018_継暦141年_春/08
ヤルバッツィ。
……ヤルバ。
そうか、あの駆け出しがまさか騎士団の総長にまで上り詰めたのか。
オレは彼を知っている。
けれど、彼はオレを知らない。
説得ができりゃあよかったが、それは難しいだろう。
心の底からそれをするなという、理由不明の自戒が心を締め付けるが、復活のことを話して信じてくれるだろうか。
「この人はルルシエット冒険者ギルドの人で、
冒険者みんなの大切な人でもあるんだ」
「ああ、そうだろうな、少年。
どこに行っても彼女は愛されるお人だ。
だから、君たちから取り上げようとするのは心苦しい」
「でも、連れて行くの?」
「ああ、我らビウモードには彼女が必要なのだ」
ちらりとイセリナを見やる。
彼女の顔色は酷く青褪めていた。
「……頷けないかな、それには」
「少年、君では私に勝てない」
兜を落とし、しかしそれが地面に転がる前に矢を番え、こちらへと向けた。
速い。
勝つだの負けるだのどころか、その土俵にも立てないだろう。
「ヴィーさん、私は大丈夫です、大丈夫ですから……」
「大丈夫なもんか」
歩こうとする彼女の前に立って、阻む。
「イセリナ、オレはまだ何も謝れてない。
沢山裏切っちゃったのに、それでも信じてくれたのに。
だから、ここでお別れはできない」
「その選択は自らを殺すことになるぞ。
やめるんだ、少年」
ヤルバがオレの行動を咎める。
ああ、そうだ。
実際、この選択肢は悪手だろう。
何せ策もなにもないのに立ちふさがっているんだから。
このままオレが殺されても彼女は連れ去られてしまう。
何か、何か……。
ギルドからも人影が現れる。
先程オレたちを追おうとした上階の兵士たち。
「イセリナ様には傷一つ付けるな」
兵士に向ける眼差しは厳しい。
それによってイセリナに向けた瞳が尊崇と、そして哀れみの含まれたものであることがよくわかった。
「わかってます、総長」
「ガキの方はどうします」
口が悪い兵士だなあ、とは思うが、もしかしたら兵士ですらないのかもしれない。
先、冒険者ギルドが伯爵の直轄組織になったみたいなことを云っていたし、
彼らは冒険者上がりか、荒っぽいのがビウモード流の冒険者なのかもしれない。
苦々しい表情を浮かべながら、
「抵抗しないなら、捕縛を」
「抵抗するなら、どうします」
「ッ……殺せ」
彼は判断を下す。
あれからどれくらいの時間が経ったんだ、ヤルバ。
オレにはそれを共感できるものは持たないけど、随分長い時間が過ぎたんじゃないのか。
それでも、冷血漢にもならずに命に対して苦しげな表情をできるんだな。
すげえよ。
こんな世界で、きっとお前がいた場所は優しさを許さないような環境だったんだろうけど、それでもお前はまっすぐなままなんだな。
でも。
それでも、お前には預けられない。
イセリナがこんなひどい顔をしてしまうような行き先に送り出すなんて、オレにはできない。
オレの感情一つの問題ってわけでもない。
強い敬愛の念を向けられているイセリナをここで渡しちまったら、ルルシエットの冒険者がどんな無茶をやらかすかもわからないのだ。
考えろ。
何か、可能性は……。
「ぐああっ!」
「な、なんだ!?ぐおっ」
判断の前に、状況が動く。
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ギルドから出ようとする兵士たちが倒れる。
ギルドの入り口近くに大剣を握った大男が立っていた。
「生きていたのか、兜砕きのガドバル」
弓の狙いは変えず、しかし視線をガドバルへと向けるヤルバ。
ガドバルは無傷ではなかった。
幾つも矢が突き立ち、それ以外の何かしらを要因とした戦傷を抱えているようだった。
傷付き、性能の殆どを失った鎧を剥ぎ取って捨てながら、
「しぶといのが取り柄でな」
彼は答える。
いや、鎧を捨てたのはヤルバの弓相手に鎧が無意味だと考えたからかもしれない。
そうなれば鎧はただの拘束具。
そこに明確な戦意が感じられ、ヤルバも、そしてイセリナもそれを理解したようだ。
「愛妻家だという話はこちらまで届いている、ここで命を散らせば涙を流す家族がいるのだろう。
こちらは背を射つ気はない」
去れ、と。
