195_継暦141年_冬/04
「……」
「……」
重い沈黙。
賊たちがこそこそと逃げたあと。
「フッ……」
眼鏡をくい、と掛け直す。
「さすがですね」
そこに気がつくとは天才か、と言いたげに。魔術が専門ではないニグラムやクレオもまた同様の意見だったようで、表情を微妙として視線を外していた。
「白状しましょう、私は──」
スムジークが言おうとしたところで、
「す、すみません。皆さん。できればこの辺りを抜けたいので乗っていただければ助かるのですが」
御者が助けてもらって申し訳ありませんが、と。
一同が視線を交わらせてから、そりゃそうだと頷いて、ともかくそういうことになった。
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馬車が動き、揺れる中でスムジークが改めて口を開いた。
「実は、ええ。皆さんの言いたいことはわかりますし、実態としてはその通りなのですよ」
「融合じゃないってことか?」
「イイエ!! 融合デス!! 基礎部分ダカラ! コレハ基礎部分ダカラア!!」
ニグラムの言葉に甲高い声で返すスムジーク。
怒りとはまた違うベクトルのようだが、その感情図がどのようなものかを判断するのは難しそうだった。
「ンンッ。失礼」
メガネのポジションをくい、と直し、
「私にとってセンシティブな話題なもので。ええ。ええ。そうですね。……融合なのです。理論上は、ええ。そうなのです。融合するはず。なのに、どうして……?」
「何かの手引書があり、それを信じればできるはずなのに、ということなのかな」
クレオが冷静に手を差し伸べるような声で。
(さっすが隊長。おそらくにして中間管理職の技術が光るぜ)
「はい。その通りでしてね」
懐から取り出したのは随分と古めかしい手帳。劣化が随分と抑えられているように見えるのはおそらくは何らかのインク的な保護がなされているからだろうことは一目で分かった。
「それはなんだい」
「ダン・エメルソンという男の手記でしてね。私にとっての導きの光です……よ……? どうしました、表情が優れませんが」
クレオ。彼女に浮かぶものは不快ではなく、明確な怒り。しかしそれを押し殺している。そんな表情であった。
スムジークは子供ではない。むしろ同種族内──つまり人族からするといい年だと言える。若々しく見えるのは鍛錬と栄養管理によるものであり、それゆえの社会的な経験値はしっかりと積んでいる。
悪い言い方をするなら顔色を伺うことなどそうした技術としては初歩のものとして理解している。だからこそ、
(彼らの表情の曇り具合は一体なんだ? ええい。考えろ。彼らが出したルカルシ氏の名前こそ、私が求める未来に繋がるかどうかが懸かっているのだ!)
深く思考を加速させている。
「あー……。スムジークさんよ。ま、アンタの言葉で言うところのセンシティブって奴でな」
ちらりと外を見やり、ニグラムが続ける。
「もうぼち街に付く、長話はそこでどうだい。それに旅だってまだまだ続くんだ」
目的地であるトライカはまだ距離がある。
次に停泊する街を含めてもう数泊せねばならない程度の遠さはあった。
機会が切れたわけではない。なれば、今はここで頷くのが上等とした。
街につき、宿を取り、そこで三人は今後の相談をすることになった。つまりはエメルソンというワードが出てきたことについて。
「エメルソンってな、よくある名前なのかい」
「果ての空に人間は多く、横の繋がりも特別狭いわけではない自覚はあるが、そうした名前のものは知らん」
「私も、あの男以外にその名前を持つものは知らないな」
「つまり、ダン・エメルソンってのは」
「隷属の力を持つ人間に関わるもの、か」
三人はそれゆえに警戒を強め、しかし、
「我々を追っている人間とも思えないよな」
クレオの言葉に二人も頷く。
自らの名か所属を明かすにしては明け透け過ぎて、隠すには開き過ぎていた。
少なくともあの名前が出たことそのものは偶然しかない。
「ならば、あの手記や融合といったものを研究していた魔術士か何かはエメルソンの父祖に連なる何かということになるか。
……スムジークと言ったか。素っ頓狂には見えるが、魔術の冴えはそこらの伯爵お抱えの魔術士と比べても遜色ないか、それ以上だろう。
となれば」
「そいつが聖典めいて抱えているあの手記に何か隷属に関わるヒントがあるかもしれない、か?」
「あれば嬉しいな、程度だがな」
どうあれ、ルカルシに会うまではわからない。その道中で少しでもヒントになるものを拾えたならばそれに越したことはないのだ。
「そんじゃ、応対はオレに任せてくれよ」
