184_継暦141年_冬
「……っ」
少女は目を見開いていた。
為すべきことを為すを選び、その結果は愛する人間の死を遠隔で見続けなければならない結果だった。
少女──否。
姿形こそ少女ではあっても、屍術の女王とすら呼んでも差し支えないであろう忌道の大家、レティレトはそうした身の上であっても、年頃の少女のように表情を歪め、絶望に瞳孔は大きくなる。
「グラム……。すまぬ。許せとは言わぬぞ。妾は選んだ。
お前ではなく、道行きを選んだ。
ここでお前を失ったとて、それが過程であると冷たい選択肢を取った」
状況は見据えながらも、永くを生きたが故の冷徹さで作業を再開する。
「お前の喪失は一時的なもの。状態の変化に過ぎぬ。
わかっている。それが冷たいもので、愛なのかと問われたならば、妾であろうと未だ返答に窮する」
彷徨い邸に構築された多くの技術──つまりは魔術や付与術、儀式術、請願、他多くのもの──に触れるための制御機能に触れた。
「だが、妾はお前に惚れているのは事実なのだ。妾は過日より見惚れたのだ。お前の人間性、行動、奇っ怪な性格に。新たに知ったその生態に。
だからこそ、これは妾の愛の証明でもある」
自分に言い聞かせるように。
「いまひと時ではない。永くを共にあるために、妾は知識を得よう。計画をしよう。選択をしよう。次を待とう」
───────────────────────
レティレトが別の場所でマーグラムの死を見届けてから少しの後。
「カグナ、大丈夫!?」
部屋へと駆け込んだのはルルシエット。
彼女が走ってきた道には幾つもの死体が転がっていた。
フォルトとペルデが別ルートから侵入させていたものたちで、いずれもがドップイネスに雇われたならずものたち。
しかし、ただのならずものではない。
元は冒険者であり、素行の悪さから資格を剥奪された札付きであった。この戦乱でそうした処罰をされるものは少なくない。冒険者の全てが聖人君子ではない。
冒険者は声望を失えばただのごろつきの集まりにしかならないことをギルドも理解しているからこそ締め付けを厳しくしている。戦乱が少し落ち着いたとも言われるここ最近では少しずつその規則や処分も強くしている。改革を推し進めている人間の中にはイセリナの名前もあった。
ルルシエットはそうした連中が現れたことそのものを厄介に思うが、それ以上にごろつきが統率を以て作戦に挑んでいることを理解したことが頭痛の種になりそうだとも感じる。
が、それどころではないと全員を殺し、辿り着いた。
口が利けるものを残したい気持ちもゼロではなかったが、数少ない友人とも言えるカグナットの身の安全を選んだ。
「……カグナ?」
「ルル様」
異形と化している姿のカグナットはルルシエットの姿を見てようやく冷静さを取り戻しつつあった。
そして、それは──
「守れなかった……。また、大切にしないとって思っていた人を……」
少女の瞳から涙がこぼれると共に、呪蔦がほの暗い粒子状に、あるいは霧のように消えていく。構成していたインクが霧散したのだ。
彼女はそのままふらりと倒れる。
人生で初めてインクを大量に消費したことだけが原因ではない。むしろ主原因はマーグラムの死。そして、ヴィルグラムを守れなかった悔恨の想起。
まだ成熟しきっていない少女の心には大きすぎる重圧が、彼女の意識を強制的に眠りへと落とした。
───────────────────────
「びっくりするほど便利だね、ここ」
彷徨い邸は形を変えていた。
壊された壁を修復し、死体は全て隔離し、邸内そのものの構造を変えた。
明るい一室にはベッドが作り出され、そこにカグナットは寝かされていた。
「王族のために作られたものであろうからな」
といっても、作り出せるものには限りがある。
寝具のようなものは作り出せなかったのでマーグラムが持っていた野営道具を利用している。
「王族……。カルザハリの?」
「おそらくの持ち主であろう少年王もここに逃げれば首を刎ねられるようなことにもならなかったであろうに」
使われることはついぞなかったのだろう。
「もしかして少年王を知ってるの?」
好奇心を抑えきれないような面持ちでルルシエット。
