188_継暦141年_冬/04
よっす。
美人の背中を拭いているオレだぜ。
役得って奴だな。
睡眠に関しちゃ他の護衛もいるので部屋の中で交互に寝て……みたいな野営じみたことはしなくてもよいとのこと。
「そろそろ寝ておこうか」
隊長の言葉に従う。
はー。宿のベッドってのは最高だな。ああー。眠りが、眠りがやってくる……。
……。
……む。……起きちまった。こりゃあはばかりにいかにゃならん。
それなりに若い体で助かった。
お年寄りボディだったら最悪な状況になっていたかもしれねえ。
隊長を起こさないように外へ。
部屋から出てきたオレに対して目を向ける隊商の護衛。新人ではない。眠っている様子もない。真面目だ。
会釈をすると返してくれた。ろくでもねえ商品を扱っているであろうのに何というか。
いや、彼らも隷属で縛られているなら彼らの人間性ってのは関係ねえんだろうよな。
トイレは各階層にある。が、この階には先客がいる。どうやら出が悪いのか唸っている。
そっとしておくのが人情ってもんだ。
下の階へ。夜中なので足音を殺していくぜ。ご迷惑になっちゃならんからな。
「……ああ。ここで確実に……」
「だが、いいのか……」
「ドップイネス様の……」
「エメルソンの……手勢を……」
などと聞こえてきてしまう。
賊のねぐらだと思っていたが、ドップイネスと来たか。どうやら予想よりヤバさは上のようだ。
心のどこかで、
『いやあ、昨夜はすんません。オレの思い込みで警備とか厳にしてもらっちまって。いやあ、でも安眠できましたよお。え? 新人が安眠してんな? すんません、次はオレも警備に回りますんで!!』
なーんて会話をする準備までしていたってのに、よもや思い過ごしじゃあないとは。
来た道を音を立てずにこっそりと戻る。
部屋に戻し、そっと隊長に声を掛けた。
「隊長、お休みのところ申し訳ねえ。起きていただけますか」
ぱちっと目を開く。跳ねるようにではなくそっと、音もなく起きる。目はオレを一瞬見てから周囲をささっと確認。
……どれだけ今の仕事が長いんだろうな。警戒の仕方が呼吸みたいだ。
「どうした」
「予想が当たっちまいました」
「賊のねぐらだったか」
「ドップイネスがどうのと」
「エメルソンの競合だ……。賊よりも」
「厄介みたいですね」
小さく頷く。
「切り抜ける準備を始めよう」
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すぐに馬車を動かせるように、宿内の隊商関係者は気が付いていないように振る舞わせる。
全員が手慣れたように命令を実行している。
トイレで苦戦をしていたと思ってた人間すらどうやら護衛で、何かあったときの不意打ち要員だったらしい。抜かりないね。
隊長とオレがいた部屋では側近らしい人間が三人が入っている。
「宿を脱出できたならそのまま目的地へ。難しければ残った人間が指揮を。私がダメならドノバン、ドノバンもダメならリッツマン、リッツマンがダメならカミン。その辺りはいつもの通りね」
それぞれが頷く。
宿泊費は先払いだったが、迷惑料と行動中に何かを壊してしまった場合の修繕費に充てられそうな金額を隊長はベッドに置く。
オレの聞き耳から始まったこの騒動が実は勘違いだったら、と考えてなのだろう。
「そう時間も残されていないでしょう。それぞれが打ち合わせの通りのルートで馬車に」
その言葉にそれぞれが抑えた声で、ご武運をと発した。
オレと隊長は裏手から、他の人間は窓などから出るようだ。
状況が開始した。
裏手に進んだ辺りで、
「お客様、こんなところでどうなさいました?」
店員が声を掛けてきた。
後ろ手に何かを持っている。あの話があったとはいえ、この店員がこちらの命を狙っているかはわからない以上は手を出せない。
隊長も考えは同じらしい。
「あー……」
「大人の遊びって言えば納得してくれるかしら」
ワオ、隊長ったら大胆。
これくらいするっと言葉が出せてこそのベテラン、なのかね。
「それはそれは失礼を……しましたァ!!」
背に隠していたのは大方の予想通り、武器だった。手斧。薪ではなく他人の頭をかち割るために用意されているものだろう。扱い方も手慣れている。
オレが何かをするよりも早く、隊長は腰の得物を引き抜いて武器を持つ手と首をほぼ同時に撥ね飛ばした。すげえ腕前だな。
抜いたのは確か、東方から伝わっている刀って代物と思われる。
「置いてきた金は無駄になったかもしれないわね」
「全員が悪党ってわけじゃあないかも……ってことを祈っておきましょう」
オレは手斧をはじめ、彼の遺品を幾つかくすねる。投げやすそうな短刀もある。いいね。
「ここから馬車に──」
そう言いかけたところで、馬車が止まっているところから激しい戦闘の音。そして、馬蹄の音も。
