180_継暦141年_秋
主を失ったアンデッドの末路は二つ。
一つは朽ちる。
もう一つは野生に戻る獣のように、与えられた目的の一部だけが顕在化してそれを本能として蠢く。
この場合は後者となった。目的はルルを殺すこと。
屍騎士は与えられた力で強引に歪な骨屍鬼を引き剥がす。
立ち上がり、殴られて形が崩れた兜をルルへと向ける。
「あー、結局これをなんとかしないとダメってことかあ」
弾弓を構える。
「その得物ではいささか分が悪いように思えるが、どうであろうな」
そんなルルの耳に入ってきたのは鈴を鳴らすような声。
気配もなく、というべきか、屍術の濃密なインクによって察知できなかったのか、ルルの側にレティレトが立っていた。
ルルにとっては不意に、不可思議な方法で現れたかのようにすら思えただろう。
「ははは。私もそう思う」
「普通、君は誰だ!? とか こんなところに少女が!? とかそういう反応をするものではないのか。妾はちょっとさみしい」
「片角の美少女が現れたらただ事じゃないくらいはわかるさ。ただ事じゃない状況で君が期待する反応するのは逆に陳腐かなと」
「変な女」
「よく言われる。で、わざわざ現れた君だね。さっき助けてくれたのは。ついでにこれも助けてくれたりは」
「後払いの報酬を期待するぞ」
「払えるものなら努力するよ」
にたり、と笑うレティ。
「ならば、」
屍騎士が突き進む。
「承ろう!」
レティが手を前に突き出すと、屍騎士はまるで糸に縛られたかのように身動きを止める。いや、あがく。見えざる拘束を破らんとしてあがいていた。
「ははは。素体はそれなりだが技術が拙いわえ。この程度であれば」
糸をたぐるように指を動かすと次の瞬間、騎士は膝をつき、そしてついにはただの骸であるかのようにして倒れる。あるいは、本当に骸へと戻ったのか。
ルルはあの不気味なアンデッドをけしかけたのが彼女であろうと予想はしていたものの、これほどまでにあっさりと自分が苦戦していた屍騎士を倒す手腕には驚きを隠せなかった。
「君は……すごいな」
「もっと褒めてよい」
無い胸を反って、居丈高に己の戦果を誇る。
ルルはなんとなく不気味であるはずの人物に猫にも似た愛らしさを覚えていた。
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「不朽の遺産~?」
訝しがる声を隠すこともないレティ。
「大切な親友がもしかしたらアンデッドに影響されたかもしれなくてさ。伝説の屍術士であるところの『不朽』、その遺産であればわかることもあるかなと」
「淡い望みを掛けてここに来た、というわけか」
頷くルルに対して、
「ないぞ、ないない。そんなものはない」
「もう先に探したの?」
「いいや」
「ええっと、じゃあ実はあの屍術士の仲間……ってことはないか」
「うむ、ないな」
「それじゃあなんで断定で──」
「妾が不朽だからよ」
「えっ」
超然とした態度のルルこと当代ルルシエット伯爵であっても、驚くこともある。
驚く価値のあることでもあった。
不朽の名、その悪名を着飾るような名声は伝説そのもの。
名が示すとおり、伝説でありながら朽ちることを知らぬという二つ名を持つが故に、その伝説は『今も生きている』ものだった。
ただ、ルルにとってその『今も生きている』というのはあくまで『不朽は不滅であってほしい』という願いが不朽を不朽たらしめているのだと思っていた。
しかし、そうではなかった。
「ホント?」
「くだらぬ嘘などつかん。まず妾は遺産など遺さぬ。どうしてアンデッド未満のアホどものために何かをもたらしてやらねばならんのだ?
そもそも妾は死んでもいないのに遺産というのもおかしな話であろうよ」
傍若無人な性格は伝承で語られている通り。
実際に実力もその目で見た。
何より魔眼もまた、彼女の持つ可能性に輝きを見いだしてもいる。
「が、ここに何もない、というわけでもあるまい。
妾の遺産ではなくともいつかの妾が置いていった私物であれ、妾の技術を継承したものが遺したものであれ、何かはあるのかもしれん」
その言葉のあとにすぐ、
「そんなものがあったとして、そんなものよりもよほど意味のあるものに興味はないか」
悪魔めいた笑みを、にたりと浮かべる。
ルルが「それは?」と言いたげに視線を向けた。
「妾はおぬしに興味が沸きつつある。その瞳よ。それは何かしら特別なものであろう。
どのように得たかは知らぬが、人の身には過ぎたるもの。何かを損なわねば御することなどできはしない。何を捧げて今を生きているのだ?
