178_継暦141年_秋
ふた首の旦那こと、ギネセテネスとマーグラムが会話しているときよりも前。
そもそもとして、ギネセテネスが蘇るより少し以前のこと。
執着していた相手が死んでから、一人の女がデイレフェッチの大邸から去った。
その後のデイレフェッチは支配者を失い、混乱のときを迎えるのだが、その女──レティレトにとってはどうでもいいことであった。
「はあ。……寂しい。寂しいな」
グラムたちと一緒にいた頃の、ある種の喧騒は彼女に永年の孤独を癒やす力のあるものであった。しかし、それは孤独に慣れていたはずのものにとっては毒でもある。
ないことが当然であったものが、ないことが当然ではなくなる。あったはずのものを想うことは多くの人間とって耐えるのが難しい。
それは『不朽』とあだ名され、永世を生きるとも言われる怪物であろうとも、人間らしい思考と感情があるのならば逃げられないことだった。
ディカたちの心配をレティレトはしていなかった。
元々人間としての情が薄いのだろうと言ってしまえば彼女側に否定要素はあるまいが、それよりも単純に、ディカが守られるばかりの少女ではないことを友人として理解しているためだった。
どれほど歩いただろうか。
定命の人間が言うところの「あてどなく」とはわけが違う。疲労を感じない彼女の「あてどなく」は一日二日歩き通すことを意味していた。
「飽きた」
ようやく寂しさを引き剥がすことができた彼女がそう呟く。
「グラムに会いたい。でも、仕組みがわからない以上は手の打ちようがない」
朽ちて倒れた樹木の幹に腰掛けながら独り言。まるで誰かがそばにいるかのように。
「と、考えるのは三流。行きそうな場所を予測して先回りして二流。一流は──」
ふとなにかに気がつく様子を見せる。
野生にある動物が他の生物を感知する能力に優れているように、彼女もまた他者のインクに気が付くことに敏い。
都市のように人の往来が激しければ難しくとも、人の姿もまるでない山とも丘ともつかない場所であればなおさら。
「妾が思考整理しているのに、邪魔しおって」
レティレトは怪物である。
グラムの前であればこそ貞淑に(それはあくまで彼女にとってだが)していたが、周りに誰もいないというのであれば隠し立てする必要もない。
ずんずんと気配の方向へと進む。
視線の先には随分と過去に廃村となったであろう土地が見えた。
「屍術使いの臭いか。しかし、それにしては随分と強い命の匂いもするが……」
目を細め、廃村を観察する。
複数の肉屍鬼。それが明確な目的を持って何かを探すようにうろついている。
「命のほうは、……あれか」
注意深く観察すると村の内部で隠れている外套姿の何者かがいる。
手には弓。
ゾンビを見て逃げたりしないところから、廃村に目的があるようだった。
「妾の無聊の慰み、どちらにしてもらうとするべきか」
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デイレフェッチでグラムたちが冒険をしている頃。
ルルシエット伯爵はその立場からは考えられないほどのフットワークの軽さで多忙を切り崩し続けていた。
「閣下、本気ですか」
「どうせ私が戦場にいようがいまいが関係ないって。似たような服装のを立たせておけば十分十分。ああでも、影武者みたいに使いたいってわけじゃないから危ない目には遭わせないであげてね」
ロームも行動騎士となってからルルシエット伯爵と会話することも、戦いに同道することも少なくはない。
それでも彼女の奔放さになれることはなかった。
「それにロームだって戦いを指揮するときに自分より上の立場がいるのは面倒だろ?
全権委任されてるってのに伺いを立てないといけないなんて矛盾もいいところだ」
「う……。そりゃあ、まあ、そうではありますがね」
何度目かのルルシエット奪還のための戦闘。
最初はルルや、他の行動騎士が担当していたが、やがてロームの戦術や指揮が他の行動騎士や戦術家を上回ることがわかったところでルルが彼にこの戦いでの全権を委任した。
簡単にできることでも、するべきことでもない行いだが、それでも上手く回るのは彼女の人を見る目あってのもの。
そして、頼られたものはどうにもこの危なっかしい女を支えてやらねばと思わせる奇妙なカリスマがあった。
「一応、最後の確認ですが……」
「なんだい」
「ルルシエットは取り返さない、それでいいんですね?」
「ああ、目的は弱らせること。いい感じにね。必要なタイミングになったら取り返せるようにする。それがローム将軍の仕事だよ」
「将軍ってのは嬉しい呼び名ですが、……奇妙な頼み事ですよ。それも魔眼の導きってやつですかね」
「これは私の予測と予定だよ。魔眼が関わっては……いなくはないけどね」
といった具合のことを話していたのが数日前。
彼女がその陣幕から消えたのは会話が終わってすぐだった。もはやロームを含めた行動騎士は誰も彼女の心配をしていない。
したところで無駄ならば、彼女に託された仕事をするほうが建設的というものだ。
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ルルシエット伯爵が探しているものはたった一つ。
『不朽の遺産』。
『不朽』とは永きを生きる不死者レティレトを指す言葉である。
(ビューの行動はおかしいのは言うまでもない。喋った感じはいつもどおりだったけど、行動が正気に伴っていないならまっとうじゃあない。