「あっちはあっちで逃げたようだ」
「オレたちはどうします?」
荷物があるにしたって馬車は馬車。本気で走れば徒歩のオレたちでは追いつけない。
「目的地に。徒歩なのでそれなりに苦労はかけますが」
「トラブルも楽しい日常、って思って生きているんでね。それじゃあその目的地とやらに向かいましょう」
「たくましい奴だな」
小さく微笑んだその表情は多少なりと心からの笑顔のようにも思えた。
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「補給、どうしましょうかねえ」
「最低限のものしかないものね」
そう言いながら彼女は周囲を見ながら、地図と現在地を照らし合わせている。
賊にはない行動だ。個人的観点から珍しい行いに思わず見つめてしまう。
「一日歩けば別の宿に行けそう。数度お邪魔しているところだから」
「安心できると」
「経営が変わってなければね」
「景気がいいことを祈るしかないですな」
そうして、移動を始める。
暫くは追手や事前に他の賊を伏させている可能性などを考慮して最大の警戒を以て進んでいたが、数時間経ち、多少なりと安全である認識を得てからは少しずつ会話を増やすことにした。
どちらからそうしようと言い出したわけではないが、二人で歩いているのに互いにムスッとしているというのも妙な話ではあると思ったのだ。
オレは目的地がどこかまでは聞いていないが、それが都市やその圏内であるのならば見回りもいるだろう。誰何されたときに二人の関係を問われたときにあうあうとうろたえれば怪しさを拭えなくなる。少しでもお互いのことを理解できていれば瞬発でもそれなりの対応ができるだろう。
「ニグラムは賊子供だと言っていたな」
「ええ。親のことも覚えちゃいませんけどね」
「どの辺りから来たのかな」
おっと。難しい質問だな。
肉体の記憶は空っぽだ。何も考えてない動物並かそれ以下の生活をしていたんだろうよ。
適当にでっち上げるか、……いや、いっそのこと頭の中に浮上した記憶の断片めいたものの話でもしてみるか?
「言いにくい?」
ちょっと人の過去に踏み込みすぎたかなと思っていそうだ。反省の色が隊長の顔に浮かんでいる。
会話の切り出しから、生まれた場所の話をしたらそこのことを聞くなり、そこの付近に行ったことがあったら話題の種にしようかと思っていたのだろう。
彼女に申し訳ない気持ちをさせてしまったのはオレの不手際ってもんだろう。
「本当のところを言うと、記憶がないんですよ。けど、断片的なところもあって……」
彼女は話し始めたオレをじっと見ては頷く。
気が付いたときには妙な部屋にいて、よくわからん作業をさせられていた。
細かい事情はわからないが、エメルソンは商品を扱う上で人材が足りないからオレを向かわせた、といったところで隊長の表情が曇る。
「流石はエメルソン。売り払う予定の人間に護衛をさせれば無駄がないと考えたわけだ」
そうだったんだ……。
どうあれオレにその辺りの決定権はなかったわけだし(正確に言えば命を捨てる覚悟あれば拒否権はあったんだろうが)、エメルソンかドワイトかはわからないが、無駄のないやり方に拍手を送るくらいしかできない。
「でも、正直その辺りは思うところはなくて。記憶もないんで、そもそも判断基準もないというか。ただ、そうして少し過ごして思い出したこともあるんです」
浮上してきたエメルソンや、誰かを守れという言葉。
オレはその記憶が何かを知るために隊長たちの仕事を手伝うことにした。
そのことを素直に話すと隊長は返答もなく沈思していた。
暫くはそっとしていたが、我慢できずについ、
「隊長?」
と、声を掛けてしまう。
「あっ、ごめん。……ちょっと、思うところがあって。すこし、考えさせてもらってもいいかな」
「それは、勿論」
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そんなこんなで到着した宿。名前は賊のセンスではないので一安心。
隊長が受付と話している感じからしても経営が変わった感じもないようだった。
部屋はバラバラにするかどうかも悩んだが、何があっても対応できるように同室にすることに。
今回ばかりは流石に寝て起きる時間はずらそう、という話になる。何度か使ったことのある宿であっても、つい先日にあんなことがあった後であれば警戒するのが普通の神経ってもんだ。
あの宿でのドタバタの前もあまり寝れていないのもあって、ベッドに入ればすぐに睡魔が襲ってきた。
あるいは、この眠気は何かに呼ばれたものであったのかもしれない。
『──人を探している。だが、その行方を知っているのはエメルソン殿だけなのだ』
『それは?』
『過去に滅びた領地の、忘れ形見を探している』
浅い眠りの中で、知らない記憶が浮上する。
