186_継暦141年_冬/04
よっす。
逃げ損ねたオレだぜ。
さあて、どうしたもんかな。
上手く口実を作ってここから逃げたりは……。
「貴様、名前は?」
その暇なし、と。
名前か。参ったな。炎を使ってた流れからのマーグラム……。前回のことを引きずるとだいぶ悲しい気持ちになっちまうからな。
逃げられなかったし、
「ニグラムです」
逃げられないグラム。逃グラム。適当すぎるって?
どうせ永く生きられる環境じゃねえだろうし。
「貴様の同僚は皆逃げてしまったようだが、どうする?」
『へへへ。それじゃ、あっしもこの辺で! 失礼しやっす!』
……とは言えないよな。
目が怖いよ、この白髪親父。何かがガンギマリしまってるぜ。おっかねえ。
「し、仕事があるなら続けたいですねえ。飯の種がないので……。えへへ……。
ただ、できればこの仕事以外とか、無理っすかねえ。へへ、へへへ」
下手に、下手に。外見からして騎士であろう白髪親父のご機嫌を取る。
いや、この厳めしい雰囲気から見て機嫌は取れなさそうだけど、流石にこの態度の人間に急にキレて斬り殺したりはしないだろう。しないよね?
どうせ永く生きられないとは思っていても即死するのは気持ち勿体なく感じる、それくらいの情緒はあるぞ、オレにも。この周回には未練がないわけでもない。いや、正直に言えば未練ばかりがある。お嬢は無事だろうか。斧をヤルバに渡せなかった。ディカは元気に過ごせているだろうか。レティは今も好き勝手にやれているのか。
周回が閉じれば、その全てをきっと忘れてしまう。
「ここ以外、か」
白髪親父が周りを見渡し、
「どうあれ、人数も足りぬ。とはいえ、ここに一人を留め置く意味もないか」
ちらりと糸目へと視線をやる。
「次の『入荷』はいつだ?」
「取りに行けばすぐですが、商隊の人数がまだ集め切れていませんで。人数不足で動かしたとしても『商品』の管理ができないとそれはそれで問題になりますから」
「何人必要だ?」
「あと3、4人といったところでしょうか」
「わかった。他のところの人間を含めてそちらに当てる。入荷を急いでくれ」
「ありがとうございます」
「聞いていたな。貴様はこれからこのエメルソンの手伝いをしろ」
そう言いながら懐からコインを数枚取り出し、オレに持たせる。当座の資金としては多いくらいだが。
「持っておけ。金は無駄になるまい。身なりを整えて冒険者に擬態しろ。賊が街をうろつくのはこちらとしても嬉しいことではない」
「これを持って逃げるかもしれないのに?」
思わず疑問を口にしてしまう。好奇心は猫を殺すらしい。猫を殺せるなら賊もあっさり殺すのだろう。だが、口を衝いて出ちまったものは仕方がない。
「貴様の目からは目的を感じる。それがある以上逃げるとも思えぬ。
エメルソン、いつまでに、どこに集まればいい?
補充要員も本日中には向かわせる」
「であれば、明日朝一番に西門で」
「だそうだ。いいな」
「は、はい。ありがとうございます」
そういうことになった。
───────────────────────
あっさりと解放された。
このまま逃げるのもありだ。気になっていることもある。
わざわざ賊一人に監視者を付けたりもしないだろうし、逃げること自体は簡単にできるだろう。もしかしたなら、あの白髪親父はそれを見越して……?
ただ、あの場では何もできなかったが、気になることがあった。
あの糸目。
エメルソンという名前の男。
何故かひどく引っかかりを覚える。
『これで──復活の周回を──』
声が響く。周りを見渡す。
交通量の多い大通り。だが、オレに向かって何かを言うものはいない。
声が耳の内側で反響するようだ。ぐわんぐわんと響き、目を回してくる。
ヤバい。倒れかねない。
なんとか気を引き締めて路地へと転がり込む。
明滅する視界の中で、肉眼で捉えている以外のものが見えてきた。
『頼む。お嬢様を──』
『──捕らわれたのだ──』
『ああ。オレが助け出すから──』
『男の名前は──』
『エメルソン』
頭に入ってくるような、浮上するような。
何かに祟られでもしたかのか、オレは。
いや、祟られたでも構わない。今見たものを思考しておこう。眠りの中で見た夢のようにふっと消えてしまう記憶かもしれない。
……エメルソン。
それに、お嬢様? それを助ける……?
これがオレの記憶なのか?
