181_継暦141年_秋~継暦141年_冬
レティレト。
忌道に分類されているうちの一つ、『屍術』を自在に扱う女。
今でこそエルフでもないというのに永きを──俗には永遠を生きるなどとすら謡われる存在。
とはいえ、実態としてはというべきか、彼女自身の認識としては未だ永遠を生きるというほど長く生きている感覚はない。
ただ、この大地におけるマジョリティたる、人間に属する『ヒト種』の平均寿命はおおよそ30~40歳程度。それらに比べれば確かに何倍かは生きているものの、彼女の考える真理の探究、その深奥にたどり着くにはまるで足りていない。
(色々と名声を持っているのは知っていてもダルハプスと絡む機会は殆どなかった。どうにもタイミングが合わなかったのだ。
そういう運命のもとにあったのだろうと思っておったが……。
やはり追っても届かず、あちらから転がってくるのが運命というものか)
忌道を修めるものたちにとって、ダルハプスはある意味での威名である。
王国時代から存在するとも噂される怪物。
それも、膨大な研究費用と検体を湯水の如くに使って発展させた延命の技術を探究した男の持つ知識や能力は、結果としてビウモード伯爵家という国家そのものとも言える血筋を支配するに至るほど。
(妾の目的は何一つ変わっておらぬ。あの日見た男の輝き。命を捨てた意味を知ること。とはいえ、それとは別に目的は増えもした。喜ばしいことにな)
グラム。
死を超克する力を持っているかもしれない男。
それは屍術が行き着く先にあるべきものを備えているかもしれない男。
だが、レティレトにとってそれだけが彼を気に入った要素ではない。
(グラム。彼奴にはあの日見た男の輝きと同じ、崇高で、孤高で、破滅的な献身性を持っている。愛おしき人間の魂の輝き。
妾はグラムに会えるのであれば、己以外の何でも捧げてやろう)
邪悪な術士であるところのレティレトはグラムとは異なり自らを犠牲にすることを望まない。
それは掛けてきた自分の夢をないがしろにする行為であると認識していたからだ。
(ビウモード伯が受けている何かしらの症状、それがダルハプスめの呪いだとしたなら、それは妾も知らぬ理であろう。
知らぬものを掻き集めていれば、やがてグラムへと辿り着く道になるやもしれぬ)
現状、彼女がグラムに会うための手段は何一つない。
術士である彼女が何かしらの取っ掛かりを得るためにやるべきことは常にひとつ。学びである。
(ダルハプスの呪いとやらに近付くためにもルルシエット伯爵との関係は良好であって損はない。
それに、彼女が指し示したものにも興味がある)
指し示したものとは、彷徨い邸のことだ。
やはり王国暦、あるいは崩壊直後から存在をほのめかされていた『明滅する貴族邸』。
そこもまた何らかの忌道が関わっていると界隈では噂されていた。
カルザハリ王国は滅びる三代前より禁忌など知ったことかと言わんばかりの研究が横行していたと聞いている。
であれば、彷徨い邸にもまた、レティレトがお気に召すような知識や技術が眠っているかもしれない。
流石に彼女の前では舌なめずりなどはしないが、一人でいればしていたかも知れない。それほどに今の状況と展望は不朽にとってたいへん愉快なものであった。
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などと思考するレティレトと共に彷徨い邸があったとされる場所まで進行するのは、当代ルルシエット伯爵。自らをルルと幼名で名乗ることも多い放蕩者。
ただ、彼女の放蕩ぶりは趣味であっても、頭の中まで何も考えずにふらふらとしている糸の切れた凧のようなものではない。
(不朽、ね。実際にいるんだろうなあとは思ってたけど、まさか同行者になるとまでは思ってなかったなあ。
彼女を上手く誘導できれば、これ以上ない味方だ)
ダルハプスの脅威とは、とどのつまりは未知と不可知による壁であるとルルは考えていた。
太刀さばきが上手いのならば弓を、弓の扱いが達者なら重騎士を、恐るべき防御性能を持つ重騎士には装甲を砕くではなく中身を殺すために魔術を。
戦いであればどうすればよいかの解答はある。見知らぬ戦術であれ動いているものが人間であり、人間が持つ範疇の技術であれば対応も思いつく。
