183_継暦141年_冬
これまでの『百万回は死んだザコ』
(前回の「これまでの『百万回は死んだザコ』」はEP179参照)
打開策を探していたルルシエット。それは偶発的だったか、それとも必然だったのか、屍術士たちとの戦いが始まる。
そこにレティレトが乱入し、二人は勝利した。
妙に馬が合った二人は意気投合。次の目的地としていた彷徨い邸にはレティと共に探し進むことに。
彷徨い邸があった場所で邸を再生成した。
内部の探索を終えた辺りでルルの足跡を辿ったグラムとカグナットが邸へと到達。
ギネ某を追った先で乱入者であるペルデとフォルトが現れた。
二人はかつてレティレトを捕らえていたドップイネスによって雇われていた二人だ。
グラムの健闘も虚しく、彼の命は闇へと解けてしまったのであった。
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時系列
レティレトとルルシエットが出会う(EP179)
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レティ、ルルの目的が合致、意気投合もしたので共に彷徨い邸を目指す(EP180)
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レティ、ルルが彷徨い邸に到着(EP181)
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グラムが彷徨い邸でギネ某と出会う(EP177)
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[時系列最先端]グラムがカグナットを庇い、襲撃者であるペルデ、フォルトによって殺される(EP182)
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命とは尊いものであり、死に当たるものは丁重に扱われるべきもの。
そうした考えは戦乱の世にあっては理想か、あるいは夢想である。
少なくともそのように尊重されるような許される命はこの世界、この時代において限られている。
カグナットの前で今まさに命を落とした人間──マーグラムは残念ながら許される立場にあるものではなかった。
ギルドでも責任ある立場の人間を親に持ち、幼い頃から多くの人間と会話し、信頼を得ていくことを求められる立場でもある彼女は当然、決して対人の関係作りが苦手なわけでもその維持を厭うようなタイプでもなかった。
だが、彼女の性質──つまりは誰かを助ける冒険者の、その手助けをする立場ではなく、彼女は自分自身の手で誰かを助け、支えたいという欲求を強く備えるようになった。
やがて冒険者ギルドから離れ、独自の形で人々を支えた。
行商人が向かうことが少ない場所への薬売り。
文字や計算が得意ではない場所での識字商い。
冒険者ギルドとは距離を置いてはいたものの、無辜の何者かが抱えた問題が、冒険者でなければ解決できない仕事があればその発注を代理で行ったりもした。
そうした日々は彼女に親密な間柄となる人間を側に置く暇を与えなかった。
ある日、忙しくしている彼女を助けた少年がいた。
善良であり、危険を顧みない人間だった。そこでようやく彼女は自分が他人にどう思われているのかを知った。
危なっかしい。
それとなく守ってあげたくなる。
そんな思いだった。
見えないところで彼女は多くの人間に支えられていたことを理解し、同時に自分と同じような道を歩み兼ねないその少年──ヴィルグラムを陰ながら支えたいとも思った。
だが、それは叶わなかった。
少年は死に、自分をこっそりと庇護していた人間たちは侵略で害され、そして愛すべき故郷は踏みにじられた。
恩義を返す相手の多くはもう既におらず、行き場を失った感情は血と復讐を求めた。
活動を続ける中で出会った1人の青年がいた。マーグラムと名乗った彼は妙な魅力のある人間だった。出自怪しき男ではあったが、だからこそ気兼ねがなかった。
都市を解放するための旅路。
血縁者ではない特定の人間と同じ時間を共有することは彼女にとって初めての経験だった。
それがたった数ヶ月のものとしても、彼女にとってかけがえのない心の成長となる時間であり、血と復讐以外の道を模索してもいいのではと元来有していた優しさが暖かさで芽吹きなおすような心地があった。
──だが、そんなものは許されなかった。
「マーグラムさんっ!!」
呼びかけても返る言葉はない。
軽薄なものいいも、軽妙な言葉も、いつもどこか困っているような視線も、何かを隠しているのだろうことはわかる。その隠しているという事実が彼にとっての後ろめたさになっていることも。
そこから返ってくる彼の声は、もうそこにはなかった。
「マーグラム……さん……」
近づき、死体を揺らしても、やはりなにもない。手には魔術によって抉られた傷口から溢れていた血がこびりつくだけだった。