それとも、この都市に存在でもする何か怪物のようなものに心身を乱されたのか。
必死に訴えかける人の姿を見ていたことを思いだした。あの視点は自分自身のもの。つまりは、オレが彼に約束をしたんだろう。そいつを忘れちまっていたのは申し訳ない限りだが……思い出しちまった。
こうなっちまえば見て見ぬ振りができるほどの胆力と諦めの良さは持ち得ていない。
詳しいことはわからない。まずはそこから調べる必要があるだろう。
お嬢たちのことは気になる。レティたちのことも。ああ、頼まれていた渡すべき斧をお嬢は回収してくれただろうか。
どうあれ、見て見ぬふりはしない。だが、軽々に命も投げ捨てられない。周回が終わるまでになんとかしたいことが多くなりすぎていた。
だが、死ぬときは死ぬ。どれほどの覚悟と目的があったって所詮はオレでしかないからな。
と、なれば。
オレはポケットに突っ込んであった支度金に触れる。
コイツを使って準備をしないとな。
まずは服を買って、風呂入って、飯……だな。気力を補充しよう。武器は転がっているいい感じの石でいい。防具は……まあ、当たらなければどうということはないだろう。
だが、気力ばっかりは道ばたには落ちていない。
オレは穴だらけの理論武装で心を固めて、風呂屋を探し始めるのだった。……いや、その前に服か? などと賊にはあるまじき贅沢な選択を楽しむことにする。
───────────────────────
風呂はいい。
気分は一新、下着から何から何まで一新。白髪親父には感謝だ。
ついでに食事も取ってしまおう。
この風呂屋には食事処もある。客層は一般人から冒険者まで多種多様。
危なっかしそうな連中──つまりはオレのような賊か賊上がりといったものの姿はない。
平和のようにも思えるが、どうにも異質さも感じる。
「注文は?」
「この定食を。大盛りで」
「はいよ」
オレも汚れを落としてなかったら居づらかったかもな。
おかげさまで客扱いされている。いや、実際客なんだけどね。それでも賊同然の身なりだと中々。冒険者ギルドに併設されているようなものなら汚らしい奴もいるし気にならないんだろうが、一般人がいるところだとどうしてもなあ。
「ねえ、聞いた? アデリーさんのところの旦那さん、行方不明になったって」
「仕方ないわよ、あの旦那さんってば見た目が殆どその……ねえ」
「アデリーさんも注意したのかしらね、賊みたいな風貌していたら拐かされるかも、って」
「言っても聞かなかったのよ、頑固な人だったもの」
「それか、アデリーさんも旦那さんに消えて欲しかったりして……」
なんとも陰険な話だなあ。
それにしても賊みたいな見た目だとヤバいってどういうことだろうな。やっぱ獄に繋がれたりするのか?
いや、それなら行方不明にはならんよな。
「定食お待ち。鉄板熱くなってるから気をつけて」
「うお、すげえ!」
思考は一旦ここまで。
賊をやってるとこんな食事にはありつけない。
この周回は賊じゃない時間が殆どだが、それでもやっぱりこういう贅沢な食事は珍しい。贅沢っつっても糧食ではないとか、旅の宿で出せるもの程度の意味だが。
いや、待てよ。
「あ、ちょっといいかな」
折角だ、給仕してくれた子に話を聞いてみよう。
「なに?」
「聞きたいことがあるんだけど」
そう言いながら小銭を一枚。価値としてはそれなり。心付けとしては十分な金額だろう。
「見た目が怖い人がいなくて驚いたよ。最近、この街の治安ってどうなってるんだい」
「治安? ああ、旅の人だったんだね」
服装からすると一般人相当ではあるか。擬態できているってことで何より。
「んー。ここ数ヶ月は平和だよ。犯罪者だとか紛れ込んできた賊だとかを片っ端から捕らえたからだと思うよ」
「片っ端から……」
「戦争で忙しい伯爵様の代理としてドワイト様が頑張ってるんだって他のお客さんが言ってたよ」
ドワイト……。ああ、白髪親父か。
「でも、うーん。そればっかりではないみたいで。いや、あんまり口にするべきじゃないかなあ」
「この喧噪なら他の人に聞こえないさ」
そう言いながら小銭をもう一枚。
にこりと笑うと給仕は「そうだね」と頷く。銭は力だ。
「スジ悪の連中がいなくなってから見た目には事件は減ったけど、別のことが起こるようになったんだ。あそこの奥様たちが話してたようなコトがさ」
「……行方不明、いや、誘拐?」
「うん。悪党みたいな見た目の連中ばっかりがね」
給仕が一歩近付いて耳打ちする。
「居なくなったスジ悪も、最近消えている人たちも、誰も彼も人材商に売り払われているんじゃないのかって話なんだよね」
受け取った小銭をポケットに入れながら、離れた給仕。
「譜代の騎士であるドワイト様がそんなことするわけないけどね」
白髪親父への信頼は強いようだ。
オレは運ばれた生姜焼きをかっ込みながら今後どう動くべきかを考えることにした。
───────────────────────
ニグラムが給仕から街の話を聞いている頃。
この地、つまりビウモード伯爵領中央に存在する主城、その地下。
「逃げたものは捕らえました、ドワイト様」
ニグラムや賊たちが作業を強いられていた部屋、そこに積み上げられた暗色の石を手にしながら報告を受けるのは白髪親父ことドワイトであった。
「隷属させなければ歯車にするのも難しい、か。術士はどうだ」
「やはり忌道を修めたものの確保は難しく……」
「奴が自死したのは大きな損失だったな」
ドワイトが言う『奴』とは、忌道に属する力の一つである隷属を扱うことができる人間。エメルソンが献上した人材であり、そのお陰でドワイトの計画は大いに進んだ。
だが、その人材がドワイトの目的を知ると命を絶ってしまう。
エメルソンも再び隷属を使える人間を探しはしているものの、代理は見つかっていない。彼にとってもその人材は抱えている資産の中でもとびきりのものだった。
「捕らえたものはいかがしましょう」
「監督者ともども逃げている以上は、再び同じ状況で仕事をさせたとしても意味はあるまいな」
隷属で縛れない以上は監督をつける以外に手はないが、その監督すらも作業の危険性を思い、逃げ出すのであればこのままのやり方で進めることはできない。
「始末を」
「承知しました」
逃げるようなことをしない監督を置く方法もあるが、国ではなくドワイト自身に忠義を向ける人間はそう多くない。市政の人気と忠義は別問題なのだ。
貴重な人員をこうした場で消費したくないのが実情だった。
配下が下がり、独りになるドワイト。
手に持っていた暗色の石に力を入れる。ドワイトの膂力は老いて尚も十人力以上。あっさりと石は砕ける。殆どががらがらと音を立てて地に落ちる。残ったのはひとかけの石片。
それを口に運び、飲み込んだ。
異物の摂取によることだけではない。その暗色がもたらす毒がドワイトの心臓を早鐘のように鳴らす。思考が加速する。未来を見通しているような万能感がドワイトを包んでいた。