だが、ダルハプスの持っているものはそうした対応可能な技術ではなかった。
他者を操り、自らの肉体は滅びず、距離の概念すらないかのように現れる。
そのいずれもが理から大いに外れた怪物的な動作だった。
看破しようにもダルハプスも手札を見せぬために表にはでない。その力を振るうときは目撃者の全てを殺さんともする。
(ただ、根源的な力は命や死に由来しているのは理解している。屍術を究めたなんて謡われる『不朽』のレティレトならダルハプスについて何かを知るかもしれない)
そして、結果的にダルハプスを、そしてその影響をも殺すことができるかもしれない。
(だとしても、彼女も怪物には違いない。上手く崇め奉って、味方で居続けてもらわないとなあ)
そのために必要なことはまだわからないが、魔眼は彼女が何かを──誰かを探しているということだけは伝えてくれた。
それが彼女にとっての何かまではまだ知る由はないものの、時間を使って理解を深める必要はある。
「ねえ、レティちゃん」
とはいえ、彼女と自分の間に無限に余暇と余裕があり続けたりはしない。
こんな時代だ。次の瞬間にさっくりとどちらかが死んでいてもおかしくはないのだ。
「レティちゃんは永遠の存在なの?」
「永遠かどうかはわからぬ。永遠を体感したことはないのでな。
ただ、アンデッドが永遠不滅かと言われれば、そうではなかろうな」
歩速を緩めずに言葉を続ける。
「少なくとも妾は自我そのものこそが存在であると考えている。が、長く生きれば自我は擦れて、やがては消える。
アンデッドとしての不死性によって器は残るかもしれんが、自我なくして個ではなく、個でなくなるのであれば永遠の存在とは呼べぬ。少なくとも妾にとってはな」
額から生えているのか、額に埋まっているものなのか、硬質の物体を愛おしそうに撫でながら答えた。
「自我は欲求と結びついているもの、だと思ってるけど」
「そうであるな。妾もそう考える」
「じゃあ、君の欲求ってなんだい?」
「決まっておる」
先を歩いていたレティレトは振り返ると、蕩けるような笑顔を浮かべて言う。
「愛よ」
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「ここが彷徨い邸がある場所だと?」
場所については間違いない。
広い敷地にはかつて何かがあったかのようにぽっかりと穴が空いている。
時間も経てば普通であれば下生えが伸びるであろうものの、ここではそうしたものはない。
それが如実に『何かがあった』ことを示していた。
そして、何より、消えたのは建物だけなのか、朽ちた剣が転がっている。
ギネセスと呼ばれた冒険者が愛用していた剣であった。朽ちているだけではなく、大破状態にある。修復も難しかろう。だが、それでも握りや鍔のデザインをルルは記憶していた。
「あった場所ってことになるのかな。いや……まさか無くなってるとは、ここまで来てもらったのに、こりゃあ申し訳ないなあ……」
「いや」
レティレトが周囲を見渡す。
「まだ存在しておる。いくらか形は変わったようだが」
「それってどういう──」
ルルの言葉の終わりを待たず、レティレトから激しく火花が散り、電光が舞う。
それらは彼女を中心として広場へと拡散していき、やがて派手に舞い散るそれらはレティレトを中心としていたものから、土地を中心としていたものへと移る。
時を逆巻かせるようにして、ないはずの建物が作り上げられていく。
「なになに? どういうこと?」
「彷徨い邸とやらそのものがアンデッドだったということよ。
消えたのではなく動力源を喪失して姿を保てなかっただけ。
アンデッドと言っても骨屍鬼や肉屍鬼とは違う。霊屍鬼に近い形質のものなのであろうな。
誰が考えたかはわからんが、面白いものを編みよるわ」
かんらかんらとレティが笑う。
その頃にはすっかりと大きな貴族邸が現れている。
大きな扉は意思を持っているかのように開く。自らを呼び出したものを招くように。
「さあ、中に行くぞ。
ルルの望みのものがあるかはわからぬがされた招待を無碍にするのは貴族の道に反するのではないかえ」
言われるまでもない、とルルは一歩進む。
「入ろう。入っていいんだよね?