「申し訳ありませんが、そちらにも死んで頂かねばなりません。どうかご容赦を」
この男──ペルデが持つのは戦闘を生業とする魔術士としての才能、経験、知識。この大地で生きていくために必要な『暴』への理解度と躊躇のなさである。
亡骸の側で泣く少女を見るペルデ。丁寧な口調でマスキングした本性は、少女を亡骸よりも更に酷薄な肉の細切れにしたいという欲求をひた隠しにしていた。
「おい。待てよ」
「はあ。なんです」
呪蔦の怪物もまた、戦闘不能の状態まで押し込まれていた。
高位のアンデッドであろうという見込みから行動不能状態にとどめた。人間における殺害のように、高位と思われるそれを滅殺する手段について彼らは知り得ていないからだ。
「お楽しみを独り占めするのはよくねえよなあ」
「やれやれ……。では手足程度だけの損壊にしておいてください。この邸の探索という二次目標もあるのですし、何よりそのあとにあの蔦の化け物の回収もボーナス対象ですからね」
「わかってらあ」
近付く男の気配を気にもとめず、カグナットは呟き続けている。
「マーグラムさん、……マーグラムさん。ごめんなさい……。私が、何もできないから……。マーグラムさん……」
「イカレやがったか? おい、こっち向け」
首元の布を掴んで注視させようとしても「マーグラム」という名前を呼び続けている。
なまじカグナットの顔立ちが整っているせいもあって、死者に向けられる彼女の気持ちは嫉妬を含めた不快感として沸き立つ。
結果として、
「っるせえ!!」
脳が揺れるような平手打ちが彼女の側頭に叩きつけられる。地面を転がり、強烈な一撃によって意識も視界もぼやけるカグナットはそれでも手を伸ばした。その手がマーグラムによって繋がれることはないことも、理解しているはずであった。
(誰が、悪かったのだろう)
カグナットはぐずぐずになった思考を立て直すこともなく。
(私たちは何かしてしまったのだろうか。勢力同士のことはわからない。ルルシエット領がビウモードになにかしてはいけないことをしたのだろうか。
それとも、私が知らないだけでルルシエット領に息づいていた私たちは本当は生きているだけで、他者への迷惑をかけるような存在だったのだろうか)
気力が失われていくのを感じる。
(わからない。私は伯爵でもない、そのお側にいるわけでもない。
復讐せねばという気持ちに駆り立てられてギルドの人々と立ち上がったけれど、私自身はギルド上層部の人間であったわけではない。それらのようであったなら、私は何かを知っていたのだろうか)
伸ばしていた指が、萎れるように弱く握りこまれる。
(ああ。私が何者かであったのなら、知れたのだろうか)
『何を知りたいのだろう』
(こうなっている理由を、知りたい)
『本当に、それが求めていることなのだろうか』
(……それは)
──否。
突如として響いた声。それは自分のもう一つの声であった。
知りたい。
違う。
それは行動の理由を補強したいだけだ。
だが、本当に欲しいのは、
(私が欲しかったのは、)
失い続けた。
力があれば、失わずに済んだのだろうか。
人は彼女に強い意思力があると言う。だが、それが力そのものではないと彼女は己が苛む毒となっていた。
(私が欲しいのは、後悔しないだけの力)
『力は新たな選択を生む。選ばなかった選択の数だけ、新たな後悔が生まれる』
(自らの選択でがんじがらめになったって構わない。今までは選ぶ勇気がなかった。でも、選んでいれば……マーグラムさんは死なずに済んだんだ)
『それなら、受け入れるがいい。私を。私自身を』
朦朧とする意識の中で介入する声。
蠱惑的で、忌避感を覚えさせるもの。いつか読んだ本には人間以外にも思考をするものがあるということを見た気がする。
高度な付与術や契約術には、そうした機能があるのだと。
『私は私の言葉を借りている、私ではないもの。異物を己の一部とするのなら、選ぶ勇気を今、奮い立たせられるなら』
「……!?
あの蔦の怪物はどうしました!?」
「あ? ……どこ行きやがった?」
「そ、そこです!」
『新たな私を伸ばそう。接ぎ木となって、求めるものに手を伸ばそう。悔恨と後悔を飲み干して、なおも求めよう』
(求める……。あなたを、ううん。違うのですね)
ふた首が転がっていた場所には既に乾いた、奇妙な生物だったものが転がっているだけだった。ギネセテネスを永らえさせていた呪蔦の力は新たな道へと触手を伸ばしている。
「私が、求めるのは……もう誰にも私から奪わせたりはしないこと。
それができる力を」
「《我が腕は──」
ゆらりと立ち上がった少女に対して最速の魔術を編もうとする。
「私は求めるッ!!」
だがそれよりも早く彼女の手から伸びた蔦が発動を行おうとする魔術士の腕を掴み、枯れ木を折るかのようにしてひしゃげさせた。
「ぎあああ!!」
「まだ終わってないはずです。きっとまだ、終わってないはず。まだ……──」
「狂ってい」
呪蔦が彼女の服の背を食い破るようにして現れる。