「当時は小娘もいいところで、今のような妾ではなかったからな。何故あの人は殺されるのだろうとぼんやりと見ておった。子供であっても処刑されるなどと、一体何をしたのかと思ったが」
彼女が成長していく中で継暦は始まり、地獄のような戦乱が始まる。
むしろあの少年王こそがそうした地獄を広がらぬように必死になっていたのだと気が付いた。
二人の声がカグナットの意識に刺激を与えたのか、小さく呻く。
「大丈夫かな、カグナ」
「妾と同じ病に罹っているなら、きっと大丈夫であろう」
「病?」
会話の途中、ばっと勢いをつけてカグナットが上体を起こす。
周りを見渡し、先ほどの全てが夢ではないことを認識したのかやはり絶望に染まった瞳をルルシエットに向ける。
ルルシエットが何か慰みの言葉を、と少し逡巡したところでレティレトが口を開く。
「マーグラムが恋しいか?」
その声音は平時のものと変わらない。
ただ、屍者に会いたいかと問うものが屍術士ともなればルルシエットですらぞっとしない発言だと感じた。
彼女が何者かもわかっていない。ただ、ルルシエットと一緒にいるところから敵ではないことは理解できた。
問われた以上は返答する必要があろうと思うも、
「わかりません」
端的な質問に、端的にしか返せないカグナット。だが、言葉はそのまま続けた。
言葉を吐き出さなければ不安定な心が再び泣き出してしまいそうな気がしたからだ。
「けれど、もう会えないことに後悔をしています。
私には彼を守る力なんてなかったのに……危険な旅に連れ出させてしまった」
死することも含めて仕事であるとマーグラムは語っていた。
命を使ってカグナットを守れるならば、と。
「もう一度会いたい。もう一度だけではなく、また旅が続けられることを望むのが恋しいというのならば──」
彼女は頷く。
「恋しいです。マーグラムさんが」
己の中に渦巻く感情を理解し始める。
幼い頃から誰かのために動くことを喜びとしていた彼女にも人間らしいというべきか、俗な感情は存在する。
一度は発露しかけたその俗な感情の向けた先はヴィルグラムであった、彼の少年は命を落とした。宙ぶらりんになったままの人間性に再び熱を与えたのはマーグラム。
だが、それもまた失われた。今度は自分を守るために、自分の目の前で。
砕かれた心をつなぎ止めたのは呪蔦であった。それらが彼女の心をつなぎ止めている。
(面白い力よな。妾の扱う屍術によく似てる。本質的には同じものなのであろう。だが、アンデッド化させるであれ、アンデッドを御する力であれ、それは副次的なもの。恐らく、呪蔦の力は人間の持つ精神そのものを補強するためのもの。肉体に魂を縛り付けるためのもの。とはいえ、その魂の強度は人並みでは耐えられない。以前の持ち主のギネセテネスであれば憎悪かそれに類似した強い感情で代替でもしない限りは。だが、上手く扱えば無機物にすら魂をつなぎ止めることが……)
深く思考を行いそうになり、
(おっと、妾としたことが。まったく、いかんな)
それをなんとか取りやめる。
今は自分の時間ではない。カグナットに費やすときである。彼女が眠っている間に彼女になんと当たればよいかを苦悩していたルルシエットに対して、
「妾に任せておけ、どーんとな」
などと大きな口を叩いてしまった手前、この件を解決する強い義務感が彼女の中に生まれていた。
「ならば、探しに行くか」
「……探しに……?」
「おぬしの言うところのマーグラムをよ」
何を言っているのか、と胡乱げな視線を向けてしまう。こうした目の向け方はよろしくないし、行うべきことでもないことを善良なるカグナットは理解している。それを一瞬でもしてしまったことに気が咎めた。
だが、それでも、続きを求めねばならなかった。
「どういうこと……ですか?」
それは、縋るような声だった。
───────────────────────
「とはいえ、まずは目的を果たさねばなるまいよ。
ああ。名乗り遅れたことはすまぬ。妾の名はレティレト。
お主のことは聞いておる、カグナットであったな。ここまで来たのは──」
引き継ぐようにしてルルシエットが、
「私に会いに来たんだよね」
当初の目的を忘れてはマーグラムとの旅も浮かばれない。
冷静になれるほどの状況ではなかったが、彼女の聡さが自らの心理に蓋をして話す。