ダメって言ったってこんなの見せられたら強引にでも推し通っちゃうよ!」
興奮する同行者の様子にやはりレティは自分に似たものを感じて、思わず笑ってしまう。
中への興味が尽きないのは自分も同じだからだ。
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「調度品に見えるものも全てインクで作られた『影』に過ぎないのか。ちょっと残念」
中に入ってあれこれと気になることを試しながらルルが言う。
「一種の結界。儀式術の範疇にあるものなのだろう。屍術との組み合わせとしては面白いが」
雨風を凌げるかもわからない。一種の幻覚のようなものであろうとレティレトは認識した。
これが持ち運び可能な家の類いであれば大いなる技術なのだろうが。
「とはいえ、詳しく調べている暇もない。探すべきはギネセスとやらだったか」
「正確にはその祖先だそうだけど」
幾つかの部屋を調べ、やがて最奥の大広間へと辿り着く。
ヴィルグラムたちが死闘を演じた場所ではあったが今ここには何もない。
静けさだけが横たわっていた。
「何もないねえ」
「いや」
レティレトは朽ちかけの鳥かごめいたものを掴む。
「そうでもなさそうだ」
「鳥かご?」
「楔だな。
この世に人間を縛り付けるために時折、こういうものを使う場合がある。
本来持たぬ力を後天的に付与する場合であったり、逆に強い力を縛る場合であったり、屍鬼をその場に縛り付けるために使うというケースもあるな」
「これはどのケースだと思う?」
「さてな。目を覚まさせてやればわかることであろう」
インクを使い、屍術の力が練り上げられていく。
不気味な色の糸めいたものが鳥かごに触れ、掴み、絡んでいく。
「そんなぽんぽんと目を覚まさせて大丈夫なの?」
「そう大きな力を与えなければ問題はなかろうさ」
糸は鳥かごの中に収まり、そして糸を軸にするようにしてゆっくりと復元するものがある。
それは顔であった。
「う、ああ……。うぐ……」
「男のうめき声を聞きたくて目を覚まさせてやったわけではないぞ。
アンデッドよ、名乗ることを許す」
「ギネセテネス。かつて王国に仕え、偉大な爵位を得たもの……」
屍術の虜となっているギネセテネスは時折おぼつかない言葉になったりはしたものの、今の使役主であるレティレトの言葉を拒否することなどできない。
ただ、かつてギネセスによって撃破されたこのアンデッドは、その影響からかろくなことを喋れはしなかった。
知恵というべきか、知性の殆どを喪失しているようで、彼が生きた王国時代の話が聞けたりはしないことにルルシエットは残念がる。彼女にはその程度の余裕があった。
「求めていた宝箱、ってわけじゃあなかったかあ」
「現状は、な」
「状況が変わる可能性が?」
「更にインクを分け与えてやれば思い出すこともあるかもしれん。が、」
レティレトはそれに対しての危惧を口にする。
「妾の制御から離れる可能性がある。インクを与えてやってわかったことだが、彼奴には妾も知らぬ屍術が使われている。
屍術をはじめとした忌道は大っぴらに学ぶ場所がないゆえ、独自の技術体系になりがちだ。
故を知らぬ妾がいじくり回した結果、」
「暴れ出すかも、ってことかな」
小さく笑みを作ってレティレトはその言葉に続けた。
「その程度で怖いから止めようなど言う女ではあるまいよな、ルルよ」
実に短い付き合いである。だが、似たところを感じているが故にわかることもあった。
興味を向けたものにどれほどリスクがあろうとも掘り下げなければ我慢できない。そういう形質だった。
「賭けるのが危険だけでいいなら、お願い」
「そうこなくては。
いじくり回すならば妾単体のインクでは効率が悪い。この邸そのものの力も借り受けねばならんであろう」
邸のどこぞにある核へと至り、その力を流用してギネセテネスへと注ぐ。
そのためにここから離れる必要がある、とレティレト。
「とはいえ、彼奴が元気になった途端に逃げられてもな」
「見張ってればいいってこと?」
「話が早くて助かる。が、暴れ出す可能性はどこまでも否定はできんと重ねて言うぞ」
「暴れたらどうすればいい?」
「倒してしまって構わぬ。倒したところで彼奴の存在が消えるわけではない。
再び休止状態に入るだけ。そうなってしまったら次は別の手を考えるなり、諦めるなりすればよかろうさ」
計画とも呼べない大雑把なことを言う。とはいってもルル自身もやはり同じ考えでしかないのであっさりと同意する。
「危険を感じたなら逃げるのだぞ。
折角妾にできた友人というやつをアンデッドにするのは悲しいからな」
「ありがと」
友人、という言葉に顔を綻ばせる。
定命の人間でしかないルルシエットだが、為政者の孤高さというのは永を生きるレティレトのそれに似ている。