疑うべきはダルハプスだろう。あいつの影響であれ、あいつが遺したものの何かであれ)
以前は封印するのに手一杯だったダルハプス。
当時はまだ余裕がなかったと振り返ることも多い。
あれから数年経った今、彼女にも思考の余裕が生まれていた。
どうあれダルハプスが関わっているというのであれば、ダルハプスそのものを相手にする以外のやり方を考える柔軟性を得ていた。
(私が知る限りの最高峰、いや、最奈落のアンデッドは不朽だ。現実にいるかまでの確証は持ててなかったけど、意外なところから情報はもらえたしね)
意外なところ、というのは協力関係を築くことができたトライカ、そしてそこに協力者として居を構えている管理局。
管理局は一つの存在をキースという男から献上されていた。
その献上物はレティレト。
レティレトと管理局の間には何かしらの取引があったそうだが、それは伏せられた。恐らくレティレト側から何かしらの取り決めがあったのだろう。
問題はその取り決めについてではない。
不朽は存在していた。
伝説のアンデッドともされるものは存在していた。
(ダルハプスへの対抗策として調べていたアンデッドについてのあれこれ。そこから得られた屍術使いども涎垂の品、不朽の遺産。あるかも怪しい代物も不朽が実際に存在していたっていうなら、遺産とともに伝えられている伝承も真実かもしれない)
伝承。
伝説的なアンデッドが遺した物語には曰くと尾ヒレが付いている。だが、誰もその伝承に手垢を付けることはできていない。
その伝承とは例えば、『入れればいかなるアンデッドでも支配できる王冠』だとか、
『アンデッドを作り出せるのだから自由に破壊、消滅させられる錫杖』だとか、
『自らをアンデッドに作り変えるだけでなく、正気を保ったままにする指輪』だとか、
そのいずれかであっても、いずれでもなかったとしても、それほど強力な──アンデッドがそのあり方を変えるほどの力を持つ代物であれば、ダルハプスへの切り札や打開策になりうると考えていた。
そうして彼女が辿り着いたのがどことも知れぬ廃村。
奇しくも探していた遺産ではなく、それを遺したとされているレティレト本人が見ている場所であった。
(近付いたらアンデッドがわんさとお出迎えとは……まいったなあ)
彼女は弾弓に弾をつがえる。なんのインクも籠もっていないものだが、彼女が打ち出せばそれだけでゾンビの顔面程度なら熟れた果実を壁に叩きつける程度の結果をもたらすことができる。
(ホント、まいったよ。だって、これって大当たりかもってことでしょ?)
笑いを噛み殺すのに精一杯だった。
ルルシエットという女は、伯爵よりも盗掘屋のほうがきっとお似合いなのだ。
彼女の魔眼が捉えているわけではない。ここに辿り着いたのは一種の、超常的な嗅覚という他ない。
相対しているアンデッドたちには主がいることを理解しており、野生ではないアンデッドは稀な存在だ。忌道を修めたものがそもそも稀であるとも言えるが、ともかく、何らかの意志の上で動かされているアンデッドたちを撃滅し、親玉を2、3発でも殴れば求めているもののヒントくらいは得られるかもしれない。
そうした感性を含めて、盗掘屋がお似合いの女だった。
(それじゃあ前哨戦、気合い入れてこなしますか)
やはり令嬢として育てられるべきであり、現在においては伯爵という高級な爵位を持つ人間とは思えない笑みを浮かべて弾弓を構えるのであった。
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「妾の無聊の慰み、どちらにしてもらうとするべきか」
そう呟いて、遠間から観察をしていたレティだったが、
「……ううむ。なんかちょっと妾の想像と違ったな……」
目的はあるのだろう。
だが、そのために引く弓から放たれた一撃はアンデッドを一撃で葬り直していた。
想像と違った、というのは生者側に対しての感想であった。
「だが、面白くはある。どのように見抜いているのだ?」
廃村で戦闘をしている肉屍鬼は数を揃えて、ある程度の命令を書き込んで実行させるのにうってつけの安い駒である。
ゾンビに限らないが、そうしたものはインクによって描かれた核によって動いている。
不死であるところのアンデッドではあるが、実際には完全な不滅なわけではない。その核を破壊されれば他の部位の全てが無事であろうともあっさりと機能停止してしまう。
それ故に屍術士がアンデッドを量産する必要があったとしても核の位置をあちこちにずらすのがセオリーであった。
実際に、レティが見ているゾンビたちも核が頭であったり、心臓があった部位であったり、脊髄であったり、骨盤であったり、別々に配置されていた。
「わざわざこんな辺鄙なところでアンデッドどもと対峙しておるのだから、悲壮で必死な姿になるのを想像しておったのだがなあ……」
彼女が言う『想像と違った』とはそれであった。
その人間の顔にはアンデッドを前にした人間が浮かべがちな表情、つまりは恐怖はまるで存在していなかった。その代わりにあるのは笑み。
飢えた肉食獣が獲物を前にしたときのようなもの。
笑顔というのは獣が牙をむき出しにして戦意を隠さぬ態度に似ている。
「妾が思っていた形とは違うが、無聊の慰みにはなりそうではあるな」
そうして笑うレティレトの笑顔もまた、ルルシエットと似た形質の笑顔であった。
また書き溜めに戻る時間が来てしまいました。
更新再開しましたらよろしくお願いいたします。