「はい実は……」
都市ルルシエットの代官が話があるという。
内容については深くはわからず、預けられた手帳を渡した。
彼女は手帳の中身を検める。
視線が文字を追って進む。その度に、真剣な表情が笑みに歪んだ。歪む、ということは一笑に伏したというわけではない証拠だ。
笑みとは、動物が原初より持ち得る獰猛な表情だとも言う。
「ははは。手帳から全てを読み取りきれるわけじゃないけど、これは面白いことになりそうだ。
レティ、この邸は消耗品の類いは出せないんだよね」
「まあ、基本的にはそうだが、何か欲しいものがあったのか?」
「返信したいんだ。といっても真っ当な筆記用具や紙がなくてね」
彼女の表情を見たレティレトは苦笑いを出してしまった。ああ。こやつは妾に似たところがあるのだった、と。
(思い立った以上はその場で解決したいタイプであろう。であれば、いち早く気持ちを残したいということか。
拙速は為政者としてはどうであろうかはわからんが、それで上手く回っているのだろうから必要かはさておき、それがルルの支配者としての才なのやもしれんな)
などと観察しつつ、
「それらであれば妾が持っている。術士の端くれとして書き残したくなることも少なくないでな」
懐から取り出したそれらを渡すと、レティは机と椅子を作り出してやった。
礼もそこそこに急ぎ作業に入るルルシエット伯爵。
「邪魔するのも悪かろう。妾たちは外で別の話でもするとしようか」
そうして別室まで進む二人。
邸内の制御そのものは邸そのものの構造を変えるでもないのであればどこでも手を加えることができた。
がらんとした部屋にソファを作り出し、配置する。
「すごいですね。なんでも作り出せるのですか?」
「正確には作り出しているわけではないのだが、まあ、それは今はよかろう」
「です、ね……」
「お主とグラムの……いやさ、マーグラムとの関係を頭から現在まで教えてもらえるか」
彼女は頷き、出会いから話す。
その途中で彼を失うことで大いなる精神的打撃を受けた理由は、それ以前に一人の少年──つまりはヴィルグラムを失っているということも加えたりした。
「そうして、死んだか」
カグナットを守って死んだ。
少し羨ましくもあったが、レティはレティでグラムを自分の膝の上で死なせたという妙な自尊心もあったのでハンカチを咬んで悔しがるようなことまではしない。
「あの、会えるのですか?」
「うむ。無論、屍術の類いではなくな。どれほどかの広義で捉えたなら別かもしれんが、まあ、それは今は置いておく。妾にとっても未知の領域のことを話すなど意味があるとも思えんしな」
「それで、その」
「ああ。すまぬ。妾も独り身が永いせいで対人の性質というものをつい忘れがちになる。
では結論から言うとしようか」
こくりと頷くカグナット。縋るような瞳は哀愁と憐憫を誘うものだった。
「奴は死んだ。だが、奴にとっての死は我らのそれとはまるで違うもの。そう考えている」
「……?」
「東方の領域には輪廻、という考え方があるそうだ」
急に何の話を、とも思うが、カグナットからすると目の前の小柄な少女は──自分も十分に小柄だが──見た目とは裏腹な高位の術士か学士であることは理解している。
邸を好きに制御していると考えられる。それだけで十分な証左であった。
だからこそ、話が妙なところに飛んでもひとまずは静聴することにしている。
「輪廻とは死しても魂は死なず、次へと移り変わることであるらしい。まあ、そうしたものは教えであり、今生きているときに罪を重ねてしまうと死んだって罪は消えないのだから清廉潔白でいるべし、という政治的な背景があるのやもしれんが……それは今は関係ない。
重要なのは我らが自我と呼ぶもの。それを魂と呼び、その魂は終わることなく次があるということだけだ」
では東方の人間は肉体は有限でも人格は不滅だとでもいうのだろうか、と彼女は思う。
今まで東方出身であったり、その血を引いているものと会ったことがないわけではない。親密ではないにしろ、だ。
だが、それらから輪廻と思われる要素を感じることなど一切なかった。
であればあくまで考え方だけであり、彼らが不滅の存在であるというわけではないのだろう。なるほど、レティがいうとおり政治的な利用運用のための思想なのではというのも理解はできた。