それらは脚のように、羽のように、地を掴み空を走らせる。
戦闘経験などない彼女は今までにない異常な身体能力に踊らされるが、やるべきことは明確に決まっていた。だからこそ不格好な身体操作ではあったものの、一瞬で魔術士へと近づき、その首を細くしなやかな指が掴む。
次の瞬間。袖口から現れた蔦が彼女の手を、指を包み、小柄な姿には似つかわしくない巨大な籠手か、腕のようなものに変えて喉を千切り潰した。
「ごああっ、ご、げあ」
即死しなかったのは彼のインクの高さによるものか。
それとも呪蔦が悪質な力でもあって死を許さなかったのか。
「ペルデ! くそがッ!!」
フォルトが腰から薬瓶を引き抜くとそれを投げつける。
カグナットは向上した身体能力の全てを理解しているわけではないが、反射神経もそうした向上の範囲に含まれている。
投げられたものが何かまではカグナットにはわからずとも、身に降りかかれば危険なものであろうことは察することができる。
思考がまるで木々を覆う蔦のように複数に偏在する。彼女が持っていた頭脳は元より高度に並列思考が可能であったが、それがより鮮明に行動や答えを導き出していく。
背にある呪蔦の一つを動かし、マーグラムが持っていたあの木こりの斧へと走り、掴む。
薬瓶が彼女に到達するよりも早く、呪蔦は戻り、斧がそれらを砕いた。内容物は散ったものの、そのいずれもが彼女に降りかかることはなかった。
「なっ──」
絶句だった。
人間ではない。フォルトもまた悪党として各地を渡り、経験を積み、その界隈では知られる名前であった。
『飽食』のオーフスとも並べられて語られるほどの悪党。冒険者にとって赤や鉄の位階が十分な名誉が備わっているように、悪党の位置付けにもまた似たようなものはある。
冒険者のそれでいえば、フォルトは鉄色に相当するという自己評価を持っていた。
先日に大きな怪我を負ってしまってからは多少なりと自身に疑念が湧かないわけでもないが、だとしても十分に自分の強さを理解していたし、実際に彼が持つ個人の戦力は十二分に驚異的である。
だというのに、
「なんで、こんな……」
ギネセテネスとも戦った。怪物といって差し支えのない『ふた首』は外観だけではない、実際に戦えばかなりの強さがあった。だとしても余裕を以て処理できた。
やはり自分は強いのだと再評価できた。
できていたはずだった。
「ふた首の化け物なんか、比べものにならねえ……。か、怪物だ……」
強さだけではない。
片腕は大きく、片腕は少女のままの非対称。しかし、少女の腕だけではない、同じ側からは人間の手を真似るような触腕が斧を掴んでいる。大きさだけでなく、数すらも非対称だった。ちぐはぐな姿がより彼女を怪物のように見せていた。
「……さようなら」
斧を振り下ろそうとする。
だが、それが家族へ渡して欲しいと託されたものであることを思い出す。
彼女は斧を静かに下ろし、巨大な腕がフォルトの顔を掴む。
ぐしゃりと音が鳴った。分厚い呪蔦の籠手は感触を残さなかった。
「ご、ごぼっ」
残る魔術士に目を向け直す。
頭部が消失したフォルトの腰から薬瓶を幾つか取り出すカグナット。いずれもが治癒の力を持つ水薬であることをペルデも理解する。
彼女の瞳に先ほどのような狂乱の色は見られない。一人殺したことで冷静になったのだろう。ペルデも最初の殺人を犯したときには混乱もあったが、それとは別に妙な冷静さが湧き上がったことを思い出していた。
奪われないために必死に抵抗し、殺してしまった。あのときは奪う側に立つなど思ってもいなかったのに、いつのまにか人の尊厳を踏みにじることだけが喜びになっていた。
カグナットがペルデへと向かう。手には水薬。ペルデは彼女が自分を癒やそうとしているのを理解した。優しさからではない。あの男──マーグラムと呼ばれていた人物を殺すに至った経緯を知りたいのだ。そして、知ったからには復讐を行うだろう。
「ぐ、……ご……」
ペルデはケダモノである。力のない少女を肉に変えることだけを喜びにするような畜生であり、最底辺の悪党の自覚がある。
だが、最低の悪党であっても悪党の矜持があった。
護身用の短刀を抜くと躊躇なくそれを心臓にめがけて突き刺した。
怪物となったあの少女であればあらゆる手段を尽くしてでも情報を得ようとするだろう。ペルデは想像できるだけの責め苦に耐えられるとも思えなかった。
ケダモノであっても構わず雇い入れ、それだけではなく、
「貴方のような人がより生きやすい世界になりますよ」
そのような言葉で未来に期待までさせてくれたドップイネスへの忠義のようなものが心臓を一突きにする勇気を与えた。
満足げに死んだマーグラムの仇。
カグナットは腕を振り上げて、それを叩きつけて憤怒の慰めにしようとし──
それを止めた。
「……マーグラムさん」
死体を損壊しても彼はそれを喜ばないだろう。
復讐に走ることは許してくれるだろうか。きっと、諦めたように許してくれるのだろうなとカグナットは考えた。その考えもまた身勝手なものだと思いながら。