なるほど、ヤルバからしてもガドバルは望んで戦いたい相手ではないってことか。
ヤルバですらそうなら、下っ端どもならもっと戦いたくないはずだ。
ここさえ切り抜ければガドバルが確実にイセリナを生かして逃がしてくれる。
「悪いね。
ルルシエット冒険者ギルドは皆、イセリナが大切なのさ。
それにここにはオレだけじゃあない、すぐにロームも来る。
死ぬのはお前かもしれないぜ、銀灰位階さんよ」
睨み合う両者。
少しの猶予ができた。
ガドバルの背後から何かが暴れる音が響いている。
彼が反応を示さないということは味方、つまりはロームが近づいているのだろう。
ガドバルと共に動いて逃げに徹するのもありかと思っていたが、
このまま時間を稼ぐなりして、ロームと合流してからヤルバと戦う道もあるだろうか。
いや……やはりそれはなさそうだ。
ヤルバの背後に兵士の一団が近づいている。
単純なぶつかり合いならどうなるか予想もできないが、
乱戦にでもなればいよいよイセリナを守り切ることは難しい。
「イセリナ」
「なん……ですか、ヴィーさん」
本当に、ひどい顔だ。
どれほどのことがあったのか。
「ここを切り抜けたらさ。
冒険者として何が必要かとか、何をしていいか、だめなのかとか、教えてよ」
「え?」
「オレさ、本当に何も知らなくて。
これから生き延びるためには、きっと沢山知識があったほうが良くってさ、だから、勉強しないとって思ったんだ。
ホント、今回の依頼は勉強不足を痛感したよ」
「……わかりました。ですが、私は厳しいですよ?」
少しだけ血色が戻った気がする。
淡く微笑むだけの余力も戻ったようだ。
よかった。
その笑顔が見れれば、それでいい。
「イセリナ、何も持っていないオレに色んな可能性をくれてありがとう。
他人のことを、みんなのことを好きになれて、本当によかった」
「ヴィーさん?」
オレはイセリナの手を掴むとガドバルへと投げ渡す。
「行けッ!ガドバルッ!」
イセリナをキャッチしたガドバルは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、しかし彼女を連れて奥へと走ろうとする。
そう言いながら、ギルドの入り口へと走り、射線を塞ぐ。
とはいっても、恐らくオレの体じゃあ盾にもならないだろうな。
だから、ここからは運任せだ。
まあ、その運ってのに関してはまったく自信がないんだが。
息を吸い、吐き、呼吸を整える。
「ヤルバ、斧はもう捨てちまったのか。
似合ってたのにさ。
ウィミニアとルカルシは元気か?」
口調を内心と一致させる。
いや、一致しきれてない気もするが、それだけヴィルグラムという人間がオレそのものになっていた証拠なのだろう。
「賊に苦戦してた駆け出し冒険者から騎士団の総長になるなんてさ、本当にすげえよ。
身を挺して作った隙が役に立ったって自惚れてもいいか?」
「あの依頼は握りつぶされたはずだ……。
なんで、それを……?」
おっと、とりあえず運を拾えたか?
ただ、あんまりオレのこの出自のことは伝えたくないんだよな。
そのせいで、どうにも色んな人を不幸にしてきた気がするから。
「久しぶりだな、ヤルバ」
「まさか……あなたは……いや、そんな」
でも、今回ばかりは……悪いな、ヤルバ。
運が転がっていたってなら、拾わせて欲しい。
イセリナは守りたいが、その次くらいには自分の命も惜しいんだ。
「オレは──」
お前の知っている、グラムってチンケな冒険者だよ。
そう言おうとした。
「逃がすな!射て!射てッ!」
兵士の一人が功を焦ってか、叫ぶ。
「待て!射つなッ!!止めろぉーーッ!!!」
ヤルバの必死の、悲鳴のような声は弦が一斉に鳴るのと殆ど同時だった。
矢はオレの体を射ち貫き、急速に意識が消えていくのを感じる。
もう体の自由が利かない。
どうやら地面にオレは倒れたらしい。
暗くなりつつある視界の向こう側にロームと合流したガドバルが見えた。
彼らは一度オレを見たような気がするが、すぐに裏口に向かったみたいだ。大丈夫だ。イセリナはきっと逃げ切れる。
これがきっと、正解だったはずだ。でも。
──ああ。死にたく、ないなあ。
もっと、冒険がしたかったなあ。
もっと……皆と一緒にいたかったなあ。