「妾は本来邸に与えていたであろうインクに関わる設備を探してくる。動かし始めれば彼奴にも影響が出るからわかりやすいと思う。動かしたならすぐに戻るからな」
そう言って部屋から去る。
目を離せないというのは子犬のように手足が生えて素早く走り去ってしまうとかだろうか。
などと思っていたルルの前に発生した事象はかわいげのあるものではなかった。
糸の如きインクの数が増し、やがて鳥かごから幾つもの『蔦』が生える。蔦の幾つかは丸まり、木の実めいたものが成りそれに切れ目が入り、目や鼻、口に変じていった。
「う、ああ……我は……」
「これはこれは」
大した怪物が現れる。
そう遠くない頃に、激闘を始めるルルの前に二人の旅人が現れることになった。
かのようにして、彼と彼女たちは再会する。
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レティレトが辿り着いたのは邸の中心。
隠し扉の向こう側にあった彷徨い邸の心臓部であった。
(さて、いじらせてもらうとするか。──ふむ、思っていた以上に邸とあのアンデッドは密接な関係があるわけか。
共有だけではなく、あれこれといじくりまわせそうな部分もありそうではあるな)
ギネセテネスにインクを供給する中で、幾つかの機能を自らの屍術を使って追加した。
例えば正気。
アンデッドの殆どは狂気に染まる。ギネセテネスもまた例外に及ばず。
しかし、レティとルルの目的はダルハプスの持つ技術を求めることである。
未だギネセテネスがその生き証人──死に証人というべきかもしれないが──かの判断はできていない。狂ったアンデッドでいるままでは話が進まない。
(にしても、想像以上に興味深い技術だ。時間が許すならたっぷりと調べて回りたいところだが……あまり女子を待たせるものでもない)
不朽と恐れられ、あるいは珍重される存在であっても見たことのない技術。
彼女の言うところの金と検体を湯水の如くに注げるからこそ生み出される屍術であって屍術の枠から外れたものなのだと彼女は考える。
(ひとまずは再起動はできたか。……この感覚、やはり暴れ始めたか。もう少し待っておれ、ルル。暴れ馬の手綱を引いてやるゆえな)
正気を注ぐためにあれこれと手を尽くす。
正気、と言っても急に善人に、あるいは隷属させたようにできるわけではない。
衝動的な攻撃行動を封じ、会話を行うための基盤を再設定してやるのが限界。
やがて、ギネセテネスの『手綱』を握りはじめたレティは個体が持つ幾つかの機能を把握する。
例えばそれはギネセテネスの視界を盗み見るであったりだった。
その機能を使った彼女は、
「な──」
その視界にあった存在を見て思わず叫んだ。
「なぜここにおぬしがおるのだ……!」
不朽の瞳は他者を肉と骨のみで判断しない。
彼女の視界には複雑に絡み合った儀式か、インクか、膨大な知識を持つ彼女すら知り得ない別の何かを纏った存在が現れていた。
「グラム……」
間違えるものではない。
今のレティにとって、何よりも気を向けるべき相手を。
アンデッドは狂気に染まる。レティレトにとって正気の代替となる狂気は執着であった。
今まではかつて自分を殺さなかった賊徒の気持ちを知ることこそが目的であり、
百年以上ぶりに得た新たな目的はグラムという男の生態と機能についてであった。
いや、はっきりと言ってしまえばそれは一種の恋であった。
「ぬおっ……!」
グラムに釘付けになっていたレティだが、あくまで視界をのぞき見ているに過ぎない。
視界がぐらつき、急加速してその場から去って行く。
「ああ、馬鹿者! もっと見せよ! いや、妾が行けばよいのか! したりしたり!
……いや、いや、妾がここから離れたならここがどのような動きをするか、あるいはギネ某が止まってしまっても厄介。うぐぐ……二律背反というやつか……」
不朽が語られる伝説の多くは邪悪なものであり、そしてその殆どは大抵事実であった。
邪悪なる屍術士レティレト。
彼女の性根は悪であっても、彼女のそれは一種の信条あってのものだった。己を突き通すことに余念とよそ見がない。
例えば、ここで我欲のために心臓部から走り出すことも選択肢としては十分にあっただろう。だが、それをしない。
理由は単純だ。友と呼んでくれたルルシエットと約束をしたからだ。ダルハプスの情報を掴むことを。
ここでその約束を反故にすることは己を裏切ることにも等しい。信条すらも朽ち果てさせぬことこそが彼女が今日まで語られる存在で居続けられる理由でもあった。
「彷徨い邸がいつまであるかもわからぬ。この部屋で得られる情報を集めねばなるまいよな」
作業を始めつつ、時折ちらちらと視界を確認する。
再びグラムが現れたときには釘付けになりかけるも、すぐに作業へと戻る。
一秒でも早く解析と掌握が終われば、一瞬でも早くグラムへと会いに行けるのだから。




