもニグラムはヤルバをキャッチした。
「大丈夫か」
「げほっ、げ、げほっ。ニグラムさん」
「ディカ、ヤルバを!」
「だ、大丈夫です。それより襲撃者が!」
すぐに気が付く。
周囲に次々と騎士、あるいは烈士たちが集まっている。
「上に行ければよろしいか?」
スムジークが端的な質問をする。頷いたヤルバとニグラムを見て腰を落とし、手を組む。
「手の上に乗ってください。我が術で打ち上げましょう」
「頼んだ!」
どうなるかを試すという意味でもまずはニグラムがそこへと乗る。
乗ると同時に「甲殻」と術を発動し、立ち上がると同時に強化された四肢を以てニグラムが勢いよく上空へと打ち出された。割れた窓の縁を掴み、そのまま入場するニグラム。
やや遅れてヤルバもニグラムを手本に、そのように入る。
「すぐに追いつく! 待っていろ!」
クレオの声。
返事をする余裕は二人にはなかった。
落としたはずの少年が、一人の男を連れて予想もしないところから入ってきたのだ。
「しつこいぞ。小僧」
「性分なんだ」
落としてしまった武器の代わりだと言わんばかりに投擲用の武器を一つ渡すニグラム。
頷いてそれを構えるヤルバ。頼りない武器だが、ないよりはマシに思えた。
メリアティを殺すことは仕事だが、とはいえ、彼女をメインディッシュとするなら、後に回すべきだ。
より屈辱的な表情を見るためにも乱入し直してきた二人を殺すことにした。
わざわざここまで派手に来るのであればメリアティにとっても重要な人物に違いない、そう判断した。
ヤルバが踏み込むも、あっさりといなされる。
それを囮にするようにして擲ったニグラムの一射もあざ笑うように叩き落とされた。
素手による白兵格闘に長けたことがわかる。ただ、それは筋力や膂力によるものだけではないのだろう。
インクが漏れ出るように、体を包んでいる。
「白兵と魔術を組み合わせたこの力、貴様たちのような半端者に牙城の一片すら崩すことも叶わぬわッ」
吠えるディートルフの言う通り、その牙城はどのような攻めにも対応して崩れる様子が見えない。
忌々しげに睨むヤルバ。
(逃げていても、失うばかり……。この体も、逃げの代償なのか)
ふっとそう思う。だが、その思考が自分のものとは思えず、困惑しかける。
だが、それにかまけている時間はないと切り替えるまでもなく払おうとする。
一進一退の戦いは続き、そろそろ飽きたなと言いたげにディートルフが構えを変えようとしたところに、
「騒がしいな、まったく。寝てもいられない」
声が響く。
ルカルシだった。
隻腕の魔術士はすぐに状況を推察、理解し、
「さて、どうしたものかな」
とそれとなくメリアティの側に近寄ろうとする。当然、ディートルフがそれを邪魔しようともするが、今度はその隙を狙うようにヤルバとニグラムが詰める。
(姿が見えないと思っていたが、よもやここにいるとは運のない)
ルカルシの殺害は目的の一つに含められていた。
ディートルフが指示したことではないにしろ、しかし、彼にとっても邪魔な相手であった。
彼の使う力は端的に言えば身体を強化する魔術。それを複合的に使いこなすことで老齢に到っても衰えず、萎えぬ肉体を維持し続けている。
元は魔術士だったディートルフなりの老いへの抵抗であったが、逆にいえば魔術士としての才能と力を全てそこへと向けているがゆえに、本来魔術士同士の戦いとなったときの備えというのは薄い。
これまでは身体能力による速度と筋力によってゼロ距離での組み打ちで圧倒してきたが、それも同格までにしか通じない。
この辺り一帯において、魔術士としての完成形の一人であるルカルシ相手にそのようなやり方が通じるわけもない。
であればこそ、ルカルシの殺害はこの計画成就のために個人的に絶対の条件でもあった。
(だが、見るからに何かしらの不調を抱えている。殴り合いになればなんとでもなる。楽しみも後に取っておくようなことはできまい。メリアティを殺す。動揺したルカルシを殺す。それから残りの乱入者と護衛を殺して任務達成とするほかない)
それを決めればあとは実行──となるはずだが、ルカルシの一言が先立った。
「ヤルバ。失った苦しみを掴み直して、歩む覚悟はあるか」
「後悔したくないッ!」
「わかった」
端的な返答だった。
了解の意を示すと同時に細い指がスナップし、音を鳴らす。
「《想い出せ》」
定められたキーワードにより、ヤルバに施していた忌道の儀式を解放する。
いつか来ると考えていたからこそ、ルカルシは解除の手段を可能な限り簡略化していた。
その言葉が発せられると同時に光がヤルバから発せられ、それが納まるとそこにはかつての、あるいは本来のというべきか、ヤルバが。ヤルバッツィがそこに立っていた。
自らの身に起きたことを不思議に思うよりも、今までのことを想起するよりも先に、
「メリアティッ!!」
妻の名を叫ぶと同時に踏み込み、守るためにディートルフへと拳を向ける。
打ち込まれた拳が今度はディートルフをくの字に曲げた。
「ごほ、おッ!? な、なんだ、何が貴様の身に」
たたらを踏みながら、しかし構えを取り直す。
「何故、何があった。貴様、貴様はビウモードの犬ころ、ヤルバッツィであろうが。どうしてここにいる!?