──おっと、質問が過ぎたな。
ともかく、妾は暇をしておる。寂しくもある。
それを埋めるための何かを探していたが、興味を向ける先ができた。
妾の質問に答える気があるならば、まずは妾からおぬしの求めに応じよう」
物語の多くが語ることは『悪魔の寧言に耳を貸すべきではない』ということ。特に多弁であればあるほどに信じるべきではない、と。
かの王賊ですらそれを語ったとされる。
彼が『悪魔だ』と称したのは魔女に対してであったが、魔女の求めに応じ、魔女が王賊の求めに答えた結果、彼の人生は物語として今も語られ、あることないことが今になっても紡がれ続けることになるほどの波瀾万丈をもたらした。
ただでさえ伯爵業に忙しく、さらにそこに親友たるビウモード救済まで解決せねばならないのに、悪魔と踊った結果、彼女の持ち得る運命に暴風が吹き荒れたなら、どうなってしまうのか。
「いいね」
どうなったっていい。停滞するよりもよほどいい。伯爵の身分であろうと、吹けば飛ぶような命なのは人間である限りは変わらないというのが彼女の考えであった。
ルルシエットは常人とは異なる。性質も体質も。そして何より、彼女は彼女で正気でもなかった。
それは一般的な尺度における正気と異なるだけで、彼女にとって常態である今の心持ちは正気ではあるのだが。
「きっといい暇つぶしになるよ、私はさ」
彼女は暴風の到来を求めて、微笑みを向けた。
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「ダルハプス、か。あの亡者め。随分と好き勝手をしたのだな。妾よりも目立つのはまったく許せん話よ」
ルルが話したのは先代ビウモードの苦闘から現在の当代ビウモードの乱心とも言える侵攻作戦のことまで。
関係あるかわからないものの、今のこのあたりの情勢も交えて話した。
傲慢な態度のレティではあったが、世間のことには興味があるのか世俗について彼女が把握していないことがあれば話を遮ってでも深掘りしてきたりもする。
貪欲な姿勢にルルは悪い気がしなかった。というよりも、他人から見ると自分もこうなんだろうなあという心持ちになる。
そして、ルルは自分が大好きであり、となれば自分に似ていると思えたレティレトにも好意が湧いてくるというものだった。
「ふむ……。ダルハプスの影響で親友が狂ったのではないか、と」
「さっきレティちゃんがやったみたいにアンデッドを一発で転がすような感じでダルハプスの呪いであれなんであれ、消し飛ばせたりしないかなあって」
「レティちゃん……」
「あ、イヤだった?」
「イヤなものか。新鮮で大変よろしい。これからもそう呼ぶのだぞ」
ひとまずは新たな楽しみを見つけたレティは今の状況を満足げに頷く。
「で、話は戻すが消し飛ばせるかはわからぬ。
ダルハプスの影響であったら、というのは話だけではわからん。いや、ビウモードを見たとしてもわかるかも怪しいところよ。
呪いではなく、ダルハプスとの戦いを経て心の均衡を崩して……というパターンもあろう」
だからといって、ダルハプスが関わっているかのルートを無視するわけではない、と彼女は続ける。
「何が悪いかの判定をするためにも、疑念があるものを一つずつ潰していこうではないか」
「ええっと、つまり?」
「まずはダルハプスを完全に消し飛ばしてやるのだ。とはいっても、完全な復活を遂げた彼奴であればそれも簡単なことではないだろうが」
「おそらくは殆ど影響力を失っている状態であるなら」
「できることはある。妾ならばな。褒めてよい」
「レティちゃん流石~!」
おだてかたが雑、というのではない。
今は本気でおだててほしいわけではないことをルルは察している。だからあえて雑にも取れるおだてかたをした。
実際、その対応は間違ってないようでレティも満更ではなかった。
あくまで会話を区切るためにおどけたようなものだからだ。
「ただ、準備には手間取る可能性もある。まずは深度のあるアンデッドか、その核が必要になる」
深度というのはアンデッドの質の指標のようなものだ。
作りのいいもの、作るうえでの邪悪な儀式の大きさ、パーツが持つ残留思念の強さ、あるいはアンデッドそのものが長く生きていれば単純に深度は自動的に深まる。
ルルもそうした知識は持っていたのであえて質問することもなかった。
「何かそうしたものに心当たりはないか? ……勿論、妾以外でな」
「ううん……」
かつて自身の領で活躍していたギネセスという冒険者がいた。
彼は自らを呪う祖先を殺すために活動していると当人の口から聞いている。身の上を明かす代わりに何か知らないかという話の中で聞いたことだった。
結局今になっても彼は戻らず、しかし、最後に彼が向かったのが彷徨い邸という、彼の目的に合致する場所だったことを当時、その依頼の処理を担当していた受付嬢からも聞けていた。
ギネセスはれっきとした人間であり、祖先も特別なところのないものであったなら、当時までギネセスを呪っているその祖先というのは何かしらのアンデッドであったのだろうとルルは予想していた。
「ならば、試してみるか」
「試してみる?」
「そのギネセスの祖先とやらに会えばわかるであろう」
「でも、彷徨い邸の出現はあれから耳にしていないから」
おそらくはギネセスは戻らなかったが、目的は果たしたのではないかとルルシエットは考えていた。
それについてはレティも差し挟む余地のない当然のこととして考えているらしい。
「アンデッドというのは完全ではないにしても、不滅に近い。特に深度の深いアンデッドであればあるほどに、その永遠性は強くなるものよ。妾が幾つもの妾たちとして生きていたようにな」
「幾つもの?」
「それを話すと長くなる。また今度にな。ともかく、それだけの存在であれば顕現させなおすこともできるかもしれん」
肉屍鬼ならば骨屍鬼に、骨屍鬼ならば霊屍鬼に、倒されたとしても再利用できる可能性があるのもアンデッドの強みであった。
不朽ほどの存在ともなれば撃退されたアンデッドを再度復活させることもまた、不可能ではない。
ルルは「やってみてほしい」と素直に願いを伝えた。
それに対してレティは自身の薄い胸板をぽふんと叩き、任されたと笑顔を向ける。
不朽と呼ばれた恐るべき屍術士は、しかし、人に頼られることを喜びとするところが強かった。
その様子と性質は民話で伝わる不朽の義侠譚に正確に伝わっている『そのもの』であることを当人ばかりが知らないのであった。