『私はかつてクレッセル子爵領に仕えていた。それほど大きな都市ではなかったが、子爵様の才腕で安定していた。
幾つかの問題はあったものの、子爵様が次代を考えて奥方様を迎えられ、子宝に恵まれた。
幼い頃から利発なお子だったよ』
『その子が』
『ああ。クレオ様だ』
場面が飛んだか、男は怪我を追っていた。死から逃れられないだろうことがわかる傷だった。
『……クレオ様らしい姿を見かけたのは偶然だった。ある仕事で、商人の手伝いをしていたときだ。彼らの会合でちらりと見かけた。護衛をやっているようだった』
『クレオ様が……生きていて、今の生活に満足しているなら、それでいいのだ……。
だが、何かに困っているならお助けしたい……。仕えた国の、大切な忘れ形見なのだ……』
男の命は消えつつあった。
そうだ、オレは約束していたんだ。
『聞いちまったからには、お手伝いしますよ。アーレンさん。クレオ様は代わりに探します』
それを思い出した。男──アーレンさんは苦く笑い、オレを見やって言う。
『返せるものは……ないぞ……』
『死に際まで主や故郷を思う心に打たれたんでね。何か欲しくてやるわけじゃない』
オレ自身だからか、その言葉を発するに何の違和もない。
『……すまない……』
それがアーレンさんの最期の言葉だった。
夢が晴れ、意識が浮上する。
クレッセル、子爵……。
そうだ。アーレンさんが、言っていた。クレオ様を助けてやれって……。
思い出した、が、どう伝えるべきだ?
それに、今オレが何ができる?
助けるべき相手は隷属の支配下にある。
今下手なことを言って希望を持たせるのは残酷な気もする。
「ちょうど起こそうと思っていたんだ、起きれそうかな」
「ええ。隊長。夢見も……まあ、悪くはないです」
「それはよかったよ、じゃあ交代を──」
「隊長。当たり前のこと聞いてもいいすかね」
「なんだ?」
「隷属はクソですよね」
素っ頓狂な質問だったのか、しかし、笑って言ってくれた。
「ああ。隷属はクソだね」
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彼女が眠る。起きるまでは警戒は当然として、思考を回そう。
オレが与えられた任務はエメルソンの隊商の護衛。
が、それに関しては推定ドップイネスの邪魔が入ったので簡単にはいかなくなった。
オレ自身にできた目的としちゃ、クレオ隊長を自由にする。それに尽きる。
アーレンってお人との約束がある。
が、そこで別のことも考える必要が出てきた。
そもそもの、『オレ』についてだ。
オレは賊だ。盗賊でも山賊でもない。それ未満のザコ。
ただ、オレには妙な体質がある。それが復活だ。
十回死んでも別の肉体として目を覚ます。そして、十回目の死でオレの記憶は概ねリセットされる。こいつを周回と呼ぶ。
よほど大きなことでもあれば断片的に覚えてたりすることもあるが、確かめるすべはない。知識として保持されるだけだ。そのルールから逸脱したことはない。
だから、以前の周回のことを明確な形で引き継いだって経験はないはずだった。
しかし、今回は違う。思い出さねばならない記憶がある。
どうにも思い出さねばならない記憶の中には、そのときのオレには『ヴィー』という人物の記憶を同時に有していたらしい。
何を言ってんだって話だが、オレが聞きたいぜ。
おそらくその周回で何者かによって追加の何かが付与されたってことなんだろう。
推察するなら、
●その周回ではオレ自身か第三者によって何かの目的が付与されていた。
●その周回での目的に必要だったので『ヴィー』という少年の記憶が必要だった。
●その周回の目的は果たせたかは不明。ただ、クレオ隊長を助けられていない以上は何かも上手くいったわけではなさそう。
●この周回で、『その周回』に関係した人間と会った記憶はない。
●与えられた目的は果たせたか不明。少なくとも追加で付与されたものは現在『殆ど』残っていない。
こんなところか。
過去の記憶が浮上した理由までは推察に推察を重ねた妄想しか出すことはできない。
ただ、アーレンに頼まれたこと、つまりは過去の記憶に関わることで見えてくるものもあるかもしれない。
オレの一応の主は白髪親父ってことになるんだろうが、オレ自身は隷属させられているわけではないのでそこまで深く考える必要はないだろう。
やるべきことはまず、隷属について調べる。
つっても、大抵のことは隊長も調べているだろうからオレじゃないと調べられないようなことを探すべきだろうな。
こういうときに痛感するな。
レティがいれば忌道について聞けた。お嬢がいれば横の繋がりを頼れた。ディカとヤルバがいれば行動を起こすときに心強かっただろう。
そうだ。頼れる人間を探せばいいのか。
隊長が頼らなさそうな、後ろ暗そうな相手も含めて、だ。