胸を叩いて、ニグラムが請け負う。
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晩飯に誘われたスムジークは疑うことなく、というよりは先ほどの一件についての説明と必要であれば謝罪の機会を求めて同行する。
ひとまずは乾杯をし、軽く食事を胃に納めてから、
「いやあ、さっきは悪いかったね。隊長はちょっとエメルソンって名前に色々あってさ」
「差し支えなければ伺っても?」
「ああ。それをしにきた、んだがな、こっちからも頼みがあるんだ」
「これのことでしょう」
再び手記を取り出す。
「ダン・エメルソンという男の手記でしてね。その人物が存命の頃に父祖と知己があったそうで、何かの縁で我が家に所蔵されていたものです」
「所蔵?」
「ええ。こう見えても収集癖の強い男爵家の生まれでございましてね。このご時世で、家はすっかり没落したのですが。私には運良く魔術の才があって、こうして生計を立てられています。
その魔術に目覚めたきっかけが」
「この手記かい」
「ええ。随分と昔のもののようではありますが」
開いてもいいか、と彼に問えば勿論と返る。
読んでいくとそれは冒険譚のようなものだった。魔術的な研究レポートなどではない。魔術による冒険と生存についての記録。
旅の果てに手に入れた魔術士としての自身の可能性についてのポエムめいたもの。
「魔術士に憧れ、そして、そこまでを叶えることはできました」
「そうして、今に至るってわけかい。で、融合ってのは」
「センシティブ、といったのは……お恥ずかしい話ではありますが、研究が行き詰まっているのも事実でしてね」
隠すことではない、というよりはおそらくは研究そのものは行き詰まっており初心者や素人、
門外漢からでもなんでも意見を求める状態になっているのだろうことはニグラムにも理解できた。
「先ほど見せたものはある意味で融合技術の成功例なのですよ。指摘されてはしまいましたが……。実際のところ、あれも融合の一つではあるのです。類似や再現と言われてしまえばそれまでですがね。同じにするというコンセプトという意味では──……っと、失礼。熱くなってしまいました」
こほん、と咳払いをして、
「……ともかく、請願に似た効力を魔術で再現する技術はそれなりに得られたのです」
「すごいことじゃねえのか、それ。請願って超能力を誰でも使えるようにするってシロモノなんだろ?」
「ありがとうございます。ただ、何もかもを再現できるわけではないのですよ。この身の才能不足というところでしてね」
実際、彼が魔術士ギルドで青色位階を得たのは再現を行って見せたことに起因している。彼にとっては融合の基礎研究でしかなかったのでラッキー程度にしか思っていなかったが。
「魔術士ギルドに在籍してはいます。ですが総本山たる果ての空で学んだわけではないからこそ、強いパイプを持たない。どうにかして研究のエリートに相談を持ちかけたいと思っていて、そこで!」
ぐ、と顔を近づけるスムジーク。
「君たちが発した名前こそが、それなのですよ」
「名前……ああ、……ルカルシさんか」
「それだ! 彼女の名声はよく響いている。次代のグランドマスターだとも! 魔術研究者たちの誰もが彼女を絶賛しているのです!」
だから。
立ち上がり、頭を下げる。メガネがずり落ちる勢いだった。プライドが高そうな顔立ちの男に似つかわしくない必死さであったが、
(貴族から漂泊の魔術士になり、研究に没頭しているのも旅に出るきっかけと才能の気付きを与えてくれた過去の存在……ダンが手記に書いていた研究の成就のためか。
そのためにどう考えても見てくれが魔術士よりも冒険者、冒険者よりも賊って身なりのオレにも頭を下げるんだな、彼は)
言葉ではなく行動で。行動だけではなく心根の部分で、この男がエメルソンの関係者ではないと理解したくなる。信じたくもなる。ニグラムは情熱に弱かった。そして、情熱が本物かどうかを見定める観察眼もないわけではなかった。
賊を殺さずに更生の機会を与えているのも好感触だった。あの賊は根っからの連中ではなく、食い詰めたものたちであるのは賊のエキスパートであるニグラムがそう判断した。殺さずに済むならばそれでいいのだと。
「わかった。その代わり、こっちも事情がある。その上で判断してくれ。……それはもしかしたら、アンタの今まで歩んだ道にケチをつけることになるかもしれない。それでもよければ、だが」
「ケチがついた程度で歩みを止めるほどなだらかな夢への道ではありません。ぜひ伺わせていただきたい!」
スムジークは低頭のままに顔を向け、メガネを掛け直した。