それに知る限りマーグラムは東方の人間ではない。出で立ちも言葉も、カルザハリ影響圏のそれだ。
では、この話が現状に何の関係があるのかと続く言葉を待つ。
「グラムは生きている。今もどこかで。彼奴は思想的な意味ではなく物理的に輪廻をしているのではないかと考えている」
「どうしてそのような考えを?」
「妾は屍術士でな。一度、グラムを殺したことがある」
「えっ」
「なんじゃ、妾の見てくれから悪党であろうことはわかってあったろうに」
「……ううん。ええと、……はい」
どこがですか、とカグナットは言いそうになる。
どこからどう見てもかわいらしい少女にしか見えない。カグナットは審美眼に置いては自負があった。襤褸切れのようなローブを纏ってはいるが、それでも隠せぬ気品と泰然とした美しさがあった。
唯一異形的だと言えるのは側頭部近くから映えている石塊のようなものだが、有角種族というのはこの辺りには多くないだけで存在しないわけではない。そういう種族なのだと言われれば納得できる。
彼女はどうにも悪の術士というものに身を置いているようなのでひとまず彼女の言うとおり、悪であるということに曖昧に首肯すれば、桃色の君は満足そうにうむうむと頷いていた。
ただ、殺した、ということには理解が追いついていないのでそこに関しては突っ込むかを悩む。
「殺して、操ろうと思ったのよ。見込みのある死体であったからな」
「なさらなかったのですか?」
「できなかったのよ」
思い出すようにしながら、表情は小さく微笑んでいるようにも見える。
「あれは経験のないものだった。
屍術というのは明確なルールが幾つかあってな。既に別のルールで制御された死体は操れぬ。勿論、上書きするようなやり方はあるが、力量差がなければ難しい。
その上で、グラムの肉体にあったそれは妾すら知り得ぬ極めて高度で、極微なる作りをした力が刻まれていた。
それも魂とも言えるものが去って行く頃には同時に消え失せたが、消え失せてなお、操ることはできなかった。……『不朽』の二つ名を持つ偉大なる屍術士たる妾であってもな」
「えっ」
思わず驚いてしまった。不朽の二つ名は会話を遮る程度にはビッグネームだったからだ。
すぐに途切れさせてしまった会話に対して、ごめんなさいと謝ってから続きを求める。
「うむ。肉体や魂を操れずとも、その色を覚えることはできた。一種の匂いのようなものもな。それ故に、妾には見えるのよ」
「見えるというのは、」
彼女の言葉を借りるなら転生した先を、なのか。
先回りで気が付いてくれたことに嬉しそうに微笑むレティ。
「お主がマーグラムを恋しいと言うのなら、どうだ。妾と共に探しに行くのは」
といったところで別室から「できたー!」と声が聞こえた。
「……っと。ここまでのようだな。お主にも果たさねばならぬこともあろう」
───────────────────────
「改心の出来だ。我ながら完璧な『恋文』だな」
にたりと笑うルルシエット。
「これを預かり渡してもらいたい……んだけど」
別室でどのような話をしていたかまではわからないが、表情を見ればカグナットの心の中に新たな希望の灯が付いているように見えた。
「これは別行動かな?」
「あっ、いえ」
一度、カグナットはレティレトを見る。
そして、それから、
「……私がお送りします」
「お主はどうする、ルル」
「私はその手紙がどう扱われるか次第ではあるけど、準備があるからね。一度都市に戻る必要があるかな」
「そうか。
であれば、妾はカグナットに付いていくとしよう。マーグラムめが死んだのであれば護衛は別途必要になろう。この妾が護衛であればお主としても心強かろう」
ルルシエットは「そりゃあ、ありがたい」と頷く。報酬云々に関してはおいおい、と付け加えながら。
一方でカグナットは驚きの表情を浮かべていた。先ほどの話からしてみれば自分はマーグラムよりも自身の義務を優先してしまったのだと思われても仕方がないからだ。
だが、レティレトは淡く微笑むと、言った。
「同病相憐れんでやってバチは当たるまいよ」
こうして、カグナットの新たな旅路が始まることとなった。