いや、貴様がどうしてなどと意味の無い問答よッ」
構えを取り直す。もはや嗜虐趣味云々をもてあそぶような余裕はない。メリアティだけでも殺さねばここまで来た意味もない。
だが、それよりも早く、
「ヤルバッ!! これを使えッ!!」
壁に掛けられていた剣を掴むと殆ど同時に投げ渡す。それは恐ろしいほどに掴むに適した一投だった。投擲とは人の命を奪うのみにあらず。技巧とはその使い方次第で価値を決めるものなのだと技巧そのものが言っているようですらあった。
ヤルバが掴むと同時に振り下ろした。
「ごあァあッ!?」
片腕が切り飛ばされ、大量の出血を伴う。傷口を押さえ、ふらふらと外へと逃げ出す。
それを逃がすヤルバではない。
踏み込もうとする。しかし、ディートルフもまた歴戦の戦士。この状況で逃げるために必要な一手を即座に判断する。
傷を抑えていた手を離して再び手をメリアティに向ける。こうなればヤルバはメリアを助けるために動くほかないのだ。
位置が悪く(あるいはそれを狙って動いたか)ニグラムもまた投擲をディートルフに向けることができない。
結果、ディートルフにはまんまと逃げられる。深手だ。何ができるわけでもないとは思いつつも、追討をするには室内の状況はよろしくなかった。
何せディートルフに痛めつけられたキースとサナ。明らかに復調していないルカルシ。
メリアティは万全に近いようにも見えるが、そもそも彼女が狩られることが敗北条件なのだから彼女の状態の有無は関係がない。
急に大きくなったヤルバが気にならないわけではないが、差し挟むほどニグラムは野暮ではなかった。
「……メ、……。メリアティ様。ご無事で──」
「違うでしょう」
「……っ」
「ようやく戻ってきてくれた、愛する人に私は言いたいことがあるのです。ですから、それを言わせてもらうためにも、口にして欲しい言葉というものがあります」
ヤルバとて、その言葉を言いたくてこれまであがいてきたのだ。
今のヤルバには二つの心があるようだった。
メリアを好いてから、必死に働いてきたヤルバッツィという男のもの。
一度立ち戻るために少年となってグラムと再び冒険をし、妹を妹と気が付かないままに家族とも再会したヤルバという少年のもの。
鏡で映すようにしてようやく、自覚を得た。
(ようやく、自分の愚かさに気が付いた。
自分はいつも、いつもいつも、自分のことばかりだったんだ。
メリアを好きになって、守ろうとすることも、家族がずっと思っていたことにも気が付かなかったことも、
グラムさんを殺したことも、自分の不運かのように……)
二つの視点を以て、ようやくヤルバは冷静に自分を見つめることができた。
そして、周囲を見ることも。
目の前にいる最愛の人に目を向ける。
「メリア。……ただいま」
その言葉を言うのに、何年掛かったのか。あえて数えるまい。
今重要なのは、
「おかえりなさい、ヤルバ」
どこにでもあるはずの、かけがえのない言葉のやりとりを行えたという事実だけだった。




